2020年01月31日

●第100回

られないものだからであろう。

(今日散歩しましたか?)Вы гуляли сегодня?

しかし、一度だけの経験であれば、過去の特定の時点をイメージしているなら完了体動詞過去形が、イメージしていないなら不完了体動詞過去形が来る。経験だから、何でも不完了体というわけでは必ずしもない。一度というのは、それをイメージする限り、具体的な過去の状況語を思い出せなくとも、過去の一点であることは間違いないので、完了体動詞過去形が出やすいという事は言える。

(その時俺は疲れていた。一度など、なんとか生きているという体たらくで帰宅したものだ)Тогда я уставал, в один раз вообще приехал домой еле живой.
(キエフ出身の僧のルーファが一度彼女のところに来たことがある)Приехал раз к ней монах Руфа из Киева.
(帝は一度酔っ払いの一団と来たことがある)Приехал раз царь с пьяной компанией.
(彼は俺のところにすでに一度来たことがある)Он ко мне уже один раз приезжал. <ужеがあるので、反復のニュアンスで代動詞の不完了体が来ている>

無人称動詞であるприходитьсяやслучаться, доводитьсяという不完了体の過去形にも経験の用法がある。行くという意味ではбытьと共には使わず、быватьという多回動詞を用いるのは1回と断定しないためであろう。

(前に彼と会ったことはない)Раньше мне не приходилось встречаться с ним. <= Раньше я не встречался с ним.>
(そこに行ったことはありますか?)Приходилось вам там бывать?
(私は日本に行ったことがある)Мне случалось бывать в Японии.
(そのような豊かさを彼らはこれまで見たことはなかった)Такого богатства им ещё не доводилось видеть.

上記の動詞を完了体動詞過去形にすれば、1度そういう羽目になったという点過去になる。時間を示す状況語が動作の過去の一点を示すならば、動詞には完了体動詞過去形を用いると述べたが、そのような状況語がなくても、動作が過去の一点に行われたという意識があれば、完了体動詞過去形が来る。自転車に乗れたり、スケートが滑れるということは、過去のある一点において初めて乗れるようになったり、滑れるようになり、ふつうは現在もできる(結果の存続)ということでもある。はっきり小学二年生のいつと覚えている人もいるかもしれないが、覚えていない人も多いだろう。しかし、このようにいつかは知らないが動作が過去の一点で行われたということが、明らかであれば完了体動詞過去形が来る。このように明示するどうかは別にして、「初めて」という意識があれば、過去の一点を示しているという意味から完了体動詞過去形との結びつきが多くなるのはこのためである。動作が過去の一点で起こったというのは、一度(1回)だけ起こったということなので、「一度~した)」、「一度も~しなかった」〔否定の強調〕という動詞句にも、過去の一点すら否定している以上、主観的ニュアンスがあると見なされ、完了体が出やすいという事になる。現在の時制での「一度も~しない」という場合は、例示的用法の派生で、潜在的可能性をも否定するわけだから完全な否定、つまり否定の強調になる。2-2-1-6項参照。

(私はソ連・ユーゴ関係正常化のプロセスにたまたま最初から加わるはめになった)Мне довелось участвовать в процессе нормализации советско-

Posted by SATOH at 2020年01月31日 16:13
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