2020年01月28日
●第49回
歴史的現在はнеожиданно(思いがけなく)、внезапно(突然)、моментально(瞬時に)、вдруг(突然)とも、完了体のように結びつくが、不完了体の動詞には歴史的現在以外の用法では結びつかない。
※2-1-6項にもあるように、これらの副詞は不完了体の動詞とも結びつくことがあるから、必ずしもそうとは断言できないはずである。
ホ)対義語の対のある動詞における解釈
(〔過去の観察の時点で〕私は友人のところにいる)Захожу я к приятелю.
上の文はЯ зашёл к приятелю.とすれば、(「〔過去の観察の時点で〕私は友人のところにいた」という点過去的な解釈も可能だし、「私は友人のところに寄って、今(発話の時点)そこにいる」という結果の存続としての解釈も可能である)
(私は友人のところに寄って、それから帰った)я заходил к приятелю (и ушёл.)
※不完了体動詞過去形の動作事実の有無の確認の用法であれば(今私は友人のところにはいない)となる。
歴史的現在で過去に転移するのは発話の時点ではなく、観察の時点であるという事が分かる。
ヘ)過去を示す時の状況語と歴史的現在の共存
(昨日クズニェーツキー通りを歩いているとね、急に後ろから笛が鳴ったんだよ)Иду вчера по Кузнецкому, вдруг сзади раздаётся свисток.
(つい先日クラースナヤホテルの階段を上るとね)Поднимаюсь недавно по лестнице в гостинице «Красное».
(昨日事務所に証明書を取りに行くとね、門番がドアを開けてくれたってわけさ)Прихожу вчера в контору за справкой. Швейцар отворяет дверь.
※このように歴史的現在はナレーション的に用いられるので、一人称での使用が多いが、三人称の場合もある。
(昨日大統領は首相と会談)Встречается вчера президент с премьер-министром. <新聞記事などの見出し>
ト)歴史的現在が使えないか、使いにくい文脈
(昨年私はニューヨークへ行った)Приезжаю я в прошлом году в Нью-Йорк.
*Иду я в прошлом году по Кузнецкому.
※無論私はモスクワの住人という設定であり、昨日とか、つい最近なら歴史的現在は使えるが、モスクワ市内のクズニェーツキー(通り)という手近な、いつでも行ける場所に昨年というのは心理的にどうかという事と、遠く離れたニューヨークならそう行けるところではないし、これなら昨年と考えてもおかしくないという心理的距離によるものだろう。
2-1-8-10 歴史的現在と能動形動詞現在
能動形動詞現在にも歴史的現在の用法がある。ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムСтанислав Лемの『月夜Лунная ночь』というラジオ用戯曲のト書き(ポーランド語からロシア語への翻訳)に、次のような一節