2020年01月28日

●第19回

不完了体は話し手にとって、場依存型であり、
完了体は場独立型である

ということにもなる。ここでいう場というのは、特定の具体的な場ではなく、世間の常識と同じかどうかは別にして、この状況ではこうするのが自然だと(聞き手ではなく)話し手が感じられるような雰囲気を指す。「その場の空気が読めない」の「その場の空気」と考えてもよい。このような場には聞き手は含まれるが、話し手は含まれない。話し手が関係するのは主観的ニュアンスの方である。それゆえ聞き手にとってTPOに合うような動作だと話し手が思う動作に不完了体が使われ、それは文脈依存性があるということになる。これは実際に聞き手がどう感じるかは問題ではなく、あくまで話し手主体である。不完了体動詞は主観を排した動作や状態そのものであるという事も言える。体の使い分けは、話し手自身がどう考えるかではなく、聞き手がどう考えるかを話し手が忖度(推察)するということにある。それは、専門的に言えば、「不完了体動詞は動作事実の有無の確認(動作の名指し)である」ということと同じである。不完了体が用いられるのは、動作や状態が聞き手の想定内であり、意識の上では、慣習的であり、惰性的に続いていると考えてもよい。そういう意味で不完了体は聞き手にとって恣意的動作であり、完了体は話し手にとって恣意的な動作であると言えるし、完了体は可能性を、不完了体は蓋然性を扱うとも言える。過程やその延長上の予定の用法も、反復や遂行動詞も、聞き手にとって動作の予想がつくという事になる。また体の本質を理解することにより、体の使い分けは個々の文ではなく、文脈によるということが分かるだろう。この体の本質に関する結論の検証は例文を添えて、それぞれの時制や命令法、不定法の項で述べる。会話でロシア語を使うのであれば、体の用法の本質とは何かを明確に理解しなければ、いろいろな状況において体を使いこなせないという事になる。これが体の用法の使い分けの基本だが、2-1-3項や4-1-2項のように不完了体が完了体の代用をする場合もある。また10-13項の-нибульの用法に似て、自己主張しない(相手の意識に負担をかけない)用法とも言える。通訳で瞬間的に動詞の体を決めなければならない時には、指し示す動作がこれまでの会話の全体の流れに乗るか(不完了体)、それ以外、つまり流れに棹をさすか(完了体)、流れを無視するか(完了体)で判断することを考えてもよい。不完了体は動作自体が文脈に依存するので、具体的な動作だったり、抽象的、非現実的、曖昧な動作を示したりする。不完了体が具体的な動作を示す用法としては、完了体が使えない、刻々動くこの一瞬を含む動作を示す現在の時制の、過程(進行形)、遂行動詞、評価解釈型動詞、状態動詞などがある。
不完了体と完了体を白と黒のように対立的(対蹠的)なものと考えるのは誤りである。不完了体は動詞の用法のすべてをカバーしているのだが、完了体はその中の動作の完遂とその動作の結果を意味する。つまり不完了体という大きな円の中に完了体という小さな円が含まれているのだと考えると分かりやすい。ただこの完了体は強力で、過去と未来においては、動作の完遂であれば、不完了体よりも優先的に使われ、表に出て、強く自己主張をしたがる。完了体は現在でも動作の存続や被動形動詞過去短語尾の現在の時制で使われるが、これとて過去の動作の結果が現在に持ち込まれていて、その状態を示しているにすぎず、動作としては現在の時制で完了体が使われることはない。不完了体はと言えば、完了体の使えない現在の時制で、過程(進行形)、遂行動詞、評価解釈型動詞の用法のように動作の遂行や具体性を示すのである。
通訳をしているときは時間がないので、のんびりと体の使い分けを考えている余裕はない。そこで瞬間的に体の使い分けのできる基準を考えてみた。

過去や未来の時制で1回の具体的動作を示すなら完了体を用い、

Posted by SATOH at 2020年01月28日 10:24
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