2017年08月13日

●和文露訳要覧第256回

быть動詞の否定には生格を用いるのだが、主格が出てくる場合もある。この違いについてパードゥチェヴァПадучева先生の所説に従って説明する。

1. (父は海辺にいた)Отец был на море. <「父は海辺に行った」とも訳せる>
1a.(父は海辺にいなかった)Отца не было на море. <存在の否定の可能性>
1b.(父は海辺に行かなかった)Отец не был на море. <所在の否定>

1bと違い、1aでは父が「海辺にもいない」、つまり死んでいる可能性もあり得る。1b.のように否定で主格が用いられる場合、主語は通常は活動体であるが、下記のような例外もある。

(このスーツはそのクリーニング店にはなかった)Этот костюм не был в химчистке. <他の店にはある>

出題)次の露文をできるだけオチが分かるように和訳せよ。
Случай в раю.
- Господи, тут к вам атеисты!
- Скажите им, что меня нет.

Posted by SATOH at 2017年08月13日 10:50
コメント

天国での出来事。
神様、何とおん前にも無神論者どもがやってまいります。
その者たちには言って聞かせなさい、余はい無いとな。

宜しく御願い致します。
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「やってまいります」ではなく、「やってまいりました」です。
二つ目の和訳は、「存在しない」と「いない」をかけているようで、そういう工夫は評価します。私の答えは、訳)天国でのエピソード
「主よ、無神論者のみなさんがいらっしゃいました」
「私はいないと言って下さい」
случай = происшествие(出来事)
二番目の文は居留守の時の決まり文句。
無神論者に会いたくないものだから、神様が居留守を使っているという設定。無神論者は神の存在を認めないわけで、そういう人たちにとって神は神ではなく、会っても神と認めないのだから、神様にとっても不愉快であろうということからかもしれない。無神論では当然のことながら、地獄も天国もその存在を認めないわけで、そういう人たちが天国に来たらどうなるのかというアイロニーも示されているのだろう。
тут к вам атеистыはпришли(省略されている)を使った結果の存続なので、そのように訳す必要がある。

Posted by さきちゃん at 2017年08月13日 12:24

天国での偶然。

「主よ、ここに無神論者たちがきています」

「我は存在せぬと彼らに伝えて欲しい」

(天国に無神論者が来ることもなければ
主がいない事もありえない)
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「偶然」ではなく、「出来事」でしょう。天国があるとすれば、天国に無神論者が来ないと決めつけることはできないと思いますし、「主がいないこともありえない」かどうかは、それこそ神のみぞ知るです。

Posted by ブーチャン at 2017年08月13日 12:46

天国での出来事
-神様、無神論者たちが御許へやって来ます!
-神はいない、そう言っておくれ。
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「やってきます!」ではなく、「やってきました」です。二つ目はなかなかいい訳です。ただ二つ目の文が居留守の時によく使われるということを理解されてた上でのことならばですが。

Posted by やま at 2017年08月13日 21:48

天国でのひとコマ。
― 神様、無神論者たちがやってまいりました。
― 皆さんに(ここに)神様はいないと言っておあげ。

神様は優しいと思います。
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面白い見方ですね。一神教であるユダヤ教から派生したキリスト教やイスラム教の神は、旧約聖書を読む限り、そういう甘い神とは思えません。少なくとも、唯一の神は存在するという前提は外せないはずで、神はいないなどと、そういう一神教の神が言うとは思えません。

Posted by Го at 2017年08月13日 23:32
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