2018年05月19日
●和文露訳要覧第357回
『和文露訳要覧』の下記を差し替えたので、ご参考までに挙げておく。
3-1-5-3 начинать の現在形の特殊用法
「リンゴやバナナ、牛乳などをジューサーで混ぜている」では、撹拌という過程を経て、結果としてミックスジュースが出来るのだが、「~という気がしてきている」では、ある考えがすでに頭の中に存在するということを意味する。不完了体のначинатьがдумать, считать, пониматьと結びついて、一人称ないしは意見の主体が主語に立つ時は、たんなる心の状態の始まり(意見の形成)を示すのではなく、前の意見の変更に関わる意志的な行為を示すとシノニムの辞典にはある。つまりначинаю думатьも、начинатьの後の不定形が過程(~と考え始めつつある)を示すというよりは、「もうすでにそういう考えに変わった」という結果の存続のニュアンスであり、そういう考えの確信が高まって行く過程を不完了体動詞現在形で示しているにすぎない。断片的な(部分から成る)意見というものは、それだけでは意味が不明であり、それを意見とは呼ばない。意見というのは一つのまとまりであって、ある意見が部分的に分かるというのはまさに一知半解ということになる。例えば、「シンプルなものはごまかせない」という化粧品のCMがあり、「シンプルなものはごまかせないと考え始める」と一見言えそうだが、考えるときに、「シンプルな」、「ものは」、「ごまかせない」と、歩いていて景色が変わるように我々の頭でとらえているわけではない。ロシア語のначинаю думать, что ...というのは「シンプルなものはごまかせない」で一つの考えであって、細切れの「シンプルな」とか「ものは」とか「ごまかせない」では考えとしての意味を成さない。考えというものは、あるいはある考えを考えるという事は、全一的であり、1/2の考えとか、1/3の考えというものはあり得ず、全てということになる。せいぜいのところ、その考えに対して確信を持ち始めるということだと思う。イメージと思考は別物であり、厳密な意味で、思考には過程というものはないと言えるのではないか。そういう意味で、この動詞のこの用法は、「~であると考える」という評価の意味も含まれているために、明らかに評価解釈型である。
(彼は見かけほど単純ではないという気がする)Я начинаю думать (считать), что он не так прост, как кажется.
(あなたたちがどんなに良い人たちかという事が、今になって分かる気がする)Только теперь я начинаю понимать, какие вы хорошие люди.
(また〔いつものやつが〕始まった)Ну, опять начинается. <同じ意味でОпять началось.や、口語で(ほら始まった)Ну, поехал.〔主語によって、поехала, -о, -иになる〕も使われることから、明らかに意味は結果の存続という事であり、動作(愚痴、自慢話など)がたった今始まったということが分かる。ついでにいうと、この「始まった」という日本語は過去形ではなく、確述という用法である>
(僕は今になってようやく生きているという実感がわいてくる)Я теперь только жить начинаю.
(今になってようやく生きているという実感がわき始めてきている)Я теперь только жить начинаю.
(おっしゃることが分かりかけてきています)Я начинаю вас понимать.
(あなたたちがどんなに良い人たちかという事が今になって分かる気がしてきている)Только теперь я начинаю понимать, какие вы хорошие люди. <「今になってようやく分かってきた気がする」>
(彼は見かけほど単純ではないような気がする)Я начинаю думать (считать), что он не так прост, как кажется.
(内乱や国内のあつれきがひどく気になりかけている)Я начинаю сильно опасаться междуусобий и внутренних раздоров.
出題)「私にお売りになっても、どこからも文句は出ませんか?」をロシア語にせよ。
Если даже мне продадут, откуда на вас не жаловаться?
宜しく御願い致します。
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「お売りになる」というのですから、普通に考えれば、主語は2人称のはずです。それとお答えでは、「どこから文句が来るというのか、来るはずがない」という修辞疑問文のような気がします。私の答えは、Если вы мне продадите, на это никто не будет в претензии?
Если вы продадите мне, об этом никто вас не обвинит?
これも偶発的反復と考えсвとしました。よろしくお願いします。
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обвинятьは有罪と認めるとか起訴するということですから、違います。
Хотя бы вы продадите мне, никто не
пожалуется на вас ?
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正解です。
Если вы мне продадите, не получите ли вы откуда-то жалобу?
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文句が来るかどうか分からない、つまり任意ということですから、-нибудьを使うべきでし、もっといいのは、「どこからか」を取ってしまうことです。