2020年01月28日
●第29回
(壁の右側にはかつて絵がかかっていた)На стене справа когда-то висела картина. <発話の時点では絵はかかっていない>
(壁の右側に絵がかかっていた)На стене справа висела картина. <発話の時点では絵はかかっていたかも知れないし、かかっていなかったかもしれない>
3つ目は、対義語のある動詞群で、これについては、2-1-3項にて詳しく説明するが、完了体動詞過去形では結果の存続で、発話の時点で「行為の結果が残っている」が、不完了体動詞過去形では「行為の結果が残っていない」という意味の対立が起こる。次の最初の文が不完了体動詞過去形で、二つ目の文は完了体動詞過去形である。
(だれが窓を開けたの?)Кто открывал окно? <発話の時点では窓は閉まっている>
(だれが窓を開けたの?)Кто открыл окно? <発話の時点では窓は開いている>
動詞бытьの過去形にも動作事実の有無の確認の用法があるが、現在の時制では状態の有無の確認となる。
(麻酔の後に余病を併発しましたか?)Были ли осложнения после наркоза?
(伝染病の事例はありましたか?)Были ли случаи инфекционных заболеваний?
(本船には病人はいらっしゃいますか?)Есть ли больные на судне?
また被動形動詞過去短語尾の過去の時制や現在の時制を使っても、動作事実の有無の確認ができることが分かる。
(この事件で証人として呼ばれませんでしたか?)Вы не были спрошены по этому делу в качесте свидетеля?
(搭乗のアナウンス(案内)はありましたか?)Объявлена ли посадка?
上の文のように、同じ動作事実の有無の確認でも、アナウンスというのはたった今そういうアナウンスがあったかを尋ねているわけである。動作事実の有無の確認というのは、本来不完了体動詞過去形を用い、過去のいつでもよく、そういう動作があったか、なかったかが問題であり、現在との結びつきはない。極端に言えば、昨日のいつかでも、1か月前のいつかでも、1年前のいつかでもいいわけである。一方、完了体動詞過去形を用いると、点過去(2-2-1項参照)か結果の存続(3-2-1項参照)ということで、結果の存続だけが現在と結びつけることができる。どちらの用法かは文脈によるため、動作の有無だけを聞きたい場合には使いにくいし、完了体は期待などの主観的ニュアンスを伴う。つまり完了体動詞過去形を使ってのОбъявили посадку? とすれば、意味は同じでも、乗客が搭乗アナウンスをいつかいつかとじりじり待っているようなニュアンスが出ることになる。アナウンスというものは、いわば声はすれども姿は見えずである。そこで、被動形動詞過去短語尾を現在の時制で使えば、受け身なので動作主が表に出て来ない。つまり、動作主に関するニュアンスも表に出て来ないから、結果の存続の用法と動作事実の有無の確認の両方に使えるということになる。
2-1-2 述語に文の焦点が来ない場合 → 不完了体動詞過去形
2-1-2-1 述語に文の焦点が来ない場合とは何か?
文の焦点というのは、文の中においての意味上、一番重要な部分を指す。