2010年12月04日

●日本の心 第16回

(73) 「漢字」、白川静、岩波新書、1970年
原始の文字は神の言葉であるということから、漢字が単なる形を真似た象形文字というよりは神との祝詞、呪術、占いと深い関わりがあることが本書を読めば深く理解できる。特に口は祝詞を入れた器が由来というのには驚いた。ただ著者である白川静(1910~2006)の自伝「回思九十年」(平凡社、2000年)にあるように、本書は新書のため図版とページ数とを制限したため解説文字の史料が十分に見えないという憾みがある。

(74) 「日本語の正体」、金容雲、三五館、2009年
 日本語と韓国語は同根で漢字の受容態度の違いが、現代の両国語が相互に通じないということにつながるという非常に興味深い著書。

(75) 「日本語横丁」、板坂元、至文堂選書、1974年
 菊間敏夫の「タバコの名付け方」(婦人公論1972年4月号)には、「ラ行はきれいな感じを与えるし、歯切れがよくなる。バ行は力強く感じる」とあるという。「ありがとう」に「ございました」が付くようになったのは大正時代からだとか、「けり」は「き」より過去として近いとある。このように雑学的なものが多いが非常にためになる。読んでから動詞の後につける「た」や「だ」は、ロシア語の完了体動詞の結果の存続に近いなと感じた。

(76) 「日本語とはどういう言語か」、三浦つとむ、講談社学術文庫、1976年
 「は」と「が」、「ある」と「いる」など完全でないにせよ、納得できる解説がある。

第二部 外国人の目で見た日本、および異国の日本人
 戦国時代から明治末まで外国人の見聞記や幕末明治の日本人の聞き書き、日本人の自伝などから私が読むべきであると考える本を挙げる。外国人の日本紀行で参考になりうるのは実見記のみであり、歴史、宗教、風俗について伝聞によるものは間違いも多いという事を理解しておく必要があるのは当然である。ここで扱っている日本人の自伝は功成り名を挙げた著者そのものよりも、当時の世相や、日本人庶民の心映えがよくあらわれていると思われているものを紹介した。それは点景やエピソードに出て来る名もない庶民の生き方の方がより興味深いと思うからである。また自伝において自らを私小説の主人公であるかのように、心の内面を描くのは私の好みではないということでもあるからである。

(77) 「東洋遍歴記」(3巻)、フェルナン・メンデス・ピント、岡村多希子、東洋文庫、平凡社、1979年
ピント(1509?~83)は16世紀中葉のポルトガルの冒険商人。インド、スマトラ、シャム、中国、日本の間を何度となく往来したという。ザビエルに会って、改心しイエズス会に入会した。1537年から21年間東洋にて13回捕虜になり、17回身を売られたというが、本書は事実とフィクションを巧みに織り交ぜた文学作品と見るべきであるという。いろいろな船乗りの話を自分の体験と交えて作った物語というところらしい。本書の半ばごろに種子島が登場する。著者は種子島で日本人に鉄砲を渡した一人であると主張している。本書は1574年ごろ成立、1614年リスボンで刊行された。最初にプレスティ・ジョン(エチオピア)の母親が支配する国が出て来て、1/3ぐらいは海賊や戦争については残虐な話だが、叙述は淡々としている。ポルトガル人同士の仲間割れの話が3度出て来るが、それはそれで本書の信憑性を高めているような気がする。漂流して人肉食いでもカフル人の死体は食うが、ポルトガル人は食わないとか当時の人間に対する意識が分かる。それから中国(北京や南京)での囚人としての暮らしが続く。その後海賊と共にピントも含めて3人のポルトガル人が種子島に流れ着き、仲間の一人ディオゴ・ゼイモトが領主に鉄砲を献上する。ピントのみは豊後に派遣され、鉄砲を紹介し、その後中国に戻り、琉球に辿り着く。鹿児島湾でアンジロ主従(後のパウロ・デ・サンタ・フェとジョアネ)を救い、彼らがザビエルのお供をして鹿児島に到着する。最後の1/6からはザビエル(メストレ・フランシスコ・シャビエル)の日本におけるキリスト教布教が述べられている。「日本人は世界のどの民族よりも名誉心が強い」とか、法螺貝は喧嘩、火事、泥棒、謀反のときにそれぞれ1回、2回、3回、4回と狼煙のように人づてに鳴らされるとか、ホントのことも、雨熱川しいことも書かれているのはご愛嬌か。日本の僧正がザビエルに宗教問答を挑み、その中で、キリスト教の神をディウサ(大嘘)ということからして、その宗教自体まやかしだと指摘し、ザビエルから冷静にそれはポルトガル語で神をデウスというのだと言いまかされるところがある。これは実際にイエズス会の伝道士が伝えるところと一致するが、これでは仏教側の論争も失笑を買うだけだったろう。今ならザビエル来日前に死んだ先祖は極楽に行けないのかとでも、尋ねたほうがよかったろうという智恵も出るがそれは無理というもので、論争慣れしていなかったからということと、僧侶の堕落があったのは確かである。アンジロはフロイスによればその後倭寇に参加し、殺されたとのことである。

Posted by SATOH at 2010年12月04日 11:45
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