2006年12月30日

●帯研(第32回)

1月発売予定の「ビジネスロシア語」の目次案(豆知識の場所が変わる可能性あり)を「ランポポー」トップページに載せたので、ご興味のある方はご覧ください。
俗語については自分から使う必要はないが、相手の使っている言葉が、丁寧語なのか、口語なのか、はたまた俗語や隠語なのかはある程度分かるように勉強に努めたほうがよい。2002年頃取引を考えていたアルミの二次製品のメーカー(ロシア)がモスクワのある銀行の傘下に入ったというので、銀行の頭取と会いに行っていろいろ話を聞いたわけだが、その面談中にこの頭取(40歳ぐらい)が、без прибамбасов(よけいな飾りなしで)という表現を使った。それを聞いて、この種の言葉は普通若者かヤクザが隠語として使うものなのでちょっと驚いた。早速格付け会社にこの銀行についてデータ(表面的なデータしか分からないが)を調べてもらうと同時に、場所からみてモスクワのどこの組(当時モスクワの大きい暴力団21の勢力圏は調べればある程度想像がついたので)かなど調査に入った。幸いそれ以上話が進まなかったので、取引をするかどうか本社に意見具申するところまではいたらなかった。その頭取がたんに犯罪小説のファンというだけかもしれないし、ヤクザから企業家に転向した人かもしれない。ロシアでは小売店関係では、みかじめ料(за крышу)として小さなところでも月3000ドルぐらいは暴力団(あるいはKGBや警察出身者の経営する警備会社)に払っているので、小売やレストランなどをする場合にはそういう問題も生じるということを頭に入れておいたほうがよい。テレビや映画でよく耳にする俗語を参考のために書いておく。

в натуре = в самом деле         マジ
стрёмно = опасно  ヤバ(イ)
короче = короче говоря 要はさぁ
блин(блядь「あばずれ」に由来する) バーロー、畜生
чё (= чо) = что              ナヌ
затусоваться = провести время в компании つるむ
фуфло = подделка   ガセ
типа = вроде とか、なーんちゃって
прикольно = смешно おっかしいの
бывай, бывайте アバヨ
сделать (устроить) харакири кому за что = наказать, разругать кого-л.
どやしつける
*切腹をロシア語では「ハラキリ」と言って、これは結構通じる。
今回も短いもの。次の二つの文を和訳せよ。по полюとполем、по лесуとлесомに意味の違いがあるか?あるなら違いを説明せよ。
Мы шли по полю, по лесу.
Туда мы шли полем, оттуда лесом.

Posted by SATOH at 2006年12月30日 11:24
コメント

本年もよろしくお願いいたします。
和訳です。
第1文:私たちは野原や森の中を通って行きました。
第2文:そこへは野道を通り、そこから先は森の中の道を通って進みました。

по полюとполем、по лесуとлесомの意味の違いは辞書や文法書を見る限りでは入れ替え可能のようですが、かたや前置詞、かたや造格と表現形式が違うわけですから当然違いは存在していると思います。
城田先生の「現代ロシア語文法 中・上級編」を見るとその違いが説明されている(p39~40)ようなのですが、私には城田先生の説明の意図するところが今ひとつはっきりしません。
「по + A(与格)は空間の表面に沿っての動きを示すが、造格には空間の側面の特定化はない」というものですが、ここに疑問が生じました。
まずは「空間の表面に沿って」とは一体どういうことなのかという疑問です。我ら人間は重力の呪縛から逃れられない限り移動は表面に沿って行われるのは自明のこととするとこの記述が意図するところはどういうことなのか。森や野原を空間として捉えるというのは三次元的な立体として捉えているということでしょうか。そうすると区切りの概念も生じます。コトの広がりの限界を示す例としてПо городу разнеслась весть о победе.「勝利の報が町中に広がった」という例文も載っていましたが、ここでは「町の内と外」という区切りの意識があることになります。そこからпо полюやпо лесуを捉えると他のルートも選択可能であるが、今回選んだのは野原であったり、森であったりした、というニュアンスなのでしょうか。
もう一つの疑問は「造格には空間の側面の特定化はない」という表現でした。これが意味するところはпо + A(与格)が空間的な限界→仕切り→他の空間との区別という連想に対して対照的であると考えていいということなのでしょうか。そうなれば、ルート選択としてはその場合に意識したのが森だけであり野原だけであったというニュアンスが出てくるのではと考えました。つまり、第2文の造格は「そこへ向かうには野原を通るしかなく、そこから先は森を通るしかない」という意味合いで使われていると考えたのですが、野原や森という認識がそもそも空間としての認識ではないかと思え、この造格の解釈には無理があると判断しました。
そこから違う解釈を取ろうと思ったのですが、そのヒントになったのは城田先生のもう一つの例文でした。『Шли по крыше.「屋根づたいに行った」はШли крышей.と言いかえるわけにはいかない。「(モノの)表面に沿って」の意味がはっきりしている場合は、造格で表現してはならない。』とありました。この「表面に沿って」の意味はどういうことか少々悩みました。表面に沿っての移動であればそれはリニアである必要はないというものなのでしょうか。По городу разнеслась весть о победе.でも動詞からのニュアンスですが一方向のみへ向かう単一の動きではありません。そうなれば例文の意味は当然「(道なき)屋根づたいに進んだ」となります。そうすると造格での表現Шли крышей.はルートとして通ることが可能な道が屋根にあってそこを進んだという一般的に言って不自然な物言いになります。そう考えると氷が張った湖での移動もидти по озеруといい、造格は使用しないと推測できます。
よって、по полюやпо лесуは空間として捉える意識が強いため移動の場所としては必ずしも道である必要はないしその空間内の動きであればリニアである必要もない(あちこちより道してもいい)が造格полемとлесомは空間として捉える意識がないため移動手段として通る道が意識されるという結論に到達しました。
大変長くなって申し訳ありません。以上よろしくお願いします。
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これだけ理詰めに考えておられるのには、頭が下がる想いです。
ただ道にこだわるのはどうかと思います。道がなくても進むことは可能だからです。私の訳は下記の通りで、解説はРозентальのが経験上納得がゆくと思うのでご参考に書いておきます。
我々は野原や森を歩いていった。
そこには我々は野原をつききって歩き、そこからは森を抜けて行った。
解説)по полюというのは範囲を示し(野原の中を歩き回った)、полемというのは直線での方向を示す(野原をまっすぐつききって行った)。

Posted by takahashi at 2007年01月02日 12:15

どうもありがとうございました。
確かに道にこだわる必要はありませんね。полемが直線方向ということが今回確認できたのが何よりです。

Posted by takahashi at 2007年01月02日 13:26

こういう俗語的な言葉や、若者言葉、メールなどの言葉等々はネイティブ以外ではなかなか難しいですね。少しずつでも教えていただけると嬉しいです。

по(与格の用法)と造格ですが…
「新ロシア語文典」では以下のような説明がありました。

前置詞 по(与格の用法)
表面に沿った運動を意味するときに用いる。
Дети бегали(где?) по двору. 子どもたちが庭を走り回っていた。
Река течёт(где?) по равнине. 河が平野を流れている。

造格の用法
行動の場所を示す。
Отряд шёл(где?) берегом реки.(またはпо берегу реки) 部隊は川岸を進んでいった。

こういうふうにどちらでもいい場合もあるのでしょうか。どちらかといえば、造格は、きちんとした道、あるいは頭の中に一定の方向付けがある場合(=直線的)に使ったほうがいいと考えられるのでしょうか。
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メイさんが書かれているのはこれらの用法の基本的意味です。通常の文法書の説明では、この二つの用法は同義と説明するのが普通です。ですから私の設問も強いて違いを求めればということです。何度か書きましたが、基本的な格の用法や動詞の語形変化など絶対こうでなければならないというものもありますが(文法書に書かれているものはたいていそのようなものです)、ただ実戦でロシア語を使ってみると、どうも語法にニュアンスがあるように感じられるものもあり、そういうものはロシア語学の専門家(日本人やロシア人を問わず)の言うことを盲信せず、自分で納得して、自分の責任で使うというのが上級者だと思います。私の書いているのは、自分でなるほどと納得したものを書いているので、参加者のみなさんに強制するものではありませんし、こういう説もあるぐらいに思ってください。ただ私が帯研に書くものは自説(語学の専門家でもないのでそのような資格も技量もありませんが)ではなく、一応語学の専門家の説で私が経験により、より説得力があるなと思ったものを書くようにしています。

Posted by メイ at 2007年01月02日 18:40

よく理解できました。そういう実践上で使われるニュアンスはまさに手探りなので、本当に助かります。今後ともどんどん教えていただきたいと思います。ありがとうございました。

Posted by メイ at 2007年01月03日 22:10
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