2020年01月31日
●第78回
что - я на связи.
3-1-4遂行動詞 → 不完了体動詞現在形
遂行動詞(перформативные глаголы)というのは、語用論の創始者の一人であるオースティンによれば、発話そのものが行為の遂行である動詞である。また日本語語用論では主張、謝罪、感謝、誓約、宣言、命令、依頼、質問、警告、助言、提案などの発話行為を意味する動詞である。遂行動詞は発話が開始して発話が終了するまで、動作の瞬間瞬間が発話時である現在の時間軸上を動いてゆくため、この用法は現在の時制でのみ使われ、否定文では使われない(3-1-4-8項参照)。そのため過去や未来の時制では遂行動詞の用法ではなく、動作事実の有無の確認か反復の用法となる。また文脈によっては現在の時制でも反復の意味のときもある。ロシア語にも遂行動詞はあるが、ロシア語や英語に比べると日本語における使用頻度は少ないとされる。英語や日本語、ロシア語の動詞が語義的に同じなら遂行動詞になるかというと必ずしもそうは言えず、「分かった、了解した」、「賭けに応じる」という下記の例を挙げておく。
I understand. = I see. = I got it. <最初の二つは遂行動詞で、I got it.は口語的表現>
Я понял (поняла). <結果の存続>
Ага, понимаю! У вас были романы.(なるほど、〔そのときは〕恋愛中だったのですね) <前の文脈に沿っての意味なので、遂行動詞>
По глазам вижу, что ты говоришь неправду.(お前が嘘をついていることは目で分かる) <遂行動詞>
(これが1週間以上伸びる方に賭ける)Иду на пари, что это протянется не меньше недели. <遂行動詞だが、「~する方に乗った」とも言える>
遂行動詞というのは発話 = 動作であるが、動作に初めと終わりがある発話時点の1回の動作と言える。発話と共に動作が始まり、発話の終了が動作の遂行であり、動作の即時発効であるとも言える。遂行動詞は動作が始まって終わるという、ある意味過程と完遂的用法が一つになった用法で、過程を完了体では示す事ができないことから不完了体が用いられていると思われる。また遂行動詞は不完了体である以上、話し手にとっての場依存型であり、その場の話の流れに沿って、回りの雰囲気を読んで動作が行われることを意味する。そういう動作があるということを話し手が確信を持って言えるのは、主語が一人称で、聞き手が二人称のときである。主語が二人称や三人称というのは、基本的に他人であり、人は何を考えているのか分からないということもある。日本語でも小説などの感情移入は別にして、感情・感覚を示す「悲しい、痛い、感じる」、意志や欲求を示す「するつもりだ、~したい、~しよう」、精神作用を示す「思う、考える」は主語が一人称の時だけであり、二人称の時は「~か(問いかけ)」、「ね」などの終助詞を添え、三人称の時は「~かもしれない、~に違いない、~のだ、~らしい、~のようだ、~だろう」というような推測や判断の表現形式を添えるか、引用形式にするのが普通なのと似ている。
ロシア語でも動作を完全に把握できるのは一人称が主語の時であるという考え方から、遂行動詞が使われるのは圧倒的に一人称が多いと考えられる。二人称や三人称が主語の時に遂行動詞が使われるのは、話し手が聞き手や第三者の動作をよく把握している場合か、意味上の主語として一人称が暗示されている時であり、これらについては3-1-4-3項を参照願う。ゆえに遂行動詞の使用については、どんな動詞でも、どんな人称でも常に使えるということにはならないということを念頭におく必要がある。遂行動詞には挿入句としての用法もあるが、それについては4-2-5-2項を参照願う。
3-1-4-1 遂行動詞を分別する理由