めるのロシア日記 調子悪くてあたりまえ
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2007年2月8日(木) 人面チョウザメ
晴れ。 13;09の外気温−2.7℃、室内23℃、湿度34%
今朝ニュースを見ていたらアゾフ海で宇宙人のような魚が釣れたというのをやっていました。
「宇宙人」と表現されていましたがまさしく人面チョウザメ。
・・・ちゅうかカオ、怖いし!確かに悪い宇宙人って感じ。
2メートルほどで重さは100キロ!
「科学者は調査したかったけど漁師さんは食ッチャッタ。」
・・・食ッチャッタですか。
ちょっと探したらニュースのビデオがありました。
数日しか見られないと思うので人面チョウザメを見たい方はお早めに。
※
ピエルヴィカナレ(1チャンネル)左上又は右上のイカみたいな人面チョウザメ画像をクリック♪
※
コムソモリスカヤ・プラヴダ<本日の夕ゴハン>
宇宙人じゃないサンマの塩焼きおろし添え、キャベツとザーサイの和え物、きくらげとタマゴの炒め物、白菜とホタテと小エビの卵とじ
2007年2月12日(月) マースレニツァ
晴れ。 13:41の外気温−4.3℃、室内22.5℃、湿度33%
ロシアは今日から1週間マースレニツァというお祭りに入りました。
マースレニツァについてちょっとお話しましょうか。
マースレニッツア(バター祭り)はロシアに古くからあった冬を送り出し春を迎える祭りです。
キリスト教が伝わってからは教会も祝日と認めてキリスト教的意味合いも持つようになったようです。
オッサンに言わせると「ロシアにキリスト教が入る前の野蛮人の祭り」だそう。
カトリック圏でいうところの謝肉祭ですね。
マースレニツァの時期はパスハ(復活祭)の前7週間の精進の時期(大斎:ヴェリーキー・ポスト)に入る直前の1週間
です。
わかりにくいですか、例えば今年はこんなふう。
ロシア正教は旧暦を使っているのでパスハの日は毎年変わります。
===マースレニツァ======ヴェリーキー・ポスト(大斎)==パスハ(復活祭)
2月12・13・14・15・16・17・18 2月19〜4月7日 4月8日
マースレニツァにはブリヌィというロシア風クレープをたくさん食べます。
このお祭りは陽気で明るく冬を送り出し待望の太陽の季節、春を迎えるというお祭りなので
太陽の形と暖かさを表すロシア風クレープ、ブリヌィをたくさん食べて太陽の力を体に取り込むのだそうです。
オッサンに言わせると
「昔は冬に粉とタマゴとバターくらいしかなかったからそんなものがご馳走だったんデスヨ、
太陽どうのなんてウソウソ。」 だそう。
そして祭りのあとにくる長い精進を前にして肉にさよならとばかり肉料理もバカスカ食って
大酒を飲み馬鹿騒ぎをして陽気に過ごします。
広場には市が立ち、サーカスや芸人がたくさんきて歌って踊って、
若い男性は2組に別れ、上半身裸になって戦うゲーム(というにはハードな)をします。
この1週間の間、ジマー(冬)またはマースレニツァと呼ばれる藁人形を引き回し
最後の日に燃やして灰にし冬とおわかれ。
・・・・とこれが伝統的なマースレニツァのお祭りですが、
今は1週間もそんなことやってたら亭主は会社クビになるし女房は若い芸人とトンズラ、
コドモは置きざりババおろおろなのでそんな事もやっておれません。
昔の陽気な馬鹿騒ぎの様子は映画「シベリアの理髪師」に出てきますね。
あのシーンは大好きです、女性達が伝統の衣装で着飾ってめっちゃ綺麗だし
将軍はザポイの姿を丸出しにして飲むわ飲むわ飲むわ飲むわ、みんなむっちゃ楽しそう〜〜
で、現在ではなにをするのかというと、
ブリヌイというロシア風クレープをたんと焼いてバリバリ食べ、
肉にさよならとばかり肉料理をバカスカ食って大酒を飲み陽気に馬鹿騒ぎをして人形を焼いて・・・
おんなじじゃ?
ええまあ、1週間やりっぱなしってことがないだけです。
でもこの祭りもロシアになってからだんだん盛大(復活してきた)になってきたようで
イベント化していますがソ連時代はもっと簡素なものだったそうですよ。
そんな陽気で楽しいながらも深い意味のあるマースレニツァ、
今朝、「朝ごはんにブリヌィ焼くぞ!」 と言ったら
「イヤッ、サンマの漬けたやつとごはんにしてッ。」 と言われました。
ロシヤ人よ、
ブリヌィは太陽の形と暖かさを表し命の象徴と春の訪れを・・・・・・・
(はやくごはんーと後ろで箸振っている)
※ロシア好きにはおなじみの映画
シベリアの理髪師※映画中のマースレニツァにふれているレビュー
「ちょっと寄った映画館」さんより
<本日の夕ご飯>
サンマの中国風香味漬け、子カレイの煮付け、味噌カツ丼、大根の和え物
2007年2月13日(火) サバ缶
晴れ。 12:46の外気温0.3℃、室内23.6℃、湿度39%
いろいろな食品をスーパーの店頭で食べ比べ、お客に人気投票してもらってから
その食品について科学的調査をし総合的に順位を出すというテレビ番組があります。
最後にはロシア全国でいくらで売られているかまで、都市ごとに発表するご親切な趣向。
おもしろいので目についたときはみているのですが今日はサバ缶でした。
サバ缶はロシアでもポピュラーな食べ物です。
番組の中で言っていたには、
サバ缶は日露戦争の時、日本軍から伝わった食べ物でその後ロシアに広がったということ。
へえええ〜
ロシアのサバ缶が日本由来なんてそれまで知りませんでした〜
ロシアのサバ缶はほとんど北海のほうの大西洋サバなので脂がギトギトに乗っています。
日本でも塩サバのフィレはまずぜんぶこの大西洋サバですがすご〜く脂っぽいでしょう、
日本人だと「脂があたる」人もいるようです。
大西洋サバは太平洋サバにくらべて身が白いのですがそれは脂が多いせい。
へえええ〜
だから西洋人は白いのか〜知りませんでした〜 ←間違ってます
お値段のほうは一缶19ルーブルから30ルーブル。
もちろん最高値はモスクワ。
この番組、せいぜい中央シベリアのあたりの都市までしか言わないのでいつも浦はありません。
浦では20〜25ルーブルくらいかな。
安い食べ物なので軍隊の食事にもよく出されているそうです。
どうですか。これからサバ缶を食べる時、語る事が増えましたね。
「このサバ缶というのは日露戦争の時日本軍が・・・」
「ワターシの曾オジイサンは日本軍に殺サレテそのあと家族は苦労シテ・・うわああああああん」
ダメですか。
「サバ缶は日露戦争の時日本軍がロシアへ伝え・・・」
「うちの曾おじいさんはロシア海軍と戦って戦死して冷たい海の底で・・・・えぐっ・・えぐっ・・」
ダメですね。
どうも私がやると具合がよろしくないのでみなさんは上手に日露友好に役立ててください。
<本日の夕ご飯>
タバカチキン、ささげとハムの炒め物、白菜ときゅうりの浅漬け
2007年2月14日(水) 鳥のミルク
大雪で大風。 5:03の外気温+0.4℃、室内23.1℃、湿度46%
皆さんおはようございます。
浦は只今5時3分、米を洗って炊飯器にかけたところです。
外は大荒れの天気ですが今日はラブなバレンタインデーですやん、
なのでチョコレートのお話でもしましょう。
ウラジオストクには1906年創業の『プリモルスキー・カンディーテェル(沿海製菓)』というチョコレート菓子のメーカーがあり、
ロシア全土にその名を轟かせるお取り寄せの銘菓、 ←ちょっとウソ。
『プチーチエ・マラコー(птичье молоко・鳥のミルク)』というチョコレート菓子を製造しています。
簡単に言うとそれ以外にもたーくさんのチョコ菓子を作っているんですが
それしか有名なものが無いってこ・・・(ゲシッ)
・・・・ええ〜と、コンクールでも優勝したとかいう話を聞きました。
ウラジオに来た事のある方は見かけたことがあるかもしれませんが
ハチドリがライラックの花をついばんでいる青い箱。
コレだあ〜
お値段は400g32個入りで500円前後。
この鳥のミルク、固有の銘柄ではなくてゼラチンとメレンゲに各種のフレーバーを入れて
ねっちり固めた中身にチョコレートがコーティングしてある菓子の総称です。
固めのマシュマロにチョココーティングという感じかな。
元は1960年代にチェコに修行に行った菓子職人がソ連に紹介したものだそうですが
その後広まり今では全国どこのメーカーでも作って輸出もしているほどです。
ところで「鳥のミルク」という表現はロシアで「有り得ないもの」を指します、
鳥は乳で育ちませんからねえ、
つまり有り得ないほど美味しい、といいたいらしい。
まあそんな鳥のミルク、
ウラジオの沿海製菓のものがバツグンに美味しいと定評があるわけです。
実際たくさんの「鳥のミルク」が売られているのですが
他メーカーのやつは不味いマシュマロにチョココーティング、
ウラジオのやつは和菓子の『淡雪』にチョココーティング、って感じです。
ロシアのチョコレートは一般的に日本に比べて賞味期限が短いのですが
この沿海・鳥のミルクは15日しかなく、
また詳細なレシピと作り方は門外不出だそうでどこの工場にも真似できないそう。
だから有名なわりに工場から遠い地域では手に入りにくいそうです。
あ、米が炊けたのでちょっと釜からおこしてきますわ。
○ ○ ○ ○ ○
はいはい、お待たせ、
では沿海製菓・鳥のミルクがいかに素晴らしいかお話しましょう。
先日ジェーニャがやってきた時の話です。
「今、ワーシャが論文書いてるんだけど、モスクワのピリュリュキン教授に見てもらってんだってよ」
「まさかM×大のぉ?」
「そう、そのまさか。」
「どーなってんだぁ?」
「チュコフスキー教授の繋がりみたいだけどまさかピリュリュキンまで行くとは恐れ入ったよ。」
「スゲーな。ちょっとやそっとの金じゃ手も出ないと思うけどなぁ」
「驚け、それがチョコレートなんだって。」
「はああああ??」
「チュコフスキーと話してる所に偶然ピリュリュキンが来たんだと。
そんで紹介されて、『君ウラジオストクなの?ウチのカミサンがプチーチエ・マラコーが大好きなんだよ』
って言うから次に行く時30箱ほど買って持ってったんだとさ。
そしたらピリュリュキン大喜びで、僕が直接みるからってチュコフスキーに言って
それからワーシャ、ずっとチョコ持ってモスクワ通い。」
「信じれん・・・。しかしチョコの100個や200個で博士号なら随分安くついたな〜」
なッ、なんて素晴らしいんでしょう!
やはり「有り得ないもの」というだけあります、
博士号までもらえるとは感涙ですね。
ふう〜、いい感じに酢飯ができたので今から巻きます、ちょっと失礼。
○ ○ ○ ○ ○
たびたびすいませんね、
そんな素晴らしい沿海製菓・鳥のミルクですがこのあいだちょっと困った事がありました。
モスクワのロトフロントという製菓工場が「鳥のミルク」を登録商標にしたのです。
ありゃりゃ、
無知でのんきな田舎者が都会人にしてやられた感じです。
沿海製菓は、
この鳥のミルクという言葉は菓子の種類の名前であり登録商標できたこと自体おかしい、
ウチはこれからも「鳥のミルク」を使い続ける。と言っているようです。
商工会では法廷に持ち込む手段も視野に入れているという話も聞きました。
で、きのうもスーパーにそのまま「鳥のミルク」、売ってましたけどね〜
なんでもかんでもモスクワ、モスクワに常々苛立っているウラ人としては
なんとか沿海製菓に踏ん張ってもらい、ロトフロントの鼻をあかしてスカッとしたいところでしょう。
私も陰ながら応援しようと思い鳥のミルク、買いました。
ところでめるさん、
沿海製菓・鳥のミルクが素晴らしいのはよくわかりましたが、
肝心のお味のほうはどうなんでしょうか?
なんですか?
嫌な質問ですね。
オカーサンの言葉を引用しましょう、
「チョコレートは日本のが一番おいしい!」
しかしこれだけは言っておきます、他メーカーの鳥のミルクは絶対買わないで下さい、絶対後悔します。
わかりましたか?絶対ですよ!!
はいッ、それではバレンタインにラブのないチョコの話は終わり。
オッサンも起きてきたようやし、さっさと巻き寿司折につめんと。
そうですかめるさん、ほかのやつは絶対買いません、青い箱ですね、青い箱だけです。
あの〜それで〜、
バレンタインなのに巻き寿司なんですか?
バレンタイン?
今日はオッサンの誕生日やがな!
※「鳥のミルク」だけ有名な
沿海製菓“Приморский кондитер”※淡雪といわれてピンとこない方は
ウィキで確認 こんな菓子※ジェーニャはこんな人
2月3日医者につけるクスリ 9月23日キケンな冷蔵庫<誕生日の振る舞いに職場に持っていくゴハン>
巻き寿司、サンマの中華風味漬け、とんかつ、ポテトサラダ、ミートソースのピローグ、レーズン胡桃パン、白菜ときゅうりの浅漬け、コニャック、ウイスキー、シャンペン、ジュース各種。
<そんなバレンタインのグルソン>
チョコといえば思い出す2004年の大ヒット、
チョコレートのウサギチャン♪ な、懐かしい〜ッ。
2007年2月15日(木) トップシークレット
晴れ。 16:47の外気温−4.7℃、室内22.8℃、湿度37%
【はじまりはこんなふう・・・】
「日本国内の人にしか売らんなんて困ったなぁ〜」
「仕方ありませんネエ、近くだから佐田さんに頼みマショウカ・・・」
「佐田さんなぁ・・・・そういえば佐田さん、最近ウラに来おへんね?」
「やばいカラ来れないんじゃナイノ。」
「なにがヤバイんじゃー?」
「佐田さんが売ったあれネエ、
モニタがいっこ壊れてウラジオの担当者が修理にきたんダケド直らなかったんデスヨ。
仕方ないからモスクワの方に連絡したら、ウラジオで触ったもんはこっちで責任とれないって言われて
どうする?って話になったんだケド、まあ日本から売ったやつだから日本の本社からモニタ送ることにナッタノ。
ところが今度はそのモニタを付けてもダメだったらどこが責任とるのか、って話になって
それが解決するまでモニタも送れないって言い出してもう3ヶ月。
ずっと待ってるワケ、ずっと。
責任があーとかどーとか、日本の会社ってすぐそゆこと言って使う人の事考えてるのカナ?
悪いけどSS(某ドイツメーカー)はそゆこと絶対ナイ。
もう半年もそんなことやってずっと待ってる、だから佐田さん、やばくて来れないんデスヨ、きっと。」
「・・・・・・・・・・・・・。困るなあ〜もうそれ、ヴィーチャにみてもらったら?」 ←
7月24日「使える男」【何か別の人の話に・・・?】
「何言ってるカナ、この人は。自分とこのエンジニアが触って責任とれないのどうのって言ってるのに
どこの誰かわかんないロシア人が触ったらどうなると思う?」
「そやけどSSのヤツはヴィーチャ好き放題にやってるやん。」
「だってヴィーチャはSSの社員だったもん。」
「へッ??SSの社員やったの?」
「ダーカーラー、前に言ったデショ、嫌で嫌で自分でニセモノの手紙書いて辞めさせられたって。」
「あれぇー、ヴィーチャの事やったん?」
「そうだって!」
「ヴィーチャは技術もあるしSSに信用あるカラ、ヴィーチャが触ってダメでも会社は彼の責任と思わないし
ほんとに壊れてると納得できる。」
「そうなんや・・・それなのになんでSSやめたんやろう」
「出張であちこち遠いところに行かされるのが嫌だったんダッテ。」
「タイガの小屋でひとり暮らししたい人が?」
「だからヴィーチャは物理学者なのッ!ふつうの人には理解できませんッ。」
【理解できないかあ、困ったな・・・】
「それでもヴィーチャ、このあいだ徴兵にとられたときは行ッタヨ。」
「ヴィーチャも徴兵には勝てんかったかぁ〜。いつ?」
「冬になる前、2ヶ月くらい。沿海州のね、海岸の近くのミサイル基地。やることないから毎日掘ってた。」
「?????カパーチ?」 ←掘る(動詞)
「そうカパーチ。」
「?????それはまた地雷か遺跡かなんか?」
「だからヴィーチャは掘るのが好きなの!ただ掘るの!」
「???????」 ←サパーリワカリマセン
【そして驚愕の真実】
「戦争ないから毎日暇ですることないじゃん。だから基地カラ海岸までずーっと側溝みたい掘って行ったんだって。
数十メートルあるから、今頃ペンタゴンでアメリカ軍のエリート達が衛星のモニター見ながら頭ひねってるんじゃないの?
ロシアのミサイル基地に不審な動きありとかいってネエ〜
海から新型兵器搬入か!この幅だと考えられるのはあーでこーで、ってネエ〜〜
だれもヴィーチャが掘るのすき、ってわかんないもん!」
「わはははははははははははははは!!!!」
「大国がネ、いくらあれこれやってもロシアを勝ち取れないのはロシア人のこと、わからないからデス。」
ロシア人は謎。
絶対秘密にしといてや。
<本日の夕ゴハン>
ナワガの一夜干し、ささげとベーコンの炒め物、野菜サラダ、味噌汁とごはん
<本日のグルソン>
ARASHさんと間違えそうになった久々のタルカン
TARKAN - START THE FIRE
YouTubeで見てやって。
2007年2月16日(金) いたってハードな厨房であります
晴れ。
今日はまたお祝いです。
職場のみんなをレストランに招待してまぁ〜た誕生祝いやるんです。
最近は仕事が忙しくなったせいで、勤務時間中にメンバーが全員揃える時間がなくなり
週末にカフェやレストランでやる人が増えました。
その分誕生日当日の職場のお祝いが簡単になったはずなのですがなぜかうちだけ変わりません。
しかも14日は大荒れの天気だったので客がぜんぜん来ず、
朝からみんな揃って大宴会になったそうで、料理が足りなかったと文句まで言われる始末。
もひとつ言えば夜は両親がお祝いに来ると言うのでまた一通り作って待っていたら
天気が悪いから車を運転するのが怖いのでこっちに来てくれないかというので全部持って出掛けました。
ケーキくらいは買ってあるかもと思いましたが見事になーんにも乗ってないテーブルに
テーブルクロスをかけるところから始まり始まりぃ〜。
まあそういうことで・・・
みなさん今晩はオッサンにたらふく食わせてもらって下さい。
私はひとりの夜なのでふりかけごはんと味噌汁で簡単に済ませ、
明日のお祝いの準備にとりかかります。
え?明日もお祝いなんですか?
ええ、そうです。
明日は我が家の『野放しの女王』、オカーサンの誕生日です。
さきほど女王陛下御自らこの雑然とした厨房に立ち寄られ、
「和食と中華ねッ!」とお申し付けになられました。
もったいないお言葉に感謝感激です。
それではみなさん今からとりかかります、
ごきげんよう。さようなら。
2007年2月17日(土) 天使のささやき
今日は「天使のささやきの日」です。
オカーサンの誕生日だから?
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
自分で振っといて何いっていいかわかりません。
が、とにかく天使のささやきとはダイヤモンドダストの事だそうです。
なんでも昭和53年の2月17日に北海道の幌加内町でマイナス41.2℃という
日本での過去最低気温が記録されたそうなのですが、
気象庁の公式記録の対象からはずれていたため記録として残らなかったそうです。
それで幌加内町ではこの日を「天使のささやきの日」に制定してその記録を残す事にしたというお話。
まあ我が家で今日という日は、天使もひれ伏すオカーサンの誕生日ですから
お祝いに持って行く料理を作っていました。
ゆうべ酔ッパの午前様でお帰りのオッサンは放置です。
そんな臭いカタマリに構っておるヒマはありません。
行ってから仕上げした方がいいものを残し全部出来上ったところへ
オカーサンから電話が・・・・
「アノネ、オカーサンはお祝いにボーリャのカテージへ招待されたカラ、オトーサンと一緒にそっちへ行くので
これたら来て、って。6時くらいまでいるから、って。」 ※カテージとはダーチャより立派な別荘みたいなもんです
「これたら来て、とは?」
「来いというコトでショウ。」
やれやれ。 (ため息ふー)
オカーサンの誕生日なので好き勝手にしてもらっていいわけですが
ボーリャのところへ持っていくなら家で全部仕上げていかないとだめなので
それからまた大店広げて料理をし、持っていけるようにしました。
「さ、行けるからオカーサンに電話して。」
「電話はまあイイデス、行きマショウ」
「行くっていっとかんと向こうも都合あるし」
「いんじゃナイノ」
「電話しろ」
「しなくてイイって」
今からお呼ばれに行くのに電話して出掛けるのは変じゃないと思いますが?
なぜか頑なに電話するのを嫌がってヘンやなあと思いましたがこれがコトの前兆だったかもしれません。
オッサンはボーリャのカテージへ一回しか行った事がなく
「近くまで行けばワカル」と言っていたくせに行ってみたら「なんか・・ワカリマセン。」
ありがちな・・・
あまりにもロシア人にありがちな行動で薄笑いしましたけどとにかくたどりつかねばならんしの。
何箇所か見覚えのあるという小道に入ってみましたがどれも違いました。
「だーかーらー、オカーサンかボーリャに電話して場所聞けばいんちゃうのッ?!」
「オカーサンもボーリャも電話番号ワカリマセン・・・。」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜??」
「ワタシはこの間携帯の操作を間違って、登録した電話番号が半分くらい無くなっちャッタ。」
「あ あ あ あ あ あ〜〜↓↓」
「ボーリャのカテージの場所知ってる人の番号だれもワカリマセン。」
「私が家を出る時オカーサンに電話しろってあれほど言ったのにアンタは電話せえへんかったしな」
「だって番号わからなかったんだも」
「とことん阿呆やな、家の電話に短縮番号で入っとろうが。」
「へ?」
「もし電話しとったらな、なかなか着かへんと思ってオカーサン絶対アンタの携帯に電話してくるやろ、
そんならそこで解決やったわけや。オクサンの言うことはきいとくもんやな〜。わかった?」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」 ←わからないご様子
ちなみに私のケータイはバッテリー切れで家に置いたまま。
そんなわけでもう、その辺歩いている人に聞くしかないんじゃないの?といっても
カテージのあるような田舎なのでなかなか人が歩いていません・・・
やっと牛乳缶をぶら下げたオバサンを見つけて聞いてみたのですが
何か要領を得ない答えでまあとにかくオバサンが行った方に行ってみようというので
行ったら行き止まりになってしまいました。
戻って幹線道路に出たところで今度は立ち話をしている二人連れのおっさんに聞いてみたら
こっちじゃないよ、もっともどって右へ曲がる道だというので行ってみたら
なんだかわからない工場の敷地へ入ってしまいました。
オッサンだんだんイライラしてきて血相が変わったのでこれはまずいと思い、
闇雲に走らんとちょっと車止めて考えようよ、と言って路肩に止めさせました。
よぉ〜く思いだしてごらんとなだめていたら、駐車場に車を止めてこっちの方へ歩いてくるオジサンが目にはいりました。
「あのオジサンに聞いてみようよ、そんでダメやったら帰ろうや」
とそのオジサンに聞いたところ詳しく教えてくれたので、
これでやっとたどり着けると思い車を出そうとしたら。
「ブレーキがナイ。」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜??」
「ブレーキが効いてマセン。」
「どゆこと?」
「ブレーキ踏んでもスコスコなの」 ←どこでそういう言葉覚えるかな
「あ あ あ あ あ あ〜〜↓↓」
「ヘンですネエ〜いま車停めるまで普通だったのに。急にブレーキフリュイドが抜けたカンジ」
その場でちょっと見てみたのですが見た目でわかるような故障じゃないみたいです。
「ブレーキのランプが点いてないのにこの様子はヘンデスネエ・・・
雪解けでどこも濡れてるからどこが漏れてるのかよくワカラナイし・・」
「オジちゃん・・・、どうするよ・・・・」
「カテージまであと1キロもないみたいダケド、ブレーキ無しか・・・」
「カテージまで行ってオカーサンの車で帰ったほうがよくない?」
「まったくナイわけじゃないカラこの時間なら修理屋もまだやってるし注意してゆっくり帰りマショウ」
というのでボーリャのカテージを目の前にして引き返す怖いドライブが始まりました。
その場所から家までは40kmくらいだったのですがなんせウラは坂の町。
ハザード点けて路肩の方をゆっくりゆっくり走って途中見つけた修理屋に寄ってみたのですが
1軒は修理中の車があって手が離せないからと断られ一軒は営業時間終了。
そのうち漏れのランプが点いたので、やっぱりかととりあえず買って入れなんとか走っていると
オカーサンから電話。
我々が来ないのでご機嫌ナナメな出だしでしたがコトの成り行きを説明するとめっちゃ心配になったご様子。
せっかくいろいろ料理も作ってくれたのに残念ね、とねぎらいのお言葉も頂きました。
しかしこの電話でわかっておどろいたのは、
我々が行こうとしていた場所は間違っていたということです。
オッサンはボーリャのカテージをサドゴーラト駅の近くと勘違いしてその駅を探していましたが
実際はヴェセニャヤという駅の近くだったのです。
もしあと少しだからとブレーキの効かない車でカテージ目指していたら
さらにえらいめに遭うコトになったかもしれません。
オッサンは悪い事ばかり起こり気が立って、
運転中に汚いスラングを吐き捨てたり「あーブツメツ、ブツメツ」と投げやりなカンジになっていたので
こんな状態の車でイライラして事故でも起こされたらかなわんと思い、
「私が何回言うてもオカーサンに電話しなかったり、何人に聞いても道がわからへんかったり、
いたずらみたいにブレーキが効かんようになったり、これは偶然ちゃうと思うで。
ボーリャのところへ行かんように行かんようにと神さんが杖でかき回したんよ
きっと行ったら大変な事が起こったんやで、よかったな〜助かった、ほんまよかった、我々は運がええね!」
と言ったら「運がいいの?」というので
「そうやで!ほれみてみ、こうやって事故で死んだかもしれんのやで」 ←事故の横を通った
とダメ押ししたら
「そうかあ〜我々は運がいいのかあ〜」と気分が上向きになって落ち着いたようでした。
こういう時神さんは役に立ちますね、ありがとうございます。 ←何かがチガウ?
その後ゆるゆる走ってなんとか無事に家までたどり着けました。
ホンマに神さんに感謝です。
持っていったご馳走は我々の腹におさまりました。
天使のきまぐれでこんな事になったのでしょうか。
天使のささやきで難を逃れたのでしょうか。
どっちにしてもオカーサンの誕生祝いはできませんでした。
やれやれと思うと同時にこれで終わったとほっとしたのですが
「明日またお祝いすることにしたから」と電話がかかってきました。
一難去ってまた一難。
(神さんタシケテー)
2007年2月18日(日) ジマー
きのう可笑しいくらいトラブルがあったので、今日は人形を焼いて厄払いしました。
というのも今日はマースレニツァの最終日、藁人形を焼いて冬にさよならする日です。
(マースレニツァについては13日ご参照)
この人形はジマー(冬)またはマースレニツァと呼ばれ1週間の祭りのあいだ市中を引き回されて最後の日に焼かれ、
冬とサイナラ〜するためのものなので厄払いのヒトガタとはちょっと違うのですが細かいことは ま、いーデショ。
今朝その辺にある紙とか布切れとか使って作ってみました。
ホントの藁人形ジマーさんは、人と同じくらい大きいんです。
伝統的なスタイルは、帽子に長い上着をきて帯を締め木の皮の靴をはいているというのですが、
個人でコッソリ燃やすのにそんなデカイもの作ったらナニゴトかと思われるので
ペーパーナプキンのスカーフが似合う程度のちっさいものを作りました。
衣装も実物がよくわからないのでどうしたものかと悩んでいたところ、
オッサンが「ジマーは冬のババ」だからババでいんじゃナイ?」というので、
田舎のおばちゃんスタイルにしてみました。
マトリョーシカを参考に顔を描いたら
「それババじゃなくてネエチャンですネエ〜、本当に燃やすんデスカ?」
「燃やします。」
「ネエチャンなのにー」
「ババならいいのか」
「ババいらないも。」
で、
こんなんできました。いかがでしょう。
オッサンがブレーキを調べるというので人形を持って一緒についていき、
ガレージの前の雪山に刺し「厄払いお願いします」と火をつけるとネエチャンはゆっくり燃えていきました。
さよならジマー。
冬と共に厄もさよなら・・・のはず??
すると車をみていたオッサンがブレーキの故障の原因がわかったから部品買いに行くといいました。
「どうや、ネエチャンの威力はすごいやろ〜私に感謝せんと。ん?」
「・・・・・・・・・・・・・。」 ←感謝がないご様子。
感謝どころかネエチャン燃やして恨まれてたかもしれませんが
とにかく車はその後数時間で直り、無事乗れるようになりました。めでたしめでたし。
○ ○ ○ ○ ○
さて車はいいとしてオカーサンです。
2日目のパーチーで何を作ろうかと考えていたら、
「オカーサンがね、今日は夕ゴハンの後のお茶くらいの簡単なパーチーにするって
電話してきたから車も直ったしどっか行きマショウ〜」というので
疑い深いヨメは「それって・・・・」と言いかけると
「時間は7時半ころって。ケーキ準備するから何も持ってこなくていいって」
マジですか!!
ジマーの威力はここまで及んだか〜
人形作ってよかったな〜。
ということでオッサンが行ってみたいらしい郊外の小さなスキー場へ出掛けました。
途中小さな広場のようなところでジマーを燃やして宴会している村の人たちを見かけました。
スキー場に着いたのはもう夕方近くだったのですがどんどん車が入っていきます。
ゲートのオニイチャンが、
「入場料は100ルーブルです、あ、コドモは半額。」
というので150ルーブル払って入ってみました。
中には小さなスケート場、チューブ用の小さなコース、ロープリフト1機の小さな小さなゲレンデ、
バーニャ(サウナ)やコテージ、バーベキュー用スペースや子供遊具などがあり結構にぎわっていました。
この冬オッサンは日本にスキー(と温泉)に行けなかったので、スキーしようかなと思っていたらしいですが
ゲレンデを見て考え込んだようでした。
そのあと一応レンタルの受付へ行ってみて「金払って滑るのバカバカしい」と言って帰ってきました。
「日本の人は自分の近くのどんなスキー場でも感謝して滑ってクレッ!」
というのがオッサンからみなさまへの伝言です。
結局何があるか見て回った程度でさっさと帰ってくることになったのですが
私の印象としては子供を遊ばせるには十分だしスキーやスノボをはじめてやる人には悪くないです。
トイレも何箇所かあるし、雪の中でただ飲んだクレてバーベキューしたい人にもいいです。
帰り際、そんな飲んだクレの宴会の横を通ったらここにも
ジマーが立ててありました。
カメラを向けると気がついて、
「ネーチャンも飲みに来いや〜!」 とお声がかかりついフラフラと・・はオッサンにラリアートかませられて
そのまま雪の上を車まで引きずられたのでナシ。
「高い見学料でしたネエ・・・」
というオッサンをせかして本日のメインイベント、オカーサンの誕生祝いに行かねばなりません。
夕ゴハンも食べていなかったので途中すーぺるまるけに寄り、 ←ロシア語でスーパーマーケットはスーペルマルケット
いろいろ買い込んでオカーサンの友達家族も拾い、向かいました。
オカーサン、誕生日おめでとう〜〜
夕ごはんはいらないはずだったみなさんですがなぜか我々が食べる分がないほどさっさと食われてしまい、
オロオロするオッサンにオカーサンが
「アンタは太りすぎなんだから食べなくていいのよッ。」
そして私に向かって、
「ちょっとこれからこの子に何も食べさせないようにしなさい」
するとオトーサンが
「それは危ない。何も食わせなかったらヨメが食われる。」 と言い、
一同大笑いでわはははははははーーーーーって・・・
それはいいんですが私の食べるものはどこにあるんでショ?
私は食っていいのでは?
私の買ったチキンは誰の腹?
私に食わせろ!!
ジマーはありがたい人形でオカーサン誕生日おめでとうというお話でした。
※ウラジオ郊外の小さなスキー場「コメット(カミェータ)」
Центр зимнего отдыха "Комета"
ウェブサイトあり