2020年01月28日

●第23回

先生が「不完了動詞の主要な本質は、動作の名指しという非体的意味(体とは無関係の意味)の伝達であり、延長、未完、反復といった体の意味は不完了体の動詞そのものの中には与えられていないので、不完了体は文脈によってそれらの意味を表す」にあるのと同じである。それゆえ、『和文露訳入門』を出版するまでは、ラスードヴァ先生などの著作から「不完了体の本質は動作の名指し(動作事実の有無の確認)である」としたかったのであるが、動作の名指しは過去の時制が分かりやすく、現在の時制(動作の様態)、未来の時制、不定法、命令法(動作の様態)では分かりにくい。また動作の名指しには動作の遂行も含まれており、完了体の動作の完遂と紛らわしく、和文露訳の際にどう使い分けをすればばいいか学習者には理解しにくいだろうということであきらめた。
そこで『和文露訳入門』の初版を出した時に、体の本質を「不完了体は客観的な動作や状態を、完了体は主観的なそれを示す」としたわけである。よく考えると、客観的、主観的というのも不適切な言葉遣いであり、新訂版を出す時に、完了体を中心に体の本質を説明できるのではないかと考えた。それが「完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できない」である。ラスードヴァ先生の『ロシア語動詞 体の用法』(磯谷孝訳編、吾妻書房、1975年)の過去の時制における体の用法という章の中に、「話し手の注意が、場所、時間、動作の主体に向けられている時には不完了体が必須となる」とあり、これは不完了体が文の焦点にならないことを意味している。これと完了体は過程を示さない(示せない)ということを出発点に、過去の時制における点過去の時間のとらえ方を現在や未来の時制にあてはめ、体の本質の説明に時間軸という概念を導入したわけである。また個々の用法からこの体の本質の定義が検証できるようその項目に体に関する解説を加えた。しかし、新訂版を出してから、この定義では完了体未来形の完遂的用法での説明が心もとない事に気がついた。それと検証にあたる各章の解説部分もより分かりやすく納得がいくものにして、新版を出す事とし、「完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できない」と若干手を入れた。これまで時間軸の面から体の本質を説明した本はないと思う。本書では体の本質や用法を二つの視座、つまり完了体を体の本質に据えることによる会話での和文露訳における体の使い分けにおける利便性、および不完了体の動作事実の有無の確認が体の本質であるという視点に分けているが、和文露訳の実用上の観点から完了体を体の使い分けの目印にしているということになる。
体の本質を大所高所から見れば、不完了体が動作の自然の現れ(自然体)で使われていることが分かる。人間は社会的動物だから周囲に同調すべきだという圧力があると感じたり、回りの空気を読んで、こうあるのが自然だというような場合には不完了体を使うことになる。これは行雲流水そのものであって、状況に左右されるというのとは同じではなく、自然を大事にし、何事にも動じないというロシア人気質に通じるものがあると考える。
不完了体は伝統、慣わし、真理という名の線路(路線、ライン、レールであり、ロシア語ではлинияではなく、путьとしたい)を走る電車だというふうにも考えられる。電車は一応線路から外れないことになっているから、真理について不完了体動詞現在形を使うというのも、真理というまっすぐな一本の線路の上を走るからだし、反復は、線路の上を往復するからであり、過程(進行形)は今まさに線路の上を走っていることを意味しているということになる。目的地に向かっているところなら志向ということになる。そこから、線路を外れずに行動するのが当たり前だという空気を読む、いわば回りの雰囲気に合わせて動作するという促し(着手)の意味も出てくるわけである。状態動詞は、停車中の電車や列車ということになる。
また線路がある以上、これから先にも線路があると想定できるわけだから、そのままその線路の上を走り続けると言う意味で、近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未

Posted by SATOH at 2020年01月28日 10:48
コメント
コメントしてください