2020年01月28日

●第28回

 上の文は、タクシーを頼んだかどうかだけを尋ねているから不完了体動詞過去形が来ている。つまり、分かりやすく言えば、頭の中で、или нет?(したのか、それともそうしなかったのか?)と続けられるならこの用法である。なぜなら、動作事実の有無の確認、つまり情報源や経験の共有だけで、他のニュアンスは何もないからである。

(熱は下がりましたか、下がりませんでしたか?)Снижалась или не снижалась температура?
(前はうまくいきましたか?)Раньше вам это удавалось?
(その将軍は賄賂を渡したのか?)Давал ли взятки генерал?
(お前、学校のガラスを割ったのか?)Разбивал ли ты окна в школе?
(イワン雷帝は自分の息子を殺したのか?)Убивал ли Иван Грозный своего сына?

(「調べようか?」と俺はヴィーチカに尋ねた)Проверим? – спросил я у Витьки.
(「俺がもう調べた」とサーシカが言った)Я уже проверял – сказал Сашка. 

上記の会話文の二つ目の文は既知の動作(動作の有無)の確認であり、動詞の語義については最初の文で明示されている以上、二つ目の文では動作がなされたことだけを述べている。みなし反復とか代動詞と考えてもよい。

(「その時に申請すべきだった」と彼は言った)Надо было заявить тогда же, – сказал он.
(「申請したさ」)Я заявлял.

フォーサイス先生は不完了体が上の会話文において論理的強調性を強く帯びていると述べておられるが、語義そのものではなく、動作があったことを強調しているということになる。

(私は新聞を読んだ〔目を通した〕)Я читал газету. <Я прочитал газету.にすると、自分が読んだ記事を理解したという意味になる>

Посылку получил (получал) Миша.(小包を受け取ったのはミーシャです)

 上の文で完了体動詞過去形получилなら、具体的な1回の動作ということで動作主(つまり小包の名宛人)がミーシャだという事を示し、不完了体動詞過去形получалなら、動作事実の有無の確認ということで、取りに行った(名宛人かどうか別にして受け取った)のはミーシャだという事を示していることになる。

この用法はкогда-нибудь(いつか<疑問文で>)、когда-то(いつか)、как-то(あるとき)、как-то раз(あるとき)、никогда не(決して~ない)、однажды(ある時)、уже(とっくに)などと共に使われることが多い。

2-1-1-2 動作事実の有無の確認の用法の種類

 不完了体の本質的意味は、過去の時制の動作や事実の有無の確認にあると考えると、それは競技場にラインを引くように、引いた後に動詞の意味だけが(他に余計なものは何も残さずに)ラインの形で残るのだと考えてもよい。
 動作事実の有無の確認という用法は全部で三つあり、その二つは、それこそ「過去の出来事の有無」を示す次のような用法である。

Posted by SATOH at 2020年01月28日 11:44
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