2010年10月07日
●日本の心 第8回
(34) *「東山時代における一縉紳の生活」、原勝朗、現代思想体系27所載、筑摩書房
1917年初出。三条西実隆(1455~1537)の日記のうち1474年から1535年までの生活を描いたもの。連歌師の宗祇との交遊など当時の貴族の生活が窺える。著者の原勝男(1871~1924)は日本中世史の泰斗である。似たような本に「ピープス氏の秘められた日記」(臼田昭、岩波新書、1982年)があるが、速記号で書かれたこともあり本書よりプライベートな面もさらけ出す記述になっている。貴族と平民の違いか。
(35) 「月と不死」、N・ネフスキー、岡正雄編、東洋文庫、1971年
ネフスキー(1892~1938)はロシアの民俗学者および言語学者で1915年来日、1929年帰国。日本語の文章を日本人以上にマスターしていたことがうかがわれる。変若水(ヲチミヅ)と死水に関してはロシア民話との違いもあり興味深い。ロシアでは死の水でばらばらになった体の部分をつなぎ、その後生(命)の水で生き返らせるが、若水は不死(蛇の抜け殻)に関連し、死水は死すべき人間にということである。加藤九祚のネフスキーに関する解説が非常によい。
(36) 「日本精神」、W・モラエス、花野富蔵訳、講談社学術文庫、1992年
モラエス(1854~1912)はポルトガル人で1889年訪日。初代副領事。「日本歴史」という著書もある日本通。日本女性と結婚し徳島に住んだ。本書は「大和魂」ということが主題のようだが、読んでゆくと、やはり「日本精神」のほうが題名としてはよいと思う。書いてある内容はいわゆる大和魂とは違う。ポルトガル語と比べて、日本語には人称代名詞がないとした後、「尊称動詞と卑称動詞とを用いるが、尊称の助辞を使うか使わないかが、叙法上における人称を区別する所要な手段となっている」と書いてあるのは当時としては卓見である。また、名詞に性がないから没個性的であり、「日本語には侮辱や下司の言葉がなくて、日本人の口にしうる最も下品な言葉が〔馬鹿〕なのだ」とある。多分モラエスだけが、心中、特に一家心中が日本的であることを指摘している。ただ一家心中を家族(子供も含めて)納得ずくの自殺だけであって、無理心中というものについては含めていないようだ。また算盤で平方根も解けるというのは感心している。日本の美は仏教により覚醒されたという趣旨で書いてあるのは穏当なところであろう。当時の日本についてはなるほどと思うところが多いが、一つだけ、「日本人は瞑想がないし、瞑想をしない。さほど苦悩もしない」というのは、死に対する諦観からそう思っているようだが、座禅などは知らなかったのだろうか?日本の児童はその行動において野放しである。学校でも体罰はない。ただ上級に進むにつれて、標準型(集団に対する没個性)が望ましいことがそれとなく教えられてゆくと書いてある。
(37) 「神国日本 - 解明への一試論」、ラフカディオ・ハーン、柏倉俊三訳注、東洋文庫、平凡社、1976年
コーネル大学で予定された講義原稿を基にしたとされるラフカディオ・ハーン(1850~1904)の著作。1896年日本に帰化してから小泉八雲となった。初版は1904年で、この出版をハーンは見ることがなかった。本書の半分ほどは宗教、特に神道についての述べており、その祖先崇拝に多くページを割いている。残りは日本史、その当時の日本の産業などである。仏教の大乗仏教については、庶民多くはその本質を知悉しておらず、輪廻の否定、霊魂の存在の否定、人格の否定、いわゆる一元論であり、人体は常に細胞が入れ替わっており、人間で残るものは記憶という意識であり、ランプの芯から芯へと移る炎のようなものだと述べているのは卓見である。切支丹についても、なぜ切支丹が日本で急速に力を得たのかという問いについては、カソリックの祖先崇拝の黙認、領主の改宗への強制があったからではないかと述べるに止まっている。しかし、当時の仏教の堕落(男色、僧侶の教義の不勉強)、日本人の新し物好き、イエズス会のもたらした豪華な装飾物(十字架も含む)などであろう。仇討についても慰謝慰撫の行為であり、遺恨を晴らす、慰霊の意味合いであると忠の観点から述べているが、孝と忠のどちらが上かについては述べていない。日本では中国と違い、孝より忠が重かったのである。孝についても日本では藩士の藩主への孝はあるが、それは将軍家や天皇に対するものではなく、非常に狭い範囲のものであったとあるが、幕末には勤王思想が広がり、必ずしもそうとは言えないと思う。日本の女性については、道徳的精神的な美しさもうすでに消え滅んでしまった世界にある美しさであるとか、日本の女性の女らしさは親切心、従順さ、同情心、やさしさ、細やかな心遣いにあり、仕草も典雅であるとか、肉体的美しさは幼年期の魅力であるとか、手放しの褒めようである。ただ最後に、「この驚異に値する(美しさの)型はまだ消滅してはいない。- 隔日に消えゆく運命をもっているけれども」とは書いている。日本では子供は大事にされ、鞭打ちは普通やらないし、その代わりにお灸をすえられる。子供にはとことんまで辛抱する。そして、「七つ八つは道端の穴さえ憎む」という諺を引いて、6~7歳の子供は腕白盛りで、いたずらをしても叱られないというようなことが書いてある。小学館の故事俗信ことわざ辞典を見てみたが、該当することわざはなかった。しかし、似たようなものとして、「七つ八つは近所の嫁を追い出す」、「七つ八つは憎まれ盛り」があって、これは6~7歳の子供は腕白盛りだという意味であり、わがままや非礼はとがめないという意味のことわざは、「七つ前は神の子」だけである。ただこの3つはことわざとしても一般的とは思えない。ハーンのこの著作が、日本の女性の淑やかさという魅力を世界に広めるのに役立ったろうし、日本では子供を3歳までは徹底的に甘やかし、その後厳しくしつけるなどロシア人から聞く質問のもとはこの本にあるのかもしれない。よく読まなくてもハーンは日本では子供は大事にされると言いたかっただけであることが分かる。小泉八雲の日本に関する印象を描いたものは「Glimpses of Unfamiliar Japan, 1894」(2巻)がある。キリスト教嫌いであり、実際に日本に住み、日本人以上に日本の美や文化を愛したという事がよく分かる名作である。非常に優美な文章だと思う。ただこの日本は1890年前後の日本、それも松江を通しての日本ということになる。邦訳は講談社学術文庫の「神々の国の首都」(1990年)、「明治日本の面影」が3/4を収録している。「盆踊り」という小編が特に好きだ。