2020年01月28日
●第21回
了)「~してしまう」を要求していることに変わりはないからである。(明日キエフに飛行機で発ちます)Я улетаю в Киев завтра.にしろ、動作は未来の完了(終了)なのに不完了体動詞現在形を用いている。これらはいずれも不完了体なのに動作の完了(終了)を示しているが、用法の例外ということにして丸暗記してしまえということになってしまう。動詞の体を完了・不完了ということで括ってしまうと、このようないわゆる例外とやらが非常に多いことにすぐ気がつくだろう。ロシア語の会話をしようとすれば、いやでもなんらかの動詞を使わねばならず、使う以上は完了体か不完了体かどちらかを選ばなければならない。エイヤといい加減に決めてしまっても正解の確率は50%ではあるが、毎回毎回この調子ではロシア語で話をするという気力も失せるだろう。
そこで正しい体の用法を理解する必要があるのだが、これまで一般向けの体の参考書では、ヤコブソーンЯкобсон Р. О.先生の提示した有標性(有徴маркированность)説、つまり体の用法では完了体が明示的な機能をもっており、不完了体は従であるという考え方のように、完了体を中心にした説明であり、完了体は新しい事態や情報が出てくる場合や具体的な事柄について用い、不完了体はそうではない事柄(無徴、無標性немаркированность)に用いられると書かれている。つまり不完了体は特徴がないことが特徴で、目立たないことで目立つということになり、一般的な事柄や、そこから発生する反復(習慣)に用いるということになるわけである。しかしそれは露文解釈にはそれでいいのかもしれないが、通訳やガイドをするときなど実際に会話で和文露訳をする場面では、時制によって、法(命令法や不定法)によって、また動詞群によって体の使い分けをせざるを得ず、体の使い分けが非常に分かりにくいと感じるのも事実である。
完了体と不完了体については、ヤコプソーンЯкобсон先生の完了体有標性説から出発して、完了体の本質は動作や出来事の全一性を表す事だとフォーサイスForsyth先生も述べており、機能として、変化、新規の出来事、遂行(動作の達成)、順次的用法を挙げておられる。体の用法は多面的であり、文脈や状況によってそれぞれの体の現れ方が違うように思われることもあるが、それは言葉を操るのも、受けとめるのも人間であり、一筋縄ではいかないからなのだが、いずれにせよ体の本質に変わりはない。しかし、個別の動詞毎とは言わないまでも、動詞群によって時制や法(命令法や不定法)により機能が整理できることも事実である。これはこれで正しいと思うが、会話における和文露訳をする際に、体を使い分けるのには、動詞群の中の動詞の使用頻度、もっというと多義語の動詞の中の頻度の高い語義などを考えに入れる必要があり、実際では使えない。
動詞の体についてはロシア語の文法書で必ず取り上げられているし、体専門の参考書まである。しかし、体の本質に関して触れているものでも、完了体と不完了体別々に特徴を挙げるのがせいぜいで、体全体の本質について扱っているものはなく、ラスードヴァРассудова О. П.先生ですら、体全体の特質について完了体と不完了体を別個に述べているにすぎない。和文露訳でも、英文露訳でもよいが、露文を作る際に体の選択をどうするかという観点から、体の本質を述べたものは皆無と言える。オッカムのカミソリの意味する「必要がないなら多くのものを定立してはならない」とか、「少数の論理でよい場合には、多数の論理を定立してはならない」、つまり、「必要以上に多面化するな。事実に則した最も単純な説こそ最善の説である」という点を踏まえて、動詞の体の本質というのはもっと単純化できるのではないかという思いから、不完了体に共通する特質を持たないものが完了体であり、あるいはその逆であるというふうに動詞の体を全一的なものとしてとらえることができると考えた。物理学で美しいというのは対称性があることを意味すると聞いたが、対称性というのは、ある変換に対して不変である性質であり、よく知られている線対称の他に、ある図形をある回転角で開店したときに、元の図形に重なる場合、その図形は回転対称性を持っているという。他にゲージ対称性、非可換ゲージ対称性、カイラル対称性がある。ロシア語の体も自然に出来上がったもので