2002/11.12 KY
ロシアのアネクドートシリーズ
「笑いのスヽメ」5
石之介
「大スター」になるのは大変である。
歌って踊らねばならぬ。
ワールドカップに出場せねばならぬ。
結婚して、その後離婚せねばならぬ。
低劣な週刊誌に叩かれねばならぬ。
行きがけの駄賃に問題発言の2.3発もせねばならぬ。
「大スター」になるのはいよいよ大変である。
ブレジネフ30歳。
第二次大戦を戦い抜き、
終戦時には少将まで昇りつめた。
しかし、そんな面倒なことをせずとも、ナチュラルなままでスターになった人物もいる。
レオニ-ド・ブレジネフ(1906〜1982)。彼の長い治世は「停滞期」と呼ばれるが、あに図らんや、アネクドートの世界で、彼はスターの称号を欲しいままにした。
アネクドートその1
党大会での演説のあと、ブレジネフは文書を作成した秘書官に食って掛かった。
「私は15分程度の物を要求したはずだ。なのに1時間もかかったじゃないか!」
「しかし閣下、閣下は選択肢として4部お持ちになってたんですよ。」
アネクドートその2
「ブレジネフさん、ご趣味は何ですか?」
「自分に関するアネクドートの収集だ。」
「なるほど。で、どのくらい集まりましたか?」
「強制収容所2つ半」
ブレジネフ関係ではないが、ついでにこんなのも。
アネクドートその3
裁判官が裁判所から笑いながら出てきた。
「アハハハハ。実に面白いアネクドートを聞いた」
「そんなに面白いのですか?教えて下さいよ。」
「アハハハハ。いや駄目だ。これのせいでたった今15年くれてやったんだ。アハハハハ。」
ちなみにブレジネフが明らかにコレクションしていたのは「勲章」であり、それこそ、ありとあらゆる勲章をぶら下げていた。こんなアネクドートもある。
アネクドートその4
ブレジネフ、あの世にて。勲章を数えながら
「はて・・・死後叙勲されなかったのかな・・」
アネクドートその5
ブレジネフがミハイル・ススロフを呼び出した。
「ミハイル、私の書いた本を読んだかね?」
「読みましたとも!何度も読みましたとも!実にすばらしい!」
と言いつつ、ソロリソロリと後ずさり。
「慌ててどこへ行くんだね?」
「いえ・・今からもう一度読もうと・・」
ススロフは退出した。
ブレジネフ:「ふぅむ、みんなあの本を誉めるなぁ。私も読んでみるべきだな」
晩年、病身のブレジネフは発音不明瞭に至り、それはアネクドートの格好の材料となった。語呂合わせの面白さを利用したアネクドートが多く、紹介できないのは残念である。
アネクドートその6
ブレジネフとチェルネンコがあの世で話している。
ブレジネフ:「こんどの書記長は誰になったんだい?」
チェルネンコ:「ゴルバチョフ君だよ」
ブレジネフ:「ふぅむ。で、誰が彼を支えてるのかい?」
チェルネンコ:「誰も支えてなんかいないさ。アイツは自力で歩いてるよ」
アネクドートその7
ブレジネフ、共産党中央委員会にて。
「諸君、党中央委員会に怠慢な雰囲気のあるのを肯定せざるを得ない。昨日、中央委員会の故××氏の葬儀において・・・・・はて、彼は今日は欠席かね?・・・さて彼の葬儀において、音楽が流れた時、ご婦人をダンスに招待したのは私だけだったではないか!」
11月10日はブレジネフの命日である。7日の革命記念日、レーニン廟に登壇し健在ぶりを見せたかに見えたが、10日早朝、睡眠中に死去したと言われる。発表は11日。今年は死後20年である。
ブレジネフに直接関係なくとも、アネクドートに共産党書記長が登場する時はブレジネフであることが多い。彼の18年の治世はそれだけ印象に残ったのだろう。ソ連70余年の歴史で、最も安定した期間であった。
石之介さんの
「笑いのススメ」Part1、
「笑いのススメ」Part2、
「笑いのススメ」Part3
「笑いのススメ」Part4
も、どうぞ。