2020年01月31日

●第94回

работать(作用する)、разыгрывать(いたずらする)、ронять достоинтсво(面子を失う)、самоутверждаться(自我を確立する)、слышать(耳にする)、совершать преступление(罪を犯す)、соблазнять(誘惑する)、содействовать(協力する)、терять лицо(顔をつぶす)、угрожать(脅かす)、шутить(冗談を言う)などである。これらの動詞はこの用法で否定文でも使われるが、挿入句として使われることはない。ただютиться(ちんまりと暮らす)などの否定文における使用は大いに疑問である。

(本年8月14日総会を流会させたかどで告訴されています)Вы обвиняетесь в том, что 14 августа сего года сорвали общее собрание.
(粥はこんなにおいしいけど嫌いだ。もちろん冗談だけど)А я не люблю, хотя каша такая вкусная!!!” Это я шучу, конечно. <шучу の代わりに пошутил.と完了体動詞過去形を使っても意味は変わらない>
(永の旅路で足がすれて血が出たという事を忘れさえしている)Я даже забываю, что в дальней дороге стёр ноги до крови. <забывать = переставать помнитьなので、状態動詞でもあり、動作の動詞という面もある>
(私に子供がいるという事をお忘れですね)Вы забываете, что у меня есть дети. <Вы забыли, что...としても意味は変わらない>
(僕自身、自分の著作なんかもう忘れているよ)Я уже сам забываю свои сочинения. <забыватьもまだらにものごとを忘れるということはありうるが、規則正しく徐々に忘れるという概念とはなじまない。この文は作家ゾーシシェンコЗощенкоの言葉>

опростоволоситься(へまをする)、сплоховать(しくじる)は完了体であり、対応する不完了体がなく、評価解釈動詞の対応する完了体のような働きを持ち、過去と未来の時制でのみ使われる。

3-1-5-3 начинать の現在形の特殊用法

「リンゴやバナナ、牛乳などをジューサーで混ぜている」では、撹拌という過程を経て、結果としてミックスジュースが出来るのだが、「~という気がしてきている」では、ある考えがすでに頭の中に存在するということを意味する。不完了体のначинатьがдумать, считать, пониматьと結びついて、一人称ないしは意見の主体が主語に立つ時は、たんなる心の状態の始まり(意見の形成)を示すのではなく、前の意見の変更に関わる意志的な行為を示すとシノニムの辞典にはある。つまりначинаю думатьも、начинатьの後の不定形が過程(~と考え始めつつある)を示すというよりは、「もうすでにそういう考えに変わった」という結果の存続のニュアンスであり、そういう考えの確信が高まって行く過程を不完了体動詞現在形で示しているにすぎない。断片的な(部分から成る)意見というものは、それだけでは意味が不明であり、それを意見とは呼ばない。意見というのは一つのまとまりであって、ある意見が部分的に分かるというのはまさに一知半解ということになる。例えば、「シンプルなものはごまかせない」という化粧品のCMがあり、「シンプルなものはごまかせないと考え始める」と一見言えそうだが、考えるときに、「シンプルな」、「ものは」、「ごまかせない」と、歩いていて景色が変わるように我々の頭でとらえているわけではない。ロシア語のначинаю думать, что ...というのは「シンプルなものはごまかせない」で一つの考えであって、細切れの「シンプルな」とか「ものは」とか「ごまかせない」では考えとしての意味を成さない。考えというものは、あるいはある考えを考えるという事は、全一的であり、1/2の考えとか、1/3の考えというものはあり得ず、全てということになる。せいぜいのところ、その考えに対して確信を持ち始めるということだと思う。イメージと思考は別物であり、厳密な意味で、思考には過程というものはないと言えるのではないか。そういう意味で、この動詞のこの用法は、「~であると考える」という評価の意味も含まれているため

Posted by SATOH at 2020年01月31日 15:39
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