2002/10.4KY

ロシアのアネクドートシリーズ
「笑いのスヽメ」4

石之介


はじめに

ルシュコフ・モスクワ市長のバクダン発言。
 「ジェルジンスキーの像をルビャンカ広場に戻す」(ルビャンカとは、KGB(現FSB)の本部があった場所で、KGBやFSBの代名詞となった)
なんでも、孤児救済におけるジルジンスキーの功績を讃えるべきだとか。どうやら大虐殺は問題外らしい。

たったの6年前、市長は著書の中で、「鉄のフェリックス(ジェルジンスキーのこと)が政治弾圧の象徴となって久しい。幾万の浮かばれない霊の呻き声は止まぬ」と書いている。新たな夢を抱く市長、96年当時は寝惚けていたのかもしれない。
結局この提案は、大統領府の反対に合い実現をみることはなさそうだ。某誌は、「貢物は拒絶された」と書く。


ジェルジンスキー氏の功績を讃える為に、今回の「笑いのスヽメ」はKGBとNKVD(内務人民委員部)の活躍にまつわるアネクドートを特集。


まずは時代背景より・・
 国家保安委員会(KGB)や内務人民委員部(NKVD)の虐殺は熾烈を極めた。密告一つあれば、一家丸ごと収容所送りになり、強制労働か即射殺。一般市民の犠牲は数知れず、また赤軍の中枢の粛清は軍の弱体化をもたらし、第二次大戦に影響を及ぼした。一般市民の逮捕が行われたのは殆ど夜中で、夜中に無法に家宅に乱入しては住人を連行していった。



アネクドートその1
「ジェルジンスキーが子供好きだったってホントかい?」
「ホントさ。だが親は大嫌いだったらしいな」


アネクドートその2
時は1937年。夜中に夫婦の眠りを覚ましたのは、階段をあわただしく駆け上がる足音、それに次ぐドアへのノック。亭主青ざめ、遂に最後の時が来たと戦々恐々、震えながらドアを開けに行った。
しばらくして寝室に戻った亭主、妻に告げて曰く
「安心しろ。家が火事になっただけだ」


アネクドートその3
エジプトでファラオの墓所からミイラが見つかった。調査をしたが誰の遺体なのか判然としない。ソ連の調査団に鑑定を依頼した。調査団は腕まくりしながら墓所に入る。
しばらくして墓所から出てきたソ連調査団、
「ナントカカントカ何世と判明」と調査結果を告げる。
「どうして分かったのか」という質問に、
指をポキポキ、「奴さん、自分で白状しやがったのさ」


アネクドートその4
工員が、始業に遅れてやってきた。彼は怠慢を理由に収容所送りとなった。
もう一人の工員は始業より早くやってきた。彼はスパイ行為を理由に収容所送りとなった。
3人目の工員は定刻通りやってきた。彼は反国家扇動罪を理由に収容所送りになった。彼はスイス製の腕時計を使っていたのだ。


アネクドートその5
一人の外人がソ連に来て、ホテルに泊まった。彼の護衛という名目で、私服が一人送り込まれた。
その私服は夜中に窓から飛び降りて死んだ。翌日、外人は取調べを受ける。
「夜、寝る前に私は服を脱いでハンガーにかけたんです。私の国ではいつもそうしてます。彼は脱いだ服をマットレスの下に入れました。こちらではそうするらしいですね。
 私は腕時計を外して、机の上に置いたんです。私の国ではいつもそうします。彼は腕時計を枕の下に入れました。こちらではそうするらしいですね。
 そして寝ましたが、夜中に誰かノックしたんですよ。私は起き上がってドアを開けに行ったんです。私の国ではいつもそうします。そしたら彼は・・・・・」



今回の「笑いのスヽメ」を、ルシュコフ市長に捧げる。


 

 石之介さんの「笑いのススメ」Part1「笑いのススメ」Part2「笑いのススメ」Part3はこちらをどうぞ。

投稿記事のコーナー に戻る

ロシアンぴろしき表紙に戻る