2017年07月22日
●和文露訳要覧第246回
『和文露訳要覧』8-4項後半も下記のように修正させていただく。
в чём 構文も同様に、主語とイコールではなく、知識(問題など)の内容(中味)を意味する。もしイコールということであれば主語の定義となり、論理的におかしい。またв чёмの代わりとしてгдеは使えない。なぜならгдеは所在(内在/外在 = в чём/на чём)を示し、必ずしも内在するもの(中味、内容)を示すものではないからである。
(生きるか死ぬか、それが問題だ)Быть или не быть, в чём вопрос. <ロシア語では問題の中味は何かと問うているのに対し、英語ではTo be or not to be, that is a question.と、ロシア語との差が明確である>
(どういうことだ)В чём дело? <= Что случилось?>
(サムソンの力(の源)は彼の髪の毛にあった)Сила Самсона заключалась в волосах его.
(すべての宗教的教義の本質は愛にある)Сущность всех религиозных учений – в любви.
(神は愛である)Бог есть любовь. <主語と述語の一致>
(愛は神にある)Любовь в боге. <愛は神の中にある>
出題)「あわてたせいで間違いも多かった」をロシア語にせよ。
(1) Второпях сделал также много
ошибок.
(2) Было тоже много ошибок, потому что я торопился.
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(1) 1回の動作でたくさん間違いをしたというのは、動作の一括化ということを考えれば文法的には可能でしょうが、何か無理があるように思います。(2) 主文の間違いをした動作主が不明で従属文と論理的なつながりがないように思われます。私の答えは、Из-за спешки случались ошибки.
в спешкеでもよい。
Было много ошибок, потому что я торопился.
慌てるという動作の有でнвとしました。よろしくお願いします。
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ブーチャンさんの(2)と同じですね。
Будучи поспешно, ошибок было много.
主語を言わないようにしました。
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動作主がないのに、副動詞は使えないでしょう。副動詞では主文と従属文の動作主が一致するはずです。それに会話で副動詞というのは意味が取りにくいので使うべきではないと思います。
1. Было тоже многие ошибки в панике.
2. Растерянность вызвала тоже многие ошибки.
宜しく御願い致します。
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много ошибокが自然です。многийは語義的に複数で使うのが普通です。многоとмногие、つまり副詞と形容詞が「多くの」という意味では語義が共通していますが、どちらでも自由に使える(互換性がある)ということであはりません。例えば、Он работал в числе многих других инженеров над проектом Большой Волги.(彼はその他大勢の技師の間で大ボルガプロジェクトに従事していた)<в числе = среди>という文では、つまり斜格(主格以外の格、この場合は主格や対格以外となりますが)にはмногоは使えないでしょう。「多くのもの」という意味ではмногоеが、多くの人(生き物)という意味ではмногиеと形容詞の名詞用法を使います。類語というのは用法に重なる場合もないとは言いませんが、必ず違いというものがあるのです。そういう意味で主格や対格で形容詞としてのмногиеを使うのは好ましくないと私は考えます。
1. あわててとパニックになっては同義ではありません。
2. あわててと呆然となって(途方に暮れて)とは違います。