2020年01月28日
●第43回
(夜彼女のところにたどりついて、中に入って、十字を切った)Прибрёл я к ней ввечеру, вхожу, перекрестился. <歴史的現在をはさむことで、文体にリズムと臨場感が出ている>
完了体動詞未来形を例示的用法の時制の転用として歴史的現在でも使えるが、それについては次項参照願う。
2-1-8-3 歴史的現在と完了体動詞未来形
ボンダールコА. В. Бондарко先生の『形態的範疇理論および体の研究』によれば、歴史的現在という用法は、昔も不完了体動詞現在形が主体であることには変わりはないものの、15~18世紀末までは、例示的反復を示す歴史的現在には完了体動詞未来形が広く用いられたという。諺や金言などにその名残が散見される。現代ロシア語においても歴史的現在として完了体未来形が全く使われないわけではない。次のように動作の完遂を強調する意味で使われることがある。
(フォレッゲルの運命において浮き沈みは死ぬ間際まで続く。1939年結核をこじらせ、それと肝硬変のため急逝する)Череда взлётов и падений продолжится в судьбе Николая Форрегера до самого конца, когда в 1939 году он сгорит от запущенного туберкулёза и цирроза печени.
このような完了体動詞未来形は、動作が続けて行われる、今でいう順次的用法のときに顕著だったというから、完了体動詞未来形の例示的用法にもその名残があるのかもしれない。私などは完了体動詞未来形が過去で使われるのは時制の転用(転移)と簡単に片づけていたが、実際は昔の用法の名残だったということになる。А.А. ポテブニャーПотебня先生の用いた有名な例文、「足で蹴って、壊した」という文は、普通に考えればПнул ногой – изломал.と完了体動詞過去形の順次的用法(2-2-1-4項参照)である。ところが完了体動詞未来形を用いて、Пнёт ногой – изломал.とすれば、より生き生きとした表現になるという。これは歴史的現在があたかも眼前で行為が行われているかのように表現するの謂いで、生き生きととらえられると考えれば納得がゆく。このように先行する動作には完了体動詞未来形が使われるというのが時制の転用での説明であり、現在の時制の反復・習慣の用法でも、完了体動詞未来形が先行する動作を示し、かつ平板な文章を生き生きしたものに変えると言われている。
ロシア語には日本語同様、未来完了という形式はないが、完了体動詞未来形(完了体動詞過去形も)には、日本語の「ハワイに行ったら、お土産買って来てね」と同様、時制の転用ではなく、確定(確述)表現であると考えてもよいのかもしれない。
現代でもその名残として、完了体動詞未来形が歴史的現在で使われる場合がある。それはкакと共によく使われるものであり、突然とか暴力的な動作を示す。
(ドイツ軍司令部が置かれていたある村に突入すると、ドイツ兵たちは股引一丁で外に飛び出してきた)Как ворвутся в одну деревню, где стоял немецкий штаб, а немцы как выскочат на улицу в одних подштанниках!
(彼のか細い声が消え、それとともに一瞬で全てが死に絶えたようだった。その代わり、その後すぐに、その全てが急に現れ、気違いのように〔人々が〕手を鳴らしたり、叫び出したりした)Замер его голосок, и с ним в одно мгновение точно всё умерло... Зато через минуту всё как вскочет, словно бешеные, и ладошами плещут и кричат. <вскочетは単数の完了体動詞未来形で例示的用法(4-2-3項参照)、その後の動詞は歴史的現在の用法で三人称複数の不完了体の現在形>
(昨日通りを歩いていると、突然誰かがぐいっと僕の手をつかんだ)Иду