2020年01月28日
●第38回
(通す)、прыгать(跳ねる)、ушибаться(打撲する)などがある。
(「禁煙は難しくない。私自身20回くらいやめたよ」とマーク・トウェインは語った)«Бросить курить не трудно, — говорил Марк Твен, — я сам раз двадцать бросал».
上の文でброситьと完了体動詞不定形が来ているのは、不定法のところでも説明するが、трудноという語が不可能に近いというニュアンスのため(6-2-5項参照)完了体動詞不定形が来ている。раз двадцатьは語順を反転させて<およそ20回>という意味を出している。
(彼は何度死にかけたことか)А сколько раз он помирал.
「反復の利かない単一的、無意識的な動作、目的志向的な動作」では、погибатьやумиратьは死ぬのは1回なので使えないが、否定的なニュアンスのある文ではこの限りではない。上の文は「何度死にかけたことか」という反語文であり、死んではいないという意味なので使える。両方の動詞も目的志向(死ぬつもり)という意味では使えないが、志向(死に向かいつつある動作、死にかけている7-1項参照)では使える。
過去のある時点から反復が始まり、それが過去のある時点まで反復動作があった、ないしは現在まで反復動作があるということも示す事ができる。
(1459年からウスペンスキー大寺院で府主教叙任の儀式が行われた)С 1459 года в Успенском соборе совершался обряд поставления в сан митрополита. <過去のある時点からある時点までの反復>
(1703年から現在までその川は300回以上氾濫した)С 1703 г. по настоящее время река выходила из берегов более 300 раз. <過去のある時点から現在までの反復であり、また現在までであっても、過去の出来事の有無について述べており、いわば3-1-7項の経験の用法である>
(朝一番に新聞に目を通し、その後朝ごはんを食べるのこそ彼の日課だった)Утром он первым делом просматривал газеты, а потом уже завтракал.
上の文では二つの動作が連続しているが、毎日という反復なので不完了体動詞過去形を用いている。ある条件がそろえば起こるが、そろわなければ起こらないという、例示的反復の場合は、完了体動詞未来形の例示的用法(4-2-3項参照)である。
(彼は幾度となく彼女に愛の告白をしたが、結局彼女から返事はもらえなかった)Он не раз признавался ей в любви, но ответа от неё так и не добился. <признавалсяは多回動詞の用法である>
(トマス・ムーアの「夕べの鐘」(という詩)は何度も曲がつけられた)Вечерний звон Томаса Мура неоднократно было положено на музыку.
上の文のように過去の時制であれば被動形動詞過去短語尾も使えるが、これは完了体の動作の一括化(2-2-1-5項参照)と同じ用法であろうし、完了体の過去の用法「創作者としての資格」(2-2-1-3項参照)と抵触して、不完了体が使えない場合であると考える。しかし、動作の一括化とは考えられないような次のような例もあるので、被動家動詞過去短語尾は反復の用法でも使えることが分かる。
(彼はすでに数え切れない回数、いろいろなコソ泥、ちょっとした脅迫、その他の犯罪で有罪判決を受けていた)Он уже бесчисленное число раз