2020年02月06日
●第174回
対して、憤激と反抗のニュアンスを持つ用法である。
(彼は帽子を取り、毛皮の外套に手を伸ばそうとした。ふと気がつくと、門番の娘が、10歳ぐらいの女の子だったが、不意に大きな声を上げた。彼はやにわに走り出した。女の子は彼を追いかける。結局(よってたかって)捕まえられてしまった)Он шапку взял и хотел за шубой идти – глядь, дочка швейцара, девочка лет десяти и – закричи! Он бежать, она за ним. Его и схватили.
この用法は、上の文におけるзакричиという完了体の命令形のことで、глядьは意外性を示し、「ふと見ると」という感じである。бежатьと不定法なのは突然開始された動作を示す。6-1-1項参照。
5-2-8 条件法的・仮定法的用法
単数の命令形は例示的用法から派生した条件法や仮定法としても使え、生き生きとした口語的用法となり、命令形の後に三人称の主格が立つ場合が多い。これは譲歩や無関心を示す用法でもあり、「仮に~したとしてもесли бы」ということで例示的用法と結びつくため、譲歩を示す節には完了体動詞命令形が使われることが多い。4-2-6および4-2-7項参照。
(実際どこか間違えば、彼だって人間だから、同僚がかばってくれなければ彼は八つ裂きにされる)А ошибись он где-то действительно, ведь он человек, - так его растерзает, если коллеги не прикроет.
(我々全員が護送隊にすぐに飛びかかりたくても、ピクリとするまでに我々は撃たれて皆殺しだ)Захоти мы все сразу броситься на конвой – пока зашевелимся, нас перестреляют прежде.
(彼女か赤ん坊の身に何か起こったら、彼は絶対に自分を許せないさ)Случись что-нибудь с ней или ребёнком, он никогда себе не простит!
(彼が手紙を書かなかったりしてみろ、こんな話は読者にはなかったことになったろう)Не напиши письма он, и не было бы читателю вот такого рассказа. <否定文>
(新しい流行が現れさえすれば、すぐに多くの人々が変わってしまうでしょう)Явись лишь новая мода, и тотчас же множество людей изменилось бы.
(私たちが違う名でそれをチェックし始めたとしても、結果は常に同じだったろう)А начни мы проверять его на других именах, результат неизменно оказывался бы тем же самым.
(このような仮定が正しければ、知られている音に一定の順序を与えるだけで十分だったはずだ)Будь такое предположение правильным, достаточно было бы известным звукам придать определённый порядок.
(彼によい農場があればザハールと同じくらい稼げたのに)Будь у него хорошее хозяйство – и он бы заработал не хуже Захара.
(あなたはここを去って、私が残って、全ての責任を取れというのですか)Вы-то уедете, и я оставайся и за всё отвечай.
(いくら祈っても、誰も空からパンのかけらを落とそうなんて気にかける〔神様〕はいない)Сколько ни молись, а с неба никто не догадается сбросить кусок хлеба. <主節は例示的用法で、従属節には反復の意味の不完了体命令形>
上の用例からも分かるように、この用法で使われる多くの動詞というのは、普通は語義的に命令形にならないか、主語が命令法で含意されるニ人称以外の一人称複数や三人称であり、法の転用ではあるが、誤解が起こらないようになっている。возьмиに至っては、「突然」というような助動詞的な働きをしている。
●第173回
禁止の意味ゆえに不完了体動詞不定形が来る。ただ危惧の念が伴う時は完了体動詞不定形が来ることもある。不完了体命令形のне смей(те) + 不完了体不定形は禁止を強調した表現である。
(池の水を飲むなんて考えるなよ)Не выдумай пить воду из пруда.
(私を送ってゆくなんて気は起こさないでください)Не вздумайте меня провожать.
(僕が全て知っているとラールカにうっかり警告するのは絶対にやめてくれ)И не вздумай Ларку предупредить, что я всё знаю.
5-2-5 同じような状況で使える完了体・不完了体の用法の違い
同じような状況で使える不完了体・完了体の命令形の例で、次の文は両方ともパーティーなどで誰かを紹介するときに同じような意味で使えるが、厳密に言えば不完了体動詞命令形は促し・勧誘、完了体動詞命令形は願いというニュアンスがある。その次の文も同様なニュアンスを持つ。
(御紹介します)Знакомьтесь! (Познакомьтесь!)
(宿題のノートを出して下さい)Давайте (Дайте) домашние тетради.
次の二つの文は、使い方は同じにせよ、不完了体動詞命令形では、具体的な旅行か何か事件があったことを話し手も聞き手もはすでに知っているという前提がある。だから補語がない。不完了体動詞命令形は、状況から当然分かるはずの動作への移行を促す(話すようにせっつく)ということである。完了体の方は、具体的な旅についての新しい情報を聞かせてくれという事になる。
(さあ、言えよ)Ну, рассказывай!
(旅はどうだったか話してくれ)Расскажи, как прошла поездка.
5-2-6 被動形動詞過去短語尾を使って命令の意味を示す用法
この用法は語義に許可や命令の意味がある動詞の被動形動詞過去短語尾に見られる。先の二つの文は、禁止なので後に不完了体動詞不定形がきており、次の二つの文は命令だが、動作の反復を示しているので、同じく不完了体動詞不定形が来ている。
(ケンギールでは小包で挽き割を受け取るのは許されていたが、それを煮るのは絶対禁止だった)В Кенгире разрешено было получать крупу в посылках, но так же неукоснительно запрещено было её варить.
(これからは棍棒を持たないで見回りをするよう命じられた)Предложено было впредь обходиться без дубинок.
(看守には囚人を番号だけで点呼し、名前は知るべきではないし、覚えるべきではないと命令された)Велено было надзирателям окликать заключённых только по номерам, а фамилий не знать и не помнить.
(女性が収容所で男性の写真〔肖像画〕を所持してはならない)Не положено женщинам в лагере иметь мужские портреты.
無人称動詞не полагается(= не разрешается)にもне положеноと同じような用法がある。
(走行中に飛び乗るのは禁止されている)На ходу садиться не полагается.
5-2-7 憤激と反抗のニュアンス
これは意思に反して課された、ないしは義務として予定された行為に
2020年02月04日
●第172回
になったが、「~できろ」、「~できるな」というふうに命令法で可能・不可能を表現するのは一般的ではない(не моги + 不完了体動詞不定形は俗語で禁止を示す)ため、同じ可能性でも例示的用法の一つとして、「ひょっとして」という警告предостережениеや危惧опасениеという意味が発達したと考えられる。また警告や危惧も主観(叙想)的ニュアンスであり、動詞が文の焦点にあるので完了体が用いられているとも言える。完了体のもつ叙想的ニュアンスというのは制御(コントロール)できないという、ゼロ(無)の可能性も含まれている。そこから完了体動詞命令形の否定は、普通は警告「うっかり~しないでください」の意味しかなく、Будь внимателен!(注意してね)とかБудьте осторожны!(気をつけてください)というようなニュアンスが含まれているということになる。
(粥を煮るな)Не вари каши. <意識的、わざと煮るな>
(うっかり粥を煮るなよ)Не свари каши. <警告・危惧>
(ここは滑りやすいから、転ばないように〔注意して〕ください)Здесь скользко, (смотрите) не упадите! <смотритеは強調の意味>
(風邪なんかひかないでくださいね)Не простудитесь!
(明日はうっかり遅れないでくださいね。こちらの方もいらっしゃるのを待ってはいられませんから)Смотрите, не опоздайте завтра, мы не сможем вас ждать. <警告から来る懇願(強い頼み)のニュアンス>
(明日は遅れないでください。手持ちの時間があまりありませんから)Не опаздывайте завтра, в нашем распоряжении будет очень мало времени. <不完了体動詞命令形опаздывайтеが用いられているため禁止の意味で、絶対に遅れるなという意味>
この警告の用法はмочь (можно) + 完了体動詞不定形や、ニ人称の完了体動詞未来形を使っても表現できる。一緒に使われる動詞は望ましくない動作を示す動詞деструктивные глаголыであり、заблудиться(迷う)、забыть(忘れる)、опоздать(遅れる)、потерять(失う)、получить двойку(落第点を取る)、проиграть(負ける)、пропустить урок(授業をさぼる)、простудиться(風を引く)、разбить(割る)、сломать(壊す)、уронить(落とす)などである。
(ジーナ、ショールを忘れたね。風を引くかもしれないよ)Зина, ты забыл шарф. Можешь простудиться.
(こんな零下の寒さでは頬に凍傷ができるかもしれない)В такой мороз можно отморозить щёки.
(気をつけろ、うっかり日記を忘れるなよ)Смотри, не забудь дневник. = (気をつけろ、日記を忘れるぞ)Смотри, забудешь дневник!= (気をつけろ、日記を忘れるかもしれないぞ)Смотри, можешь забыть дневник!
危惧の表現として、боятьсяと共に使われるкак бы не (чтобы не) + 完了体(過去形・不定形)があり、主文の動詞の内容をより詳しく解説するという役割がある。
(病みつきはしないかと心配だった)Я боялся, как бы не заболеть.
(彼女がいなくなりはしないかと心配だ)Боюсь, чтобы она не исчезла.
(残念だけと、今晩は行けない)Боюсь, что я не смогу прийти сегодня вечером.
(僕には彼が来るという自信がない)Боюсь, что он не придёт. <直訳は「来ないことを心配している」>
警告を強調した表現としては、не выдумай(те) + 不完了体不定形やне вздумай(те) + 不完了体動詞不定形(~というまねはするな)だが、これらの動詞自体は5-2-4項の警告の用法がもとであり、接続する不定形は
●第171回
(熱があれば往診してもらいなさい)При температуре вызывайте врача на дом.
(インフルエンザの兆候が出たらすぐ、医者にかかりなさい)При первых признаках гриппа обращайтесь к врачу.
ところが、例外的に、諺、格言のほかに、具体的動作を指示する掲示、注意書、取扱説明書(マニュアル)などで、例外事項や禁止事項に関わるような、偶発的(散発的)な動作(ある条件がそろえば起こるが、そろわなければ起こらないような動作)を表現するために、完了体動詞命令形が用いられることがある。その場合でも完了体の順次的用法(従属節と主文の間の)と併用されることはない。順次的用法というのは動作が次々と起こるわけで、動作が起こるかどうかは条件次第という例示的反復(例示的用法)とは普通は相容れない。
(痛くなったらこの薬を飲んでください)Если будет болеть, примите это лекарство. <痛くなったらという状況の下では必ず薬を飲むが、痛くなければ飲まなくてよいと考えると、完了体動詞命令形の例示的用法が出てくることになる>
(保証書への不正確な、ないしは不十分な記載の場合は、ただちに販売店にお問い合わせください)В случае неправильного или неполного заполнения гарантийной книжки немедленно обратитесь к продавцу.
(必要なら4時間の間隔をあけてもう一度注射をして下さい)При необходимости инъекцию повторите с интервалом в 4 часа.
5-2-3 丁寧な依頼 → 完了体動詞未来形の否定疑問形
命令形ではないが、完了体動詞未来形2人称の否定疑問形を用いて丁寧な依頼を示すことができる。完了体動詞未来形の不可能の用法から潜在的可能性へ、さらに丁寧な依頼へと派生していった用法である。不可能を疑問形にすること(~できませんか)で、丁寧さという主観的なニュアンスを生み出しており、動詞が文の焦点となっているので、完了体が用いられていて、これは日本語と似た発想である。
「トイレはどこか教えていただけませんか?」- Вы не скажете, где туалет? <= Не можете ли вы сказать, где туалет?>
「あいにくですが、申し上げられないのです」– Нет, к сожалению, не скажу. <= Нет, к сожалению, не могу сказать.>
(恐れ入りますが、少しずれていただけないでしょうか?)Простите, вы не подвинетесь немного?
(お電話お借りできませんでしょうか?)Вы не разрешите позвонить от вас?
(お力をお借りできませんでしょうか?)Вы не поможете мне?
(恐れ入りますが、ほらそこの人形を見せていただけないでしょうか?)Будьте любезны, вы не покажете мне вон ту куклу?
下記のように、подскажетеの代わりに、同じ意味で完了体動詞命令形подскажитеの否定も最近口語では聞くようになってきた。
(ロシア人墓地はこの辺のどこにあるか教えていただけませんか?)Вы не подскажите, где здесь русские могилы?
5-2-4 警告・危惧(うっかり~しないで) → 否定詞 + 完了体動詞命令形
完了体には「何かあれば~する」という例示的ニュアンスがあり、そこから可能性に発展し、неとともに完了体動詞未来形では不可能を示す事
●第170回
Пойдите направо, потом у магазина «Цветы» поверните налево. <順次的用法でもある>
(〔病院の診察室で〕上半身裸になってください)Разденьтесь до пояса (по пояс), пожалуйста!
接頭辞в-, вы-, за-, пере-, при-, про-のついた運動の動詞では、完了体命令形は要請から派生した命令などのような強制的なニュアンスを帯び、それが不完了体命令形の任意のニュアンスと対照を示す場合もある。
(来週来て下さい。ご注文をお受けしますから。でも水曜は来ないでください。水曜は工房では〔注文〕受付はしないので)Придите на следующей неделе, мы примем ваш заказ. Но не приходите в среду: в среду в мастерской приёма нет. <行かざるを得ないわけで、強制的ニュアンスがある。また動作の否定には不完了体命令形を使うことが分かる>
(可能なら明日来て下さい。10時でもいいですし、御希望なら11時でもいいです)Приходите завтра, когда сможете. Можете - в 10, если хотите - в 11 часов. <5-1-2項の勧誘なども考え方は同じである>
(日曜にうちに来て下さい)Приходите к нам в воскресенье. <どちらでもいいという任意のニュアンスであって、強制のニュアンスはなく、また日曜に文の焦点がない>
5-2-2 例示的反復 → 完了体動詞命令形
完了体というのは、いつ動作が起こるかは不明なわけだが、動作が起これば遂行するという事で、それが潜在的な可能性を生むことになる。例示的というのは「もし~したら~する」ということで、主観的ニュアンスである。つまり、動詞が文の焦点であり、それゆえ完了体が用いられる。命令法における例示的用法は、警告・危惧(5-2-4項参照)を除いて、普通は命令法には現れないが、5-2-8項(条件法や仮定法)は命令形という形式を借りた例示的用法であり、例示的反復の用法と言える。
例示的用法は会話では使いにくいと思われる。それは、例示的用法というのは、「何か~したら、~する」ということで、起こるかどうか分からないが、起こったらその動作は遂行されるという事からである。つまり、ある条件下での動作の強制を意味することになる。ところが、マニュアルのように、指示通りにしてもらわないと機械が壊れる、というような他の選択肢がないような場合は、動作は必ず遂行してもらわなければ困るが、会話においては、話し手の聞き手に対する動作の関わりは、指示や命令よりも提示という形式が多い。それはその動作遂行について聞き手の判断に任せるという意味合いが多く、動作に対する期待度や拘束度はゼロ、つまり、どちらでもよいという消極的ニュアンスを取ることが多い。これは動作を聞き手に指示するというのは強制するということで、日常生活では目下の者に対してはともかく、一般的には礼を失すると考えるからであろう。そのような場合には、消極的な、聞き手の判断に任せるという促しの意味の不完了体動詞命令形を使うのが自然だということになる。それと、もともと例示的用法というのは、用いられる時制に関わらず、形式的に完了体動詞未来形を取ることになっており、その形を同じ完了体とはいえ、命令形という形に変えるのも心理的に抵抗があるからかもしれない。
規則、指示、勧告、広告などにおいて、規則的反復動作の意味で用いられる場合は、必要なら何度でもという動作の常態化(規則的反復・習慣)を念頭に置いているからであり、表現的には平板なものとなる。もっと言うと、ある条件下でも何度も起こるという確信があるときに、不完了体命令法が使われると考えてよい。
(必要なら輸血しなさい)В случае необходимости делайте переливание крови.
●第169回
んでくださいね)Дети, пока будете гулять в парке, любуйтесь цветниками.
(さしあたってお客様のお相手をしててね。私たちはテーブルに食事の用意をするから)Ты пока принимай гостей, а мы будем на стол накрывать.
5-2 命令法における完了体の用法
5-2-1 要請 → 完了体動詞命令形
この用法は、何かを人に頼んだり、尋ねたりするという具体的な動作であり、動詞が文の焦点となっており、話し手の主観が入る用法のため完了体が用いられる。頼みや助言の意味のニュアンスを伴っていることが多い。このように、完了体命令形も場独立型であり、要請という用法は一番ありふれたものと言える。
(トイレはどこか教えてください)Скажите, пожалуйста, где туалет?
完了体の命令形は動作の全体的把握であり、頼み、助言などの付加的意味合いを持ち、動作過程そのものはどうでもよい。新たな動作に完了体動詞命令形が使われるというのは、新しい情報と聞き手という関係なので、他動詞ならば情報として補語を伴う事が多い。一方他動詞の不完了体動詞命令形は、すでにその情報を聞き手が知っているという既知の状況で用いられるので、補語なしで用いられることが多い。
間接疑問文には一般的に疑問符をつけないが、強い疑問のイントネーションがある場合は疑問符をつけ、それは主文にскажи(те)やя спросилがある場合だと、ロゼンターリРозенталь先生はПунктуация и ударение в русском языке, Книга, 1988で述べている。これはскажи(те)やя спросилがなくとも文意は通じ、文の主体が疑問文にあるからだからであろう。
(駅にはどう行ったらいいか教えてください)Скажите, пожалуйста, как пройти на станцию?
(野菜を袋に入れてください)Положите овощи в пакет.
(右に行って、それから花屋さん(のところ)を左に曲がってください)
●第168回
(お金の受け取りをいつも確認してください)Всегда убеждайтесь в получении денег.
(ちゃんとしたものを食べなさいよ)Питайся рационально. <故郷の母が自分の子供への手紙やメールで>
у-と言う接頭辞のついた運動の動詞は1回の動作も、反復の動作も扱えるので問題ないが、при-という接頭辞のついた不完了体の運動の動詞は規則的反復しか示せない。
(授業に来る時は、本を持って来てください)Когда будете приходить на занятия, приносите с собой книги.
上の文のように主節も従属節も反復の文となり、具体的な1回の動作を示すには、приноситеをвозьмитеなどと動詞を換える必要がある。このбудетеを取って、приходитеとしても意味は変わらない。これは現在の規則的反復が未来における規則的反復につながっている場合である。
5-1-7 感情的ニュアンス(願い事、説得、主張、反抗的態度、脅し)
提案、助言、許可、要求、命令、指示をする場合、動作が既知の事柄であれば不完了体動詞命令形が、新規(未知)の事柄であれば完了体動詞命令形が用いられる。ただ許可において不完了体動詞命令形は、無関心(ну что ж〔それならまあ〕とよく使われる)や、善意を示す事がある。要求や指示にでは不完了体動詞命令形は当然~するというニュアンスから無礼な感じを示す事がある。これらは不完了体が回りの状況に依存するというか、流されるために、文脈によって願い事、説得、主張、反抗的態度、脅しなどのニュアンスが出ることがあるからである。
(お願いだから助けてくれ)Бога ради выручай.
(好きなようにしなさい)Делайте как хотите.
5-1-8 時の状況語と用いられる場合
「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない」と第1章に書いたが、一見時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしているかのように見えるものもあるが、実は、時間の状況語は無限小の時間軸の不動の一点ではなく、大きな点である「期間内に」を意味しているものもある。つまり完了体がイメージする時間軸の特定かつ不動の一点というのは大きさを持たない数学的点であり、不完了体のは大きさを持つ物理的点と言い換えてもよい。大きさがあるということは期限ではなく、期間を意味するということである。
(10時までに来て下さい)Приходите к десяти.
(明日遅くとも10時には来て下さい。お願いしますよ)Я попрошу вас: придите завтра не позже 10 часов. <3-1-4-6項に書いたように、попроситьには強制的ニュアンスがある。>
初めの文では動作は10時までにある時間軸の任意の一点で行われ、二つ目の文では動作は10時までの時間軸の特定かつ不動の一点で行われる。つまり不完了体は任意性を示し、完了体は具体性を示すという体の本質を表しているのである。共に動作の全一性を示しているが、完了体は動作の結果(来て、そこにいる)まで包含しているが、不完了体にはそれがない。
(良い子の皆さん、みなさんが公園をお散歩している間、花壇を見て楽し
●第167回
命令法を反語的に用いて、〔そんな~はできるはずがない、絶対無理だ〕と、行為・動作の不可能である、あるべきではないことを、強い感情をこめて表現することができる。
(まあな、こいつは全部しゃべるさ。書き留めるのが間に合わないくらいだろうよ)Ну, этот расскажет всё! Успевай записывать!
若者言葉の「~しろってか」を使って、「~全部書き留めろってか」と訳してみるのも面白いかもしれない。успетьは不定形として完了体を取るのが普通だが、この場合は尋問が一度ではなく、あるいは一度であっても長期にわたるというニュアンスがあるから、不完了体успевать записыватьが用いられていると考えられる。
5-1-6 規則的反復
命令法においては現在の時制の反復といっても、動作はこれからになるので、厳密に言えば時制的には未来であり、ただそれが現在にほぼ接している時点以降を扱うか、現在とは距離を置いた未来の規則的反復を扱うかという違いだけであり、扱う時系列的範囲は重なる。この違いを示すのは、従属節におけるбытьの未来形の有無のみである。これは不完了体未来形が近接未来(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)を表現できないことに起因する。下記の文でもбудетеがついていれば、現在とは離れた未来の時制の規則的反復を意味するが、そうでなければ、現在とほぼ接した時点以降の未来の規則的反復というニュアンスになる。ただ規則的反復という動作に変わりはなく、会話においてはбудетеをつけようとつけまいと、このようなニュアンスを除いて意味に変わりはない。4-1-1-9項も参照。
(彼がつけ上がるようなら、たしなめなさい)Если он будет заноситься – одёргивайте. <Если以下の従属節が未来の時制の規則的反復を示している>
(帰る時はいつも明かりを消して下さい)Всегда. когда (будете) уходить, гасите свет.
上の文を「今日は」というような具体的な1回の動作にすると、下記のように、主文に完了体命令形が来る。
(お帰りになる時は明かりを消して下さい)Когда будете уходить, погасите свет.
上記の文ではбудетеはこれからの動作である未来の時制を示すという点で必須であり、不完了体未来形は近接未来を示せない代わりに、未来の動作にある程度の時間の余裕を与えるという機能もある。また4-1-1-9項にあるように、文の焦点が主文の動詞погаситеにあるため、когда以下の従属節では未来の時制における動作事実の有無の確認であり、文の焦点がこないために不完了体未来形が用いられているとも言える。когда以下の従属節に完了体未来形が来ると順次的動作となって、帰る動作と明かりを消す動作が、継時的にあまり間をおかず行われることになり、この文では不自然である。
動作の規則的反復の命令には不完了体動詞命令形を使う。共に使われる副詞及び状況語は、время от времени(時々)、всегда(いつも)、иногда(時折)、каждый день(毎日)、по выходным(休日ごとに)、пореже(ごくたまに)、почаще(ちょっと頻繁に)、регулярно(定期的に)などがある。
●第166回
(花瓶を持って来なさい。注意して持って来てね)Принесите вазу. Несите осторожно.
5-1-4 禁止 → 否定詞 + 不完了体動詞命令形
禁止の用法というのは不完了体命令形ないしは不定形の否定であり、それは喫煙や立ち入りなど通常許されている動作が、特定の場所や時間、状況で禁止されるという意味である。これと異なるのは5-2-4項の完了体の命令形の否定で示される危惧や警告の用法であり、もともと動作がするかどうかは分からないが、うっかりして~しないようにという意味である。
禁止(不許可)というのは動作をしないように命令するわけで、あらゆる動作の蓋然性(TPOに合わせる動作の確率)вероятностьを排除することになり、それゆえ不完了体が用いられる。具体的な1回の動作、任意の1回の動作の禁止や反復の動作の禁止も含まれるが、どちらなのかは文脈による。一切の動作を否定する場合には不完了体が用いられるが、禁止でも同じ考え方である。定動詞・不定動詞の場合は、不定動詞の命令形は最初からの動作の否定であり、定動詞命令形の否定は、今行っている動作を止めよということになる。禁止を意味するне следует, не годитсяに続く不定形は必ず不完了体となる。5-2-6項や6-1-2項の不必要も参照願う。
(マンションに犬を連れてきてはいけない)Не води в квартиру собаку. <不定動詞の禁止は動作自体の禁止を示す>
(〔それ以上〕そっちへは泳ぐな。そっちは深いぞ)Не плыви туда: там глубоко! <定動詞の禁止は、それまでなされた動作をそれ以上することに対する禁止である>
(市の案内図を持っていかないでください)Не берите с собой план города.
(浮気はだめよ)Не изменяй мне.
(殴らないでください)Не бейте меня.
(そのようにふるまってはいけない)Так поступать не годится.
(疑うことなかれ、自信を持て)Не сомневайтесь!
日本語でも、幼稚園の先生が園児に、「今日は風が強いので外に出ません」というのも、禁止の命令の意味であり、次の文とニュアンス的には近い。
(ここは禁煙です)У нас не курят. <動作が行われないということから禁止の意味に発展したことが分かる>
語義自体に禁止の意味があるものにне допускатьがあり、命令形で「あってはならない、~してはならない、~しないようにしなさい」という意味であり、取扱説明書でよく使われる。後には(動)名詞を取り、不定形は取らない。не велеть + 不完了体動詞不定形も使われる。またзапретить/запрещатьは不完了体動詞不定形を取るが、не позволитьは完了体動詞不定形を取るなど動詞の本義に合わせていろいろである。
(バイブレーターの先が鉄筋に当たらないようにして下さい)Не допускайте касания наконечника вибратора к арматуре.
(このことをお前に話せないんだ。だめだって)Не могу тебе рассказывать это: мне не велели.
(医者は彼に喫煙を禁じた)Доктор запретил ему курить.
(残念だけど、母は私が映画に行くのを許さないわ)Боюсь, что мать не позволит мне пойти в кино.
5-1-5 反語的用法
●第165回
上のзвонитеの入った文は観光ガイドが客にという場面でよく使われる。
祈願とか呪詛は、神様か悪魔がするわけで、話し手である人間として絶対こうなるということが言えないために、拘束度ゼロから発展した用法であり、そのため不完了体動詞命令形で示すのだと考えられる。
(早く元気になってください)Выздоравливайте! <= Поправляйтесь!; Вставайте скорее!; Не болейте!、病人への見舞での別れの挨拶で、выздоравливатьはпоправлятьсяよりも強調とした感じが出る>
暴言にも不完了体が使われるが、これは不完了体の切迫感に関係し、そこから強い促しにもなり得るということである。これは後述の不定法において切迫感には不完了体が用いられることなどでも理解されよう。また命令文ではない二人称の用法にこれに似た用法がある。
(とっとと失せろ)Убирайся!
(もう一度そこに寝てみろ、いいか〔ただじゃおかない〕)Ещё раз тут ляжешь – смотри! <лечьという完了体が来ているのは例示的用法>
5-1-3 動作の様態 → 不完了体動詞命令形
動作の途中で命令法を使う場合は、文の焦点は補語にあるので不完了体動詞命令形が来る。この用法は動詞の動作がどのようであるか、そのありようを示すもので、動作の完成は二次的なものとなり、いいとか悪いとかの完了体動詞過去形の結果の評価とは違う。文脈によっては動詞なしでも意味が通じるというような、動作事実の有無の確認であり、動詞が刺身のつまのようなとき、つまり様態に文の焦点があるときはすでに動作が行われているという前提ゆえ、5-1-3項同様、2-1-6-1項のみなし反復として、不完了体動詞命令形が出て来る。共によく使われる副詞及び状況語は、внимательнее(もっと注意して)、побыстрее(もっと早く)、помеделеннее(もっとゆっくり)、потише(もっと静かに)などである。3-1-11項参照
(〔X線検査で〕もっと深く呼吸してください)Дышите глубже.
(もっと早く帰って来てください)Возвращайтесь поскорее.
(もっと大きい声で話して下さい)Говорите громче.
上の文を、Громче!と動詞を省いて言っても、イントネーションによりニュアンスは変わるかもしれないが、意味そのものには変わりはない。これは動詞自体が文の焦点ではないという不完了体の用法の特徴である。
(〔いつもより〕暖かい恰好をしなさい)Теплее оденься.
上の文に完了体動詞命令形が使われているのは、動作遂行(暖かい恰好〔セーターなどを着るとか〕をする)に意味の重点があり、暖かい恰好をしなければ風邪をひくよという主観的ニュアンスがあるからである。この文の前に「着なさい」というような出だしの文がなく、いきなりこう言っているわけで、暖かい恰好をするというのは、新しい情報であり、それゆえ完了体が出てくるとも言える。
同じ動詞を繰り返す場合、最初は完了体動詞命令形で新しい事態や情報が出てくることを伝え、次に様態を述べる場合に不完了体動詞命令形を使うというのも、次に用いられる動詞が刺身のつまのような感じだからである。しかし、при-という接頭辞を持つ運動の動詞群の不完了体ではこの用法は使えない。規則的反復の用法(3-1-2項の予定の用法は例外であろう)しかないからである。ゆえに、次の文ではприноситьではなく、別の動詞нестиを使わざるを得ない。
●第164回
(失せろ)Убирайся вон. <= Убирайся к чёрту. = Ступай ко всем чертям. = Проваливай.>
(有害な音楽を止めろ。かけろ、我が国のを!「ナナカマド」を!)Кончай тлетворную музыку. Гони нашу! «Рябинушку»! <そろそろ「いい加減にしろ」という焦燥感も出ている>
5-1-2 勧誘 → 不完了体動詞命令形
話し手にとっても聞き手にとっても、動作の時間と回数の制約がない「いつか」という意味の促しと考えてもよいような勧誘的意味合いを持つ動作の要請で、相手を拘束しないような任意の動作の時に用いられ、不完了体の本質を示すような用法でもある。よく使われる命令形は、вешайте ваш плащ(コートをおかけ下さい)、заходите(お寄りになってください)、знакомитесь(ご紹介しましょう)、проходите(奥の方へどうぞ)、раздевайтесь(コートをお脱ぎください)、угощайтесь(お召し上がりください)、усаживайтесь поудобнее(もっとお楽にしてください)などである。この用法は「~するとしたら」が前提となっているために、踏み台(みなし反復)ということで、動作自体が任意であり、動作遂行の結果をイメージしないので、不完了体命令形が用いられる。この用法では時間軸の特定の不動の一点を示すような時の状況語(例えば次の文のсегодняやзавтра)でも、時間軸の一点と言うよりは、期間としての任意の一点と考えられるので共に用いることができる。
(時間がおありなら今日家に寄ってくださいね)Заходите к нам сегодня, если у вас будет время. <если以下で分かるように、このсегодняは時間を制約しておらず、不完了体命令形は、話し手の主観がない、あなたまかせと言うか、聞き手まかせの用法である。そのためこのсегодняを時間軸の不動の一点ではなく、期間と考えて、今日のいつでもという任意の一点を示していると考えれば、正に不完了体そのものの用法である>
(今日は羊の肉は入ってこないよ、明日来て下さい)Сегодня баранины не будет, приходите завтра.
(今、羊の肉がないから、もう少し後で来てください)Придите попозже, сейчас баранины нет. <完了体動詞命令形Придитеは、命令法が未来を示すことから完了体未来形の点未来の用法に似ており、「必ず来てね」という相手を拘束するような強い命令であり、不完了体命令приходитеは、動作の促し(着手)の用法であり、来ても来なくてどちらでもいいけどという感じである>
(〔メールや手紙を書いて〕下さいね)Пишите! <完了体動詞命令形のНапишите!でもよいが、それだと必ず書いてというニュアンスが感じられる>
(電話をくださいね)Звоните. <強制的なニュアンスや具体的なニュアンスはない>
勧誘の意味で完了体動詞命令形が来ているのは、心中はともかく、電話してもらうという動作遂行を、口の上だけでも強く願っているからであり、期待というニュアンスがあるから完了体動詞命令形が来ている。続く不完了体動詞命令形の文と比べてみれば分かる。
(そのうちにでも電話をくださいね)Позвоните мне как-нибудь.
(もし他に何か問題が起これば、電話下さい)Если возникнут ещё какие-нибудь вопросы, звоните.
ニュアンスがない動作というのは、ある意味期待度ゼロ、拘束度ゼロということであり、消極的、つまりある動作がなされるかどうかはどうでもよいという場合には、上の文のように不完了体動詞命令形が用いられる。
●第163回
不完了体というのは動作事実の有無の確認、つまり動作そのもので、ニュアンスがないものである。つまり、命令形においても、動作が行われるかどうかは個人的にはどうでもいいけど、一応そういうことになっているからしておこうという感じである。テレビショッピングや、視聴者向けのテレビのクイズで、司会者が「メモのご用意」というのは、メモをした方がいいですよ、つまり一応言っておこうかということで、絶対にメモしてもらいたいと司会者が思っているわけではない。これは子供にたくさん買い物を頼むときに、忘れてもらっては困るというニュアンスのある「メモしておきなさい」という命令とは違う。この話し手の個人的にはどうでもいいけど、一応言っておこうかと聞き手に動作の選択の余地を与えるのが不完了体動詞命令形である。しかし、促しはその場の雰囲気や条件に沿ってということで無条件で行われるため、期限を限定した条件節と共には使えない。
(女店員が買い物客に、「次の方、どうぞ」)Продавщица – покупателю: говорите. <店で行列に並んでいるときなどで、何が買いたいのかを尋ねる、つまり買い物客に注文するきっかけを与える店員の言葉>
命令法の促し(着手)の用法には不完了体命令形を使うが、会話でよく聞く、Давай, давай(さあさあ、やれよ)!とかдавай + 不完了体命令形(さあ~しろ)<давай(те) + 不完了体不定形〔または完了体一人称複数〕(~しましょう)とは別の用法>に不完了体命令形が使われるのも、この用法だからである。
(さあ喧嘩をやれよ)Давайте деритесь!
下記の文はすべてもうそろそろというニュアンスの促しであり、動作のきっかけを与えている。
(奥〔の方〕へどうぞ)Проходите, пожалуйста. <来客に対して>
(どっちを取るの〔選びなさいよ〕、家族、それとも愛人?)Выбирай – семья или любовница?
(ドアにノック。お入りなさい)Стук в дверь – входите (войдите). <不完了体動詞命令形входитеであれば、促しの用法で、事前に来訪が分かっていたことになるし、完了体動詞命令形войдитеなら、新しい事態や情報が出てくる(事前に来客を知らされていなかった)場合の、入ってよいという許可となる>
この「もうそろそろ」は切迫感に通じ、「すぐに~せよ」というニュアンスをもつことになる。
(さっさとやってください)Шевелитесь. <= Торопитесь. 動詞の語義から来る切迫感そのものの用法である>
(奴をつかまえろ!)Держи его! <カッパライやスリに対して>
(おい、くそったれ、だれに雇われたのかしゃべるんだ!)Говори, гадина, кто тебя завербовал? <文の尋問などで不完了体動詞命令形が来るのも、相手が自白するのは当然という意識が話し手にあるからであり、そこから促しや着手の用法となり、すぐに話せという切迫感が出てくる>
(かかれ)Действуй! <〔(すぐに)行動せよ〕とか〔(すぐに)やれ〕ということだが、警察や軍隊などの作戦行動の際、任務〔すべき内容〕が伝達されていれば、後は号令だけとなり、そういう意味で不完了体動詞命令形が来る。8-13項にあるДавай(те)!、Валяй(те)!〔俗語〕としても同義で、切迫感の用法でもある>
切迫感が強まれば焦燥感となり、苛立ちを示すということにもなる。
●第162回
了体動詞命令形となる。これは代動詞のような促しの用法であり、説得のニュアンスも出てくる。逆に、最初の動詞は促しという意味で不完了体動詞命令形が来て、その後に新規の情報を伝えるということで完了体動詞命令形が来る場合もある。
(私の電話番号をメモして、お願いだからメモして。とても急いでいるの)Запиши мой телефон...записывай, пожалуйста, я очень тороплюсь.
(起きろ、今すぐ起きろ)Вставайте! Сейчас же встаньте! <最初のвставайтеが促しの用法であり、встаньтеは「今すぐ」という新規の情報を伝えているため完了体動詞命令形が用いられている。代動詞に完了体が来る例である>
(おかけください。テーブルの近くにどうぞ)Садитесь. Сядьте ближе к столу. <最初のСадитесь.が着手であり、一旦着手したのであるから、完遂の用法であるСядьтеを使っていることと「テーブルの近くに」という新規の情報が含まれているので完了体が来ている>
促しを意味する動詞で代表的なものは、начать/начинать(対格/不完了体動詞不定形)、приступить/приступать к + 与格、взяться/браться за + 対格/不完了体動詞不定形/、приняться/приниматься за + 対格/不完了体動詞不定形で、これらの動詞が必ず不完了体動詞命令形となるという事ではない。その場の状況に合わせた動作なら不完了体動詞命令形だし、新規の動作なら完了体動詞命令形である。ただ補語に不定形を取る場合はその補語は必ず不完了体動詞不定形であり、それが促しの用法である。
(減圧に取りかかってください)Приступите к декомпрессии.
(輸血を始めなさい)Начните переливание!
上の文のように、新しい事態や情報、新規の指示が出てきた場合なら、このように完了体の命令形を使うわけで、開始という動作は全て不完了体動詞命令形と考えるのは大きな間違いである。
(本題に入って下さい、本件に着手して下さい)Приступите к делу.
交渉は雑談から始まることが多いが、話し手が雑談もそろそろ終わりだなと判断して、もうそろそろ本題にというときには、促しの用法で不完了体動詞命令形Приступайте к делу. が来るが、上の文のように、そのような世間で一般的な状況を考えに入れないという場合(例えば、いきなり本題に入るとか)は、このように完了体動詞命令形が来る。促しという名に惑わされず、文脈が場依存型(不完了体)か、場独立型(完了体)かという事で判断することが必要である。
一方、体育の時間に先生が「私の後について(同じことを)やってみてください」というのは、生徒が先生の動きを見ている中での発言で、スタートの合図みたいなものだから、Повторяйте за мной.と不完了体動詞命令形が来る。
(追剥が通行人に「背広を脱げ」〔と言いました〕)Разбойник – прохожему: - снимай твой пиджак. <促し、切迫感>
被害者にとっては突然(つまり新しい事態や情報が出てくる場合)であっても、追剥にとっては被害者が服を脱ぐのは、話し手(この場合は追剥)の立場上、またその場の雰囲気上、当然であるという意識が話し手にあるので、不完了体動詞命令形の促しの用法を用いている。追剥が絶対に背広を脱いでもらいたいかというと、必ずしもそうではなく、動作の選択の余地もある。もし被害者が脱がないのなら、腕ずくとか、殴るとか、殺すとか、いずれにせよ欲しいものは手に入れるという意識もあるわけであり、急いでやれという切迫感のニュアンスもある。
●第161回
(ナターリア・アナトーリエヴナ、そこで何をなさっていらっしゃるのですか?とにかくおかけください。ロシア功労建設者称号が授与されますよ。受賞にクレムリンのプーチンのところに行くんですよ)Наталья Анатольевна, вы там что делаете? Сядьте. Вам дают "Заслуженного строителя России". За наградой поедете в Кремль, к Путину".
上の文で完了体命令形のСядьтеを使っているのは、話し手が聞き手に、主観的な意味合いから、まあ落ちついて、びっくりして腰を抜かさないようにという意味で、完遂の意味の「まずは、おかけなさい」を使っている。しかもдаютは予定の用法だということは明らかである。поедетеも聞き手にとっては、予定でも何でもなく、寝耳に水であるために、完了体未来形が来ている。
(この通知はメールで届いた。すぐ返事を用意しなさい)Это сообщение получили по электронной почте. Срочно подготовьте ответ! <Срочноが来ているのに完了体動詞命令形が来ているのは、新規の情報だからである。切迫感の用法は動作が行われるのが周囲の状況において自然であるという前提が必要である>
(昼食を取ったら、すぐにもどれ)Пообедай и сейчас же возвращайся.
上の文でсейчас жеという、あたかも時間を示す状況語があるのに、不完了体動詞命令形が続くのは、私の唱える説「不完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージしない」と矛盾すると思われるかもしれない。сейчас жеは「今すぐ」という意味であって、今というこの瞬間を示していない。今というこの瞬間は常に動いているわけで、不動の一点ではないし、今を広く解釈して、一瞬後のいつかとすれば、1分後か、2分後か、はたまた10分後か知らないが、特定できない以上不動の一点ではないことは明らかである。そのため不完了体が用いられても問題は生じない。この用法は命令法の切迫感か、それに動作の様態の強調が組み合わさったものであろう。次の完了体動詞命令形の例文と比較してほしい。
前の文もそうだが、命令法における動作が次々続く順次的用法では、先の動作の結果を次の動作が受けるかどうかによって、次の動詞の体が変わって来る。完了体の順次的用法は前の動詞の結果が次の動詞に及ばないくらい早く連続して続く場合に使われ、依頼の意味の別個の新規の動作がそれぞれ続く時ぐらいであろう。一方、前の動作の結果を次の動詞が受けるときは、初めに完了体命令形で、その後は前の動詞が作り出した文脈による促し(着手)の意味で、不完了体命令形が続く場合の方が多い。
(この手紙を読んで、彼女に渡して下さい)Прочитайте это письмо и передайте ей.
(水をたくさん汲んだら、すぐに戻るんだ。いいな?)Наберите воды и сразу же возвращайтесь, хорошо? <возвращайтесьが不完了体なのは、水をたくさん汲んだ以上、戻るのが当然だという意味の促し(着手)の用法であり、切迫のニュアンスもある>
逆の場合は稀だが、ないこともない。
(座って、何か面白い話をして)Садись и расскажи мне какую-нибудь забавную историю. <促しと新規動作の組み合わせ。сядьと完了体命令形も可能であり、その場合は順次的用法となる。補語がなければ、Садись и рассказывай.と促しの意味の不完了体命令形を続ける方が自然である>
同じ動詞の体のペアが続く場合は、最初に新規の事柄ということで完了体動詞命令形が来る場合は、次の命令形は動作の指示だけだから、不完
2020年02月03日
●第160回
ということは普通の文脈ではありえない展開であろう。もし敢えて露訳するならРазбейте вазу.と完了体動詞命令形が来るはずである。そういう意味で、забыть忘れる、потерять失う、разбить割る、сломать壊す、убить殺す、ударить殴る、уронитьなくす、などの瞬間動作動詞(瞬時の移行・変化を示す動詞)を含む否定的結果の意味がある動詞は語義的に場独立型であり、完了体が出やすいという事が言える。2-2-6項参照。
5-1-1 促し(着手、切迫感、焦燥感) → 不完了体動詞命令形
不完了体というのは話し手にとって、動作事実の有無の確認、つまり、頼み、助言、命令などの付属的なニュアンスのない動作そのものを示すわけだから、命令法においても、すでに状況設定(心理的な踏み台)が出来上がっている場合、あとは動作を促すだけであるので不完了体命令形が用いられる。それは2-1-6-1項のみなし反復の一種とも言える。促しпобуждение к действию(着手приступ к действию)といっても、不完了体の属性であるニュアンスのなさから発生するもので、自発的に(勝手に)促すのではなく、その場でその動作をすることがその状況下においては自然であるという認識が、聞き手や第三者にとってはともかく、話し手にはある場合である。その場の雰囲気によってなされる自然体である動作の要請、つまり相手の動作にきっかけを与えるための合図に使われ、勧誘的な意味合いを持つ。いわば、その場の空気を読む用法だと考えてもよく、不完了体は場依存型であるといえる。動作することを特にイメージしない、その状況では他に動作の可能性がないという事で、純粋に動作自体を意味する不完了体が用いられるのだとも言える。
完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できないことから、完了体には叙想的(主観的)ニュアンスが出てくる。そのため明日とか2時にとか、動作への促しと発話時点を結びつかないような時の状況語がある場合は、完了体動詞命令形が用いられる。ただこのような状況語がない時は、発話の時点ではないとはいえ、一瞬後以降の未来の動作を示すので、促しの用法と見分けにくいことがあるが、完了体命令形は新規の具体的1回の動作に用いられると考えればよい。
着手という用法は動作の完遂をイメージしない、完遂であれば、完了体の命令形を使えばよい。そのため着手の用法では、始発(начать/начинать, отправлиться/отправлятьсяなど)、継続(продолжать)、終了(кончить/кончать)を意味する動詞の後では、不完了体不定形を取ることになる。
動作の継続を前提したときは不完了体命令形が用いられ、その他にも今すぐといった発話の時点での動作の着手のときは、切迫という用法という事で、不完了体動詞命令形を使うと考えてもよい。この切迫という用法にしても、暗黙かそうでないかは別にして、切迫となるような前提条件があるわけで、その前提があるということ自体がみなし反復となり、不完了体が用いられるということである。切迫に不完了体が用いられるのは6-1-4項の動作の着手の説明も参考にされたい。
この促しの用法は、かけっこのときのよーいドンや、試験の時の試験官の「始め」の合図のようなものだと考えると分かりやすい。話し手は合図をするだけであり、動作をするかしないのかは聞き手次第と考えているから、促しは任意の時間軸の特定かつ不動の一点における動作ということになる。この用法では聞き手はその一点をなんとなくイメージしているが、話し手は完了体のようにその一点を明確にイメージしているわけではない。促しの用法と関連のある5-1-2項の勧誘の用法では、動作が行われるのが任意であるということがより明確である。
(始め!〔続行!〕)Начинайте! (Продолжайте!) <начинать, продолжатьは、新しい事態や情報が出て来る場合や予想外の状況とか、話題の転換を除き、不完了体動詞命令形で使う事が多い>
(おかけ下さい)Садитесь!
●第159回
第5章 命令法
命令法の体の使い分けは不定法と非常によく似ている。命令法では過去や厳密な意味での現在の時制は示せず、また示す必要性もない。なぜなら過去や現在の動作はすでに起こったか、起こりつつあり、命令する意味がないからである。もし過去や現在の時制を命令法で示すとしたら、起こった、ないしは起こりつつある動作とは反対の、つまり起こらなかったり、起こっていない動作を示す事になる。それは仮定法過去の過去と現在の時制ということになる。命令法は時制的には未来であり、多くの場合近接未来に属する。ただ遂行動詞(3-1-4-3項末尾参照)的な用法(お詫びします)Извините.もある。
(トイレはどこか教えていただけませんか) Вы не скажете, где туалет?
上の文は丁寧なお願いであり、普通に言えば、Скажите, пожалуйста, где туалет?となり、ここから命令法はこれからの動作ゆえに未来の時制を示すことが分かる。完了体命令形は近接未来(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)が多いが、遠い未来も動作の結果を踏まえて表現できる。完了体は回りの状況に左右されないので、聞き手の感情にも左右されないという超然的なニュアンスがある。不完了体は回りの状況に依存するので、願い事、説得、主張、反抗的態度、脅しなどの感情的な色彩をもつことがある。Продолжайте.(〔そのまま〕続けなさい)やОставайтесь.(〔そのまま〕残っていなさい)というように、現在の状態のまま動作をつけるという命令も、そのままにせよという指示は一瞬後であり、ほぼ現在と言える動作事実の有無の確認、近接未来の反復や状態の動作を命令する。つまり、命令法では不完了体も完了体も時制的に言えば、早くて一瞬後とはいえ、これからの動作だから、未来の時制との関わりが強いと言えるため、未来の時制の体の用法が大いに参考になる。5-2-4項などその典型だろう。8-13項の一人称複数、9-12-1項の三人称や一人称単数の命令法も同様な解釈ができる。
命令法では一般的に二人称の主語をつけないが、тыやвыをつけると、命令、助言、鼓舞などに断固たる調子を加味することになる。
(どんどんお尋ねください)А вы спрашивайте.
5-1 命令法における不完了体の用法
動作の全一性というのは完了体の特質とされるが、不完了体にも現れる場合がある。特に強く現れるのが次項で説明する命令法の促しや着手の用法である。完了体は話し手が動作遂行の結果として、時間軸の特定かつ不動の一点をイメージするのだが、不完了体におけるこの点は全体を一つの大きな点として見立てたものであり、不動の無限小の一点ではない。完了体の動作の全一性には動作の結果を包含しているが、不完了体は動作の結果を意識しないから、全一的動作を提示ないしは示唆していることになる。いわば動作に主観性を与えず、聞き手にその動作を行うかどうかの選択の余地があることを示しており、この状況下ではこうするのが自然であると言っているに過ぎない。ただこの状況下ではこの動作ということを強調すれば、義務や強制というニュアンスが出てくるが、これは何色にでも染まる不完了体の特性であり、それは飽くまでも文脈に依るのである。
不完了体が場依存型で、完了体が場独立型だと何度か説明したが、これは不完了体が聞き手にとって恣意的動作であり、完了体は話し手にとって恣意的な動作であることを示しており、それが語義からも分かる場合がある。部屋に人を招いて、ソファーがあれば、「おかけ下さいСадитесь.<不完了体動詞命令形>」というのは雰囲気的に自然で、これこそ場依存型の典型みたいなものだが、部屋に花瓶があっても、「花瓶を割りなさい」
●第158回
(逃げたら撃て)А побежит – стреляй!
(渡していただけないと、後悔なさることになりますよ)Не дадите – будете жалеть.
(そういう場合になったら考える)Будет случай, посмотрю.
この用法は並立接続詞иの用法から発達した可能性がある。しかも主語を二人称以外(一人称でも三人称でもよい)において、条件法や仮定法(ありそうもないか、事実とは異なる場合を仮定すること)の意味を示すこともできる。命令法の5-2-8項も参照願う。
(時が至れば、みなさんは私たちと同じ立場に立つと私は信じるのみです)Я только верю: наступит время – и вы станете на наше место!
(くれるものはもらっておけ、殴られるなら逃げろ)Дают – бери, бьют – беги. <先行詞が不完了体だが、これは規則的反復の意味>
4-2-7 譲歩
譲歩というのは「仮に~したとしても」ということだから、例示的的用法と発想は同じである。そのため譲歩の意味をもつ従属節には完了体動詞未来形を使う。
(俺が何を言おうと、彼はしてくれる)Он делает, что ни скажу.
(誰が見ても驚くよ)Кто ни увидит, удивится.
4-2-8 未来の継続
未来のある時点からある時点までの継続を完了体未来形で示す事ができる。
(明日から彼にもう一つ罠を仕掛けよう)С завтрашнего дня я поставлю ему ещё одну ловушку. <未来における結果の存続の用法とも言える>
●第157回
行する文に対する挿入状況語>
(この政治家二人、マクナマラもラスクも非凡な人たちであるという事をここで指摘しておく)Отмечу здесь, что оба эти деятеля – Макнамара и Раск – люди незаурядные. <先行する文に対する補足説明>
同じ挿入句でも遂行動詞(不完了体動詞現在形)が使われるものがある。ドストエフスキーの作家の日記で亡き兄の人柄を紹介するくだりで、
(もし亡き帝の意思により全員が釈放されなかったら、2カ月後に釈放されたものの多くが必ずそれ(流刑)の憂き目に遭っていたろう〔と自信を持って言えるが〕)И многим из освобождённых через два месяца подверглись бы ей (ссылке) непременно (говорю утвердительно), если б не были все освобождены по воле покойного государя ...
という文の、挿入状況語говорю утвердительноである。この作品には、他にもповторяю(繰り返すが)、тут-то я вас и ловлю〔言葉尻をとらえて申し訳ありませんが(на слове, на словахが省略されていると思われる)〕という不完了体動詞現在形の挿入状況語が散見されるが、いずれも新規の動作ではなく、これらは遂行動詞である。говорить, повторятьにも次のように遂行動詞としての用法がある。
(分かるように言っているんだ)Я тебе русским языком говорю.
(私が馬鹿な事を言っているというの?)Глупости говорю?
(繰り返すが、つい先ごろ現れたこの活動家の定義をウーチン氏に対して私は決して関係づけているわけではない)Повторяю, это определение новейшего деятеля я положительно не отношу к г-ну Утину.
挿入状況語でも話題の転換であれば完了体動詞未来形を、話しの流れに沿ったものであれば、遂行動詞として不完了体動詞現在形が使えるものもあるという事になる。разумеется(もちろん)などの決まり文句のような挿入句が不完了体動詞現在形なのは、遂行動詞の名残なのかもしれない。ちなみに評価解釈型動詞は挿入句としては用いられない。露文和訳や露文解釈だけをする人にとっては、どうでもいいことかもしれないが、会話で和文露訳をせざるを得ない者にとっては、時制をどうするか、体の使い分けをどうするかは非常に重要な事柄だということを強調したい。
(公爵たちの家名が使われなくなりつつあるという事に気づく)Замечаем, что княжие имена выходят из употребления. <遂行動詞>
4-2-6 接続詞抜きでの条件法や仮定法への転用 → 完了体動詞未来形
平叙文を二つ並べるか、平叙文と命令文の組み合わせだけで主観的ニュアンスが加味されている時、つまり動詞が文の焦点となっている時には、条件法や仮定法という形式を取らなくとも、そのような意味が出てくる場合があり、その場合には完了体動詞未来形と完了体動詞未来形が並立して出て来る。これは法の転用とでも呼べそうな用法で、「~せよ、そうすれば~となる」という意味で使う。口語的用法であり、接続詞がないために、先の文が先行詞として完了体未来形となり、後の動詞が不完了体命令形(未来形)という場合もある。これはそういう状況下(文脈)ではそうなるという不完了体の場依存型の用法そのものである。
(レーゲンスブルグという町に行けば、橋の上で幸せが見つかる)В город Регенсбург пойдёшь, счастье на мосту найдёшь.
(そのときはそのとき)Поживём – увидим.
(集計したら連絡します)Подсчитаем – сообщим.
(連絡したら戻れ)Сообщишь – возвращайся.
●第156回
未来の時制において動詞бытьの未来形 + 被動形動詞過去短語尾は、動作主を明示したくない場合にも使える。動作主が示されていれば、動作そのものを示すが、示されていなければ、結果の存続から派生して、動作ではなく、質的状態の意味を持つ。過程を無視して結果を重視するときにこの用法を使う。完了体動詞未来形と不定人称文を組み合わせても同様な効果が出せるが、そうなると主観的なニュアンスが出てくるので、契約など客観性を重視する場合には不適切である。そのため契約文、技術説明書等では被動形動詞過去短語尾が、未来の時制で多用されることになる。
(請負業者は全てに必要な取扱説明書を作成し、発注者に引き渡す)Подрядчиком будут разработаны и переданы заказчику все необходимые ннструкции по эксплуатации. <動作主があるために未来の時制での動作を示すとともに、二つの文の主語を一つにまとめるということと、順次的な用法として被動形動詞過去短語尾が未来の時制で使われている>
(ご要望は設計書類作成のときに考慮します)Ваша просьба будет учтена при разработке технического проекта.
(〔これから〕家宅捜査を行います)Будет произведён обыск. <実際に家宅捜索をする際の通告で、これから動作が終わりまで遂行されるという事を意味している>
(スペアパーツの件はどう片をつけますか?)Как будет решён вопрос с запасными частями? <焦点は問題を解決済みにすること、ないしはその程度(完全に片をつけるのか、ほどほどでいいのかとか)にある。これを次の文のように不完了体動詞未来形にすると、文の焦点はКак(どのように)に来ることになる>
(下請けの人に住居を確保する件は、どのように片をつけますか?)Как будет решаться вопрос обеспечения персонала Подрядчика жильём?
次の文のように期間や未来のある動作の起点からの継続(期間)を示すことも出来る。
(高圧線の建設は8カ月後に終了します)Строительство линии высоковольтной передачи будет завершено через 8 месяцев.
(タグボートの提供は午前8時から再開されます)Предоставление буксиров будет возобновлено с 8 часов утра.
4-2-5-2 補足事項の説明や挿入
補足事項の説明や挿入というのも、話題の転換や場面の切り替えであれば、主観的な動作であると言えるため、完了体動詞未来形が用いられる。замечатьは遂行動詞であるが、スピーチや論文の中で、補足説明として挿入するような形で入る場合には、完了体のзаметитьを使う。
(ついでに言うと、スタルゴーロドでのイーリフとペトローフによる路面電車生産の描写は、その5年後に現れたのである)Попутно заметим, что описание пуска трамвая в Старгороде, сделанное И. Ильфом и Е. Петровым, появилось пять лет спустя.
これは補足事項の説明や挿入状況語という事自体が、著者や話し手が直接顔を出すような表現、いわば主観的発想であるため、完了体動詞未来形が用いられる。不完了体動詞現在形を用いる遂行動詞と、完了体動詞未来形を用いるこのような補足事項の説明の用法の違いというのは、補足事項の説明をする動詞や挿入状況語である動詞句は、その性質上、先行する文の後で使われ、遂行動詞は従属文に対する主文のほうにあり、従属文の関する何らかの動作を終えるということを示している。
(客観性を期するために述べておく)Объективности ради отмечу. <先
●第155回
(どう思う?この季節にどこで花を手に入れられるというのだ?)Как ты думаешь, где в это время года достанешь цветы? <= Где можно достать цветы?>
(誰が助けてくれるというのだ?誰もね)Кто поможет? - Никто.
お分かりのように、これは反語法であり、否定の強調という意味の完了体未来形となる。疑問文というのは、単に動作事実の有無の確認をするのであれば、不完了体が来るし、完了体過去形であれば、なんらかの主観的要素の入った文となる。「彼に電話してくれましたか?」をロシア語にすると完了体でも不完了体でも可能だが、ニュアンスの差は歴然である。
Вы ему позвонили? <電話することを期待していたというニュアンスで、これが主観的要素となる>
Вы ему звонили? <動作事実の有無の確認>
ところが、完了体未来形で例示的用法を疑問文にすると、当然主観が入ってくるわけで、単なる疑問というよりは、すでに話し手の何らかの結論が出た反語法と成らざるを得ない。つまり虚心坦懐な疑問は動作事実の有無の確認ということで不完了体の領域ということになる。
4-2-4 未来の時制における往復(行って来る)
過去における往復ということであれば、不定動詞や接頭辞のついた運動の動詞の不完了体приезжать/приходить(2-1-3項参照)などが使える。
(朝市場に走って行って来たわ)Утром на рынок бегала.
これからの往復動作ということなら、接頭辞с-のついた完了体動詞сбегать(口語)、сводить (свести)〔連れて行って戻ってくる〕、свозить (свезти)〔乗り物で運んで戻ってくる〕、сгонять(俗語)、скатать、слетать(俗語)、смахать(俗語)、смотаться(俗語)、сносить(歩いて運んで戻る)、сплавать(泳いで)、сползать(這って)、сходить(歩いて)、съездить(車で)を使う。сбегать, сгонять, скатать, слетать, смахать, смотатьсяはすべて「走って(または乗り物で)取ってくる」という意味だが、「ひとっ走りして戻る」という感じである。これらの動詞は運動の動詞などと違って、過去の時制でも不定法でも使える。
(ちょっとお待ちください。お金を取りにひとっ走り行って来ますから)Подождите меня, я сбегаю за деньгами.
この他にも不定動詞の未来形も使えるが、これだと「すぐに行く」というようなニュアンスはない。
(タクシーの金がないなら、バスで行って来よう)Раз нет денег на такси, будем ездить на автобусе. <文の焦点は行くという動作ではなく、交通手段にある>
しかし、時間が限定されると、不完了体は使えない。
(彼は10分で新聞を取りに行って来た)Он сходил за газетой за 10 минут.
4-2-5 未来の時制における被動形動詞過去短語尾
4-2-5-1 未来の時制における被動形動詞過去短語尾の用法
●第154回
起こるときにも4-2-2項の順次的用法ということで完了体動詞未来形を使う。二つ、ないしはそれ以上の動詞を用いることにより、動作の完了という主観的ニュアンスが出てくる。
これは厳密な時制的には未来であるが、3-2-4項にもあるように、広い意味での現在の時制と言える。例示的意味は本来過去形の動詞とは無縁で、不定法と完了体動詞未来形に広く現れる。この用法は起源的には歴史的現在(2-1-8-3項参照)であり、2-1-11項で示したように、過去の時制で使う時も完了体動詞未来形を用いる。そのため例示的用法は超時間的性格を帯びているとも言える。
(何かあったら、いつでもお手伝いします)Если что, всегда вам помогу. <未来の定期的反復である(〔これから〕毎日彼女は彼を手伝うようになる)Каждый день она будет ему помогать.と比較してみるとよい>
(着いたら分かる)Доедем – разберёмся
(時が来れば、彼も感謝するよ)Придёт время, и он будет благодарить нас.
(会議が終わったら、すぐ家に帰るよ)Совещание кончится, и я сразу домой. <順次的用法のニュアンスもある>
(私は金で全てを買うさ、どんな敬意も、どんな武勲も、どんな人をも、それでどんな罪からも逃れられる)Деньгами всё куплю, всякую почесть, всякую доблесть, всякого подкуплю и от всякого откуплюсь. <金があればという例示的意味から可能性のニュアンスが出てくる>
この用法で人の性質や能力を示す事ができる。
(彼はどんな荷物でも持ちあげられる)Он поднимет любой груз.
(ヴィークトルはきちんとした人だ。絶対に遅れないし、いつも時間に間に合う)Виктор человек точный: никогда не опоздает, всё вовремя успеет.
пока не + 完了体動詞未来形で、「~するまで」という構文に完了体動詞未来形を使うのも、いつ~するかが分からないという例示的用法だからである。
(呼ぶまで来るな)Не ходи ко мне, пока не позову.
例示的用法は仮想的可能性を提示するという意味で、仮定法の未来時制の用法と非常に近い用法である。仮定法は過去や現在の事実に反する仮定を示すが、未来では条件法と意味はほとんど変わらない。未来は予定などを除き、一般的に未確定の事柄に属するからだろう。ただ仮定法未来時制の方が、万が一という話し手の動作の実現に対する疑いのニュアンスが出る。
(我々がエルサレムにチェチェン人を招いたらプーチンは何と言うか興味がある)Интересно, что сказал бы Путин, если бы мы пригласили в Иерусалим чеченцев?
例示的用法を否定文で用いれば、3-2-2項の否定の強調や3-2-3項の不可能という用法につながる。その例文を次に挙げる。
(安全ベルトを締めないと、罰金を払うことになる)Не наденешь ремень безопасности - заплатишь штраф.
(渋滞にはまらなかったら、すぐに行くよ)Скоро приеду, если в пробках не застряну. <動作が順次的に行われていることを示す完了体の用法でもある。не застрянуは、これから渋滞にはまらなかったらという、例示的用法である>
例示的用法で否定文は否定の強調(3-2-2項)となるが、疑問文はその主観性から反語法となり、これも否定の強調とならざるを得ない。
●第153回
下記の文のように、動詞が一つでも、иがあることにより、意味的に動作が順々と素早く行われる場合を示す事ができる。
(たった数秒で検索がお続けになれます)Всего несколько секунд – и вы сможете продолжить поиск.
未来の時制の順次的用法で使われるеслиには、если нет, то нет.(なければない)というニュアンスがある。次の文では、「頼まれなければ行かない」ということが含意されている。
(頼まれれば行くよ)Если попросишь, приду.
4-2-3 例示的用法 → 完了体動詞未来形
完了体動詞未来形は未来において具体的な1回の動作が遂行することを意味するが、直近であれば、これからすぐということで、4-2-1項の用法である。それ以外では、時の状況語がない限り、動作がいつ起こるかどうかは不明なわけだが、動作が起これば主観的に判断して遂行するという事で、それが潜在的(仮想的)な可能性потенциальность(予測不能性)を生むことになる。これを例示的意味наглядно-примерное значениеの用法と呼ぶ。全一的な動作が起こるのであれば演繹的に時間軸の不動の一点があるはずだという考え方である。過去の時制で例示的用法が使われるときも、この予測不能性を形式として示すために、完了体動詞過去形ではなく、完了体動詞未来形が使われるのだと思われる。完了体動詞過去形を使えば、動作が既に遂行された(確述、確言)というイメージになってしまうからであろう。完了体過去形の時制の転用(9-1-1項)にも確述のニュアンスがある。未来は過去と違って、完遂的用法にせよ、確実に動作の起こるということが保証されないということを意味する。
例示的用法が過去の時制で用いられると、起こったり、起こらなかったりという不定期の動作、つまり偶発的な動作の出現を意味することになる。不定法(6-2-6項)にもこの用法がある。
この用法は「ふだんはしないが、何かあれば(やろうと思えば)~する」という予測不能性の提示、偶発的(散発的)反復потенциально возможная повторяемостьの動作を示す。偶発的というのは、主観的に判断して、ある条件がそろえば起こる、そろわなければ起こらないという意味であり、定期的であるとか、話し手が日常的に何度も起こり得ると見なす反復動作を扱う不完了体動詞現在形の規則的反復とは異なる。そういう意味で、例示的用法には具体的な文脈が必要であり、潜在的可能性の提示という事から完了体の持つ主観的ニュアンスが出るので、平板な不完了体の規則的反復・習慣と違い、生き生きとした表現になる。偶発的といっても、とりあえず、最初の具体的な動作がイメージとしてあるわけで、初めから動作が繰り返されるということをイメージしているわけではないのが不完了体との違いである。つまり無意識な、理性で制御できないような人の性癖などは不完了体の扱いであり、例示的用法では扱わないということになる。具体性を強調するために、一つの動作を代表に見立て、例として反復を示すというのが例示的用法である。そのため不定人称文など、主語が不定の意味の複数のときに例示的用法が用いられることはなく、不定人称文や命令形の代わりに、例示的用法には完了体未来形を使った普遍人称文を活用すべきである。例示的用法でよく使われる状況語は、бывает(よくする)、бывало(よくしたものだ)、в любой момент(いつでも)、всегда(いつでも)、иногда(時折)、иной раз(時々)、нередко(しばしば)、случается(よくある)、случалось(よくあった)などである。3-2-4項参照。
不完了体動詞未来形の用法では、話し手が時間の遅速はともかく動作が起こると見なしているわけで、この用法との差が分かる。次々と動作が
●第152回
例示的用法を否定文で用いれば、3-2-2項の否定の強調や3-2-3項の不可能という用法につながる。その例文を次に挙げる。例示的用法は条件節などの従属節で用いられことが分かる。
(ヴィークトルはきちんとした人だ。絶対に遅れないし、いつも時間に間に合う)Виктор человек точный: никогда не опоздает, всё вовремя успеет. <例示的用法の否定版で、完了体未来形は理由を示す従属節で用いられている>
(安全ベルトを締めないと、罰金を払うことになる)Не наденешь ремень безопасности - заплатишь штраф.
(渋滞にはまらなかったら、すぐに行くよ)Скоро приеду, если в пробках не застряну. <動作が順次的に行われていることを示す完了体の用法でもある。не застрянуは、これから渋滞にはまらなかったらという、例示的用法である>
点未来(完遂的用法)の否定版では、完了体動詞未来形は具体的な1回の動作がない事を示し、不完了体動詞現在形(予定の用法)はそういう予定がないことを示しているだけで、実質的な意味に変わりはない。不完了体は厳密な意味で完了体が使えない現在の時制を除けば、本質的に具体的な1回の動作は扱わないので、具体的な1回の動作の時に不完了体未来形は使えない。
(彼はロンドンに行かない)Он не уедет в Лондон.
(彼はロンドンに行く予定はない)Он не едет в Лондон.
この用法を否定文で用いると、文脈によっては、未来の一つの時点における動作が行われないか、あるいはその一つの時点を近接未来ととらえると、広い意味での今の時点での動作の否定(否定の強調3-2-2項)となる。否定の強調を現在の時制で扱い、点未来(完遂的用法)を未来の時制で扱っているのは、日本語が動詞の活用という事では現在と未来を区別しないということと、完了体動詞未来形は今現在この一瞬ではない、広い意味の現在(一瞬以降である近接未来)を含む未来を扱うからである。
完了体未来形というのは一瞬後か、かなり後かは別にして未来に動作が起こり、これを否定するわけだから、現在の状態を示すことはできないことになる。そのため現在の状態を示すのであれば、被動形動詞過去短語尾の否定を現在の時制で使わざるを得ない。これなら完了体だから具体性を示すことができるわけである。状態であれば、状態動詞の否定も可能性としてはあり得るが、その動作を否定しても、不完了体だから、慣用(一般性)という概念が邪魔をして、個別の具体的な事柄は表現できないと思われる。
完遂の意味を強調すると「必ず~する」という意味になるが、その場合でもне преминуть + 完了体不定形と完了体不定形が来る。
(必ず報告する)Я не премину сообщить.
4-2-2 順次的用法 → 完了体動詞未来形
二つ以上の動作がそれぞれ完了体動詞未来形で示されるときに、継時的にあまり間をおかずに次々起こる動作を示す用法で、動作の焦点が次々に移動することになる。この場合、次の動作は最初の(あるいは前の)動作が完了した後でのみ成立可能となるので、共に完了体を使うという論理である。2-2-1-4項参照のこと。
(下に降りて、角まで行き、左に曲がってください)Вы спуститесь вниз, дойдёте до угла и повернёте налево.
(僕が着いたら、話しをしよう)Приеду – поговорим.
●第151回
Завтра он прочитает эту книгу.の訳を「明日彼はこの本を読み終わるだろう」と「だろう」を入れて訳すとすれば、これは上のような考え方からだということは理解できるが、「だろう」は国語辞典を引いても、「推測の意味」であるので、これを避ける工夫が必要である。主語が三人称だから、意志・欲求の「~う」は使えない。それに、このпрочитаетは未来の動作の確実性を意味している。だからそれに相当する日本語の動詞表現である「~る」を使えばよい。「読み終える」は動作動詞であり、ル形は未来だけを示すから、「明日彼はこの本を読み終える」とすれば正しい日本語という事になる。
例示的用法と遂行の関係について述べると、完了体動詞未来形には例示的用法「(~であれば)~する」がつきものだが、点未来(完遂的用法)「(これから)~する」にもそのニュアンスが出る場合もある。未来というものは未定のものであり、ある意味、条件法と表裏一体であると言える。つまり、不完了体動詞現在形の予定の用法や不完了体動詞未来形には例示的ニュアンスがないことになる。ただ完了体動詞未来形は未来の時制の規則的反復には使えない。
(警察がいなくなれば、奴らは戻って来る)Они вернутся, когда полиция уедет.
4-2-1-4 点未来(完遂的用法)と否定
「~するつもりはない」という意向の否定版を示すために意味的に一番明確なのは、4-1-3項の意向の動詞と否定詞の組み合わせ、つまりне собираться (намерен, думать, планировать)を用いることである。これだと今後一切かような動作はしないという反復の否定版も、具体的な1回の動作の意向の否定版も示す事ができる。一方、4-1-1-6項の動作事実の無の確認は反復の否定版(ゼロの反復、つまり未来の時制における一切の動作の否定)だけである。完了体未来形の否定で意向の否定版を示す事ができるのは、始発の動詞だけであり、動作の始発自体を否定することから意向の否定となり、しかも、それは具体的な1回の動作の否定版である。それ以外の完了体動詞では例示的反復の否定版ということから、完遂の否定版や動作の強調の意味になってしまう。
(自分の立場を法廷で変えるつもりはない)Свою позицию на суде я менять не собираюсь. <≒ менять не буду(動作事実の無の確認)>
(僕はそこには行かない)Я туда не пойду. <始発の動詞>
主観的ニュアンスなしに動詞本来の生の動作だけを意味するのが不完了体であり、これ否定すると今後一切かような動作は行わないという、未来におけるあらゆる時点で反復される動作も否定することになり、完了体動詞未来形の点未来(完遂的用法)〔具体的な1回の動作の完遂〕の否定版と言える用法4-2-1項と対立する。また不完了体未来形が否定文で用いられるのであるから、これこそ動作事実の無の確認の用法でもある。
(彼はロンドンに行かない)Он не уедет в Лондон. <1回の具体的動作の完遂の否定版>
(許して下さい、二度としませんから)Простите (Извините) меня, я никогда больше не буду так делать. <今後複数回の動作の否定、ここから動作事実の無の確認となる>
(今〔ここで〕お別れをして、もうお会いすることはありません)Сейчас мы с вами попрощаемся и больше не увидимся. <1回の具体的動作の完遂の否定版であり、否定の強調でもある。большеのおかげで例示的反復の否定版であることが明確となり、不完了体未来形の否定の動作事実の無の確認に文意が近くなる>
●第150回
4-2-1-2 点未来(完遂的用法)と疑問詞
疑問詞と動詞が組み合わされる場合は、疑問詞が文の焦点に来る場合が多いため、不完了体動詞未来形が使われがちである。疑問詞と完了体動詞未来形が共に使われる場合というのは、次のような場合である。
(このような状況が起こったら、だれが費用を払ってくれるのですか?)А кто оплатит расходы, если такая ситуация возникнет?
上記の文では、一番の問題は「誰が」ではなく、「払ってくれるか」という動作そのものが問題であることが分かる。払ってくれないかもしれないという懸念と、誰も払ってくれないという反語的ニュアンスが、完了体動詞未来形により感じ取れるのである。これはеслиの節に「もしそういう事態があるとしたら」という意味の完了体動詞未来形の例示的用法(4-2-3項参照)が来ていることからも分かる。このように動作自体が問題であれば、完了体動詞未来形が来る。露文解釈で見る分には割合簡単に推測できるが、自分が会話で即座に和文露訳するとなると、常に自分たち(通訳する相手の)の利害(人命や、特に金銭、損得)に関わるかどうかを常に念頭に置いて、そうであれば動作そのものに文の焦点が来る可能性が高いので、完了体動詞未来形を使うというふうに理解し、利害に関係しないなら不完了体が来るというのでもよい。
4-2-1-3 点未来(完遂的用法)の特徴
完了体動詞未来形が使われるのは、完了体が主観的ニュアンスを伴うものであるということから、予定というものを初めから考慮しない場合であり、それはわざと予定を無視するということではない。予定という観念自体がそもそも念頭にないのである。完了体動詞未来形は未来に起こることへの確信を示すとともに、その場の、ないしはこれまでの雰囲気とは違う新しい話題を提示するという主観的ニュアンスがある。完了体動詞未来形は推測ではなく、話し手にとって確度の高い未来の動作を示す。
(彼は1年後モスクワに行く)Он уедет в Москву через год.
上記の文は「行く」であって、「行くだろう」ではない。推測なら、видимо, по-видимому, кажетсяなどをつければいい。
(雨になるだろう)Видимо, будет дождь.
(もうすぐ晴れるでしょう)Видимо, скоро прояснится.
(我らは別の道を行く)Мы пойдём другим путём.
上記の文はレーニンの有名な言葉だが、これなどは完了体動詞未来形の用法が非常に分かりやすいものである。これを<我らは別の道を行くでしょう>では語訳であり、しかも訳文が原文のもつ迫力に欠けると言わざるを得ない。
『ベーシック日本語教育』(佐々木泰子、ひつじ書房、2007年)の中に〔感情・感覚を示す「悲しい」、「痛い」、「感じる」、意志・欲求を示す「つもりだ」、「~う/よう」、「~たい」、精神作用を示す「思う」、「考える」は主語が一人称のときだけ用いられる。二人称の時は、「~か」(問いかけ)、「ね」などの終助詞を添える。三人称のときは、「~かもしれない」、「~に違いない」、「~のだ」、「~らしい」、「~のようだ」、「~だろう」という推測・判断の表現形式を添える。例外は引用の形式にするか、小説などの感情移入である〕とある。
●第149回
が、現在から切れていると主観的に判断するときに、完了体動詞未来形が使われるのである。
(それでは勉強に取りかかりましょう)Теперь начнём заниматься.
完了体は主観的ということから、点過去のように、過去の時制では完了体は過去の時間軸の特定かつ不動の一点(到達点)での動作をイメージする。それに対比して考えれば、完了体動詞未来形というのは、同じく未来の一点への到達に関する動作を扱うと言える。その際その一点が意識にありさえすれば、具体的に明示されるかどうかは問題ではない。文脈に明示されていなければ、今すぐ動作が起こるというニュアンスがあり、主語が一人称であれば決意や意志を、二人称や三人称では推量を強く示す場合が多い。一方不完了体動詞未来形は未来における動作事実の有無を示す事に主体があり、いつ動作が行われるかは二の次ということになる。これによって未来における時の一点を示す具体的な状況語があれば、完了体動詞未来形を使うのが自然だという事が分かる。
日本語の時制は過去と非過去(現在、未来)が対立する。時制から見て日本語の動詞を状態動詞と動作動詞に分けると、状態動詞は、「~ている」の方を取らずに現在の状態を表す動詞で、「いる、見える、思う」などであり、「今家にいる」、「明日もここにいる」のように、ル形で現在と未来を示す。動作動詞というのは、「話す、行く、歌う」などの動きを表す動詞で、ル形が未来の動作や現在の習慣的な事実を示し、現在の一時的動作はテイル形を用いて示す。文脈にもよるが、動作動詞のル形を完了体動詞未来形で訳せることも多い。「~するはずである」という構文も完了体動詞未来形か、должен + 完了体動詞不定形で露訳できる。
4-2-1-1 点未来(完遂的用法)が用いられる動詞
これには完了体動詞未来形(これを完了体現在形とか、完了体現在未来形と呼ぶ学者もいる)を用いる。過程、持続性を考えないような単一の動作を未来の時制で行う場合は、叙想的ニュアンス(主観的なもので、懸念、期待、動作の完了、新しい事態や情報が出てくる場合、否定文では不可能、否定の強調など)を含んでいれば、完了体動詞未来形が使われる。これらの主観的ニュアンスも動詞や文脈によって現れ方も様々である。無論、гулять(散歩する)、жить(生きる)、играть(遊ぶ)、пить(飲む)、читать(読む)などの無接頭辞単純動詞は例外であり、бытьの未来形と組み合わせて、自由に未来の時制で使われる。また、予定というニュアンスが強く出るのなら、不完了体動詞現在形で予定の意味に使えるものがあれば、それを使えばよい。
(彼は今によくなりますよ)Теперь он выздоровеет. <病気の快癒>
(どこか他のパーツの損傷が重大な危険をもたらしますか?)Приведёт ли повреждения какой-инбудь другой части к серьёзной опасности? <複合動詞(8-3項参照)であるのに完了体動詞未来形が用いられているのは、危害をもたらすという動作が起こるかどうかを問題にしているからである。人命や損得(金銭)に関わる動詞は、世の中の最大の関心事なので文の焦点になるのが当然であり、それゆえ完了体が来ることが多い>
不完了体動詞現在形の予定の用法と完了体動詞未来形の点未来(完遂的用法)の差を見てみると、完了体が近接未来を示している場合は、ニュアンスはともかく、意味はほとんど変わらない。
(彼はロンドンに行く)Он уедет в Лондон. <具体的1回行為の未来における遂行>
(彼はロンドンに行くことになっている)Он едет в Лондон. <予定>
●第148回
まり、それが不定の時間続く(結果の存続)>
(その仕事を終わらせる)Я кончу работу. <その仕事が遂行されて、やることがなくなる(結果の存続)>
(〔終業時間なので〕仕事は終わりにします)Я буду кончать работу. <時間的に終わる区切りを指しているのであって、仕事自体は残る>
(行き先を地図で教えてあげましょう)Я вам покажу дорогу на карте.
一方、未来完了では具体的な未来の時の状況語をイメージする。未来完了においては未来において動作の結果が現れるが、それが発話の時点とは結びつかない。未来の時制における被動形動詞過去短語尾は、この未来完了の用法で用いられる完了体他動詞由来であり、近接未来完了では用いられない。
(彼は今日明日中に死ぬ)Он сегодня-завтра умрёт.
(彼は1年後モスクワに行く)Он уедет в Москву через год.
(日本は必ず復興する)Япония обязательно возродится! <漠然とした遠い未来であっても、動作が完遂すると話し手が考えている以上完了体未来形が用いられる>
(欠席ないし遅刻に対しては罰が下されることになる)За небытие или опоздание будет взыскан.
(差額は発注者によりそれに応じて払い戻しされることになる)Разница будет возмещена соответственно заказчиком.
完了体は刻々と動く動作のその瞬間を表現できないゆえに、完了体動詞未来形の完遂的用法は完了体の典型的用法と言える。具体的な1回の動作の達成(完遂)をイメージするということが、意識するかどうかにかかわらず、自動的に時間軸の不動の一点に動作を集束することになるからであり、それが、不完了体未来形が不定の動作を暗示することとの違いである。始発の動詞について言えば、動作の開始イコール動作の達成(完遂)ということになる。
(いくつかの看板は何とかもっているような状態だ。きっと通行人の頭に落ちるよ)Некоторые вывески еле держатся, - того гляди свалятся на голову прохожего.
完了体というのは主観的ニュアンスを帯び、考えてから動作に移るまでに、少なくとも一呼吸というか、一瞬はあるわけで、そのために今その時点のその瞬間を示す事ができないということになる。つまり完了体動詞未来形というのは、動作の開始に現在のこの瞬間を含まず、動作の終了は早くてその一瞬後以降である。つまり今ここでの具体的な1回の、実現する確度の高い主観的な未来の動作(一瞬後でも、1分後、1時間後でも、明日でも、1年後でも構わない)の達成に使われる用法である。その場の状況を考慮に入れず、いきなり使えるという点で、完了体の持ついわゆる場独立型の典型的な用法である。場依存型ではないので、何の前提もない出だし(話し始め)の文である始発文、話題の転換、場面の切り替えのときに使われるのが一般的である。この話題の転換や場面の切り替えというのは主観的な動作ゆえに、完了体未来形は話し手にとって恣意的動作ということになる。そのため話題の転換を示すтеперь, тогда(それでは、では)の後などは、完了体動詞未来形が出やすいと言える。新規の事柄を表現する場合、あるいは聞き手の意表を突くという場合には、完了体動詞未来形が出てくることになる。
不完了体動詞現在形の予定の用法との違いは、予定の用法が現在から未来への動作の連続というニュアンスがあるのに対して、完了体動詞未来形は未来の動作が一拍置いた感じであり、この一拍置くという感じは、あくまで感じであって、未来への動作が連続していないという認識と理解すればよい。完了体の機能は主観性にあるから、一瞬でも未来への動作
●第147回
場合もある。
(作業の指導はどのように〔今後〕行われるのですか?)Как будет осуществляться руководство строительством? <文の焦点はКакにあるから不完了体動詞未来形が用いられている>
(その施設の最終検収〔立ち会い試験〕は設計指標達成後に行われる)Окончательная приёмка объекта будет осуществляться после достижения им проектных показателей.
(全ての作業は労働安全要求事項に基づき〔これから〕行われる)Все работы будут выполняться в соответствии с требованиями техники безопасности.
(口銭はどのように支払われるのですか?)Как будут выплачиваться комиссионные? <未来の規則的反復であることと、Как(どのように)に文の焦点が来ているため不完了体動詞未来形が来ている>
(テスト実施期限が近づくに伴い、そのような材料の明細〔リスト〕は貴社にお渡しいたします)По мере приближения сроков проведений испытаний будут вручаться вам ведомости таких материалов. <明確に過程・規則的反復を示しているので、これに被動形動詞過去短語尾は使えない>
4-2 未来の時制における完了体の用法
4-2-1 点未来(完遂的用法) → 完了体動詞未来形
完了体過去形には過去の時制において点過去があり、その派生として現在の時制には結果の存続という用法がある。ともに完遂的用法だが、完了体過去形という一つの形式に過去完了の完了と現在完了の完了という二つの用法があり、これを文脈により使い分けているということになる。完了体未来形の点未来(完遂的用法)には、未来において動作が完遂され、その結果がある期間存続するという結果の存続の用法が内在している。動作が遂行されるのが、近接未来ближайшее будущее(発話時点のすぐ後に続くか、発話時点と融合した未来)なら近接未来完了であり、発話の時点と隔たっている未来なら未来完了と二つの用法がある。近接未来完了における発話時点との融合は、動作の開始が発話時点(例えば今現在のこの一瞬後)であるとしても、動作の終了は早くて発話の一瞬後という未来の時制に起こり、動作遂行の結果を示す時間軸の特定、かつ無限小の不動の一点は未来にあるということを意味する。動作の終了が発話の早くて一瞬後であるため、今というような副詞を除き、具体的な時の状況語と共には使われないことが多い。また近接未来完了には動作結果表出の想定というニュアンスがあり、それは動作が始まって終わるという動作の全一性の後で、何らかの結果の存続(そこにそのままいるとか、結果の良否などの主観的ニュアンス)が発話の時点で想定されるという意味であり、完了体過去形の結果の存続や結果の評価と対比される。不完了体未来形は未来の時制の動作事実の有無の確認はするが、動作の完遂には言及しない。
(しばらく待ちます)Я пока подожду. <пока = некоторое время с настоящего моментаということで、今この瞬間から待つという動作が始
●第146回
(国家院にはこれからたびたび来られることになりますか?)Вы часто будете приходить в Думу?
(〔これから〕レート表を全ての当行のコルレス銀行に毎月送付します)Мы будем ежемесячно рассылать наш курсовой бюллетень всем нашим корреспондентам.
(私はここにときたま来ることになるよ)Я буду здесь иногда бывать.
(泣き騒げば、殴るぞ)Будешь реветь - буду бить.
(死ぬほどペテルブルグを離れたくないということは分かる。いずれにせよ、便の合間にここに来ることになるんだぜ)Я же вижу, что тебе до смерти не хочется покидать Питер. А так между рейсами будешь бывать здесь.
「~できる」という意味のмочьは未来の時制では使えないし、смочь「~できるようになる」は規則的反復を示せないので、бытьの未来形 + в состоянии + 不完了体動詞不定形「~できるようになっている」を使って、未来の時制での規則的反復や状態を示す事になる。またこの表現はмочьには副動詞がないので、будучи в состоянииと副動詞代わりにも使える。6-2-5-2項の例文も参照願う。
(手術がうまくいけば、少年は臭いもかげるし、鼻で息をすることができるようになる)Если операция пройдёт успешно, подросток будет в состоянии чувствовать запахи и дышать через нос.
4-1-5未来の時制の不定人称文
不完了体動詞未来形三人称を使っての不定人称文でも、動作主(不定の人であって、事物ではない)を明示しなくてすむ。用法的にはся動詞と同じだが、不定人称文は現在の時制では受け身の代わりとして広く用いられるのに対し、未来の時制での使用は、ся動詞に比べるとそれほど多くない。これは未来というものが基本的に不確定であるのに、ся動詞と違って、主語を明示しないという用法が不確定さを増すからだと思われる。9-4項参照。
(お迎え〔の方〕がいらっしゃいますか?)Вас будут встречать? <動作事実の有無の確認なので不完了体動詞未来形が来ている>
(わが市にも繊維コンビナートが建設される)В нашем городе будут строить текстильный комбинат.
4-1-6 ся動詞の不完了体動詞未来形の用法
ся動詞の不完了体動詞未来形も動作主を明示しない場合に使えるが、状態ではなく、動作やその過程のニュアンスが出てくるときや、動作の規則的反復や、文の焦点が動詞に来ない場合に用いる。この用法は日常会話ではあまり聞かないが、ビジネスなどの交渉ごとでは頻出する。なぜかというと、動作主を明示するという事は、責任(ビジネスで言えば金の支払)に直結するからである。一人称は当然のこと、二人称でも相手の責任をあからさまに云々するようなことは無作法とされているから、動作主を明示しない三人称が好まれるわけである。通訳を目指す人はこの用法と、それに関連して、受け身で使える複合動詞(8-3項参照)をマスターすることが望ましい。
ただ同じビジネス関係でも、プレゼンテーションの通訳となると、一人称複数であるмы(弊社、当社)を使って文を作るように勧められる。つまり肯定的な事、つまり自社をアピールすることなら、逆に動作主を明示する必要があるという事になる。またクレーム(損害賠償)の交渉でも、相手の非を明らかにし、自社の責任がないことや、あってもそれを軽減するという事で、一人称とニ人称の主語を明確に表現しなければならない
●第145回
この他、意向の意味で使える動詞群に含まれるのは、задумать/задумывать、замыслить/замышлять、иметь намерение、намылиться(俗語的用法)、подумывать、помыслить、 приготовиться/приготовляться、ладить(口語的)、предполагать(口語的)、расположиться/располагаться(廃用だが、19世紀の小説を読むには理解しておいた方がよい)、рассчитывать, склонён считатьがある。
(この原稿を出版するつもりはない)Я не предполагаю печатать эту рукопись.
この他に、不完了体動詞未来形による動作事実の有無の確認の用法で「~するつもりである」と似たようなニュアンスが出せる場合があるが、語義に経過の意味がなければならない。不完了体は一般的に動作の開始や終了を示す事ができないからである。
(明日のご予定は?)- Какие у вас планы на завтра?
(部屋の掃除でもします〔するつもりです〕)- Будем (Собираемся) убирать комнату? <動作事実の有無の確認と意向の動詞が意味的に近く感じられる用法>
(前からこの件について君と話しをするつもりでした)Я давно собирался поговорить с тобой об этом.
собираться, намерен, намереватьсяなどは、上のような不完了体動詞不定形も取れるし、叙想語だから、後に完了体動詞不定形を取って、具体的な1回の動作も示す事ができるというか、その方が自然である。ところが動作事実の有無の確認の用法での不完了体動詞未来形はそれができない。
(今日イワンのところにお立ち寄りになりますか)Вы будете заходить сегодня к Ивану? <заходитьはちょっとの期間ненадолго立ち寄るという意味で、動作の経過のニュアンスがある>
(今日奨学金をもらうのかい?)Сегодня ты будешь получать стипендию? <奨学金をもらうためには窓口などで手続きが要るので、それに時間がかかるという経過のニュアンスがある>
4-1-3-3 願望の意味の動詞群
願望の動詞も、意向の動詞も会話では意味が変わらないことが多い。
(何をお飲みになりますか?)Что вы хотите выпить?
このような用法では、一般的にхотеть + 完了体動詞不定形が文体的にニュートラルとされ、不完了体動詞未来形(бытьの未来形 + 不完了体)は口語的とされる。またサービス業の人が客に対しては、желать + 完了体動詞不定形を使うのが一般的で、これは商人的文体とされる。
(お昼はお部屋のほうにご注文なさいますか?)Желаете ли вы заказать обед в номер?
(ご朝食には何をお召し上がりになりますか?)Что вы желаете на завтрак?
(何をお召し上がりになりますか?)Что вы будете есть?
4-1-4 未来の規則的反復 → 不完了体動詞未来形
未来の規則的反復には不完了体動詞未来形が使われる。