2006年12月22日
●帯研(第30回)
ロシア語で何を読むべきか考えている方に、面白いものを見つけたので参考までに紹介する。1923年ロシアソビエト連邦社会主義共和国文部人民代表部政治文部総委員会委員長クループスカヤの署名した「図書館の図書構成の見直しおよび反革命・反文学文献の削除に関する指示」の中で、具体的にリストに挙がっている著者名は、文学関係ではАверченко(風刺), Амфитеаторов, Боккаччо, Вербицкая, Гнедич, Арцыбашев(サーニン), Дюма (отец), Данилевский(哲学), Загоскин(モスクワ人), Бор. Зайцев, Крестовский(ペテルブルグのスラム), Лесков («На ножах», «Некуда», «Обойденные»), Лажечников, Лейкин, Мельников-Печерский(森の中で), Мережковский, Потапенко, Пшибышевский, Санкевич, Сологуб, Стерн, Форрар, Тэффи(風刺), Терпигорев, Хаггард, Толстой («Народные рассказы», «Отец Сергий», «Ходите в свете, пока есть свет» и все религиозные и филосовские сочинения), Вас. Немирович-Данченко («Плевна и Шипка», «Вперед», «Рядовой Неручев», «Скобелев», За далеких братьев», По воле Божией» и другие рассказы и повести из русско-турецкой войны), Полевой («Клятва при гробе Господнем»)、他に児童文学、歴史関係、哲学、心理学、倫理学、伝記(プラトン、デカルト、ショーペンハウエル、ニーチェ、カント、スペンサー他)が著者ごとにリストアップされており、聖書、福音書、コーラン、タルムードも入っている。その代わりに何を勧めていたかというと、レーニン、ジノーヴィエフ、トロツキー、スヴェルドローフの肖像画である。(私が読んだことのあるものは、Аверченко(風刺), Боккаччо, Арцыбашев(サーニン), Дюма (отец), Данилевский(哲学), Загоскин(モスクワ人), Бор. Зайцев, Крестовский(ペテルブルグのスラム), Лесков («На ножах», «Некуда», «Обойденные»), Мельников-Печерский(森の中で), Мережковский, Сологуб, Стерн, Тэффи(風刺), Хаггард, Толстой («Народные рассказы», «Отец Сергий», «Ходите в свете, пока есть свет» である)。これを見ると革命家を揶揄したり、貧民の生活を犯罪がらみで描いたりしているもの、宗教・哲学などがボリシェヴィキーの気に入らなかったようである。クループスカヤもものの見方が狭そうな人だからこういう委員会の委員長にはうってつけだったのかもしれない。ボリシェヴィキーが発禁にしたものを読むというのも一つの読書の方法ではないかと思う。今回は短いものを。
Тургенев взялся проводить его (= Писемского) до дому.
設問1)和訳せよ。
設問2)до домуをдо домаと言い換えることができるか?理由もあわせて述べよ。
社会主義革命とは何だったのか。農奴制が廃止された後、ロシア革命がなかったらロシアの民衆はツァーリのもとでもっと自由に生きていたのでしょうか。ソビエト時代を生きたたくましい庶民の知恵の数々を教えていただければおもしろいですね。ここで発禁にされているロシア人著者、残念ながら私はほとんど知りません。
設問1)
ツルゲーネフは彼(ピーセムスキー)を家まで送ることを進んで引き受けた。
何かオチがあるはずですが、今回はまったくわかりません。最初はдо домуにдо дамуがかけてあったとすれば、ピーセムスキーの著作に『старческий грех』があるのでおもしろいかな、と思ったのですが、その場合дамаはдамыになるはずですし… 何と何がかけてあるのか大分時間をかけて探しましたが見つかりませんでした。ならばツルゲーネフとピーセムスキーの作品の内容が関係しているのかな、と考えてみましたが、内容を知らないので(読んでいないので)推測できません。今回はギブアップです。
設問2)
一応使えると思いますが、до домаは、家のドアの所までというニュアンスが入ると思いますので、проводитьの場合はдомойのほうがいいと思います。довестиを使った場合は、до домаのほうがいいように思います。
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べつに小話ではないのでオチはありません。ピーセムスキーと力点が分かるように訳しているのは評価できますが、ツルゲーネフについては、最近の新訳でもトゥルゲーネフと沼野先生が原音に近く訳しておられました。個人的には私はできるだけ原音表記を尊重したいと思います。この文はГригоровичのЛитературные воспоминанияから採りました。訳はその通りです。私の解説は、проводить до дому(自宅まで送る)とпроводить до дома(ビル(小屋ではなく建物)まで送る)。似た例では、1) выйти из домаとвыйти из дому、また2) уйти из домаとуйти из домуがある。1)の前者は「ビル(小屋ではなく建物)から出る」で、後者は「自分の家から出る」。2)の前者は「家族を見捨てる」で、後者は「短い期間家から出る」。力点は из домуのизおよびдо домуのдоにくる。
今回はдо домуのдо домаの違いに関してお手上げでした。
自宅と建物(小屋)の違いには気づきませんでした。homeとhouseの違いに少々似ていますね。
研究社の露語辞典には力点移動する場合としない場合の説明がのっていました。на домでнаに力点がある場合は「自宅へ」、домに力点がある場合は「建物の上へ」とふたつの意味があるのを確認しました。細かく辞書を見るとヒントがあるのを今更ながら実感しました。
マンションみたいな建物を意識しながら人を送る場合はпроводить до домаと言っていいわけですね。
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厳密に言えば、あくまでもマンションの建物の外までで、マンションの入口から先には入らないということでしょう。
この1行とにらめっこしながら数日間謎ときをする時間を結構楽しみました。私はオチがないのはありえない、と思っておりました。というのはわざわざトゥルゲーネフとピーセムスキーの名前が出ているし、なぜ家に送るのかというのも不思議な設定でしたので。トゥルゲーネフはまだしも、ピーセムスキーの作品など読んだことがないのでネットで作品を当ると、короткое содержание 53頁。1~2頁ならともかく、まず最初から要約を読む気が失せました。これを半日ですらすら読めるようになれれば本当に楽しいだろうと思います。それでもこの1行の出題のおかげで全く知らなかったピーセムスキーの作品(テーマだけでも)を知ることができましたし、背景の文化を知るには程遠いにせよ、私の中では大進歩です。こういうことが楽しみながらできるので、お正月直前でも止められません。ほんとは師にお正月休暇をとっていただかないといけないのに!それでも今週はさすがの私も家事に追われそうです。高橋さん、どうぞよろしくお願いします。
до домуとдо домаもよく理解できました。私はдо домуのほうはдомойに近いのかな、と思っておりましたので認識が改められました。
до дома→建物まで
до дому→自宅(家)まで
домой →家庭まで(でいいですか?)
つまり、一般的には、同じ方角だから途中で降ろしてやるよ、とういう場合はдо домаで、女性をきちんと自宅まで送り届ける場合はдо дому、ちょっと顔を出して家人に挨拶をしていくような場合はдомойとの理解でいいのでしょうか。
уйти из домаが「家族を見捨てる」というのはおもしろいですね。辞書には出ていない生きた言葉です。
ありがとうございました。
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私の持っているСловарь современного литературного русского языка, Русский язык, 1993(зで出版中止となった)によれば、до дому, до домаはдомойの口語とあります。до дома, до домуのニュアンスの差についてはРозентальの参考書にあるものです。
佐藤さん・メイさんへ
私も予備校の冬期講習が始まりました。解答が遅れ遅れになってしまいそうです。申し訳ありません。極力努力いたします。
домойを英語の home のようなニュアンスで理解していたのですが少し違っていたようですね。пригласить домойやприходите домойなどとよく使っていましたので。あるいは一緒に使われる動詞によっても違ってくるのでしょうか。пригласить домойもприходите домойも口語的ではありますが。
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домойは標準用法で丁寧文でも口語文でも使えます。до домуが口語的というだけで、普通使うならдомойでしょう。