2002/2.7.KY

ロシアのアネクドートシリーズ
「笑いのスヽメ」

石之介


 最近ロシア政府の言論統制が問題になり、「夜な夜なク−フニャ(露語で台所の意)で声を潜めて情報交換をする時代が戻ってきた」と、半ば冗談めかした懸念の言葉が聞かれるようになった。ソ連時代、反体制的な人々は夜毎台所に集まり、西側のラヂヲから正確な情報を受信し、政府批判を小声でささやきあった時代があった。
  以来、隠れて政府批判をすることを「クーフニャで囁く」と言うようになった。暫時この言葉が聞かれなかったが、最近嫌に現実味を帯びてきている。

  クーフニャで囁かれたのは政府批判ともう一つ、アネクドートである。(必ずしも囁かれたわけではないが・・)

  アネクドート。露語で「小話」「笑話」といった意味である。ロシア人の嗜みの一つである。
  昔から酒宴などでも、盃を挙げる前に一演説ぶつか、またはアネクドートを言って座を笑わせた後、杯を干すという一種伝統がある。
  アネクドートの場合、特に体制を槍玉に挙げた鋭いアフォリズムがもてはやされる。ソ連時代から続く、庶民の体制に対する皮肉である。(とにかくこの国ではアフォリズムがひどく好まれる)
  このシリーズ「笑いのスヽメ」では、そんなウィットに富んだアフォリズムやアネクドートの数々を紹介したい。(但し中には現状と由来を一々詳しく説明する必要があるものもある)


 折角上記に「クーフニャで囁く」が登場したので、これを題材にしたモノから。

アネクドートその1
  ソ連時代。クーフニャで政府批判が大いにに盛り上がった。うっかり声が高らかになってきて、次の瞬間一同一様に天井(つまり盗聴器に向かって)を向き、「今言ったことは神に誓って本心ではございません」
ちょっと一言
 まだ序の口です。

アネクドートその2
ある若者が
「チェルネンコは心臓だけじゃなく、実は頭も悪いのだ」
と叫んだ。彼は直ちに逮捕され、裁判の結果、13年の禁固刑を言い渡された。
 刑期の13年のうち、3年は「国家元首を侮辱した罪」、残りの10年は「ソ連邦の重大機密を漏洩した罪」。
ちょっと解説
 アンドロポフ書記長は死期を悟り、遺言書に自分の後釜を「ゴルバチョフとするよう」定めた。ところがアンドロポフ死後、いつの間にかこの遺言者が書き換えられ、チェルネンコが書記長におさまった。しかし彼は「棺桶に片足突っ込んだまま政権についた」と言われるほど健康を害しており、一年も経たず死去してしまった。在任中彼はほとんど政治に手をつけられなかった。

アネクドートその3
 バスの中。男が隣に立っている男に話し掛ける。
 「あの・・失礼ですが、貴方はサンクト・ペテルブルグの出身ですか?」
 「?・・・いいえ」
 「では、KGBかFSB(連邦保安局 KGBの後身)に勤めてらっしゃったことは?」
 「?・・・いいえ」
 「じゃ、どけコノ野郎!人の足を踏みやがって!」
ちょっと解説
 プーチン大統領はペテルブルグ出身にしてKGB出身である。彼が政権についてからというもの、政府の要職には次々とサンクト・ペテルブルグ出身者か、特務機関出身者が就くようになった。あまりにあからさまにピーチェル(ペテルブルグの略称)出身者が羽振りをきかす為、「ピーチェル出身」というのは格好のアネクドートの材料になった。
  自分の足を踏みつけている男にまず出身を聞いてから初めて激昂するこの男は、物凄くソ連の匂いがする。だがそれがいまや浸透しつつあるのだ。

アネクドートその4
 オスタンキノテレビ塔が火災をおこした原因
 『アメリカのテレビ塔と衝突した為』
 消火作業が遅延した理由
 『ノルウェーのロッククライマーを待っていた』
(オスタンキノテレビ塔:540mの高さを持つテレビ塔。2000年夏に火災を起こし、1〜3週間モスクワのほとんどのTVチャンネルが放送できない状況に陥った)
ちょっと解説
 ブラックユーモアも人気のあるジャンルだ。
 オスタンキノ火災に僅かに先立つ原潜クルスク沈没事件は、事件を取り巻く奇妙な環境も手伝って大いにに物議をかもした。
 まず政府が事故を発表したのは事故発生から24時間以上後。しかも当初は「破損して沈んだが、乗員は無事。酸素もまだ予備があり、救出も可能」と発表された。ところがいつまでたっても救助隊は出動せず、そのうちノルウェ−の潜水夫を待っていると発表され、遂に救助が断念されるに至った。
 事故発生原因についても諸説ある中、政府は「米国の潜水艦と衝突した」の一本槍。あまりに可能性の低いこの政府の説はそれでもしばらく消えなかったが、オスタンキノ事件でも原因の究明や消火作業が難航していた。

アネクドートその5
 テレビのスイッチをひねった。1チャンネル。偉大なるブレジネフ書記長が映し出される。
 すぐに2チャンネルに変えてみた。またもや敬愛するブレジネフ書記長が映し出される。
 やれやれとチャンネルを3に回す。ここもブレジネフ書記長。
 4チャンネルに回した。画面には制服姿のKGB将校が現れて、いわく
「この野郎チャンネル変えるのもいい加減にしろ」
ちょっと解説
 言うまでもなく、ソ連時代に言論統制を批判したアネクドートである。
 2001年4月、政府に批判的だった為に経営陣総入れ替えの憂目にあった「NTV」が4チャンネルだったという事実は、図らずもこのアネクドートにもう一つ皮肉を加えることになった。

アネクドートその6
 米国大統領が神に会い、
「我がアメリカ国民はいつになったら富豪なみの生活ができるだろうか」
 と問う。神いわく
「50年後だろう」
 大統領は泣き出した。
「ああ、私はとてもそれまでは生きられぬであろう」
 次に仏大統領が神に問うた。
「我がフランス国民はいつになったら豊かに生活できるだろう」
 神答えていわく
「それは100年後となろう」
 大統領は泣き出した。
「ああ、私はとてもそれまでは生きられぬであろう」
 ソ連の元首がやってきた。神に問うていわく
「我がソビエト国民はいつになったら人並みに生活できるだろう」
 神は泣き出した。
「ああ、私はとてもそれまでは生きられぬであろう」
ちょっと一言
 特に説明は必要なさそうだ。それにしても大統領達と神が泣いている姿というのはペーソスがある。

この時期に、かなり鋭いアネクドートを紹介して下さった石之介さん。本当にありがとうございます。苦笑いがこみ上げてきます。
前書きにもあるとおり、これはシリーズ化する可能性もあるのでしょうか?
ウィットに富んだコラム「笑いのスヽメ」、これからがますます楽しみですね。(編集:ひよこ)

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