2011年04月08日

●日本の心 第24回

(116) 「エルギン卿遣日使節録」、オリファント、岡田章雄訳、雄松堂出版、1968年
1860年初版。1858年イギリスとの通商条約締結のために派遣された使節の日本訪問記。筆者オリファント(1829~1888)はエルギン卿の秘書として参加、長崎、下田、江戸(浅草、日本橋、王子、飛鳥山)を訪問した。使節は天津条約を清と締結後日本に来たため、中国に比べ日本を高く評価している。ただ女性の鉄漿や眉剃りはせっかくの美貌を台無しにすると批判している。2週間の滞在中一度も女の口汚く罵る声は聞いたことがなく、子供は無数にいるけれども、叩かれたり、何か虐待を受けているのを一度も見たことがないと書いている。ユーモラスな筆致で、人柄がしのばれる。1861年2度目に書記官として来日したときに東禅寺で水戸藩士の襲撃に遭い、左腕に重傷を負った。

(117) *「大君の都」(3巻)、オールコック、山口光朔訳、岩波文庫、1962年
英国初代駐日公使オールコックの滞日記録(1859~1962)。著者自身のスケッチも含め図版が多いのもよい。外国人で初めて富士登山をしたエピソードなど面白いし、内省的なコメントもしばしば見られるのも本書の特徴。13代将軍徳川家定に謁見した。

(118) 「オールコックの江戸」、佐野真由子、中公新書、2003年
オールコックの著書「大君の都」を読み解きながら、イギリスの領事制度に対する解説、開港地が神奈川から横浜に変更となったいきさつ、オールコックが自分の日本での収集品をもとに日本に強く1862年のロンドン万国博への参加を積極的に働きかけて、日本が初めて世界デビューを果たし、しいてはそれがヨーロッパにおけるジャポニズムの礎石になったなど分かりやすく説明しており、参考になる本である。

(119) *「一外交官の見た明治維新」(2巻)アーネスト・サトウ、坂田精一訳、岩波文庫、1960年
 1862~69年までの幕末史を研究する上では不可欠な文献であるが、著者はイギリスの外交官で日本語や日本文化についても精通しており、ガイドにも大いに役立つ。戦前は元勲についてざっくばらんに書いているため禁書とされたとある。語学勉強として、「高岡(サトウの当時の日本語の先生)は、私に書簡文を教え出した。彼は、草書で短い手紙を書き、これを楷書に書き直して、その意味を私に説明した。私はそれの英訳文を作り、数日間はそのままにして置いて、その間に原文の写しのあちこちを読む練習をした。それから、私の英訳文を取りだして、記憶をたどりながら、それを日本語に訳し直した」を奨めているが、もっともだと思う。幕末の要人との付き合いや外交関係、切腹や浪士による襲撃に遭う場面も無論興味深いが、東海道や新潟から大阪への旅行の記述(人力車の前身についても)なども大いに興味をそそられる。サトウSatowという姓は、無論佐藤とは何の関係もなく、お父さんがスウェーデン生まれのソルブ系ドイツ人であり、スラブ系の希少姓とある。フィンランドのトラック会社の名称にもSATOというのがあり、フィンランドではスウェーデン語も国語の一つだから、サトウと関係があるのだろうか。ロシアではСатовский という姓はまれだが、ないことはないし、インターネットで調べたらСатовといいうのもあった。今後これを使ってみようかしらん。

Posted by SATOH at 2011年04月08日 12:47
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