2020年01月31日

●第91回

点から動作が始まり、発話終了と同時にメッセージが聞き手に伝わる動詞であるため、否定では動作が始まらない以上、定義的に成り立たないことになる。
遂行動詞の否定(専門的に言えば発語内的否定)は、元の発語内行為の否定ではなくて、保留であり、「ない」は遂行動詞ではないということが入江幸雄先生の『発語内的否定と質問』という論文に書かれている。つまり遂行動詞を否定すると、否定された動詞は遂行動詞とは言えず、遂行する動作自体が存在しなくなるのだから、「~しないことになっている」というような、動作自体を否定し、一般的にこうだという意味にしかならない。またパードゥチェヴァ先生も遂行動詞は否定を許容しないと述べておられる。遂行動詞の用法を否定文で用いたければ、否定の強調(3-2-2項)を参照願う。

(申し上げる決心がつかないのです)Я не решаюсь вам сказать.

上の文で「決心がつかない」というのは心の内、ないしは独り言であり、これだけであれば、言わんとするところは聞き手には伝わらない。しかし、対話の文章とすると、「決心がつかないのです」と言われた瞬間、その内容を聞き手は了解するから遂行動詞ではないかと思われるかもしれない。しかし、厳密に言えば、上記の文は、「決心がつかないと言う」となって、はじめて聞き手に了解されるわけで、「言う(伝える)」が省略されていることが分かる。言うговорюも伝えるсообщаюも遂行動詞であることは言うまでもない。つまり「決心がつかない」は遂行動詞 + что以下の従属節の文ということになる。
賛成か反対かを問われて、Против.(反対です)といえば、遂行動詞的用法だが、これをНе согласен.(賛成しない)と返事すれば、遂行動詞的な、具体的な事柄の否定の意思表示である。ただ会話の用例を見ても、叙想語を使って、Не могу согласиться.(同意できません)とするか、仮定法過去Охотно бы, но не могу.(そうしたいのは山々ですが)などを使うわけで、遂行動詞の不完了体動詞を否定して、かつ否定的ニュアンスのまま使う例はないと思われる。これは遂行動詞が定義的に否定文では使えないので、それを避ける工夫がなされているとからだと思われる。どうしても遂行動詞を否定で使わざるを得ない場合には、動詞自体に否定的ニュアンスがあるものを否定する、つまり二重否定にして肯定文として用いられることになるというのが私の考えである。
遂行動詞が否定で用いられないのは、肯定的なことは一人称で述べるが、相手に悪印象を与えるような否定的なことは不定人称文や受け身(受動態)にして動作主をぼかすという人間心理が働いているのかもしれない。否定であっても動作が肯定的内容であれば遂行動詞が使えるということがその例証である。

(断固反対する)Решительно отказываюсь!
(そのような意見には反対しない)Я не возражаю такого же мнения. <意味的に肯定なので遂行動詞として使われているのであろう>
(万事順調)Я не жалуюсь. <= Всё в норме.ということで、Как дела?〔調子はどう?〕の答え。文字通りの訳では「文句はない」だが、そこから派生して、形式は否定文だが、意味的には肯定であり、遂行動詞的用法となったもの>
(戻ると僕は約束する)Я обещаю вернуться. <遂行動詞>
(戻るとは約束しない)Я не обещаю вернуться. <パードゥチェヴァ先生は保留というよりは拒否のニュアンスがあると述べている>
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3-1-4-9 従属節中の遂行動詞

Posted by SATOH at 2020年01月31日 15:26
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