2020年01月28日

●第55回

はならないから、完了体動詞過去形にしかならないとも言える。そのため和文露訳では、二つの用法の違いを特にイメージする必要もない。区別しなければならないのは露文解釈のときである。
 過去の時制において点過去と結果の存続を区別するのは文脈によるが、他動詞のように受け身で被動形動詞過去短語尾を用いることができるときは、過去の時制なら点過去、現在の時制なら結果の存続と区別できる。しかし、次のように点過去と区別できるものもある。

(頭を打ったときに気を失ったのですか?)Вы потеряли сознание при ударе головой?

 上の文は過去の明確な一点を指しており、典型的な点過去である。結果の存続なら気絶している人と会話しているという奇怪な話になってしまうからだ。これは瞬間動作動詞であり、2-2-6項を参照願う。
明確な過去の一点が示されていても、次の文のように不完了体動詞過去形が使われる場合がある。

(1961年4月に東京大阪間の自動車レースが行われたときに、女性読者は参加料3千円を払えば、自分の車でレースに参加でき、勝てば優勝賞金10万円を手に入れることもできた)Когда в апреле 1961 г. проводился автопробег Токио - Осака, читательницы, заплатив взнос (3 тысячи иен), могли принять в нём участие на своих машинах и в случае победы выиграть приз в 100 тысяч иен. <一見過去の一点を示すかのように見えるが、レースが何日間かにわたってというように期間を暗示しているということと、文の焦点がпроводитьсяという動詞ではないということから不完了体が用いられている>

 ラスードヴァ先生は、具体的事実の意味(単一動作の事実を全一的に伝達すること)が完了体の主要な意味であり、一括化の意味と例示的意味は、この具体的事実の意味を基に発達すると述べておられる。私も完了体の用法としては、点過去が最も重要で、基本的な用法であると考えている。
 日本語のテイル形の用法には、状態動詞で、「イスに座っている」のように、テイル形で結果の状態(結果の存続)、「学校に通っている」などの反復・習慣を示す用法や、「棒の先がとがっている」というような形容詞的用法、「その話は一度聞いている」というような経験・経歴(ロシア語では歴史的現在か、点過去で訳す。3-1-7項参照)を示す用法があり、その中の経験・経歴を示す用法には露訳する際に点過去が使える。

(被疑者は1年前ここに来ている)Подозреваемый приехал сюда год назад.

完了体過去形の点過去というのは、過去の時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)で行われた唯一の動作や出来事を指し、それが発話の時点と関係がないか、発話の時点との関わりを問題にしないという意味である。発話の時点と関わりがあれば近接未来ということで、結果の存続の用法となる。動詞によっては7-2項の動詞群のように、点過去で動作が行われたが、発話の時点とは無関係どころか、その動作が完遂されなかったという結果存続無効(3-1-12項)のニュアンスがはっきりと出る動詞群がある。2-2-3項のбылоはいったん開始された動作の中断、中止だが、それとは違って、動作は行われるのだが、期待された結果が出ないという動詞群である。

(彼のことはあてにしたのだが、このざまだ)Я на него понадеялся, а вот что вышло. <シノニムのположитьсяにもこのニュアンスが若干ある>
(一瞬来ないのかと思ったよ)На секунду я было подумал, что ты не придёшь. <いったん開始された動作の中断、中止>
(リーヂヤ・ミハーイロヴナは突然笑い出して、僕に抱きつこうとしたが、

Posted by SATOH at 2020年01月28日 19:27
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