2020年01月29日

●第63回

われるが、какやчтоとは使わない>

一方、次のような文は上記の結果の評価という用法から見ると違和感を覚える。結果の評価(いいか悪いか)というのは完了体動詞過去形の用法だからだ。

(よくお休みになれましたか?)Как вам спалось?

спать, спатьсяは対応の完了体がないために代用として、様態の用法が結果の評価に代わって使われるのだと思われる。だからКак спали? とも言うし、使用例はやや少ないが、Кав вы выспали? やХорошо выспались? とも、敬語としてКак почивали? とも言う。спать, спаться のほかにもработать, питьなどは対応する完了体がないとされる。これらの動詞が本来持っている語義の中にある継続の動作(眠る、働く、飲む)という事を想定しているために、この動作を完全にカバーするような完了体はありえないことが分かる。しかし、結果の評価も様態の用法も会話では混同して使われる場合も多い。

(休暇はどのように過ごされましたか?)Как проводили отпуск? <この質問には、「旅行に行きました」というような答えを予想しているのにもかかわらず、Как вы провели отпуск? に対してのような、「Хорошо よかった」という返事が返ってくる場合が、日常の会話においては多々見られる>

2-2-5 回想・過去の例示的反復(〔昔は〕~したものだ) → 小詞бывало + 完了体動詞未来形(不完了体動詞過去形、不完了体動詞現在形〔歴史的現在〕)

 本書で言う偶発的(散発的)反復потенциально возможная повторяемостьの動作というのは主観的なものであり、ある条件がそろえば起こるが、そろわなければ起こらないというという動作や、過去の時制においてしたり、しなかったり(起こったり、起こらなかったり)という予測不可能な動作を示し、過去の時制における例示的用法(4-2-3項参照)である。

(彼はよくここに来て、面白いエピソードを話し始めたものだ)Он придёт, бывало, и начнёт рассказывать интересные истории.

 上記の文はчасто + 不完了体動詞過去形でも一見よさそうに見えるが、それでは「しばしば~した」という過去の客観的な事実を述べるだけで、日本語の「~したものだ」という回想の意味が出せないことになる。過去の偶発(散発)的習慣を示す小詞бывалоは、不完了体動詞過去形、不完了体動詞現在形(歴史的現在)、完了体動詞未来形(時制の転用)と共に用いることができるし、бывалоを伴わずに完了体動詞未来形(時制の転用)だけでも使える。そうなると例示的用法(何かあれば~する、~した)の一つである。例示的用法は完了体動詞未来形にしかない用法なので、時制が過去でも完了体動詞未来形の形のままで使う。それゆえ外見的には時制の転用と見なされる。

(我々は冬森の中を動き回ったものだ)Бывало, по лесу зимой едем. <歴史的現在>
(クレープを焼いたものだ)Бывало, пекли блины.
(まあね、1945年から46年にはこんな出来事ぐらいじゃ驚かなかったさ)Ну, да таким случаям в 1945 – 46 годах не удивишь. <例示的用法、この場合はне + 完了体動詞未来形なので不可能という意味もある>

「彼は黙り込んだり、再び自分の話を続けたりした」という文をロシア語

Posted by SATOH at 2020年01月29日 17:25
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