2006年12月10日

●帯研(第23回)

中級者にはあまり参考書がないので、いきおい露和辞典に書いてある解説に頼ることになる。書いてあることはもちろん正しいが、紙面の関係上十分な説明がなされていないこともある。後は実際にロシア語の読書で勘を養うという勉強を我々の世代や、それより上の世代はしてきたわけだが、インターネットの時代でもあるし、もう少しなんとかならないものかという想いが常にある。
- Как вам не стыдно? Здоровый, молодой человек, а просите деньги!
- Я бы, конечно, не просил, но один раз я взял без спросу, и судья дал мне за это три года.
設問1)和訳せよ。
設問2)просите деньги をпросите денегと言えるか?

Posted by SATOH at 2006年12月10日 13:04
コメント

ロシア語の中級向けの参考書はほんとに少ないと思います。そういう意味では英語がうらやましいです。少ない分、自分が努力しているかというと、いないのだからなにも言えませんが…

設問1)
「よくも恥ずかしくないもんだね。いい若いもんが。カネをせびるなんて」
「おれは、もちろんせびりたくはないんだけどさ、一度、せびらずに(黙って)拝借したら裁判で3年の刑くらったからさ」

訳に自信がありません。здоровый,молодой, человек(呼びかけ?)をこんなふうに訳してもいいものかとか、проситьとбез спросуとをかけているのだと思うのですが、проситьはこの場合は「せびる」で、спросуの語源はспросить(聞く/ここでは)で違うわけですから、同じ「せびる」とせずに日本語の音をオチとして合わせたほうがよかったのでしょうか。たとえば、「いい若いもんが、カネを貸せと強要するんだから」と「許容なしで借りたら」とか… あるいは全部検討違いですか!?かなりあやしいですがUPしました。

説問2)
一応、「言える」という回答にします。

研究社の辞書でденьгиを引くと、
просить денег у кого …に金を貸してくれという
となっていますし、проситьを引いても、
просить денег у родителей 両親にいくらかの金をねだる
となっています。
むしろ、部分生格を使うほうが普通のような気がするのですが、逆にここでденьгиを使っているのは、発言者の持っている有り金を貸せと言っているからなのでしょうか。он просит рубль(彼は1ルーブルをねだっている/新ロシア語文典)というのと同じように具体的な一定の物として理解されているのでしょうか。
----------------------------------------------
訳は合格点なのですが、いくつかコメントします。一番問題なのは、小話自体のおかれている状況がよく分かっていないようです。これは年配の婦人(またはおじさん)が若い乞食に説教しているのだと思います(日本には今乞食がいないからということもあるでしょう)。これを理解して訳しなおせばベストの訳が出てくるでしょう。呼びかけの訳は適訳です。全部が見当違いということではありません。よく検討されていると思います。さて設問2)については、理解はされているようですが、辞書を使って(他に参考書がないようですからやむを得ず)の論理的推論ゆえに自信がないのでしょう。私の訳は、
「恥ずかしくないの!健康な若い人がお金を恵んでくださいだなんて」
「もちろん物乞いするのはどうかとは思うんですが、一度だけ聞きもしないで取っちゃったら、判事から3年食らっちゃいましてね」
解説)просить деньгиというのは「前以て決めてある具体的な金額を求める」というニュアンスがあり、просить денегは「不確定の金額を求める」という感じがする。просить стакан водыやпросить слова(生格) на собранииもこの用法から理解される。小話でденьгиとしているのは話し手に一定の金額(10円とか20円とかの小銭)という意識があると私は思う。このほかの例としては、ждать поезд Минск – Москваとждать поездаがある。前者は指定券など買った場合には特定の列車しか乗れないので対格を取るが、自由席車両や地下鉄の電車を待つ場合はどの列車でもよいので生格となる。2行目のдалは「与える」と「刑期を宣告する」をかけている。

Posted by メイ at 2006年12月11日 23:00

今回も細部がすっきりしませんでした。
設問1)
―恥ずかしくないのですか?健康でお若いのに、有り金全部よこせだなんて!
―もちろん、俺だって以前はこんなことはしなかったさ。でもな、一度、何も言わずに金を取ったら、判事にそれで3年の刑をもらったからな。

設問2)
この場合は使わないのでと思いました。前回のмолокоと同じで、просите деньги をпросите денегと言うとお金をいくらかよこせという意味になって表現のインパクトがトーンダウンしてしまうのではと思います。

за это три годаの解釈が曖昧でした。 за этоは「このために」という理由を示していると考えましたが、いまひとつ自信がありません。
----------------------------------------
メイさんにも書きましたが、もしこの小話が強盗相手に婦人(おじさん)がこういう発言をするというのは、あまり現実的ではありません。すぐ一言も言わずに殴るか殺すでしょうし、言い訳のような答えを強盗やヤクザがするというのもおかしいと思います。まあ小話は何でもfantasticですけれども。ロシアの日常生活から考えて普通のロシア人なら若い乞食相手におばさん(おじさん)が説教していると捉えるのが普通でしょう。за этоの理解はその通りです。просите денегについてもメイさんへの回答を見れば分かりますが、生格だと「どんなお金でも」で、取りようによっては無制限によこせといった解釈も成り立ち、おかしくなります。乞食は商売ですから(ショバ代を地回りのヤクザに渡しているのが普通です)、どのくらいの金をもらえるかはわかっているはずです。高望みはしないでしょう。

Posted by takahashi at 2006年12月12日 15:44

そうです。まさにおっしゃっているとおり、状況がつかめていませんでした。私は、チンピラ風のニイチャンが「おばはん、カネ貸してくんねぇか?」とすごんだら、「何言ってんだよ、元気な若いもんが!」と返され、からむ相手を間違えたという設定を想像しました。乞食と通りすがりのロシアのおばさん(おじさん)だったのですね。

設問2)の部分生格もよくわかりました。乞食の頭の中にある一定金額だったのですね。ということは、「いくらでもいいからめぐんで下さい」とも言えるわけですね。つまり、結果的にはどっちでもよいと。

私の頭にあるロシア人は、アメリカのように技術的に進んでなくて、日本のように細かい細工はできないけれど、重い鉄を使って長年経っても壊れないような、誰でも使えるしっかり安定したものを作る国民、ちょっと不器用でおかしいけれど本質的なものをかぎ分ける力があって、地に足がついていていいなと思っているのですが… ロシア語の部分生格はどうもその印象を弱めるような気がします。ロシア人ならもっとおおらかに地球上・宇宙上のミルクを全部飲むぞ~、カネ?全部だよ、全部、と体格でやってほしいのですが。どうして物質名詞に関する部分は他言語と同じように進歩してきたのでしょうか。原先生に部分生格発展の歴史も書いてもらいたいところです。

列車の説明、とてもおもしろかったです。部分生格あなどれず。そんなところにまで及んでいるのですね。日本語で「電車を待っている」と言っても指定券を持っているかなんてわかりませんから、ほんとに進歩していますね。まさにこんなところを知りたかったというところがわかったという感じです。ありがとうございました。
--------------------------
メイさんの考え方は論理的で理解できますが、денегはこの場合使えないというのが、私の解釈です。説明は高橋さんへの回答をご覧ください。このおばさん(おじさん)はやる側ですから、当然一定の額(小銭)というのが頭にあるはずです。乞食にすれば、無論もらう金が多ければ多いほどいいのでしょうが、いくらでもくださいと生格にすれば、「無礼者」といわれかねませんし、そんな生意気な乞食が喜捨にあずかれるとは思いません。メイさんは新ロシア語文典をお持ちのようですが、私の恩師は城田先生の文法書のほうがはるかによいと誉めておられました。基本的に私もそう思います。副動詞の説明などは文典のほうがよいとは思いますが。一応ご参考まで。

Posted by メイ at 2006年12月12日 15:46

最初は物乞いかもと思いましたが、対格か部分生格かのところで、「有り金全部」ということか、それなら強盗に違いないと思い込んでしまいました。対格と部分生格の違いも気をつけないといけませんね。このニュアンスの違いがロシア語を読んだ瞬間に感じとれるようになれたらすばらしいことです。いろいろな文章に触れていきたいと思います。

Posted by takahashi at 2006年12月13日 11:19

部分生格は難しいですね。まだ頭の中が混乱しています。乞食にも与える側にも小額(一定額)という頭があって、対格になっているというのもわかりますし、高橋さんの「インパクトが薄れるので」というのも理解できます。そこまではわかったのですが、では部分生格は使えないかです。城田先生の『現代ロシア語文法』は2冊共、一応もっています。これからはしっかり活用していこうと思います。さっそく城田先生の「部分生格」(183p)を見ますと、物質名詞の部分生格は「(自分に)必要な一部分」あるいは「どちらかといえば少量」であるというようにも読めるのですが… 対格との比較がないのでなんとも言えませんが、このアネクドートではどうしても使えないのでしょうか。「あなたのお持ちのお金の中から少しめぐんで下さい」というニュアンスは出ないのでしょうか。くどいかとは思ったのですが、純粋に学習欲から出ておりますのでどうぞご理解下さい。
---------------------------------------
あまり専門用語の「部分」生格にこだわる必要はないと思います。全体(対格)と部分(生格)というとらえかたよりも、具体的(対格)、一般的(生格)というのが実態に近いと思います。具体的故に対格補語は限定しないと使えないし、生格は一般的ということですから、そういう意味では乞食が何も考えずに「金をくれ」という場合には、просить денегは絶対に使えないとはいえないでしょう。ただ語法は文脈やイントネーションによりますから、テキスト1行目でденьгиを使っている以上、若い乞食がその前の発話でденегでなくденьгиという言葉を使った可能性は高い(あるいは具体的に10ルーブルくれと言ったのかもしれません)と思います。その他にも、私の知る限り乞食はプロ集団ですから、今日初めて乞食をするなら、ともかくどのくらいもらえるかは分かっているはずということです。城田先生の文の例も一般的に(金額の多寡は別にして)お金を持ってきたという意味です。私の説明はРозентальが書いた、просить деньги (a specific sum, agreed on in advance), просить денег(an indefinite amount) に基づいています。

Posted by メイ at 2006年12月13日 11:19

詳しいご説明をありがとうございました。理論的には理解できたと思います。あとは、どういうところで部分生格が使われているのかを実際にあたるしかないですね。なるべくロシア語の文章をたくさん読まねばと思っている昨今です。
------------------------------------
部分生格が「少し」というニュアンスを持つかどうかは、今までそういうようなニュアンスを会話で感じたことはありません。城田先生の文法書は1ヶ月前に購入し、読みました。基本的にロシア語の参考書の書いてあることは尊重するが、実戦で私が納得しないと帯研では原則書かないことにしています。城田先生の例は兄弟間であり、兄弟の間の金の貸し借りは普通小額でしょうから、この例だけで、просить чегоが小額を示すかは、卵が先かニワトリが先かという話になるのでなんとも言えません。部分生格も解釈は見方によって、全体と部分、具体性と一般性などあると思いますし、ロシア語を使うという実践面から考えれば、проситьという動詞の補語の格支配はこうだと、個別的(単語ごとに)に覚えるべきかもしれません。そこが語法の研究者と、私のように実際にロシア語を使ってロシアやロシア人とコミュニケーションを取ろうとするものの違いだと思います。

Posted by メイ at 2006年12月13日 17:22
コメントしてください