2020年01月28日

●第45回

 歴史的現在のときは、動詞だけでなく、名詞(句)、被動形動詞過去短語尾や形容詞も現在の時制となる。

(1891年1月1日(13日)火曜日、皇太子は新年をラホールへの車中で迎えた)
Вторник, 1 (13) января 1891 г.
Новый год встречен наследником цасаревичем в вагоне на пути в Лахор 
(ぺチョーリンは人生に失望し、不幸であり、他人に不幸をもたらす)Печорин разочарован в жизни, несчастлив и приносит несчастье другим.
(簡潔な祝辞、インターナショナルの歌、テープカット。それからオーケストラを乗せた車両は、新たに建設された路線を動き出した)Краткое слово. Интернационал. Лента перерезана, и вагоны с оркестрами музыки двинулись по вновь выстроенной линии.
(ずっと待っていたのに、なかなか来ないんだから)Я-то жду, жду, и тебя нет и нет. <ようやく来た待ち人に対しての愚痴>
(彼は初日不在、2日間来ない。3日目になって現れた)День его нет, два нет, на третий день появляется....
(カザケーヴィチと私はパステルナークさんのところに『文学モスクワ』のために何か(書いてくれるよう)頼みに来たがだめだった)Мы с Казакевичем пришли к Борису Леонидовичу просить что-нибудь для "Литературной Москвы" - и неудача.

2-1-8-6 日本語の歴史的現在との違い

 日本語にも歴史的現在があるが、用法が似ているとはいえ、違いはある。例えば、「4年間の授業料は2008年は平均で2万4千ドルです(でした)」という日本語文のあたかも歴史的現在のような「です」で終わる文をロシア語にすれば、Обучение в 2008 г. стоило в среднем 24 000 ам. долл. за 4 года.のように、歴史的現在ではなく、過去の時制になるはずである。それはこういう統計を扱うような文は、ロシア語ではまざまざと目の前で情景が展開されるという歴史的現在の対象にはなじまないからである。『日本語と日本語論』(池上嘉彦、ちくま文芸文庫、2007年)によれば、ヨーロッパの言語の歴史的現在の使用頻度が文章全体の30%ぐらいだとしたら、日本語の場合はその倍ぐらいにのぼる場合もあるという。私見だが、日本語では文末が「~た」、「~た」と続くのを避けるため、つまり、変化に乏しい単調な文体や一本調子を避けるために、「である」、「だ」、「です」、「であろう」と、語調の関係だけで歴史的現在もどきが使われる。だからヨーロッパの言語に比べて、歴史手現在もどきも含めれば、一見したところ使用頻度が多く感じられるのではなかろうか。ロシア語にもこの文体を変えるために歴史的現在を用いているのではないかと思えるようなもの(例えば記録の現在)もあるが、日本語に比べれば少ないようである。
その関連で述べると、文末の「た」には「ありがとうございました」のような時制とは関係のない確定表現の「た」があると森田良行が『日本語の発想』(冬樹社、1981)で述べているので、こういう点も露訳の際に考慮しなければならない。日本語における歴史的現在については、金田一春彦の『日本語』、北原白秋の『フレップ・トリップ』、三島由紀夫の『文章読本』、丸谷才一の『文章読本』、松浦静山の『甲子夜話』、山本夏彦の『米川正夫論』、本多勝一の『日本語の作文技術』を参考にした。またロシアソ連文学ではオレーシャОлешаの作品に歴史的現在が頻繁に使われているようである。

(後に死体で発見される若者は、殺人をしたことを1年半前に自白している)Некий парень, которого потом находят убитым, признаётся в совершении убийства полтора года назад.

日本語のテイル体の中で、「犯人は犯行後ここでラーメンを食べている」

Posted by SATOH at 2020年01月28日 16:02
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