2020年01月29日
●第60回
ことが多い。未来の時制では例示的な用法で使われることが多く、完了体動詞未来形と共に使われることが多い。ни разуは過去の時制では完了体動詞過去形が一般的(ниが使われているということと関係があるのかもしれない)で、不完了体動詞過去形は経験の用法(3-1-7-1項)で使われることがある。ただ現在の時制では用いられず、完了体動詞未来形とは可能であるとは言え、一般的に未来の時制では用いられないと考えた方がよい。これは文字通り一度も~ないということで、時間軸の特定の一点を意識しているから否定の強調として完了体が出やすいのであろう。
(彼は一度も助けてくれたことがない)Он ни разу не помог.
(だいたい彼は前に一度もオレンジなんか食べたことがないと思う)Подозреваю, что он вообще ни разу раньше не пробовал апельсинчиков. <不完了体動詞過去形を使った経験の否定で、そういう動作の事実がなかったことを淡々と述べているにすぎない>
(彼はそのことを考えさえしなかった)Он даже не подумал об этом.
(近所の人たちでさえすり替えに気がつかなかった)Даже соседи подмены не заметили.
(私は彼の言葉を一言も聞き漏らさなかった)Я не проронил из него ни одного слова.
(芸術関係の問題では彼は一度も嘘をついたことがない)В вопросах искусства он не лгал никогда. <不完了体動詞過去形>
(1頭の馬に賭けることは決してない)Никогда не поставит на одну лошадь. <例示的用法>
しかしтак и не(結局~しない)の強調であるтак и никогда неは完了体動詞過去形を取る。
(イリヤーは結局決定しなかった)Илья так и никогда не принял решения.
(結局私は蓮が咲いているところを見なかった)Так я и не увидел, как цветёт лотос.
文末に新しい情報(レーマ)が来ることを利用して、過去における否定の強調には、完了体から派生した被動形動詞過去短語尾 + не был (не была, не было, не были) を文末にもってくる方法もある。
(しかし夜までにボブルイスクは、まだ占領されてなどいなかった)Но к вечеру Бобруйск занят не был.
過去の時制で完了体動詞過去形が否定形で不可能の意味にならないのは、過去が動作の確定を扱うために、動詞自体に潜在的な可能性の意味を担う余地がないからだと思われる。
2-2-2 結果の達成への期待 → 完了体動詞過去形(疑問文・否定文)
完了体動詞過去形を否定文に使うと、期待していたのに~しなかったという主観的ニュアンスが出る。これは疑問文でも同じである。このように主観的ニュアンスがあるというのは、文の焦点に動詞が来ているということなので完了体が用いられる。不完了体動詞過去形の否定文なら単なる動作事実の無の確認となる。2-1-2-2項参照。
(お邪魔じゃなかったですか?)Я вам не помешал?
上の文はお邪魔じゃないことを願うという期待の主観的ニュアンスがあり、そのために完了体動詞過去形が用いられている。Надеюсь, не помешал? でも、(お邪魔じゃないですか)Я вам не помешаю? <例示的用法>でも同義と考えてよい。