2007年01月14日
●帯研(第40回)
若い人が同時通訳者になろうと勉強するのは構わないが、英語と違い働く機会が非常に限られているので、それ以外にも目を向けた方が現実的である。では通訳かといっても、ガイド通訳、技術通訳、商談通訳もそれほど仕事が多いというわけではない。いっそロシアと取引のあるメーカーや商社に就職して、通訳のロシア語というよりは自分で使えるロシア語を勉強したほうが実戦の機会は多い。通訳はいろいろな人の言うことを文字通り通訳するわけだが、自分で使うロシア語は、自分の口癖や職種に限られるから、後に通訳をする下準備にもなる。自分の通訳ができなくては人様の通訳なぞ無理というもの。
Человек идёт по улице в одном сапоге.
- Сапог потерял?
- Нет, нашёл.
設問1) 和訳せよ。
設問2) 上から2行目および3行目терял やнаходилと不完了体を使えるか?
なんか心配になるほど文が簡単…
和訳;
誰かが通りを長靴を片方だけで歩いています。
─ 長靴をなくしたんですか
─ いえ、見つけたんです。
辞書の用例を手がかりに答えてみます。
どちらも不完了体は使えないと思います。
терялと不完了体を使った場合、長靴を一そろいなくす、という感じになってしまうような気がします。不完了体が使われている例文では、立場や能力、時間といった抽象的なものとの結びつきを示すものが多かったからです。
「見つける」にしても、見つかったから今履いてます、という結果の存続で完了体なのだと捉えました。находилでは、いったんは見つけたもののまたなくした、という意味になって不適切かと思います。あとнаходитьにはзамечатьのように「認める」の意味合いもあるんですね。勉強になります。
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訳はその通りです。ただ初学者にも分かるように訳せば、「片方だけはいて」と入れたほうがよいでしょう。これは不完了体は使えません。両方とも完了体過去形の結果の存続という用法です。どうもコーシュカさんは「存続」という言葉にひっかかってтерятьに対して独自の解釈を展開されていますが、それは違います。個々の動詞本来の意味の「結果の存続」ですから、ушёлと同様、потерялは「なくした」状態が今も続いているわけですから、「今持っていない」という意味です。Он ушёлでは「彼は去った」だから「彼は(発話の時点では)ここにはいない」という意味です。私の訳は、
訳)ある人が通りを片足だけ長靴を履いて歩いています。
「長靴片方なくしたのですか?」
「いえ、片方見つけたんです」
ロシア語と日本語の「сапоги」の意味の違いがおもしろいと思いました。日本語だと長靴といえば、だいたいはゴム長靴で、皮(含合成皮革)や布製(あまり見かけません)だとブーツと呼びますね。ロシア語では丈の長さで呼び名が変わるんですね。
сапоги→ботинки→полботинкиやтуфли→тапочки(тапки)。
帯研18回の軍人の靴ではботинкиと出てましたが、軍人は冬はсапогиに代わるのでしょうか。
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おっしゃるようにсапогиにもрезиновыеというのもあります。ロシアの兵卒がはくのはкирзовыеという革の代用品のものが普通だと思います。