2020年01月31日
●第87回
あり、Сато = яだから三人称の一人称への人称転用であり、不完了体動詞現在形が来ている。これは発話が終了すると同時に動作が終わる(動作の内容が伝わる)わけで遂行動詞なのだが、その他にも、「もしもし」と電話をした後の、あるいはそれを想定したり、省略したりしての発話なので、代動詞ということで不完了体が来ているとも言える。
(もしもし、佐藤ですが)Алло, говорит Сато.
(佐藤と申しますが)Вас беспокоит Сато. <= Говорит Сато.>
(私ですが)Слушаю.
(ごきげんよう)Целую. <= Обнимаю. 電話や手紙での別れの挨拶>
上記に挙げた複合動詞приноситьの他にも、8-3項のвыражатьにも遂行動詞としての用法がある。
(〔今〕起きている事態について我々は重ねて遺憾の意を表します)Мы ещё раз выражаем сожаление в связи с происходящими событиями. <ещё разとあるから代動詞という意味で不完了体が来ているとも言える>
「ごめんなさい(許して下さい)」はИзвините.で、言われた相手が、冗談っぽく(許す)Извиняю.という場合がある。Извините.は相手がこの動作を予想しているかどうかに関わらず発する主観的な言葉だから、完了体動詞命令形が用いられている。この答えにИзвиняю.と不完了体動詞現在形が来ているのは、後述の遂行動詞でもあるからである。Извинил(а, и) と完了体動詞過去形すると、動作はすでに終わっており、お詫びという結果が現在に及んでいるかもしれないということである。現在に及んでいれば結果の存続であり、そうでなければ点過去となる。一方、遂行動詞は発話と同時にお詫びが始まり、発話の終了と共に、お詫びするという動作が終わるという違いがある。
またИзвините.の代わりに同義でИзвиняюсь.やПриношу свои извинения.も使えるが、このИзвиняюсь. やПриношуも遂行動詞である。
(これまで誰にも返事を出さなかった事をお詫びします)Извиняюсь, что не ответил никому до сих пор.
(おめでとうございます)Шлю вам поздравления. <= Примите мои поздравления.>
このように具体的な1回の動作でも完了体動詞命令形の代わりに、一人称の遂行動詞(不完了体動詞現在形)が同義で使われる場合があり、
こういう互換性と言うのは、遂行動詞に動作の遂行という完了体的要素があるからだと言える。現在の時制では結果の存続(これも動作が終了した後の状態と言える)を除き、完了体は使えないので、発話の開始から終了までの過程の動作をも示すという遂行動詞が、完了体と不完了体の中間的というか、互いの要素を部分的に担った役割を果たしていると言える。
遂行動詞は本来動作を示す動詞が多いが、中にはвидеть, говорить, думать, желать запрещать(ся), испытывать, понимать, чувствовать, хотетьのように状態動詞を兼ねているものもある。ほとんどは判定宣告型であり、一部言明解説(告知)型もある。оцениватьは評価解釈型動詞と言えよう。
過程の動詞と遂行動詞は重ならないが、говорить, рассказыватьなどは例外であろう。これらの動詞は語義に遂行動詞、状態動詞、過程の用法が含まれるが、状態動詞でもあるために、予定の用法では使われない。открывать, пить, слушать, сниматьはそれぞれ、開ける、飲む、聞こえる、取り外すという意味では過程の意味で使うが、開会する、乾杯する、もしもし、写真を撮るという意味では遂行動詞である。予定の用法で使える遂行動詞はあまりなく、запрещать, начинать, сдаватьсяぐらいであろう。