2017年10月15日
●和文露訳要覧第281回
1950年代ソ連当局から目の敵にされたスチリャーガстилягаというのは、1930年代に大都市に生まれた若者たちで、最初は党の幹部のボンボンзолотая молодёжьが中心であり、後には1940年代末から1960年ごろまで若者の間で流行った欧米式の服装をする技師の子息たちで、細身のズボン、肩の広いジャケット、結び目が本当に小さくて細いネクタイを身にまとっていた。стилягаは1949年3月風刺雑誌クロコジールКрокодилでベリャーエフБеляевが時事コラムで皮肉って用いたのが最初と言われ、スタイリストとも訳せるが、侮蔑的な意味合いであり、стилягаは仲間内では自らをчувак、女性をчувихаと呼んだ。чувихаは断髪、ハイヒール、格子縞のスカートをはいていた。ヘミングウェイやレマルクの作品や音楽的にはジャズが彼らに大きな影響を与えたとされる。感傷的で、かつ表面的に描いたものとしては五木寛之の『さらばモスクワ愚連隊』がある。同じころ日本では太陽族(石原慎太郎の作品『太陽の季節』からで1955年ごろから)、やや遅れてみゆき族(1964年ごろから)がある。
スチリャーガに大きな影響を与えたのが『銀嶺セレナーデ』Серенада Солнечной долины, Sun Valley Serenadeという1941年公開された米国の白黒のミュージカル映画で、終戦直後ソ連でも公開された。DVDで売っているというので買って見てみた。グレン・ミラー楽団も共演しており、ジャズが主体となっていて、これを通じて欧米文化をソ連の若者たちが知るきっかけとなったと言われている。劇中で歌われるチャタヌーガ・チューチューもよかったが、主演のノルウェーの世界的フィギュアスケーターのソーニャ・ヘニーが、ラストのアイスショーの場面で夜、木々に囲まれた氷面で踊る場面があるが、鏡面のように木々が逆さに映り、氷面が全く見えず、まるで黒い漆の面に浮かんでいるように見えるが、この場面自体正に一見の価値ありと思う。
スチリャーガ衰退に拍車をかけたのは、1957年のモスクワ青年学生フェスティバルМосковский фестиваль молодёжи и студентовである。それまでは欧米化を標榜していたのだが、結局それは想像の中のものであり、本物志向が強まったためである。海外からも多数の若人が参加し、直にソ連の若者と外国人が触れあうきっかけを作った。読売新聞2012年8月1日付によれば日本からも150名参加し、カメラマンとしてただ一人田沼武能氏が参加した。スチリャーガのあとはオシャレの最先端としてフランス風のファッションが取って代わり、1968年のプラハの春以降はロシアでもヒッピーхиппиが現れた。1980年代の初めにブラーボБравоというレトロロックグループが現れ、今でもスチリャーガの美学を継承しているという。スチリャーガについてはСтиляги, Владимир Козлов, АМФОРА, 2015が詳しい。
出題)「何か動きがあるか?」をロシア語にせよ。
Есть какое-то движение ?
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あるかどうか分からないわけですから、-тоは使えないでしょう。私の答えは、Какое-нибудь движение есть?
Какие-то развития складываются?
宜しく御願い致します。
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-тоは使えないでしょう。развитиеは意味が広すぎると思います。それと動詞が現在進行形になっていますが、出題はあるかないかという状態を聞いているわけで、違うと思います。
Что-нибудь случалось?
Какие-нибудь новости?
有無を聞いてるのでнесов。
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случатьсяは反復でしか使えません。ニュースも意味が広いと思います。
Есть ли какой-либо прогресс?
作ってみましたが、あまり自信は、、、。よろしくお願いします。
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大体いいのですが、進歩はやはり意味が広いと思います。
Есть какие-нибудь сдвиги?
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сдвиг = изменение к лучшему в чём-либо; движение вперёдなので、一面的かなと思います。