2010年10月31日

●日本の心 第12回

(57) *「チェンバレンの明治旅行案内(横浜・東京編)B・H・チェンバレン、楠家重敏訳、新人物往来社、1987年
1873年お雇い外国人として来日したチェンバレン(1850~1935)の日本観光案内。宿代が20~50銭で、茶代(チップ)も同じくらい出さないといけない、家では靴を脱げ、夜窓を開けたままにしてはいけない(強盗に入られるから)、日本人は名刺交換好きなので、名刺を持って行け、短気になるなとか100年前の日本にタイムスリップした感じにさせる好著である。日本の観光案内をする場合、神仏についてできるだけ多く知識があった方がよいが、では具体的にどのくらい知っていればいいのだろう。明治時代英語で日本の観光案内を書いたチェンバレンによれば、50項目ぐらいある。ご参考までに挙げると、愛染明王、浅間、天照大神、阿弥陀仏、阿難、弁天、ビンズル、毘沙門、梵天、菩薩、大黒、大日如来、道祖神、恵比寿、閻魔大王、不動明王、普賢菩薩、福禄寿、五智如来、権現、八幡、布袋、仏、稲荷、イザナギとイザナミ、地蔵、寿老人、神、迦葉、鬼子母神、金毘羅、庚申、観音菩薩、摩利支天、摩耶夫人、弥陀、尊(命)、弥勒菩薩、文殊菩薩、仁王、如来、大国主命、羅漢、シャカムニ、舎利弗、七福神、四天王、三途の河の婆、少彦名、スサノオノミコト、帝釈天、多聞天、天神、東照宮、豊受姫、薬師如来である。

(58) *「日本事物誌」、チェンバレン、高梨健吉訳、1969年、東洋文庫
 明治の日本に関する201項目の小百科。1939年の最終第6版の訳。「子供」(日本の子供がおとなしいのは、日本人があまり頑健でないから)とか、「算盤」(日本の算盤には暗算がない)の項目は自分がよく理解していなかったのであろうが、こういう例外を除けば、「美術」(日本美術史)など分かりやすく解説している良書。霜柱がヨーロッパにない(米国バージニア州にはあり、frost flowerという)など目には鱗のである。

(59) 「ヤング・ジャパン」(3巻)、J・R・ブラック、ねず・まさし、小池晴子訳、東洋文庫、1970年
1861年~76年滞日した英国人ブラック(1827~80)が書いた1858年から74年までの当時横浜で刊行されていた英字紙や史料に基づく幕末・明治小史。ペリーの来航から始まっており、開国させたことは正しいが、そのやりかたが強圧的なのは問題だと指摘している。小見出しが多く読みやすい。1864年のアイヌの墓の盗掘事件など興味深いものもある。大事件と三面記事が交互に出て来るが、三面記事の方が他の史料では調べにくいので重宝する。彼の息子が落語家の快楽亭ブラック(ヘンリー・ジェームズ・(石井)ブラック、1858~1923)である。1896年日本初とされる催眠術の公開実験を行った。自ら改良落語を行うだけでなく、1903年から1908年ごろまでの落語名人芸をレコードに残すため大活躍をした。

(60) 「日本文化史」、G・B・サンソム (Sansom)、福井利吉朗訳、東京創元社、1976年
1931年初出。著者は1906年長崎、函館、東京の英国領事館に勤務、第一次世界大戦のとき一時帰国。その後1920~40年まで滞日。上古から1868年までを扱っている。武士道は鎌倉時代を淵源に求めるが、完成したのは江戸時代であり、それを中世の平家物語などからこの時代に武士道は存在したというのは無理があろう。武士は鎌倉時代から戦国時代にいたるまで土地に対しては忠実だったが主君に対してはもっとドライであったはずである。一所懸命という言葉もある。北朝と南朝対立の経緯は略述しすぎてさすがに筆が疲れた感じが否めない。日本人には原罪の意識がないため形而上学的思索の性向がないとか、文字というのは長く使われているからにはそれぞれに長短があるはずなのに、漢字に対して西洋のアルファベットはおそらく人間精神の最大の勝利であるとか、キリスト教や西洋文化の優越性の根本的にあるにせよ、それはそれで一本筋が通っていて、歴史の流れにおける原因と結果について明確に叙述してある名著。文化史には政治史、行政史、経済史の観点が必要であることを本書は教えてくれる。また達意の名訳であるが、385ページの「四つ裂き、田楽刺し(串刺しのことか?)」にしても、日本はヨーロッパのような野蛮国ではないから、江戸時代においてもそのような刑罰はなかった。妻はキャサリン・サンソムで「東京に暮らす」という良書を書いた。

Posted by SATOH at 2010年10月31日 11:40
コメント
コメントしてください