めるのロシア日記 調子悪くてあたりまえ

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2005年10月1日(土) 担ぎ屋いろいろ

スカッと晴れ。 23:22の外気温13℃、室内22.5℃、湿度34%

スカッと晴れた土曜日なのに森にも海にも行きませんでした。

『オカーサンが中国に行っているから』 です。

ゆうべ電話に出ていたオッサンが、
「オカーサンは今から中国行きますケド何か欲しいものアリマスカー?」って叫びました。
今から行くアルか!
そりゃまた急アル。
ま、中国は隣り合わせなので買い物街はバスで4時間半くらいなんですけどね。

「別にないけど・・服は買ってこなくていいです、って言っといてくれへん?」
「それはもう言いマシタ。ほかは?」
「んー、じゃ、ゴマ油!」
「ワカリマシター」
・・・とはいってもオカーサン、絶対服買ってきます、間違いない。
もし買ってこなかったらー
はい、買ってこなかったら?
北方領土を返してやろう! ←ま、それくらいってコトです。

浦の人はよくお隣の中国に買い物に行きます。
団体(5人以上)だとビザも要りません。
日本では聞いた事もない「綏芬河・ロシア語だとスイフェンヘ」という国境の町の名前を
浦で知らない人はいません。
(私にはどうしてもスイフンヘーと聞こえるのですが日本語の世界地図を見たら
ソイフェンホーと書いてありました)
この町は確かに中国なのですがロシア人専用買い物町と言ってもいいくらいロシア人のための町です。
町のほとんどの人、子供までロシア語を話すし、犬もロシア語でガフガフ鳴くし、
表示はロシア語、店の中国人は「私はサーシャです、サーシャと呼んで下さい」と言います。
でもやっぱり中華商人なのは「一回来たロシア人の顔と名前を覚えて」いて、
翌年行ってばったり会うと「やあ〜セルゲイさん、あのふとんは使っていますか、
暖かいでしょう?いい羽枕も入りましたよ」とか言われてしっかりリピート買いさせられる事です。
なんていうか・・・・見習えよロシヤ人。

ところでこの旅行はどうしても大型の何かを買いたいんじゃなければ旅費はタダにできます。
そのかわり帰りは大型の荷物。
中国からの荷物は50kgまでなら免税なので業者が旅費を出してそのかわり
商品を預かって持って帰る、っていうヤツです。
つまり「担ぎ屋旅行」ですね。
向こうで中華料理食べてショーなんか見たりサウナ行ったりディスコで踊ったり
オネエチャンと遊んだり手荷物程度の買い物くらいは自分のもできますから
結構みんな利用します。

日本人が行ってもめずらしいものはないし質もよくないし、
中華料理もあんまりおいしくないという話ですが
日記のネタに、じゃなくて、話のタネに一回行ってみたいとずっと思っているんです。
広場で待ってると近郊のお百姓さんがつぎつぎとロバの馬車で野菜とか運んでくるそうですよ、
ロバの馬車!! ←パン?
ィイ!それ、ィイイイイイイイイイイーーー!
絶対行きたいです。

森や海へ行かなかったオッサンは一日中バタバタと車の部品調達に走り回っていました。
今週末、ヴァレリが子犬をとりにモスクワにいくので
サーシャに頼まれた部品をついでに持って行ってもらうのです。

ヴァレリは優秀な外科医で海軍将校で北極海でイルカ捕っていたはずでは?
はあ、ですが犬が大好きなのでブリーダーもやってるんです。
「ロシアでは犬より人間の方がマナーを知らない」というのは彼の常套句。
サーシャはあの車マトリョーシカで浦からリペツクまで帰ったムチャなオジちゃんです。
「ヴァレリぃ、また犬買うん?その前にアパート買ったほうがいいんちゃうん。」
↑2DKのアパートに親子3人犬3匹。
「それはワタシもそう思いマスガ・・・まあ言えマセン、ブヒン預かってもらうし」
↑そういうコトをきいたんじゃないです
「しかしなあ、これ、預かってもらうにしては荷物、大きすぎやと思うで」
「ハア、たしかにソデスネ。しかも彼はまだモスクワのイトコからもブヒン頼まれてるヨー、
それは10kg!イトコは中古のクラウン乗ってるんだって。」
「なんか犬買いにいくのに部品まみれやのー、部品の担ぎ屋じゃ。」
「そう、東から西に行く人は絶対ブヒン、ブヒン。あの人もこの人もブヒン。
日本からウラジオ、ウラジオからモスクワ、
どこからでも東から西へはブヒンがヒョージュンソービ。」 ←標準装備?

それ、チョ→→嫌です、オプションにして下さい。
(めるさんいつも部品まみれ)

<本日の夕ご飯>
今日はオカーサンがいないのでオトーサンも一緒に
ウニソースのフィトチーネ、トマトサラダと焼きたてパン、白ワインとチーズと牛ハム

ロバのパン公式サイト
※そんなヴァレリはこんな人2004年9月27日

2005年10月2日(日) TOTOシステムキッチン?

晴れ。風強し。 
12:00の外気温25℃、室内22℃、湿度38%
23:15の外気温12.1℃、室内21.6℃、湿度43%

久しぶりに市場に買い物に行きました。

一年ぶりくらいに見るトマト売りのオジチャンを見つけました。
オジチャンのトマトはとてもおいしかったので以前はずーっとこのオジチャンから買っていたのですが
市場が改装されてから姿が見えなくなっていたのです。

近づいて行くと、「久しぶりだねえ、一年ぶりくらいじゃないか?」と向こうから話し掛けてきました。
「オジちゃんー、どこにいたの?」
「ここの通りの反対側で店出ししてたさ」
「知らなかった・・・そんなとこあったんやね、ずっとオジちゃんを探してたよ」
「それはそれは。これからまたこっち側に出すから買っとくれ」
「うん、袋ちょうだい」 ←自分で詰めて量り売り
「はいよ」
ということでおいしいトマトときゅうりと、玉ねぎを買いました。

オッサンが怪しい(?)中華商人の店で何かを探しています。
「アー、アリマシタ、コレコレ。」
ビニール袋に入って白く結晶した粉。
そッ、それはヤバイでしょう、そんないっぱいこんな白昼堂々と。
「コレネ、ジーマに頼マレタ。サーシャの荷物と一緒にヴァレリに持って行ってもらうの」
ジーマというのはサーシャと一緒に車を買いに来て一緒にキャラバンして帰ったオジサンですが
彼は昔ウラジオに住んでいた事があり、そのときにこの粉の味を覚えたようです。
でもモスクワ周辺ではなかなか見つからないんだそう。
そう、その粉とは

『味の素』  ←中国語では『味精』

もっと正確に言うと『味精』のパチもん。

「コレがどうしても欲しいんダッテ。大好きなんダッテ。」
「へえ〜。こんなグルタミン酸ねえ、ま、いいけどますます重いな、荷物。」
「え?グル、グルタ・・? まあ、重いのはソウデスネエ、
まだマツダのポンプまで要ることになったし」
「あ?」

サーシャの自家用車はオッサンが乗っていたマツダくんなのですが、
「サーシャに売る前、ナンカわけわからないロシアの安いクーラント液を入れマシタ。
ここで一年くらいちゃんと走ったヨ、でも変なヤツだったみたいでだんだん鉄を食っチャッタ。
もお〜今、あちこちから漏れはじめてタイヘン、それでとうとうシステムキッチン、
ポンプごと替えないと」
「今なんて?」
「・・・・・・・・・・・。」
「TOTOシステムキッチン?」
「・・・・・・・・・・。」
「TOUTOシステムキッチン?」
「アイ、アイッ!痛いデショウ、トマトが落ちるじゃん、人見てるし」

▽△  ▽△  ▽△  ▽△  ▽△

市場に久しぶりにあったサンマを夕ご飯に塩焼きして大根おろしでおいしく食べていたら
電話がかかってきました。
「ダ、ダ、ゴハン食べてるところ。ダ、アガ、もう車ガレージに入れちゃったカラ明日にする、
ノ、ラードナ、ダワイ。」
「オカーサン中国から帰ってきたん?」
「うん、こっちに来ますか?って言うけどもう車ガレージに入れたしメンドクサイから明日」
「じゃ明日ゴハン持ってって向こうで食べよか」
「ソーデスネ。」

ゴハンの後オッサンの大好物ぶどうをつまみながらお茶を飲んでいました。

「ワ!コノぶどうはやっぱ中国ナア!見かけはきれいダケドおいしくナイ。」
「あ、おいしくない?どれどれ。うーん、ホンマやな」
「やっぱ汚くても黒い奴らが売ってても中央アジアからくるヤツがオイシデスネエ〜」
と言って冷蔵庫からシポーヴニクのジャムを出してきました。 ←海で摘んだアレ
「ぶどうおいしくないからジャム食べマス」
「・・・・・・・・・・・。」
まあ慣れましたが、こういうものをそれだけで食べるっていうのは改めて考えるとスゴイ。
日本でジャムだけ舐めるなんてしたことなかったが・・・。←ええ私もロシアではやってます
そこへまた電話。
「ダ、お茶飲んでテレビ見てるところッ。ダ、ダ!だーかーらあー、
車ガレージに入れちゃったカラ行かナイってば!明日ッ!明日だって!じゃ明日ねッ。」
ピッ。 ←切った。
「もお〜〜オカーサンわあ、また、来キマスカ?って。さっき行かないって
言ったのに!シツコイッ!」

オカーサンは中国の買い物を見せたくて見せたくて仕方ないようです。

・・・・・・・・・コワイ。
・・・・・・・・・コワイよおおおお。


<本日の夕ご飯>
サンマ塩焼き大根おろし添え、大根と手羽先の中華風炒め煮、トマトときゅうりのサラダ

2005年10月3日(月) 着なくてどうする

スカッと晴れ。 14:20の外気温13.8℃、室内23℃、湿度28%

ホンマにいい天気です、秋晴れってやつです。
浦に旅行するなら9月から紅葉の終わる10月いっぱいがお勧め。
夏は天気が悪くてよくないです。
「ウラジオストクに夏はない」は地元民の決まり文句。

さて今日は両親のアパートに「コワイ」中国の買い物を見に行く日です。
見に行くだけならいいですがコワイおみやげ付き。

きのこを詰めたローストチキンとパンを焼いて向こうで夕ご飯しようと出かけました。
「なあ、絶対服買ってきとるよな、オカーサン」
「でもワタシは言いましたヨ、買ってこないで、って。」

まあ、見ときなさい。

両親のアパートはぱっとみ、何も変化がないよう・・・
わ!!
キッチンに薄型テレビが置いてありました。
キッチンでテレビは見ないからっていってテレビ、ウチにくれたのに
ホンマは新しいテレビを買いたかったという事ですか?
あのテレビうちでも置くとこなくてタンスの上に置いてるんですけど。
別にいいんですけど・・・
欲しかったら譲ってもいいよ、って言ってますが
必要じゃないようなものを×××ドル出してわざわざ買ってくる必要があるんでしょうか・・・・
しかもココは電波状態が悪くてアンテナがあっても映りが悪いし
衛星アンテナも立ってないし大型テレビもすでにあるし。
よりなによりキッチンでテレビは見ない、っていうのは何だったんで・・まあいいんです。
オカーサンが自分のお金をどう使おうと余計なお世話ですもんね。
めるさん、嫌味なシュウトメのようになってしまいました。

さてオカーサンは袋からなにやらゴソゴソ・・・・






「これ!着てみて!」

うあ!
白いナイロンでローズピンクのフリースの裏地がついたブルゾン!!

これを私にどうしろと?  ←着るんだよ

着てしまえ、と?  ←そうだよ

スキーウエア?  ←阿呆

呆然としているオッサンに、
「あの子には黒とか暗い色は似合わないのよ、白とかピンクとか赤とかそういう色がいいのよ」
「ソウナンデスカ?」 ←私に向かって
私に聞くな!!

ところで。
なんか袖とか胸とかちょっと苦しいんですけど・・・
キツキツっていうかパツパツっていうか・・・

「太った?」
「オカーサン、そんなはっきり。」
「あっらー、この子は知らない間に太ったみたい、ま。どうしましょう、ちょっと貸しなさい」
といってアイロン出し始めました。
オカーサン、アイロンでシワのばしたところでサイズは変わりません・・・
ちゅうか太ったのか、自分!!!!
「アリちゃんはフトッタ。」
うれしそうに言うな!!
アンタにだけは言われたないわッ!!

「はい、着てみて」
アイロンできれいになりましたがやっぱりサイズは変わりませんのよ、奥さん。オホホ。
「・・・・・・・・・・・・。」  ←自分
「ま、太ったからね」 ←オカーサン
「そう、フトッタ」   ←オッサン
アンタが言うな!!

「ところでこっちはアンタによ」 といって、
オカーサンがジャケットというかブルゾンと言うかジャンパーというか作業服というか・・。
「・・・・・・・・・・・・・。」 ←オッサン黙る。
「着て見なさい」
「・・・・・・・・・・・・。」 ←無言で着る。
「ハッハ!いい労働者だな!」 ←オトーサン
「そんなことないわよッ、モードなのよ、こういうのが流行なんだから、
今、一番モードなデザインなのよ!」
「・・・・・・・・・・・。」 ←黙って脱ぐ

なんていうか・・・色もデザインも素材もあんまり「作業服」みたいだったので
オッサンちょっと引いてしまったようです。
大人のカジュアルってお洒落なオトコじゃないと難易度高いんですッ!!
オカーサン、自分の息子のこともっとよく見てくださいッ!
こんな全身改造しないといけないような息子さんですよッ!

なんか予想どおりの展開で妙に納得してしまいました。

そのあとおいしくチキンをいただいて、
パツパツのスキーウエアと作業服を着て帰りました。

やはり北方領土は返還できないことになりましたよ。
それよりなにより
「服を買ってきて欲しくない」 とはっきり伝えたはず。
戦争に負けた国のいう事に耳を貸す気はさらさらない、ってことでしょうか、プーたん。
じゃなくてオカーサン?


<本日の夕ご飯>
両親の家できのこ詰めローストチキン、カレイのムニエル、パンと野菜

2005年10月4日(火) エカテリーナはカタリーナ

晴れ時々曇り。 8:25の外気温9.7℃、室内20.2℃、湿度56%

いよいよ朝10℃を切る時期に入ってきました。
さすがのオッサンも今日は長袖着て仕事行きました。
え?いままで半袖だったのかって?
そのとおりです。
(私もちょっとどうかと思いますが)

キッチンの壁に薄茶色の小さなクモを見つけました。
全体が一センチくらい。
朝クモは縁起がいいらしいし、今、ヨーグルトもクワスも家で飼ってないから
生き物(微生物?)が何もいないので何か嬉しいです。 ←アレはいますが。
どっからきたんかな?
ウチの窓は取り外しできない網戸が入っていて直接外に開かないし、
クモチャン、ここでえさは捕れるんだろうか・・・
クモは生餌しか食べないんじゃなかったっけ?
あっ、アレでもよければ毎日少しずつ食べていいよ!
どうもね、自分の意思で痩せることができないみたいなんだよ、
それでクモチャンに、出来上がったカラダをこっそり食べてもらって
痩せてもらうのはどうかと思って。どうだい?クモチャン。
注文つけて申し訳ないけどまずほっぺたの辺りからお願いしたいなァ、
なにせ後ろアタマからはみ出してるもんで。

○  ○  ○  ○  ○

甚大な被害が出たアメリカのカタリーナ(&リタ)ハリケーンですが、
ロシアのニュースで見るまでこんな話がまことしやかに流れているとは知りませんでした。

「カタリーナはファンドで大儲けした日本のヤクザが原爆投下の仕返しに
旧ソ連が開発した気象兵器を買ってアメリカに起こしたのだ」
byスコット・スティーブン(TVキャスター気象ジャーナリスト)
・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
原爆投下の逆トラウマですか?
それとも普通に阿呆?
TIMEの表紙にまでなったそうじゃないですか。
アメリカってアホちゃうけ?

まあ向こうはロシアが売った、ちゅってるんですからロシアも受けて立たねばなりません、
科学者先生が呆れた顔で「ばかばかしい、有り得ない」って言ってます。
「今現在使える気象兵器は世界中どこにもないはず」って。
しかも「ロシアは予算枯渇してもうこの研究は放置されたまま」 と言って
なにやら錆びた電線みたいなものがいっぱいある、
変電所みたいな感じの施設が映っています。
それよりアメリカはアラスカにオーロラ研究とかいう名目の気象兵器の研究施設(HAARPの事か?)
を作っていて年に数万ドルを投入して現役で研究してるんだから
おまいらこそどうなんよ?という内容。

ありゃ〜、もしかして自分で実験しちゃったんですか?
そんでもってアフリカ系アメリカ人ばっかり住んでる所を狙ったんですか?
えげつないなー
カタリーナのニュースでニューオーリンズが酷い被害と知ったとき、
一番最初に思い浮かんだのはネヴィル・ブラザーズは無事なのか??です。
なんしか、この世で一番好きなボーカリストはアーロン・ネヴィルなもんですから
ごめんなさいですけどそれです。
幸いネヴィル・ブラザーズはツアー中で無事だったそうで、
その後の救援コンサートにも出てたようですが家からスタジオから水没してしまいました。

そのネヴィルファミリーの娘さんでR&Bシンガーのシャーメイン・ネヴィルが
その時の様子を語った記事を最近になって見つけました。
衝撃的です。
あんまり衝撃的なので今頃ですが紹介します。

ちなみにカタリーナという名前はロシアではエカテリーナ。


※この証言は「hiphop generation」のオーナーでNYブルックリン在住のライター、
塚田桂子さんがニュースより翻訳したものです。
シャーメイン・ネヴィル:ニューオーリンズ市の生存者の証言・日本語訳


<本日の夕ご飯>
ブタのロースト、揚げナスの海老蕪あんかけ、野菜とリンゴのサラダ、味噌汁

アーロン・ネヴィル

2005年10月5日(水) 生命維持の危機

晴れ。 8:06の外気温7.6℃、室内19℃、湿度46%

朝起きあがる時から足が痛くてヨロヨロとベッドから這い出たんですが、
足全体に筋肉痛、特に股関節から大腿。

一日中、なんでかなー?
何も運動してないし、変なあ?と考えながらぎこちなく家事していたんですが
オーブンの中を拭こうと思いしゃがんだとたん痛みの位置がドンピシャ。
なるほど。
焼き豚や。

きのう豚を焼いたんですが、オッサンが予定通りの時間に帰ってこなかったので
焼き上がりを合わせようと温度や位置を変えて何回もオーブンを開けたり閉めたり
そのたびにしゃがんで立ってを繰り返したのです。
何も運動してないのに変なんじゃなくて何も運動してないからこうなったわけですな。

「信じられナイ。そんな事で筋肉痛なんて、もう死んじゃうんじゃないデスカ?」

さすがの私も生命維持の危機を感じたので
明日からスクワットとか、します。
(今日しろや)


<本日の夕ご飯>
牛ステーキきのこソース、コーンスープ、野菜サラダ

2005年10月6日(木) ロシア語できて大恥かいた

晴れ時々曇り。 6:43の外気温12.4℃、室内21.3℃、湿度51%

おはようございます。
真っ暗です。

オッサンが歯磨きしている音が聞こえたので、
慌てて飛び起きキッチンに行くとまだタイマーのパンが焼けていません。


時計を見たら6時前でした。

「オジちゃーん、時間間違えてひん?」
「まひがへてなひでふお」 ←歯磨き中
「今日なんかあるん?」
「今日ブリャートから偉いセンセエが来るカラ出迎えに行かなきゃいけマセン。」

ブリャートの偉いセンセエ・・・・

その言葉で脳裏に浮かぶ、そう、あれは数年前日本から浦へ帰る飛行機・・・。

私の隣にきちんとスーツを着た中年の女性が座りました。
その女性は空港の待合で私の顔見知りの県職員の方やロシア人の留学生と
日本語、ロシア語の両方で談笑しておられました。
ロシア語完璧なオバハンやな〜スゲーと思ってぼんやり見ていたその女性です。

あいさつだけしてうとうとしてしまい、機内サービスで起きたとき話しかけてこられました。
「あなたはロシアに旅行ですか?」
「ええ・・・はあ・・はい。」 ←ちゃうやんけ
「ロシアははじめてですか?」
「ああ・・はい。」  ←大嘘つき
「私は日本の大学で一ヶ月間ロシア語を教えて、これから帰るところです」
え。もしかしてロシア人??
「ロシアではイルクーツクとウラン・ウデの大学で日本語を教えています」
「日本語の先生ですか!私はてっきり日本人の方だと思っていました〜」
「私の母は韓国人で父はブリャート人です」

ブリャート(ブリヤート)というのはモンゴル近く、
バイカル湖一帯にある自治共和国で首都はウラン・ウデ。
このあたりはブリャート族などモンゴロイド系少数民族の居住地のため
外見は東洋人という人が多くて
なにやらものの本によると日本語の起源はこのあたりにあるとかないとか。
まあそんなわけで韓国×ブリャートでおまけに日本語完璧ですから、
私はすっかり日本人のオバハンと思ったわけです。

「私の学生達はとても熱心に日本語を勉強しています、
あなたは何かロシア語を知っていますか?」 ひえええーキターーー(゜▽゜;)ーーー!!
私は人も驚く「ロシアに住んでいながらロシア語ができない」人間なのだあああーー

「え、えーー、こんにちは、くらいは・・・・」 ←もう大汗
「言ってみてください」  
「ズドラーストヴィチェ・・・・」 ←さらに滝汗
「素晴らしい!!あなたは本当にロシア語を勉強した事がないのですか?
あなたは是非、ロシア語を勉強するべきです!ロシア語を勉強してください。」
「は、ははは・・」 ←穴があったら入れたい ←×

その後先生は「少し休みます」といってロシアに着くまで熟睡されました。

センセエエエエエーーー
ごめんなさああああああああああーーい
私ロシアに住んでるのおおおおおおおおおおおーーー

ロシア語が「できて」こんなに恥ずかしかった事はありません。

あ、オッサンのほうのブリャートのセンセエは
「困ったことに来かった。」 そうです。
(そりゃ困った)

<本日の夕ご飯>
辛明太子スパゲッティ、鮭のムニエル・マヨ醤油添え、コールスローサラダ

2005年10月11日(火) おっさんですか、シャアですか?

晴れ。 

昔々「ジンギスカン」というグループがおりました。

西ドイツ(当時)はミュンヘン出身のグループで、
70年代後半のディスコシーンを華々しく飾っていたミュンヘン・サウンドの巨星です。

怪しいおっさん4人とクドめのオネイサン2人の押し出しの強いキャラでキワモノっぽいですが、
バンド活動とかで自然発生したグループじゃなく最初からビッグヒットを狙って
プロデューサー連中が作ったグループなので、
歌は上手いし曲はキャッチーやし、変やねんけど聴かずにおれん、という作りになっております。

ロシアでジンギスカン(チンギスハーン)を知らない人はいません。
今でも町なかとかラジオで時々聴こえます、
冷戦時代の当時、入ってくる西側のポップスはイタリア、ドイツの曲が多く
もうスタンダードになっているんですね。

さてジンギスカンですが、1979年のジ・ジ・ジンギスカーーン♪という
「ジンギスカン」が日本でも大ヒットしまして
次の、もすかう、もすかう♪という「めざせ!モスクワ」も大ヒットしました。

なんでかわかりませんが、ジンギスカンは学校ダンスで使われているらしく
この曲がリヤルで流行っていた当時にはいなかった人も知ってるらしいです。

「めざせ!モスクワ」はモスクワを褒め称える歌詞になっており、
1980年のモスクワオリンピックを意識して作ったのはミエミエですが
ジンギスカンがモスクワオリンピックに招待されたという噂は本当ですか?
ウチのロシヤ人にきいたところ「知ラナイ」と言っていますが。
アメリー君やにほんちゃんはこのオリンピックをボイコットしました。
ん?
そこのアナタ、へー、とかいってホンマはリヤルで知っとんのやろ!!

で、そのもすかうこと「めざせ!モスクワ」ですが、
なんだか今、東の端のチンケな島国で流行ってるらしいです。

「もすかる」とかいう動詞までできてます。

Ты,москаешь? 「もすかる?」
Да,москаю!   「もすかる!」

と言って喜んでいたら、
「何ナンデスカ、ソレ。さっぱりワカリマセン、第一ロシア語でもないしワケワカリマセン、
聞いてて恥ずかしいデス、こんな奥サンでワタシは運が悪い」
「なんやと?アンタかて私のジンギスカン、料理のフォルダに入れたやないか!」
「ジンギスカン?ジンギスカンなら焼肉!ロシアではチンギスハーンなのッ!」

ウチのオッサンが、私のパソコンのごちゃごちゃ加減が我慢ならず、
ジンギスカンを「料理」のフォルダに入れてしまった話を4月に書いたのですが
その時にジンギスカンをはじめて知ったというYさんから
「めざせ!モスクワ」がえらいことになっています、というご報告を頂きました。

おなじみのO-Zoneの飲まフラッシュの次のブームが「めざせ!モスクワ」の
「ますかうフラッシュ」だという噂・・・・うあ!
うあ〜〜、なんな、コレ?
こんなことになってんですか?
知らんかったな〜
みんなそんなにロシヤが好きなんですか? ←違うと思います

おっさんですか、シャアですか?  うちはオッサンなんですけど。
大阪ですがシャアですか?     ロシアでオッサンです。

わけわかりませんね。

ま、とにかく、もすかる?↓
もすかう教(狂)さん


※「もすかう」とは。に、もすかうフラッシュ1〜7まであります。見るべし。

※残念ながらドイツのグループなのでロシぴろさんでは売ってません、買う?
※Special thanks Yさん


<本日の夕ご飯>
肉じゃがジンギスカン、豚肉の一口揚げもすかう風、ツブ貝とトマトのもすかう炒め、ブチョクのおっさんスープ、もすかうサラダ
今日の気温はもすかってたら見るの忘れました。

2005年10月17日(月) 休みありすぎだ

雲ひとつない晴れ。 11:35の外気温10.2℃、室内20℃、湿度29%

朝起きたら水が止まっていました。

何度こんなことを書いたかしれませんがまあそんなもんです。(実は暴れてる)

オッサンは今日から三週間ほどの休暇に入りました。
有給休暇は年に2ヶ月程度あるのですが(ありすぎだ)完全消化するため
去年から強制的に割り振りされるようになりました。
というのも仕事に行けば稼ぎがあるのでみんな休まなくなってきたからです。

今日は休暇初日なのですが朝から普通に仕事に行きました。
しかも今晩から3日間ハバロに研修にいかなくてはなりません。
こう書くと何か大変なようですが休みすぎなんですからいーーんです。
オッサンは毎日5時か6時まで「残業」して、ときどき土曜日にも顔出したりはしていますが
それは全部規定外の仕事、
ほな「規定内の仕事」って何やねん!!!! とツッコミたくなりますね。
ええ、ツッコンで下さい、厳しくツッコンで下さい。

出発は夜の7時、2時頃帰ってきて昼ごはんを食べて出発前に夕ご飯も食べて
出かけると言ったのですが結局仕事がおして5時過ぎまで帰ってきませんでした。

急いでゴハンを食べてうんこしてパンツと靴下をいつもの通勤バッグに放り込んだら
準備完了、
「タクシーで行きますからもう出ますネ!」
「なん?オカーサン送ってくれるんちゃうの?」
「言うの忘れチャッタ。さっき電話したケドどっか行っていなかったんデス。
時間ないから行きマス、じゃ退屈しないでネ、誰にもドア開けないでネ!」
と言って飛び出して行きました。

あんたら、用もない時はくどいほど連絡取り合っとるくせに
肝心な時にあかんな〜

さてさてオッサンが帰ってくるのは木曜日です。
ラ、
ラ、 
ラッキーvv


<本日の夕ご飯>
春菊の卵とじスープ、ゴボウの炒り鶏風、手羽先の南蛮漬け、野菜サラダ

2005年10月18日(火) レーニン埋めようや?

めっちゃ晴れ。 20:58の外気温6.8℃、室内18.7℃、湿度53%

室内が20℃切るようになってきました。
これから暖房が入るまでがロシアで一番寒く感じる時期かもしれません。
・・・なんて客観的コメントしとる場合じゃなくてまさにそうなんです、
さぶいです。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

今まで何度となく沸いてはまた静かになりを繰り返している話題がまた沸いています、
そう、「レーニン埋めようやないか論争」。

ソ連も崩壊してもう14年ですからレーニンというのが誰か知らない人もいるかもしれません、
そういう方はコッソリ検索してください。

レーニンさんは赤の広場の「レーニン廟」にすごいエンバーミング技術をもってして
生前の姿そのままに安置され、みなさんに公開されています。
モスクワを訪れてその姿をご覧になった方も多いでしょう。
え?
ご対面できなかった?
ええ、そうなんです、実はしょっちゅう修理中で入れないんですわ。
私も会ったことがありません。
浦の駅前広場にはおいでになりますけどね、
右手を大きく挙げて指しておられる方向はどうみても日本です。
やや、日本のタバーリシ、我が国民のために中古車をもちっと安くしてくれはしまいかと
おっしゃっておられるのかもしれません。
(しませんよ)

しかしソ連は崩壊してしまったので偉大だったらしい指導者をいつまでも奉っておくのもどうか、
墓地に埋葬したほうがいいんじゃないかという論議が起こったのに対し、
いや何を言っとるか!偉大なる指導者は永久にその姿を残し理想世界ソ連の栄光を知らしめるべきだ、と
もうずーーっと前から政局を二分してガタガタしているのです。

この話題は沸いたり沈んだりを繰り返して決着が付かないので今もレーニンさんは
赤の広場におられるわけですがまた最近論議が沸騰してきました。

プーたんの出身、サンクト・ペテルブルグのマトビエンコ市長はレーニンさんを
エジプトのミイラに例えて遺体の保存を批判しましたところ、
共産党の議長が大反発しまして埋葬するならクレムリンを一掃するというような過激な発言も飛び出しました。

この論争について私とオッサンの意見は「レーニン埋めるな」で一致しています。
その理由は「レーニンはその身をもって資本主義ロシアに貢献するから」です。

ソ連が崩壊してからはや14年。
今ソ連の記憶をはっきりと残しているのはすでに20代後半以上の人になっています、
あと数十年したら当時の苦い記憶を実際に持った人もほとんどいなくなり
ソ連はノスタルジックな過去となるでしょう。
だいたい過去というのは実体験者が生きているうちは生々しすぎてノスタルジックになりえません。
失った遠い過去になったとき伝説のレーニンが生前の姿のままロシアにいたら「なんかスゴ〜イ」ので
みんな一度それを見てみたいとなり、世界中から見物者が訪れます。
レーニン廟ももっとスゴ〜イ建物にするといいでしょう。

マトビエンコさんはエジプトのミイラを引き合いに出しましたが、
ミイラさんのおかげでエジプトには莫大な収入が転がりこんでいます。
フツーの人のミイラさんでも古ければ古いほどイイワケですから伝説の人のミイラさんは
さもありなん、しかもソ連ロシアが世界に誇る遺体永久保存技術で生前そのまま、
今にもひょっこり起きてきそう。
チェコのゴットワルト大統領やブルガリアのディミトロフ首相の保存遺体が荼毘にふされて
数もだんだん減っているしなんといってもレーニンさんは永久保存処理の第一号です。

それからソ連(ロシア)遺体永久保存チームの技術。
死んでも生きているようなミイラにして欲しい悪趣味な金持ちは世界中にいますからね、
お声がかかればどこへでも外貨を稼ぎにまいりまっせ、
成金、マフィアなんでもござれ。  ←今でもやってますが
最高のサンプルは赤の広場にありまっせ、レーニンさんを見とくんなはれ、です。

レーニンさんは母親のお墓の隣に埋葬して欲しかったようですし遺族も埋葬を望んでいましたが
すいませんがソ連はオオゴトになりましたから出来る限り責任を取ってもらわねばなりません。

レーニンさんを埋葬するなんてとんでもありません。
レーニンさんはロシアにひとつしかないんですよッ。
忌まわしい社会主義のシンボルをそう簡単に見えないようにされては困ります。
埋めるのはいつでもできます、
元とってから埋めようや。
(地球もうないかも)


<本日のひとりごはん>
鶏から揚げマリネソースかけ、ホテルニューオータニ特製五十六カレー(もらいもん)

※レーニンのミイラに興味を持った方にはこんな本ありますレーニンをミイラにした男

2005年10月20日(木) ザックリサッパリ

8:33の外気温9.6℃、室内19.7℃、湿度58%

今日はオッサンがハバロから帰る日です。(チッ)

ゆうべオカーサンから、
「迎えに行かなきゃいけないけど明日何時に帰ってくるの?」 という電話だったので
「7時、朝7時に着きますよ〜」
「電話あったの?」
「ううん、ないけど行く前に切符見たもん。20日の00:01って書いてあったから7時1分」
↑鉄道はロシア全国モスクワ時間で表示されています
「そう、わかったわ。お湯も水も出てる?」
「うん、大丈夫」
「それならいいわね、じゃパカパカー」

というわけで寝台特急で一晩かけて浦に着くわけですが
帰ったらなにはともあれ、「朝ゴハン」です。
あんな窮屈で落ち着けない寝台車なんかで一晩寝てきても、
いつも元気にバリバリ朝ゴハンをお召し上がりです。

バリバリゴハンですので朝も6時から起きていろいろ作って待っておりましたところ、
7時半過ぎても帰ってきません。
長距離なのでこれくらいのことはまあーあるか、と思っていたんですが
8時近くになっても帰らないのでちょっと電話してみました。

「あ〜、今着いたヨ!いまからウチ帰りマス!」
「えー?遅かったなあ、一時間も遅れたんやな」
「へ?8時に着くんですからいんデスヨ?」
「へ?8時?8時ぃぃぃぃぃぃーーー?私オカーサンに7時って言っちゃったよ!!」
「でもオカーサンは今、来マシタヨ?
マー、きのう7時ってきいた? ←オカーサンに聞いている
ああ、オカーサンは自分で調べたそうデス、だからダイジョブ。じゃ、帰りますカラネ〜」
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
さすがです、オカーサン。
阿呆のヨメを信用してはいけません。

こういう事はときどきありますがオカーサンはとてもザックリ→いえサッパリした性格なので
何事も結果オーライで、あの時ああやっていたら大変だったとか酷い目にあっただろうとか
仮定のトラブルを持ち出してグダグダ言うような事をしたことがありません。
まあいろいろあるんですが(汗)これですからオカーサンに頭あがりません・・・。

オカーサンが7時に駅に行って一時間待ちボーケだったらと考えると恐ろしくて身が竦みます。
朝の一時間はデカイよ〜
ひえええええーーたすかった〜〜
オカーサン、ごめんーーーー

しばらくしたらオッサンとオカーサンが帰ってきました。

「うわーー!オカーサン、私なんか勘違いしてたみたいでごめんなさい!
私の目はお尻についてるかも。」
「ニチヴォ、ニチヴォ、大丈夫よ。」
「オッサン〜私ゆうべ自信もって7時です!ってオカーサンに言うてん。
見間違うわけないと思うねんけどな〜、ホンマに7時と信じてたから朝6時に起きて
ゴハン作って待ってたけど帰ってきいへんし、
何回も温めたり火い切ったりしてバタバタしたんよ!」 ←なぜか責め口調
「あらら、ゴメン、ゴメン、ゴメンナサイネエ〜」 ←なぜか謝る

ゴメンナサイなのは私でした。すいません、さあみんなで朝ゴハン食べましょ!

ゴハンの途中でオッサンが
「切符は捨ててないから時間みてみようか?」と言ったのですが
私の見間違えでも時間変更があったんでも、もうどっちでもいい気がしたので
「ううん、いらんわ」といって断りました。
それよりほら、このイカの煮物おいしいよ、
オカーサン、こっちのゴボウのサラダも食べてみ?


<本日のひとりごはん>
ふりかけごはん、味噌汁、ゴボウと牛肉の当座煮

2005年10月21日(金) 初雪は猛吹雪!

初雪で猛吹雪。 15:00の外気温−4℃、室内17.9℃、湿度44%
          19:30の外気温−1.4℃、室内16.7℃、湿度35%


すごいんです。
吹雪なんです。
いま外、ぐおおおおおおおおおーーーとかいって窓枠に雪が叩きつけられています。
家の中は16.7℃ってアナタ、さぶいですよ、ホンマ。
今朝オッサンが出かけるときは雪なんか降ってなかったんです
オッサンは「半袖」にペラペラのジャンパー1枚引っ掛けて「行ってキマース」と出かけたんです。

ところがだんだん風が強くなってきて、ごおおおおおーーーとかいい出したあたりから
なんかヤバイなあ、停電するやもしれんと思った途端、
わ!
停電しました。 ←お約束

ウチ、山の上なので強風と雷でよく停電するんです。
強風?
電線がビシッと切れるのさ!
電線って簡単に切れるんだよ、ワハハハハ。(しくしく)

ちゅうわけで真っ暗な中(朝まだ暗い)バッテリでパソコン使っておりましたところ
うっすら明るくなってきたので窓を覗いたら、
うあ!!!!!!!
雪、雪降っとる!!!!
しかも猛吹雪でぶおおおおおおおーーーーとかいってゴミ箱のゴミが舞い上げられとるし。
ひえええええー、まだ紅葉も全開じゃない浦ですよ?
オッサン今朝半袖着て行ったんですよ? ←それもどうかしてます
暖房なんか入ってませんよ?
しかも停電。
ヒーターも使えません。

だんだんだんだん冷えてきてトレーナーからセーターに、その上にフリース、
パッチもはいて靴下カバーもはいてうーぶるぶる、
あかん。
お風呂で温まろうと思ってお湯をひねったら。
ぬるい。
ぬるいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーッ!
そうやった。最近昼はお湯の温度が低いんやった・・・
キーーーッ!
冬に向けて発電所が燃料の節約をしているという話やけど。
そやけど今日、冬やん、冬!
せめて熱いお湯出してくれえええええええ
さぶいちゅうねん。

そのうち電気がついたのでヒーター、ヒーター、と思って探したのですが見当たりません。
そうやった。オッサンが職場に持ってってしもたんや・・・
キーーーッ!
こんなときにどしてヒーターまでないデスカ! ←オッサンになっている
さぶいちゅうねん。

テレビニュースが、沿海州に大寒気のサイクロンがきてウラジオストクは
プラス20度から一気にマイナス5度です、町は雪で大渋滞の混乱状態ですと言って
中心部の事故や大渋滞の様子が映し出されていました。

そうやろ、タイヤかてノーマルやし坂の町やからな〜
えらいことになっとるなー
オッサン大丈夫かいな、と思いながら窓の方に近づいてみると去年と違う事に気づきました。

「寒くない。窓の近くが寒くない・・。」

いろいろ文句のある『勝手に大改装』の家ですが、
窓を替えたので隙間風がまったく入ってこないのです。
窓の威力はスゴイですね〜
もう雪とゴミが渦をまいてスゴイ事になっている外の景色も平気のへー。
これで町中の看板、新聞もテレビも窓、窓、っていう宣伝だらけなのがどうしてか体感できました。
窓を替えるとアパートの評価額が上がるというのもわかりました。
いや〜〜窓ってほんっとにスゴイです。
・・・・・・・って感心しとる場合じゃなかろう、
さぶいちゅうねん。

これはもう体の中から温まるしかないと思い、
煮込みうどんしました。
どーせオッサンは通訳仕事で外飯だからとウマウマで食べていたら。
帰ってきました。

「もお〜スゴイ事になってマスヨー、私は今日10分で行ける所を5時間かかりマシタ」
「ひゃー。テレビで見た見た。アンタ、半袖で寒かったやろ〜」
「それが5時間車の中ですカラ寒くナカッタンデス」
「あ、なるほど。そりゃよかったの。」
「よくないデスヨ。渋滞だも。」 ←はいはい。

ところでさっきからあなたの目は私のうどんに注がれてるんですけど
すいませんが一人前しかないんです。
「・・・・ゴハン食べた?」 ←おそるおそる
「うん、もうお腹イッパイ。お茶くらい飲みましょうカナ〜」
はいはい、といってカップやお茶を取りに立ち、戻ってきたら

あ。
うどん・・・・


<本日のひとりご飯>
煮込みうどん(途中)

その後頭の中に流れてきたのはこんな曲

2005年10月22日(土) お歳暮リスト

めっちゃ晴れ。 13:10の外気温−1℃、室内18.2℃、湿度40%

や〜〜、きのうはスゴかった!
一日中大荒れでした。
窓から見ると道路や日向は乾いていますが日陰は雪、
まだ緑の葉がついた木々の下に雪が積もっているという具合です。

オッサンの同僚から電話がかかってきたんですが
彼、きのう家に帰れたのは午前2時だったそうです。
去年も初雪が大雪だったんですが11月26日でした、今年は一ヶ月以上も早いですねえ〜
どうなってんでショ?

寒波は日本にも来ているそうですね〜
これからの季節、極東が寒くなったら要注意ですよー
そう、シベリア寒気団です。
夏は日本から台風がくるので浦の人は日本の台風ニュースに敏感になりますが
秋からは逆です、
寒気団はシベリヤから日本に行きます。
浦が寒波でさぶさぶと言ったらご注意、めるさんの日記をよくチェックしておきましょう、
ただ更新に責任持てませんが。

さぶいさぶいと言いながらパソコン使おうとしたらインターネットが繋がりません。
いまどきダイヤルアップってやつでガリガリガリ〜ってやっとる訳なんですが
普段でも繋がりにくいのに「寒いとき」や「雪が降る時」はますます繋がらなくなるんです。
以前、「ロシアの友達がたくさん雪が降る日はインターネットが繋がらないと
言うんですが何言ってるのかわかりません」という御相談を受けました。
私もどうしてかはわかりませんがその通りですとお答えしました。
どうしてなんですか?
誰か教えて下さい。

浦でもDSLは使えますし、周りもだんだんDSLにしていますがウチのアパートの環境では
費用対効果が悪すぎなので躊躇しているところです。

さてトライしてもしても繋がらないので時間がもったいないと思い、
パソコンの前でアイロンかけながら、プロバイダやアクセス番号を変えながら、
ぽちっと、ぽちっと、ぽちっと、ぽちっと、・・・・・・
シャツ4枚、テーブルクロス2枚、ハンカチ1枚、ふきん2枚、ずぼん1本、エプロン2枚を
かけ終わりましたが繋がりませんでした。
ま、こんなことはしょっちゅうです。

日本ではコンセントにつなぐ電力線通信の高速インターネットの実験しているようですが
それ、ロシアにはあります。 ←えっへん。
説明によると、ロシアでは電話がない家もたくさんあるので電話線を使わなくても
インターネットできるようにという目的でやり始めたと言っていました。
テレビで見る限りではパソコンにつないだコードをコンセントに突っ込んでるだけだったんですけど。
なんか・・・・・高速インターネットとはちょっと違うカンジ?
ちゅうか・・・・
・・・・・・・・
別もの? ←ショボーン。

寒くなって今年もあと二ヶ月ちょっとになりましたね(何を突然?)

だれかお歳暮に新品パソコンと高速回線下さい。 

お中元でリクエストしたのに誰もくれなかったじゃないですか。


<本日のひとりご飯>
焼き飯、ゴボウの味噌汁

<本日のグルソン>
Shakira ft Alejandro Sanz  「 La Tortura」
シャキーラ ft..アレハンドロ・サンス 「ラ・トルトゥーラ」
アィ、アァモール♪

実はシャキーラが大好き♪(特にスペイン語)

2005年10月23日(日) レースのカーテン事情

ムカツクほど晴れ。 10:21の外気温1.4℃、室内20.5℃、湿度35%


朝、さぶさぶぅぅ〜と起きだしてキッチンに行ったらなぜかペンキ臭い?
それに微妙にあったかい?

窓の方に近づいてみると、おろ?
暖房パイプがあったかい。
うおおおおーー暖房が入ってるううううううーーーー!!!
うれすいぃぃぃぃぃ−−−−!!

「オジちゃーーーん、暖房入ったよーー!」
喜び勇んで家中のパイプを触りに行ってみたら廊下を挟んで北側の部屋だけ暖房が入っていました。
「ハラショー、ヨカッタネエー!」

ペンキ臭いのは大改装でパイプにペンキを塗りなおしたからです。
最近は暖房パイプもコジャレたフォルムになって剥き出しでも無骨じゃないんですが
さすがに新型交換までは予算が回らなかったらしくペンキ上塗りしただけ。

ちなみにこのパイプ、私的にはインダストリアルでかっこ悪くないシロモノなのですが
ロシア人にはかっこ悪くて隠したいものらしく、カーテンで隠したがります。
まあロシア人が好きなスケスケレースやフリルや花柄やぴかぴかサテンや
ワインレッドやヒカリモノやシャンデリアや一見ゴージャスな絨毯には合わないかもしれませんね。
私はソユものは「好きじゃない」のでパイプ剥き出しでもいーんです、
ちゅうかそのゴテゴテぴかぴかしたレースのカーテンやめんかいッ!

暖房パイプは普通どの部屋でも窓の下に取り付けられています、
窓は腰窓なのですがカーテンは床までさげるのが普通。
そんでもってレースのカーテンだけ。
布カーテンがないんです。
日本ならレースカーテンはなくても普通の布カーテンはある、って感じですが
ロシアで布カーテンをさげている家は一階くらい・・・ ←丸見えになりますから
まあ、最近のユーロレモント(ヨーロッパ風改装)でレース+布カーテンにした、という家もありますが
多分当の住人は布カーテンのイミをわかってないと思います(汗)

モスクワでは木製ブラインドやロールカーテンにイサムノグチ風のお洒落な人もいましたけど
まあこんな東の端の田舎では圧倒的にレースカーテンです。

この、「レースカーテンだけ」という家は最初むっちゃ違和感ありました。
ロシアの家をみて「スカートの下にパンツはいてないような感じ」と言った姐さんが
おられましたがまさにそれ、言い得て妙です。

機能面でいうと、夏は朝陽が入って寝にくい、夜早めに寝ようと思っても薄明るくて寝にくいです。
昼寝の時もまぶしくて寝にくいです。(寝すぎ)
それになんといってもカーテンの最大の効果は目隠しと防寒でしょ?
レースカーテンだけだと夜、外から中が丸見えやないですか?
ええ、丸見えですよ、どこのオウチも。
フライパン振り上げてる奥さんも逃げてるダンナも丸見えです。
見えてもいいらしいです。

防寒については最初すごく疑問でした。
こんな寒い国でどうして窓に厚いカーテンがかかってへんのやろ?
しかも隙間だらけの窓やんか〜〜 (今年の冬は一味ちがう我が家)
でもでも窓と暖房パイプの位置を考えたら厚くて長いカーテンは逆効果なことがわかりました。
パイプの熱も遮ってしまうんですねえ。
ほな、腰窓丈のカーテンにしてパイプは出したらええんちゃうん?
そこなんですわ、奥さん。
だからパイプはロシア人にとってダサいんですってば。
見せたらあかんのです。
ほな布カーテンは腰窓丈にしてレースカーテンは床まで下げたら?
それじゃセーターきてズボンはいてないおっさんじゃないですか。
それならパンツなくてもスカートはいているレースなお嬢さんだけでいーです。

ついでなのでチッサイ声で言いますが、改装したウチのトイレの給水パイプ、
ツタ風造花ががっしり巻いてありました。(ピンクのハイビスカス付き)
オカーサン、どーしてもどーしてもパイプが剥き出しなのが気に入らないんやそうです。
私はどーしてもどーしても造花の方が嫌なんですけど。
嫌なんですけど、取ってしまって「どうして花がないの?」とか言われたら
その後がもっと嫌なのでそのまんまです。

さて話戻りますが、ウチも大改装したのはオカーサンなのでもちろんパンツなし、じゃなくてレースカーテンだけです。
寝室はムラサキのフリフリカーテン、居間はオーロララメ入り「里芋の花」模様で
ワインレッドのグラデーションです。
仕事部屋はゴールドラメ花柄刺繍入り裾ゴールドサテンのコンビネーションで、
もう何するところなのかわかりません。
パソコン関係の無機質なカタマリがごっそりあって殺風景な事務所みたいなので
できるだけゴージャスで暖かい感じにしたかった、そうです。

はい、みなさん、今日の作文は「私の夢」について書いてみましょう。

「いつか素敵なカーテンをかけられる家に住みたいです。おわり。」

<本日の夕ご飯>
イカ焼きそば、豚汁、つぶ貝とトマトのにんにく炒め、野菜サラダ

<本日のグルソン>
Дима Билан 「Как я хотел」
ジーマ・ビラン 「カク ヤ ハチェル」 
カクハチェルヤー♪

2005年10月24日(月) 予防注射は家でするもの

晴れ、めっちゃ。  10:17の外気温8.4℃、室内23℃、湿度35%

ぬくぬくの朝です。
ありがとう、暖房ッ!!!!
今日は南側の部屋も暖房が入り、これでフル暖房になりました。
なりましたが・・・
これから乾燥との長い戦いが始まります。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「オッサンー、食べるもんがほとんど無いわ〜」
「それはタイヘン!」  ←コイツが休みのせいです
「市場行かんと」
「行きマショウ、行きマショウ。」

というので市場へ買い物にでかけました。
オッサンの大好きなサンマをGET。
野菜やくだものなんかもいろいろ買って、
「じゃ、次はスーペルまるけ、な。」
「ハイ、ハイ、行きマショウ。」

スーペルまるけ?
なんか粉にまみれてそうな感じですがロシア語でスーパーマーケットはスーペルマルケット。
決して「スーペルまるけ」なんてことはありませんので間違って覚えないように。

最近浦にはスーペルまるけットがあちこちに出来ていて、
驚くことには乾物や雑貨などが市場より安い!
粉とか乾麺とかマヨとかトイレットペーパーはまるけに買いに行くようになりました。

いつも行くスーペルまるけは握り寿司や巻き寿司、生ウニといった生ものから
調味料、乾物、インスタント食、お茶、お菓子などの日本製品がフツーに売っています。
が。
買ったことはありません。
だって高いもーーーん。 ←あたりまえですまんま輸入してんですから
「明治のストロベリーチョコ食べたい。」
「ソレ、日本では90円デショッ。60ルーブル(約240円)も出して買いませんッ!」
「ほなアーモンドチョコ!」
「そんなモノはド○キで特売2個158円ッ。」

なんでそのように詳しいかの。

ちゅうか日本の値段を知っているので絶対買わせてもらえません、
勝手にカゴに入れてもレジで戻されてハズカシー目に遭うのは私です。
どうしても欲しい時は一人で来てコソッと買ってコソッと食うしかありません。

「ハイハイ、もう行きますヨッ、両親のほうにいかなければナリマセン。」
「へ?なんで?」
「インフルエンザの注射シマス。」

私があれこれ選んでいる間にオカーサンから電話があったみたいで、
インフルエンザの予防注射を買ったから打ちに来いというわけです。

オカーサン、ホンマにこういうこと、しっかりしてますねえ〜
サルティフィケイトもちゃんと付けて吸血ダニにしろ、インフルエンザにしろ、
時期になるときちんと買ってきます。

鳥インフルエンザが猛威を振るっていますが、タイでは人に染ってとうとう死者が出たという事ですし
世界中が新型インフルエンザの対策に乗り出しています。
ご存知のようにインフルエンザには型があり、予防注射はどんな型が流行するか予測して
混合ワクチンを作って発売するわけなのですが、
ん?
鳥インフルエンザからの新型?
今売ってるということはソレは予測してないワクチン、ってことですよね?
ま。どーでもいいです、流行るかどうかもわかんないんですから。
それにもし新型ワクチンが出たらソッコーでオカーサンが買いますから。

両親のアパートに行ったらオカーサンはもう注射やアルコールを出して待っていました。
何回も書いたかもしれませんが、こういう注射は筋肉注射なので特別テクニックも要りませんし
許可も資格もなんも要らないので薬局で買ってきて自分で打つ人が多いんです。

「はい、アンタはこれ。フランス製よ、ちょっと高いのよ」
見てみたら日本でもおなじみのアベンティス・パスツールのものでした。
「オカーサンは?」
「こっち。イタリヤ製。ま、50ルーブルしか変わらないけどね」
まあ、なんというか日本人なのでちょっと特別扱いらしいです。
フランス製は300ルーブル(約1200円)、イタリヤ製は250ルーブル(約1000円)だそう。
でも自己負担で日本で注射してもらうのよりずっと安いですよね!

オッサンは腰が痛いというのでちょっと今日は止め、みんなでぷすっと注射してハイ、おしまい。

これでこの冬もインフルエンザにかからず過ごせたらありがたいです。
(ストロベリーチョコも買ってもらえたらありがたいです)

<本日の夕ご飯>
両親の家でスープとパンを食べて家帰ってから塩焼きサンマ

<本日のグルソン>
Aventura  「Angelito」
アヴェントゥーラ 「アンジェリタ」
アヴェントゥーラァ♪

2005年10月25日(火) ベトナムへ行こう?

かなり晴れ。

今日は私のイミグレーションカードに押してある滞在登録のスタンプを
パスポートのページ自体にも押してもらうよう、
ビザパスポート課に行く予定だったんですが2人とも寝坊したので見送りになりました。

このお役所は週に月、火、木の3日間、しかも10:30〜12:00の
1時間半しか登録をやってないというとんでもないところです。
このようなところに滞在登録しに行かなあかんのですからホンマ、
ガイジンの皆様お疲れさまでございます。
ちゅうかもっと仕事せろ!ロシヤ!

なんで今頃こんなことをしているのかというと、
ウチのロシヤ人が、今年は南の海に行ってない、どうしても行かんと気が済まんというので
この休暇中にベトナムに行く事にしたのです。
それで出国時にイミグレカードは回収されてしまうわけで、一年分滞在登録したスタンプが
無くなってしまって困るのでパスポート自体に同じものを押してもらいに行こうという事です。

ところでなぜベトナム?
それは浦からハノイへ直行便があるからです。
なんせ夏の日本滞在で予期せぬ予算オーバーがあったため、金銭的にかなりきついものがあり
いつものパターンのモスクワ経由の安いツアーでアラブ、アフリカ方面に行くことができません。
モスクワまでが高いから。
それで直行便ベトナムはどうか、って事になったんですが一応ビーチリゾートありました、
ハノイから飛行機で一時間半、ニャチャンという所です。

浦からハノイまでの往復航空券は700ドル、ベトナム航空の国内線で一時間半なら
そっちもたいした金額じゃなかろうと思いオカーサンも連れて行こうという事になりました。
オトーサン?
オトーサンは・・・・・
オトーサンは。
そう、オトーサンはどうするんじゃー!! ←気づくの遅すぎ
オトーサンはいいのかッ! え?オッサン。

オトーサンの事はまあおいといて(いいのか)出かけついでという事でいつも行く旅行社に行ってみました。

ところが。
オネエサンがにこにこしながら書いてくれたメモには、
浦からハノイ、ハノイからニャチャンまでの往復航空券が一人1300ドル。
ホテルは5☆で一泊110ドル。
10泊の予定にしていたので一人2400ドル、三人で7200ドル!!

待て、コラ。

ホテルが110ドルなのはわかる。
しかしハノイまでの航空券が700ドルなのになしてハノイからニャチャンまでが600ドル?
一時間半のベトナム航空やろう。
飛行機はロシア製やろう!! ←関係ないと思います
モスクワからチャータ便でニャチャン10日間、5☆ホテルで込みこみ800ドルやったぞ!!
どうなってんねん!!

という事で、どうもありがとう〜と言って旅行社を後にしました。

「うあ〜思ったより高いワ〜、ちょっとこれでは無理ですネエ」
「どう考えても変やな〜、オッサン、ホンマに行きたいならちゃんと調べていろいろしたら
何とか安く行けるんちゃうん?」
「ソーデスネ〜、今回はモスクワまで行ってる時間もないしお金もないしネエ」
「ベトナムと言ったら・・・」
「ヴァレリ、デスカ。」
「そう、ヴァレリからあのベトナム人のインテリやくざに頼んでなんとかしてもらおう!」
「はあ。ヴァレリに電話してミマス。
・・・・・・・・・・・ああ、リェーナ、プリヴェット!ワリェーラいる? ←電話している
オウ、ワリェーラ!あのさ、ベトナム行きたいんだけど旅行社行ったらえらい高くて〜。
ミスターバンクにちょっと聞いてくれないか? 
うん、うん、ああ、すまないな、じゃ、よろしく。またな!」

ヴァレリ(ワリェーラ)とはオッサンの親友でよく登場するアノ人です。
ヴァレリ⇒優秀な外科医で海軍将校でブリーダーでユダヤ系。
ミスターバンク⇒怪しい東洋医学医で只今浦の海岸に豪華コテージ建設中でベトナム系。

怪しいいいいいいッ!
怪しすぎる!!
ダイジョーブなのか!

あ、ロシアで医者とヤクザは同義語です。

さて我々は無事にビーチで泳げるのか?
乞う、ご期待。


<本日の夕ご飯>
タバカチキン、炒飯、野菜サラダ

<本日のグルソン>
Валерий Меладзе 「 Иностранец」
ヴァレリー・ミラーゼ 「イナストラーニェッツ」

2005年10月26日(水) 第9中隊 (9РОТА)

晴れ。

ベトナムのことは怪しい連中に任せることにしたので、
ゆうべは余裕で映画館なんかに行ってしまいました。

観たのはロシア映画です、タイトルは 「9РОТА / ヂヴャータヤ・ロータ」
「第9中隊」という意味です。
お値段は130ルーブル(約520円)
9月末に公開されたこの映画は大ヒットしたロシア映画、
「ナチノイ・ダゾール」や「トルコのガンビット」のようにバリバリ宣伝していないにも関わらず
それらを抜くお客を集めているというので興味がありました。
この映画は実際にアフガニスタンのホストという3234mの山の砦で起きた出来事を元に
製作されたものです。
オッサンも観ずにはおれなかったようできのう私がCDなんか選んでいる間にチケット買っていました。

前知識ぜんぜん無く観たのですが結果からいうととてもおもしろかったです。

ソ連軍がアフガニスタンから撤退する直前の時期に、徴兵でアフガンに赴いた若い兵士達の顛末を
素直にわかりやすい表現で描いて好感が持てる佳作だと思います。
テレビドラマのようといえばそう言えないことはないのですが、
芸術性が高く抽象的だとみんながみんな観たいと思わないですもんね、
これはできるだけたくさんの普通のロシア人に観て欲しいという意図があったのかもしれません。
(いえどんな映画でもできるだけたくさんの人に観てもらいたいんでしょうけど)

ネタバレですがどうせ日本で公開されることもなかろうし
記憶を辿ってちょっとご紹介したいと思います。 ←かなり記憶違い有りかも・ご容赦
なんしか私のロシア語力(そんなもんあるのか)なのでトホホのホーですし、
オッサンに「あれ、こうでこうやったなあ?」と聞いても「?」なので
ロシア語がわかってもホーホー追い討ちですからあきまへん。
今、オフィシャルサイトから流れてくるサントラが部屋に鳴り響いているんですが
となりで「何の音楽デスカ?」って言ってます。
ロシア語が出来る方で興味のある方はオフィシャルサイトやDVDを購入して正確な情報掴んで下さい。

◎  ◎  ◎  ◎  ◎

アフガン紛争からソ連軍が手を引く直前、舞台は1988年クラスノヤルスク。

雨の中、今から徴兵で戦地に赴く若い彼らの背景とそれぞれの別れが映し出されます。
この映画には中心になる若い兵士が3人いますがその中心的存在の、
主人公といえる彼は貧しくジプシーのような生活をしながら成長し、
軽犯罪の刑期を免除してもらうために志願した通称リューティ(凶暴な野郎)。
後に入隊前の丸刈りで気に入らなかった先輩兵士を殴りつけバリカンで頭を刈って威勢のいいこと!
助けを求めて軍曹と二人リューティのもとにやってくる先輩でしたが逆にアイツらはアフガンに行く連中だぞ!
とたしなめられる始末でその強さとパワーを見せつけます。

二人目は恋人オーリャと涙の別れをした、通称ワラベイ(すずめ)。
おとなしく内気で真面目、腕っ節はとんとあきませんがひたむきな態度でみんなの弟分。
三人目は絵描きの、通称ジャコンダ(モナリザ)。
荷物検査でコンテの箱が見つかり「戦場で絵を描くんだ」という彼につけられたあだ名はジャコンダ(ダ・ヴィンチの「モナリザ」の事です)
わが道を行くちょっと電波なジャコンダはそのデンパ加減で殴られたり
絵の腕前と器用さが我が身を助けたりします。

小さな妹がくれた、自分と妹が書かれた絵を大切に持っていくスタース。
そうしてこのクラスノからの8人はアフガニスタン国境近くのウズベキスタンの訓練所に到着するのでした。

そこで待っていたのはアフガン帰りのブルーベレー、鬼教官ディガロ。
(ブルーベレーとは空挺部隊で軍エリートの象徴です)

厳しい生活規則にめちゃめちゃキツイ命がけの訓練。
石を満杯に詰めたリュックを背負って山肌をよじ登り、上で蹴り落とそうと
待ち受けている上官達の壁を突破する訓練の中、リュックに服を詰めていたのが
バレてしこたま殴られたり、今までとあまりに違う世界に明日司令官がきたら
除隊を願い出ると言い出すワラベイ達でしたが
「アフガンに行きたくない者は前へ出ろ」という司令官の言葉に足を出すことができませんでした。

プラスチック爆弾についての講義の最中、サンプルで回された実物のカタマリを
チ○コの形に成型して講義に合わせこっそり動かすジャコンダ。
教官は強度の近視でそれが見えずみんなのクスクス笑いがわかりません、
爆弾をとりあげて眼鏡をかけると・・・
鬼教官ディガロのところに出頭を申し渡されたジャコンダが恐る恐る教官室のドアを叩くと
以外な事にディガロはその爆弾の出来を見て、
彼女から手紙が来たがオレの顔はこの通りひどい傷跡で写真を撮るのが躊躇われるから
自分の笑った顔の絵を書いてくれないか、どうせもう会うことはないだろうけど。と、照れ臭そうににジャコンダに頼むのでした。

浅い穴を掘った中に伏せて上を通る戦車をやりすごし振り返って後ろから手榴弾を投げる訓練で
恐怖のあまり漏らしてしまうワラベイ、それを笑うみんなにディガロは、
「チビってもママを呼んでも目的を果たすことが任務、ヤツは目的を果たしたんだからそれでいいんだ、わかったか!」
弱音を吐いたり、ズルしたりしながらもだんだん連帯感と技術を高めていく8人。

アフガニスタンという国についての講義で「やってはいけない」というのは「ハラム」という言葉だと教えられる彼ら。
何か不気味でとてつもない国に行くのだという思いに包まれる・・・

射撃訓練で抜群の腕前を披露するジャコンダ。
「射撃をしたことがあるのか?」というディガロの問いに「ありません、ただ目がいいだけ。」
絵描きのジャコンダは物の距離感や形を正確に頭に描くことができるよう。
試しにカペイカコインを的にして撃たせると見事命中しみんなを沸かせます。

軍隊生活を癒す一番の薬、「手紙」がきました。
名前を呼ばれると狂喜乱舞して奪い取るように受け取るのですが、
全員にくるわけではありません・・・
来た者来なかった者でケンカになったり。

なかなか山の上に到達できない上官壁突破の訓練が厳しさを極める中、
リューティが作戦をたてて皆を動かしとうとう山の上に到達、喜ぶ彼ら。
しかしそれはアフガンに行く事を意味していたのでした。

みんなが休憩している部屋へ突然やってきて狂ったように暴れだすディガロ、
わめきながら殴る蹴る、みんなは訳がわからず戸惑っていますがそのうち崩れるようにして出て行く彼。
ディガロはみんなと一緒にアフガンに行きたいと嘆願していたのですが許されなかったのです。
彼はアフガンで激しい戦いを繰り広げた中隊のたった一人の生き残りだったのですが
頭に傷を受けて後方に下げられ、訓練所の教官となった身の上。
訓練兵を仕上げるたびに一緒に行きたいと嘆願するのですが許されないのです。
「自分の隣で仲間が殺された人は、必ず仕返しをすると誰もが思うそうですヨ」
とはオッサンの言葉。

毒々しく真っ赤に咲き乱れる芥子の中に座って泣くディガロ・・・・。

そういえばディガロがジャコンダに絵を頼むシーンで手が震えていたのは
緊張じゃなくてヘロイン中毒を表していたかもしれないと思いました。
極限の精神状態でアフガニスタンなら誰が彼を責められるというのか・・・
強烈な「赤」の色。

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※をい!長いからって「戻る」を押すなよ。
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訓練所の近くに住む若いベラスネージュカ(白雪姫)と倉庫での秘密の夜。
彼女はブサイクちゃんのうえちょっとオツムが弱いため訓練所の兵士達にちやほやされて
彼らを慰める女神になっている女性でした。
「こんな状況でできないよ・・・」と泣きながら帰ってくるワラベイ。
いよいよ明日はアフガンに行く事を考えて神妙になる彼ら・・・・
自分の容姿の醜さに自虐的になっている彼女に、
「美しい。君は美しいよ、美しい、キプリーダ(アフロディーテ)だ、僕らのキプリーダ」
と神妙な顔で言って抱き上げるジャコンダ。
キプリーダ!キプリーダ!と叫びながらみんなは彼女の足元にひれ伏して口づけする・・・・・

次の朝。
こみ上げるものがあるディガロ。
全員輸送機に詰め込まれ、眠りにつく彼ら。
機体についた霜が溶けて水になり・・・・ゲートがだんだ開き、強烈な陽射しが入ってきて
起きた彼らは、開いたゲートの向こうに飛んでいるヘリの操縦席がこっちをむいているのを
息を呑むように見守るのですがほどなくアフガンに到着します。

巨大な爆撃ヘリが轟音をあげるアフガニスタンのバグラム基地空港。
飛行機から降りて司令部に向かう彼らとすれちがうブルーベレーの将校たち。
「お前達どっからきたんだ、クラスノのヤツはいないか、俺はクラスノ出身だ!」
とっさにクラスノから来ました!と行って彼の方へ近づいていくリューティ。
「いままで何回も危ない目に遭ったがこいつのおかげで生き延びた、
オレは今から帰るからこいつをオマエにやる、絶対離すなよ!」
と言って首に下げていたペンダントの皮ひもをちぎって彼に渡し、
彼らが乗ってきた飛行機に乗りこんで行く将校。
しかし離陸したとたんアフガンゲリラのロケット弾が命中、
炎上しながら緊急着陸態勢に入る飛行機でしたが滑走路で爆発炎上してしまうのでした。
その様子を呆然と見つめるリューティ・・・・・・

到着した彼らから3人は第4中隊へ、残りの5人(リューティ、ワラベイ、ジャコンダ、スタース、チュグン)
を迎えに来た通称パミドール(トマト)は「さ、ヘンタイと麻薬中毒連中の第9中隊へいくぞ。」
待っていたのは隊長のハホル(監督のフョードル・バンダルチューク本人)、医療班の東洋人のクルバシ、抜け目なさそうなアファナシー。
銃筒の曲がった銃を配給されたりなんだか胡散臭そうな感じ。
「お前ら訓練教官は誰だ?」という問いにディガロの名前をいうと、
「サーシュカか、あそこにはオレもいたことがあるぞ」といきなりシャツを捲り上げ胸の刺青を見せるアファナシー。
その胸には「白雪姫」の顔が彫られていて大笑い。

基地の周りは赤茶けて草木もない山、周辺を通る地元のアフガン人、ラクダ、
今までに見たこともない景色が広がるアフガニスタン。
モスクワまで5197kmという標識が印象的。

第9中隊の任務はソ連からアフガンに物資を運ぶキャラバンを守ること。
そのため山の上に砦を築きに行くのですが途中、
「さ、野蛮人の住んでる所に食料を配ってやらんとな」といって途中にあるキャンプに
寄っていきます。

夕方、向こう側の山陰にゲリラらしき影が・・・
「さあ、コンサートに行こうか」
走り伏せて銃を構えるみんなでしたが双眼鏡を覗くキャンプのメンバー、アシェットがいきなり立ち上がり、
「アフメーーーット!まーたオマエか、まだ生きてやがったな、いい加減にしろ!」
と、向こうも訛りのきついロシア語で、
「アシェーーーット!おまえこそ!今に倒してやる、ほざくなよ!」
と、数人のゲリラが山の上に現れ、向こうもコッチもタタタタタタと自動拳銃で打ち合い、
「オレの好きなAC/DCでも聴かせてやるかな」といってロケット弾を一発打ち込み終わり。
・・・今の、なんすか?という感じの9POTAの新兵達に
「コンサート終了。また次回まで。」というアシェット。これがアフガン紛争というものだ、というかんじ。
長い戦いのうち、お互いの名前も覚え妙な親近感ができている様子です。

一人で山の見回りをしていたワラベイが岩陰から出ると、そこにはアフガン人の男が。
とっさに銃を向け「動くなー!動くなッ!」と叫ぶワラベイ。
相手は両手を挙げて静かに立ち上がりロシア語でワラベイに話しかける。
「リョーシャ?」
「・・・ちがうワローヂャだ」
「お前はアフメットか?」
「そう、アフメットだ。ワローヂャ、タシケントから来たのか?」
「ちがう、クラスノヤルスク、シベリヤだ」
「ほう、寒いとこだな、ワローヂャ、お前シベリヤに女がいるか?」
「い、いる。それがどうした」
「名前は?美人か?」
「オーリャだ、美人だぞ。」
「オレもいるぞ、美人のファティマだ、女房だ。オレは行くからな、行くから。」
岩陰に伸ばした腕が引かれるとその手には銃が。
静かに背を向けて去ろうと歩き出すアフメット。
と次の瞬間、足を滑らせて体勢を崩したアフメットに驚いてとっさに彼を撃ってしまうワラベイ。
銃の音にみんながやってくると泣きながらアフメットの側に立ち尽くすワラベイがいました。
アシェットがアフメットの数珠をワラベイに投げ「ほら、お前のだ」といい、
そして帽子をとって「さよなら、親愛なる友よ、もう会えないな」と言って
彼の下に手榴弾を仕掛け(遺体に触ったら爆発する)みんなその場を去って行きます。

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※コラ。「戻る」な。ここまで読んだら最後まで読め。
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いよいよ砦を築く山頂に到着。
工事中のところに血みどろの第4中隊がアフガンゲリラの捕虜を連行して帰ってきますが
その中に訓練所でいっしょだったリャーバの姿を見つけ、思わず駆け寄るみんな。
しかし傷だらけのリャーバは何を言っても反応せず茫然自失している様子・・・・
そのあまりの変わりように戸惑うみんな・・・・。

特別戦いもないノンキな昼間。
ハホルらは賭けカードの真っ最中。ジャコンダにマッチを差し出すように言いますが
マッチを切らしていたジャコンダは調達を命じられ、缶詰2個を持ってキャンプの下を通っていく
ロバを引いたアフガンの老人を呼び止めます。
怯えたふうの老人はロシア語がわからないのでジャコンダが身振り手振りで缶詰を
マッチに交換して欲しいと示すと、一緒に来いという振りをするのでジャコンダは老人について行きます。

狭い岩肌を縫っていくあいだも上からゲリラの襲撃を受けないかとこわごわのジャコンダ。
そのうち小さな貧しい村が見えてきました。
町の人たちの好奇と恐怖に満ちた目を浴びながら今にも家の窓から撃たれるのではないかという
恐怖心に駆られるジャコンダ。
老人は小さな男の子に何か言うと家の中に入って行きます。
一緒について入ったジャコンダは暗闇に座っている人影をみて恐怖心が限界に達します。
「ハラム、ハラム・・・」とつぶやくジャコンダ。
光がさし込み、映し出された家人の目は白内障で白く濁っていたのでした。
(目が見えないので動けないただの人、ということか)
入ってきた少年がマッチを差し出すのを受け取って早々にキャンプに帰って行きます。
が。
単独行動をしたということでこれまた殴られます。

そんなノンキともいえるキャンプ生活のなか、ソ連からのキャラバンがゲリラに襲われ
砦も一気に緊張が走り戦闘態勢になります。
撃ち合いが激しくなる中、心身を負傷したリャーバが戦闘の音に
精神錯乱して濠を飛び出し撃たれ、仲間は4人に。
司令官も撃たれて倒れ、ますます激しくなっていく戦い、
追い詰めたゲリラ達は地面の鍾乳洞の穴に吸い込まれるようにして消えてしまいます
後を追って穴に入ったものの迷路のような鍾乳洞にかかっては手も足も出ず
引き上げることにします。

ゲリラのアジトになったらしい村を捜索に行く彼らでしたがすでに村はもぬけの殻のよう・・・
ふと物音がし、スタースが振り返るとそこには小さな男の子が立っていました。
スタースの顔に一瞬笑顔と安堵が浮かんで背を向けた瞬間、彼は倒れます。
後ろには自動小銃を持ったその男の子がいました。
銃の音をききつけてみんなが集まってきてリューティが倒れているスタースを見つけます、
そして叫びながら周りを一斉射撃する中、少年も撃たれて倒れます。
虫の息のスタースを抱えて必死で村から脱出する中隊。
ゲリラが出た村は捜索後、ミサイルで完全に破壊してしまうのが常なので早く脱出しないと
自分たちもオダブツになってしまうからです。
全壊する村を後ろに息を引き取るスタース・・・。

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※さあ、あと少し、がんばれ。 ←特に書いてる私
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自分たちが護衛しなければならないソ連軍のキャラバンのトラックから
食料を盗み出す彼ら。
なぜか最近砦には食料の配給がありません・・・

1988年大晦日。
キャンプで新年を迎える第9中隊の年越しパーティの準備中、
第9中隊に新入りがやってきました。おっと?訓練所で一緒だったピノチェットです。
喜び合うみんなに不審そうな上官たち。
「訓練所で一緒だった奴なんです」と紹介してすんなり仲間に。
これで第9中隊には訓練所で一緒だった8人のうち6人が揃いました。
「死んだ仲間に乾杯しよう」
テーブルの上にはスタースの妹が書いた血のにじんだ絵も置かれます。
サンタクロースの扮装や飾り付けもしてみんなはダンスしてしばし戦場を忘れます。
新年を迎える鐘の音。

朝日が昇る頃、画材を持って一人起き出していくジャコンダ。
転寝の見張りをからかいながらひとり岸壁のほうに歩いて
崖の上から雄大なアフガニスタンの高原を眺めスケッチを始めます。
ところがもう一段高い崖の上に人影が見えたと思ったら、あっという間にゲリラの壁、
振り返って「ゲリラが来た!」と叫んだジャコンダの額に弾丸が!
スケッチブックの山脈をジャコンダの赤い血が静かに染めて行く・・・・・

銃の音に気づいた中隊が緊急出動する中、
アメリカ人らしいリーダー(長髪にドロップ型黒いサングラスという拵え)に率いられた
手強いごわいゲリラ部隊が反対側の山肌をじわりじわりと登りながらキャンプに迫っているのでした。

ゲリラはもうすぐそこ、ロケット弾が飛んでキャンプはめちゃくちゃ、撃ち合いが激しさを増すなか
ワラベイが両足を撃たれて動けなくなってしまい、一人取り残されてしまいます。
姿が見えないワラベイを必死で呼ぶリューティ、迫ってくるゲリラの足音、
岩陰に隠れていたワラベイはゲリラが横を通るその瞬間、自分で手榴弾の栓を引いたのでした。

ゲリラが砦に到達して激しい肉弾戦になり、チュグン、ピノチェット、ハホル、クルバシ、アファナシー、
次々と倒れていく中、狂ったように撃ちまくるリューティ、容赦なく飛んでくるロケット弾。
もう全部が終りかと思えた時、轟音と共にソ連軍の爆撃ヘリがやってきてゲリラを一掃します。

ヘリから降りてきた将校は瓦礫と死体が散乱する砦でお守りのペンダントを握り締め
呆然と立ち尽くすリューティに近づいていき、なぜ連絡がなかったのだと問いますが
リューティはただ、
「司令官!第9中隊は任務を完遂しました。キャラバンは安心して通過できます、通過できます・・・」と言うのでした。
リューティを抱きしめる将校。
お守りのペンダントを引きちぎり慟哭するリューティ。

この戦いで生き残ったのはリューティたった一人。

そしてこの時期、すでにソ連軍はアフガニスタンから撤退を始めていたのですが
この僻地の山の砦はその存在を忘れられており、第9中隊に撤退命令が届いていなかった事がわかります。

勲章をたくさんつけて帰路につくリューティ。
軍のトラックの荷台で揺られながら彼の声で語られるのは、

『第9中隊。我々は帰国の途についた。
撤退のゴタゴタで俺たちの第9中隊はただ軍から忘れ去られていただけだった。
俺たちはこの戦いが何の意味があるかなんて知らなかったし
2年後に自分たちの国が地図から消えるなんて思いもしなかった。
ソ連は劇的に崩壊しロシアという国になって金持ち、貧乏、それまでの平等な世界は一転した。
しかしあの時俺たちは指令を忠実に全うした。』
第9中隊。
我々は、我々は確かに勝利した。』

18歳の彼らは何のために戦ったのでしょうか。
18歳の彼らは何のために死んだのでしょうか。

映画館は静寂に包まれていました。

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※ご愛読ありがとうございました
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駐車場までの道のり、
「リアルだったねえー。」
「当たり前。実際に行った人が生きてこの映画を観るのに嘘は作れマセン。」
「砦の日常はなんかノンキだったね」
「紛争というのはあんなもんでしょう。ワタシはリョーシャがチェチェンに行った時に撮った
ビデオを見ましたがあんな感じ。だいたいビデオが撮れるくらいだも。
少人数のゲリラがタタタタタと撃ってきて、こっちもタタタタタと撃って毎日それの繰り返し。
すごい攻撃とかは滅多に起こりマセン」
(リョーシャはOMOHの前ブルーベレーだった)
「そういえばリョーシャ、まだ帰って来てへんの?」
「ソウデスネエ、行ってる最中にナリチクの事件になりましたからネエ・・・」
「そうか。無事ならいいけどな」
「今のところナターシャから何も言ってきてませんからダイジョブだと思いますヨ」
「ところで映画館、もう一ヶ月くらいたってるのに結構人入ってたな?」
「ソウネエ、アフガンに出兵したソ連軍がどうだったのかという事はロシアでは
最近までほとんど報道されなかったデスヨ、こうやって映画になってみんな観たいんじゃナイ?」
「オッサン、この映画の主題は何だったと思う?」 
「この、いかにもばかばかしいアフガン紛争で現場の兵士はいかに真剣だったか、ということ。」

ふむ。
ちゃんと観ていたようです。



●9РОТА(ヂヴァータヤ・ロータ) / 2005年 ロシア・ウクライナ・フィンランド
  監督 / フョードル・バンダルチューク(俳優として有名ですね。父親も俳優のセルゲイ・バンダルチュークです)
※9POTAオフィシャルサイトバックにテーマ曲が流れます
音楽もよかったです。
DVDも発売になりました。
映画館の次回作CMはナチノイ・ダゾールの続編「ДневнойДозор/ドニェヴノイ・ダゾール」でした。
2006年1月1日よりロードショー。

※OMOHのリョーシャはこんな人2004年11月14日・11月16日

2005年10月27日(木) ベトナムは雨季に注意

今日はヴァレリの誕生日です。

彼の仕事場へお祝いに行く、というので朝から巻き寿司を作って持たせました。
ヴァレリはお寿司が大好き。
ちゅうか、なぜ職場?
夜は家族だけでお祝いするからそれ以外の人は昼間に職場へ行くそうです。
・・・・・・・・・・・・・・。
日本でどこの誰が誕生日に会社に押しかけるというのでしょうか。
ちゅうか押しかける人も仕事中ではないでしょうか。
そんな事でいんですか?
いーーーんですか?
いーーーーーんですかッ!!!

「じゃ、夕ご飯は要りませんよヨー、行ってキマース。」

いーらしいです。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ひとりで天ぷらうどんを食べていたらゴキゲンで帰ってきました。

「ヴァレリがネエ、ベトナムのことミスターバンクに頼んだから連絡あると思うヨって。」
「あ、そう?ロシヤ人なのに仕事早いな〜」 
「ヴァレリはユダヤ人」
「あ、そうか。さすがやな」 ←何が?
とか言っていたらそのすぐ後にジーマ君というベトナムちゃんから電話がかかってきました。
ロシア語がちょっとおたおたなジーマ君は
「ミスターバンクから依頼されました、旅行の手配をします」と言います。
彼の手配によると、航空券はウラジオストクからハノイまで700ドル、
ハノイからニャチャンまで200ドル、ホテルは一泊25ドルとのこと。

なに?
ハノイからニャチャンまで200ドル?
ほな、なして旅行社で600ドル?
同じベトナム航空のエコノミーやろう?
旅行社、ボリすぎちゃうかあああああ??
3人で1200ドルもちゃうやんけ。

しかし彼が言うには浦からハノイまではいつでも席がありますが
帰りは満席が多くてなかなか難しいです、
具体的な日にちが決まったらすぐ調べますけど、と言います。

「なんで帰りだけ難しいんや?」
「ロシア行きの飛行機は密入国のベトナム人でいつもいっぱいですからネエ、
こんなウラジオでもそうでショウ」
そ、そうなんですか??

まあベトナム人の事情はおいといて、ホテルよ、ホテル。
一泊25ドルってヤバくないか?
それともミスターバンクの名前を出せばANAマンダラホテルに25ドルで泊まれるとか?
それともジーマ君の家なのか?ミスターバンクの別荘なのか?
横でごちゃごちゃ言っている私は無視、
オッサンはジーマ君に飛行機の確認を頼んで電話を切ってしまいました。

今までロシア人向けのヨーロッパ・アラブ方面のリゾートツアーしか行ったことがない我々は、
そーゆーところでは5☆ホテルじゃないとどうなるかという話をさんざん聞かされてきたので
ツアーじゃないのに25ドルのホテルというのはどんな仕打ちが待っているのか不安になりました。
オッサンはすっかり行く気でオカーサンに電話してホテルの話を聞こうともしません。
(何度も言いますがオトーサンはいいのか?)

しゃあないなァ。
まあ、アジアのリゾートは違うかもしれんな、ちょっと調べてみよう。
と思ってパソコンを開けインターネットで検索しはじめると・・・
あらら。
なになに?
20〜30ドル程度でも悪くないみたい?
一流ホテルがポーンと高いだけでもともとそんな高級なとこじゃないみたいやな。
30ドルクラスでも日本人、結構泊まってるなァ・・・・悪くないって言ってるし。
おろろ、エアコンも冷蔵庫もあるしプールやバルコニーまであるやん!
ほお〜アジアのリゾートはお得やのう!
ちょっと安心しました。
25ドルでもま、いっか、ホテルの名前を具体的にジーマ君に言って手配してもらおうか。
などと思いながら読み進んでいくと、
『ニャチャンの雨季は10月中旬から1月中旬で・・・・・』
『もう雨季に入っていたのか毎日雨で風が強くて・・』
『雨季のニャチャンは最低。何もすることがない・・・』

う・き?
うっきー? ←それはサル

慌ててニャチャンの天気予報に飛んだらば。
曇り時々雨、曇り時々雨、曇り時々雨、曇り時々雨、曇り時々雨、曇り時々雨、曇り時々雨
さらに先週一週間の分を見てみたら。
曇り時々雨、曇り時々雨、曇り時々雨、曇り時々雨、曇り時々雨、曇り時々雨、曇り時々雨

ОЙ! (をい!)
ニャチャンは雨季真っ最中やないか!
ニャチャンのシーズンは3月からと書いたるやないか!
こんなとこに3500ドルも使えんわ、こらあかん。

「オジちゃーーーん!ニャチャンは雨季、うき!!毎日雨やで〜!」
「へ?雨季?」
「そ。風が強くて海も荒れてるしきれいじゃないし、あんたら海が目的なんやからあかんやん。」
「雨季・・・。雨季デスカ。」
「雨季です。」
「ハノイは天気いいみたいデスヨ?」
「ベトナムは南北に長いから中部と気候が違うんじゃ、ハノイ海ないし。」
「ドウシマスカ?」
「私は海より雑貨とかゴハンの方が好きやからベトナムは行きたいけどな」
「断りマショウ。」  ←無視かい!
と言ってジーマ君に電話しました。

ベトナム行きは決定後3時間で中止になりました。

ミスターバンクから報復がないでしょうか。
ヴァレリは行方不明になったりしないでしょうか。

める家・家訓 : ベトナムは雨季に注意。   ←なんか違う?



<本日のひとりごはん>
天ぷらうどん

<本日のグルソン>
Братья Гримм  「Ресницы」
ブラチァ・グリム(グリム兄弟) 「レスニーツィ」
お気に入りの双子の兄さんです。でも目が、目が怖いんです・・ロードオブザリングのフロード・・・ちなみに11月25日に浦でコンサートやります

2005年10月28日(金) おみやげはビザ緩和

朝濃霧、昼から晴れ。 9;40の外気温11.6℃、室内25℃、湿度44%

霧の浦です。
暖かいという事です。
そうです、去年は初雪もまだでした。
これくらいで平年並みなんですが・・・今年は変な時期に初雪が降ったので
紅葉が中途半端で終わってしまい残念でした。

オッサンは今日は仕事に行きました。
なんのかんの言ってちょくちょく仕事に行っています。
(いなくて)ありがたいです。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

2014年の冬季オリンピックの候補地プレゼンの順番が決まりましたね。
7都市が立候補していて順番はこうです、
1.ロシアのソチ
2.オーストリアのザルツブルグ
3.スペインのハカ
4.カザフスタンのアルマトイ
5.韓国の平昌
6.ブルガリアのソフィア
7.グルジアのボルジョミ

ロシア、懲りませんね〜〜
モスクワは選外扱いにされましたからリベンジですか〜
NISさんも入ってますね。
開催能力を審査してOKの都市だけが来年6月に正式立候補地となるそうですから
来年の6月までせいぜい夢でもみときましょう。
最終決定は2007年7月、グアテマラで決まります。
(ま、そんときゃ関係ないか)

ちょっといいニュースもあるんですよ。
11月に来日するプーたんがおみやげとして(かどうかは知らんが)
日本人のビザ条件を緩和するようです。
ウクライナのユーシェンコさんも来日前に、日本人は観光ならビザなしにしますと
言って日本にきましたね。
ウクライナの一方的措置なのでウクライナ人は日本へ来るのにビザが要りますけど。

さてロシアです。
今商用で日本に滞在するロシア人に日本は最長3年のビザを出していますが
ロシアに滞在する日本人には最長1年。

・・・・・・それ、逆とちゃうけ?

こんなお行儀のいい日本人を一年で締め出しやがるなんてどうかしてます。
日本人はビザより先に帰ってもビザより後には帰りません。
どっちかっていうとみんなビザより先に帰りたいです。
というので日本人も3年にしましょう、観光なら滞在登録も3日以上から10日以上にしましょう、というお話。
菊の御紋のパスポートはまたその威力を上げました。
ありがとう、日本。 ←じゃなくてロシヤ。


<本日の夕ご飯>
ゴボウと鶏のサラダ、蒸鶏の梅肉和え、かぼちゃのコロッケ、野菜サラダ

<本日のグルソン>
Пугачева А. и Галкин М.  「 Любовь как состояние」
アーラ・プガチョワ&マキシム・ガルキン「リュボーフィ・カク・サスタヤーニエ」

2005年10月29日(土) 国境の町は遠かった

曇り。  6:58の外気温3.5℃、室内23.7℃、湿度43%

おはようございます。
まだ真っ暗な浦です。

お休みなのになんでこんなに早いのかというと、さっきオッサンが中国に行ったからです。
浦で中国といえばアレですよ、国境の町「綏芬河」スイフェンヘ。
日本人は誰も知らない、犬もロシア語で鳴くというアソコです。
この間オカーサンが行って作業服とスキーウエアを買ってきてくれたアソコです。
いつもの担ぎ屋タダ旅行ですな。 (10月1日参照して下さい)

ロバの馬車が走っているらしい綏芬河。
それで私も今回はどうしても行きたくて一緒に行く!と言ったところ、
オッサンが担ぎ屋親分にウチのヨメも一緒に行きたいと言ってるんだけど、ときいてくれました。
しかし親分からの返事は「ヨメはん日本人なのか〜?めずらしいな。でも日本人はダメ。」
ありゃま?

オッサンも知らなかったそうですが、ロシア人&中国人の国境検問所と
それ以外の人の検問所は場所が違うんだそうです。
というか、何国人でもOKな検問所と中国&ロシアの担ぎ屋専門の検問所があって
車で2時間強も離れているのです。
ロシア人が担ぎ屋検問じゃない検問を通って綏芬河に行くという事は
ただの中国旅行になるのでもちろんタダでは行けません、旅費は2泊総込み50ドル。

「残念ですネエ、じゃ私一人で行ってきますカラ。」

コラ、待たんか。

「残念ですネエ、じゃ2人で普通に綏芬河行きマショウ。」 やろう。

たかが50ドル程度の旅費なのに私を置いてくとはナニゴトや。
私はロバの馬車が見たいんじゃーーーー!
私を連れてけええええええええーーーー!
と暴れましたが
「あんな隣町に行けないなんてかわいチョーねえ、アリちゃん。さ、ゴハン、ゴハン」
と言われました。 ←ブリャート語で無視された、という意味です。

費用の金額じゃないらしいです。
綏芬河は「タダで行ける」ところなのでたとえ100ルーブルだったとしても
払うヤツは阿呆だそうです。

そんでさっき一人で行ってしまいました。
帰りは月曜。
ひっどいなー
許せん。
オッサンはまたわけのワカランものをたんと買い込んでくるやろな。
でもオカーサンと違って「服」は買ってこんか・・・・。
そうやな。
ま、許すか。


<本日のひとりごはん>
親子丼、味噌汁

<本日のグルソン>
Авраам Руссо 「 Лето」
ロシアのタルカン、アブラム・ルッソ(無理あるな)「リェータ」♪

2005年10月30日(日) 冬時間になりました

めっちゃ晴れ。 13:56の外気温5.3℃、室内24.8℃、湿度20%
(湿度が気温より低いってどうなんでしょう)

今日から冬時間です。

ゆうべのうちに時計は直しました。
午前3時になったら針を一時間戻して2時にするんですよ、
もちろんそんな時間にわざわざやったりはしませんが。
わざわざやったりはしませんがゆうべは偶然やりました。
そんな時間まで起きていてしまったんです、ええ、
ひとりの夜ですから淋しくて寝られなかった・・・わきゃないやろ!!
ひとりの夜ですから気楽で楽しくていろいろ勝手な事をしているうちに
そんな時間になってしまったんです。

日本のニュースで、『明日から日本との時差は一時間拡大』ってなっていましたが
をい!!
極東は『一時間縮小』じゃ!
イルクーツクより東は無視かァ?
なめたらあかんぜよ。 ←誰?

きのうの昼オッサンから電話があり、
「今、国境〜〜、もうネ、大変デス、来なくてヨカッタデスヨ、あ、あ?
あーーーうあーーーーワワワ、」電話切れました。
一体何があった?
その後電話しても繋がりません。
今日もダメです。
ジタバタしても仕方ありません、何かあったらオカーサンから連絡が入るでしょう。
オカーサンはいつなんどきでもオッサンに電話しなければ気がすみませんから
私が3回かけている間に15回くらいはかけているはずです。
おまかせしましょう。

さて私はこの乾燥をなんとかすべく、大改装の物置をガサガサやって
スイス生まれのボネ子ちゃん(加湿器ともいう)を探しだしました。
今湿度が20%のこの部屋、床面積は約11.2uで容積は約29㎥、
ドアが開けっ放し状態です。
ボネ子のスイッチを入れました。
さてどうなることでしょう。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

ポストにIPホンのチラシが入っていました。

固定電話の料金が月に200ドル近いのでなんとかせなあかんと思っていたのです。
以前数社のIPホンカードを試したんですが通話音質がめちゃめちゃ悪くて
使い物にならなかったのでやめたんです。
今でも国際割引の通話を契約しているのですがそれでもこの料金。
ちなみにかけるのは私でなくてアイツです。
あれから大分経っているし今は音もよくなっているだろうということで
チラシの会社の近くを通った時にカードを買ってみました。
通話料金は約半額。
が。
やっぱりダメダ。 _| ̄|○ ←コーユー感じ?
どうも向こう側(日本)にはちゃんと普通に聞こえているんですけどコッチはブチブチ切れで
針が飛んだレコードのよう。 ←イマドキわかりませんね。
ダメダ。
日本からかかってくるときも、B○とかA×とか安いカードのやつだと音が悪くて
普通の国際通話でかけなおしてもらうことがしばしばあるんですが
向こう(日本)側では問題ないようなので文句言われたりするんです。
同じカードでも難なく通話している浦の家もあります。
これってウチの回線の質、ってコトですか?
インターネットが繋がらないときよく見せていただく「回線の質が悪い場合に起こります」ってやつですか?
こんな僻地の山の上の連中は回線の質が悪くても我慢しろ、ってコトですか?
でも両親のアパートはここよりもっと山の上の崖の上ですが、通話の音質がよくて
オカーサンはIPホン使ってます。
やっぱりココ、ダメですね! ←ちょっとうれしい?
電話はちゃんと聞こえないしカーテンもスケスケだし造花も巻いてあるし。
引っ越さないとダメですわ。
そう、引っ越さないと!
(ここまで引っ張ってそういうことかい)

あ、今部屋の湿度が40%になりました。
がんばれ!ボネ子!!あと少しで風邪ウイルスの動きが鈍くなるぞ!
我々をアフガンゲリラから守ってくれ。 ←何か勘違い。


<本日のひとりごはん>
鶏から揚げ、味噌汁、ワカメとトマトのサラダ、ふりかけご飯

2005年10月31日(月) 行きはヨイヨイ帰りはコワイ

むっちゃ晴れ。 15:15の外気温11.1℃、室内22.9℃、湿度26%

今日はオッサンが中国から帰ってくる日なんです、が。

電話はおととい「うあーーーワワワ、」で切れたまま繋がりません。
オカーサンからも「帰った?電話あった?」と電話があったので居所をつかんでいないようです。
オカーサンがそんな事というのはタダゴトではありませんな。
担ぎ屋荷物が開けたら麻薬で捕まったとか?
ロバの馬車なので遅れているのか? ←ひつこい

9時頃ようやく電話がありました。
「今ウラジオに向けて走っているところ。あと2時間くらいかかると思いマス、
ほんとにアリちゃんこなくてヨカッタ、大変デス、ワタシも疲レタ。」
「うん、わかった。気ぃつけて運転してな。オカーサンからも何回も電話あったで」
「ああハイハイ、今携帯に電話アリマシタからイイデス。じゃー」 

何が大変だったのかよくわかりませんがとにかく無事で生きていたようです。
運転しているようなので手足も動くようです、
疲れているようなのでゴハンは食べないかもしれません(ちょっとラッキvv)

11時半頃ヘナヘナで帰ってきました。

「コンバンワー、帰りましたヨー、もう疲れて疲れて。」
「遅かったなー5時頃帰るとかいうのはどうなったん?電話も切れたまま繋がらんしどうなったかと思ったわ」
「デンワ?あー、あの時トラックがこっちに突っ込んできそうだったんですヨ、ビックリシター。」
「油断ならんな。ところでスイフェンヘは何時に出たん?」
「昼の12時。それなのに夜の11時デスヨ、ヒドイナー」

スイフェンヘまでどうやって行くか今まではっきり知らなかったのですが
オッサンの話によるとえらいややこしい事がわかりました。

まず自分の車で中国との国境近くの駐車場があるところまで行きます。
次にロシア側の国境検問所行きのバスに乗り換えます。
検問所まで行って出国手続きをしてまたバスを乗り換え、国境の橋を渡ります。
国境は川なので橋なのですが渋滞が常。
橋を渡って中国側の検問所に着きバスを下りて入国手続きをし、
今度は中国のバスに乗り換えてスイフェンヘの町まで行きます。

行きはヨイヨイ帰りはコワイ。

帰りはこの旅の最大の目的、担ぎ屋ですからもひとつややこしいことになります。
スイフェンヘの町からバスで中国の検問所近くまで行きます。
そこには担ぎ屋荷物を山盛りに搭載したトラックがバスを待っております。
バスが着くとひとり50kgまでの荷物を人数分積み込みますがその量たるやスゴイもの、
大事なのは荷物様なので荷物様は座席に、人は立って検問所まで揺られます。
検問所は大荷物を積んだバスの列。
順番がくるまでずーーーっと立ちっぱなしで待ちます。
順番がきて出国手続きをし、またバスに戻りますが橋の向こうのロシアの検問所もまた長蛇の列。
検問所を抜けたら橋の上なのでその辺ブラブラといっても行くところもありません。
また立ちっぱなしで待ちます。
橋を渡りきってロシア側に着き、入国手続きをしてロシアのバスに乗り換えると同時に
ロシア側の業者がやってきて荷物を引き取って行きます。
これでやっと荷物とオサラバ。ああ疲れた、やっと座席に座れます。
そして駐車場までバスに揺られ、駐車場で自分の車に乗り換えて今度は自分で運転して浦まで帰ります。

読むだけで疲れそうですね。
書くだけでも相当疲れました。

この荷物をもって出国入国のところがバスの混み具合と順番によって天国地獄の分かれ道なんですねえ、
今回はこれだけに6時間以上かかった訳です、ひゃーーーーー!!!
普通に行けば片道4〜5時間で行けるところですが11時間。
ホンマ行かんでよかったわーーー
「一回行ったら半年は絶対行きたくナイ。」とこのタフなオッサンが言うんですから
どんなにオオゴトかわかります。
そんな所に行こうとしてたなんて・・・
私ったらなんてことを。
ちゅうかフツーに50ドル払って旅行で行けば? 
(おっしゃる通りです)

で、そんなお疲れのところを申し訳ないんですがこのでっかいカタマリは何ですか?

「車で使うアイスボックス買ったんだヨ〜」 ←急にうれしそう
「・・・・なぜそんなものを?」
「車から電源をとって冷やしたり暖めたりできるんダヨ、ウニを持って帰ったり
森に麻婆豆腐を持って行ったりするのにいいと思いマセンカ?」
「ウニはわかるが、なぜ森に麻婆豆腐?」
「オイシイじゃん」
「そうか。」 ←納得するなあッ!

ハイこれ、ハイこれ、と次から次へと中国お買い物品の披露が始まりましたが
今回は、余計なものを買ってきたらゴハン無しッ!と脅しをかけておいたので
期待したみなさんには申し訳ありませんが尻コダマが抜けそうなものはありませんでした。
残念ポン。

余計なものを買ってこなかったのでゴハンを食らわせようとしましたが
「疲れたからもう寝マス・・・」と言って食べませんでした。
ええええええええ????
オオゴトだあッ。

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