2018年01月21日
●和文露訳要覧第320回
『和文露訳要覧』に下記のように補記した。
9-1-2 抽象的現在
現在の時制の意味でбудетを使う用法であり、動詞бытьの動作動詞としての完了体の用法(完遂〔なる〕の否定)ということで、例示的用法(4-2-3項参照)から派生した用法の一つとも考えられ、仮定、確信、必然というニュアンスがある。意味は仮定法を用いても変わらないので、仮定法未来から発展した用法(婉曲の用法)であることが分かる。仮定法は過去や現在の事実に反する仮定を示すが、未来においては条件法と意味はほとんど変わらない。未来は未確定の事柄に属するからだろう。仮定法の方が話し手の動作の実現に対する万が一という疑いのニュアンスがある。それと現在の時制のбытьは状態動詞であり、到着というニュアンスは可能だが、始発というニュアンスがないので、未来の時制を持って動作動詞としての機能を明確化したとも考えられる。このбудетを未来の動作の規則的反復と考えることも可能であり、そうであれば最後の例文のように、現代ではбудетを省略するのが一般的である。
(我々の暮らしは、今日何らかの形でインターネットとつながっていると言っても過言ではない)Не будет преувеличением сказать, что наша жизнь сегодня так или иначе связана с Интернетом.
<= Не было бы преувеличением сказать, что наша жизнь сегодня так или иначе связана с Интернетом.>
(それが『戦争と平和』の有名な戦いのシーンのレベルに近く書かれていると言う勇気はない)Не будет смелостью сказать, что это написано близко к уровню знаменитых военных сцен "Войны и Мира".
この用法が現在の時制を示す事は下記の文で証明できる。本来であればсказатьの前に будетをおいて、未来の動作の規則的反復となるはずだが、現代では上記のようにбудетを省略するのが一般的である。仮定法過去から発生した婉曲の用法было быも使える。
(モスクワにおいて横死した人用の埋葬所がどのようなものであったかを述べるのもまったくの無駄というわけではあるまい)Вовсе не излишне сказать, что такое были убогие дома в Москве. <излишне = лишне = лишнее = лишним>
出題)「本が5冊余った」をロシア語にせよ。
5 книг были в излишке.
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оставаться в излишкеという表現はあることはありますが、 в излишке自体露露辞典にはありません。私の答えは、Осталось пять лишних книг.
Пять книг оставались в излишке.
宜しく御願い致します。
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人ではないので、оставалосьとすべきですし、в излишкеはどうかなという気がします。
Пять книг оказалось лишними.
よろしくお願いします。
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単数で受けているのなら、лишнимではないでしょうか。
Книг осталось пять.
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お答えだと、本が5冊残ったとなり、出題とは違います。
Осталось пять лишних книг.
よろしくお願いします。
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正解です。