2019年08月01日
●和文露訳要覧第494回
出題)「どちらかましな方を選ばざるを得ないものだ」をロシア語にせよ。
Нет выбора, кроме как выбрать лучшее.
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「まし」というのは「どちらかといえばまさっていること」と広辞苑にありますから、単に better ということではないと思います。私の答えは、
Выбор приходится делать между плохим и очень плохим.
Из двух зол надобно было выбрать меньшее.
Из двух зол избрать меньшее.
Избрать меньшее зло. Choose the lesser of two evils.
申し訳ありません。訂正版を送付させて頂きます。
1.Говорят, нам надо выбрать лучшее из них обоих.
2.Говорят, нам надо выбрать лучше – то или это.
宜しく御願い致します。
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то или этоとjは言わないでしょうし、говорятは不要です。、それ以外はブーちゃんさんと同じようですね。
よろしくお願いいたします。
Так принято, у вас нет выбора, кроме как выбирать тот, который не плохо.
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тотというのは、それだけで用いられるときは「人」を示します。それとнеплохо = хорошоですし、形容詞短語尾ならкоторыйとплохоが文法的に整合しません。
Приходится выбрать меньшее из двух зол.
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正解です。
Бывает, придётся выбрать то, что не хуже.
宜しくご指導下さい。
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быватьは多回体ですから、反復を示します。それに完了体未来形がつくというのはどうでしょう?それとне хуже = лучшеではないでしょうか?
Выбор приходиться делать между плохим и очень плохим.
よろしくお願いします。
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正解です。
Бывает такой случай, как придётся выбрать то, что меньше плохое.
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быватьという多回体とпридется выбратьという完了体が同時に来るのはおかしいと言わざるを得ません。反復であればслучайと単数が来るのはどうしてでしょう?
済みません。質問の中で、前置格 случае とすべきところを、不注意で対格 случай としたところがありました。送信した全文を以下で置き換えて下さるよう、お願いします。
ご指摘、ありがとうございます。結局、文法的な齟齬を無くすには
Бывают такие случаи, когда приходится выбрать то, что меньше плохое.
とすべきなのでしょうか。
ただ、疑問が残っておりまして、бывать は多回体と言いましても、研究社の辞書には単数での用例(無人称動詞としての用法もある)Это часто бывает. Бывает, конечно, и наоборот. Такой случай бывает лишь раз в жизни. があります。単数で使えるなら、В таком случае мне придётся уйти. のような意味で、完了体をつないでもいいのかな、と考えてしまっていました。例えば次のような使い方もおかしいのでしょうか。
В жизни каждого бывает случай, когда так хочется сбежать, уйти, забыть. . .
宜しくお願いします。
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確かに研究者の露和には単数として「そのようなことはせいぜい一生に一度位しかない」という例文が挙げられていますが、これは一人の人生にとっては一度ということであって、地球上には60億の人が住んでいることを考えると、人類全体にとってはよくあることだという多回体の用法と矛盾しません。つまり意味的に頻度の多いものなら、単数も使えるということであって、быватьが無条件に単数で用いられるということではありません。もっとも岩波の露和辞典にあるように、挿入句として、бываетは「ひょっとして」という意味で完了体と使われることはあります。最新のアカデミー版ではбыватьの項にслучаться (обычно неоднократно)とあります。
最後の例文の「逃げたい、忘れたい」というのは、一生で一回しか思わないのでしょうか?そういうことはあり得ないと思います。つまりそういう場合は複数回あると考えるのが自然です。この場合不定形が完了体であっても、動詞のхочетсяが不完了体なので場合を複数にすれば、多回体として何の矛盾も生じません。
ありがとうございます。そうしますと、次のように理解しましたが、これで宜しいでしょうか。
1つは、бывать を使うだけで勝手に多数回の意味が出てくるのではなく、その意味では
Приходится выбрать то, что меньше плохое.
が本体であるということ。
2つは、上文にбывать を付加する場合、初めから多数回を意識しているなら
Бывают такие случаи, когда приходится выбрать то, что меньше плохое.
が自然な用法であるということ。
3つは、文法的には
Бывает случай, когда приходится выбрать то, что меньше плохое.
も可能だが、それは不完了体 приходиться があるため結果的に бывают случаи と同じ意味になるという、いわばトリッキーな使い方である。
以上のように理解しました。
宜しくお願いします。
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そういうことではありません。быватьを使えば多回体になるということであり、形式的に単数であっても、意味的には多回的な意味になる(人の一生においては1回であっても、人間や人類という枠内では多回的になる)ものもあるということです。