めるのロシア日記 調子悪くてあたりまえ

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2004年4月1日(木) うまけりゃいいのだ

朝、窓から日本海を眺める。
流氷が岸の方に少しあるけど沖は完全に溶けて小船が浮かんでます。
今日から4月。
舞妓の花簪も「桜」、京のみやこは「をどり」の季節、日本はあちこち
桜が満開かな〜いいな〜桜。
ちゅうか花見。
ちゅうか飲んダクレ。

ところで今日は「エイプリルフール」やけど、ロシアでも一応知られています。
午前中はウソをついてもいいけどその日のうちにちゃんと訂正しないといけない、
という話をきいたけど私の周りでは誰もエイプリルフールを意識して
実行している人はいません。
毎日「ウソのような」日々なので私が気づかないだけなのかも知れません。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

オッサンが「なんかわからん冷凍肉」のビニールパックを2本買ってきました。
「それなんなん?」
「カモのフィレ肉」
「カモ〜?へぇ〜高級やん、どうやって食べるん?」
「焼いて切ってきゅうりを巻いて味噌みたいなタレつけて」←浦のダックはきゅうり巻き
「そりゃ北京ダックやろ。アヒルなのか」
「グーシ、グーシ」
「グーシ?グースか?雁やな、アヒルちゃうやん」
「雁ってどんな鳥?」
「渡り鳥でな、冬日本にきて春帰るねん、こう首が長くて茶色みたいな灰色みたいな
色で列作って飛ぶやつや」
「日本行ったとき川にいたやつ?」
「あれはアイガモ。アヒルとカモのハーフやな。そやけど雁なんか食ったことないから
どうしていいかわからんわ」
「ロシアでよく飼ってるヨ。くちばし黄色くて鼻のところにコブがある」
「ガチョウかぁ?ガチョウなら日本でも飼ってるで、
そんでこれは何なん?ガチョウなのか雁なのか」
「カモだと思う。だから中国みたいにみそをつけて・・」
「やっぱアヒルなんか?カモなんか、雁なんか、ガチョウなんかっ!」
「グーシだと思うけど・・ウートゥカかも・・」
「店の人はなんていってた?」
「言わなかった。おいしい鳥のフィレ肉あるよ、って」

わけわからんので二人で辞書を出してきて見ましたところ・・
ガチョウも雁もロシアではグーシ(гусь)
アヒルもカモもロシアではウートゥカ(утка)
ますます訳わからんではないか!!
(正確には野生の〜とか家畜の〜とかあるんですがま、そんなとこですから)

ガチョウのルーツは雁、アヒルはマガモを家禽化したものか〜
二人でへぇ〜どっちもグーシでウートゥカかぁ〜
あ、ほれほれ、英語もそうみたいやで、とか言って。
コレはグーシ、これは飛んでるグーシ、これは泳ぐウートゥカ、
オッサン絵まで書いて(オッサンは動物絵が上手)
二人でそっかーわかったね〜よかったね〜。

で、この肉はなんな?

「わからん。焼けばいいんじゃないの?」
「ま、いっか。うまけりゃ」
「そう、そう!」

ということでローストしてオッサンリクエストの甜面醤をつけて食べてみましたところ
うまかったです。
でもこの味はダックちゃうな〜やっぱグーシかな。
でも食ったことないので判断不能。
ま、いっか。
うまかったから。

<本日の夕ご飯>
なんかの鳥のロースト、ベネグレット、キムチチャーハン、セロリと香菜のサラダ、ジムニーの残り

2004年4月2日(金) 飛び降りはやめましょう

朝、向こうのアパートのオカーサンから電話がかかってきました。
「雪降ってるわヨ!出かけるなら気をつけて行きなさいヨ」
二人で窓をのぞくと、うわ〜〜真っ白!!
風も強そう。
温度計をパチッとやると1℃。
「仕事行く?」
「うーん、雪降ったから行かない」
というのでゴロゴロ寝ていたらまた電話が。

「ナターシャが旦那さんと一緒にくるって」
「何しに?」
「このあいだ日本で買った車を持ってきたけど、なんか日本の業者に電話して欲しいんだって」
ナターシャよ、おまえもか。
急いで着替えたりしているうちに「今着いた」と電話がかかってきて
窓からのぞいてみたら旦那さんがアパートの前で、通関したばっかのカリーナの
コーナーランプをぬすまれないようにはずす作業をしていました。
カリーナは浦で一番人気の車です。
やっぱりか!あれはすぐはずさなあかんのか。
日本からきたばかりの車はとーぜんランプなんか固定してありません。

日本に電話したら今回の業者は日本人でした。
新品のライトを注文したようです。

彼は船員さんです。
というか船員ビザで日本に行っています。
今回日本はどうだった?という話になって、
「今回は富山に行ったんだけど船まるごとどっかの業者に買い占められていて
なかなか車を乗せられなくて難儀した」 そうです。
彼はいままでずっと博多に買い付けに行っていたのですが、
むこうでは中古車業者の展示場が一箇所しかなくて、
船から降りた「中古車買いロシア人」のおっちゃん達をバスに乗せて連れて行くのですが
なんせ一箇所しかないので展示場が見えてくるとまだバスが走っているのに
みんな窓から飛び降りてダッシュで展示場に駆け込み、
「こっからここまでみんなオレの車っ!」
「ここからはオレっ!!」
って毎回すごいことになっていたそうです。
それでとうとうバスの窓に「網」を張られて「ロシア人護送車」になってしまいました。
オッサンによれば、
「どっちも似たようなもんだから」 (汗)

ところが中古車商売大盛況の話が広まり博多も複数の業者が参入してきて
車もいろいろ選べるようになってきたので最近はそういうことはなくなったのに、
去年の年末に彼が行った時、地元のテレビ局が「中古車に群がるロシア人」を
取材にきていたそうですが、みんなお行儀よくバスから降りてきたので
「どうして?なんで?」と拍子抜けだったそうです。

「ロシア人だっていつまでも野蛮人じゃない」そうです。
21世紀ですもんね・・・・・
ナターシャ夫妻はお礼にとシャンペン一本おいてコーナーランプのない
カリーナで帰って行きました。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

お昼に職場から電話がかかってきてオッサンは
「休みなのに毎日仕事いってる」といいながら出かけていきました。
帰ってから夕ご飯を食べたあと
「銀行にお金出しに行くけどいっしょに行く?」というのでついて行きました。
普段外出することが少ないのでどこでもついて行くことにしてるんです。

ATMを4箇所回ったけど使用中止、故障中、外貨無し、などでどこも使えませんでした。
こういうことはよくあります。
まだ明るいので街をブラブラしてみることにしました。
こういうことは滅多にありません。

蜂蜜屋を見つけて入ってみました。
蜂蜜屋というより「養蜂家」のための店でしたが蜂蜜一個と、リモンニクと極東にある
朝鮮人参の仲間のタブレットを買ってみました。
となりの毛糸屋をひやかしてから、前から入ってみたかった生地屋も行ってみました。
綿ブロードでメーター600円〜1200円と安くはないです、普通です。
日本の方が安いのがあるかもしれません。
でもここは制服や白衣なんかを注文で作ってくれる店なのでコスプレしたい人にはいいかもしれません。
いつも素敵な靴がディスプレイしてある小さな靴屋の前で立ち止まってみました。
ロシアで立ち止まるのは案外勇気がいります、
みんなものすごいスピードで歩いているからです。

ウインドウをのぞいてみました。
プラダとミュウミュウでした。
世界中どこでも素敵なものは素敵です。
でもちょっとがっかりしました。
素敵なものは「もしかしたら買えそう?」と思うとますます素敵に見えますが
はなからお門違いのものは「ちょっとサビシイ」ものです。
日本で暮らしていたら買えたかも・・などといやらしさを出すとますますサビシイです。
どうも私は潔さに欠ける気がします。
「ロシアで暮らしていくんだ」とか「ロシアで成り上がってやる!」などの覚悟が決まって
腹がすわっていればこういう気持ちになることはないのかもしれません。
・・・ちょっと考えましたがやっぱり↑よりサビシイ方がいいです。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

ところで街にナンバー無しの日本中古車があふれていました。
ちょうど船が入ったあとだったからかもしれませんがそれにしても多いなぁ〜

駐車場に車を置きに行ったらこれまた日本からきたばかりの事故車が
たんと入っていました。
どれもほとんどクシャクシャで日本なら即廃車でしょう。
オッサンが
「あしたこっそり写真撮ろう」
「なんで?」
「西とかシベリヤの方の知り合いが車を買いたいと言ってくるとき、みんな日本から
直接買ったほうが安いと思って私にきいてくるけど私が紹介する車の値段を見てびっくりする。
コレならロシアで買ったほうが安い!って。
あーったりまえじゃーん!だってこういう車を直して売ってるんだから〜
あなた達が買おうとしている車はいったいどういう車だったのか見せてやろうと思って。
そしたら納得するでショ」
なるほど。
オッサンはよく車を買いたいという人に、いっしょに見てもらえないかと
頼まれて行くけどなんじゃコレは!と思うような事故修理車もあって
うんざりすることも多いらしい。

ロシア人のみなさま
ロシアで日本の中古車を買うときは特に注意しましょう。
日本で中古車を買うときは窓から飛び降りないようにしましょう。


<本日の夕ご飯>
きくらげと豚肉の炒め物、カリフラワーのサラダ、焼きカバチョク、キムチスープ

2004年4月3日(土) 日産LEXUS

ゆうべはずーっと眠れませんでした。
朝、ボゲーッとして
「ぜんぜん寝れんかった〜」 とオッサンに言ったら
「ワタシもヨ〜。きのう買ったタブレットが効いたかも〜」 というのでなんやろう?と思ったら
「午前中に飲んでくださいって書いてあったから」 というので
そういうことは最初に言っとかんかい!と思いました。
なんでもきのう蜂蜜屋で買ったタブレットは“元気になる薬”だそうで。
効果絶大が証明されました。

二人ともボケボケやったんですがとりあえず市場へ行こうというのででかけました。
めっちゃぬくい日やったし、時間も早めだったので市場はすごい人でした。
狭い道の向かいにЗАГС(ザックス・結婚登録するお役所)があって、
結婚式でドレスの人やら肉斧持ったおっちゃんやら入り乱れてもうごちゃごちゃです。
(浦で結婚登録ができるのは金・土だけ)
新鮮な川魚がたくさん出ていたので50センチくらいのシュカを買いました。
生の川魚がでるようになると春。
川の氷が溶けて網で漁ができるようになるからです。

市場から帰ったあと簡単に昼ご飯して、
オッサンはセルゲイの工場までラルゴをとりにいきました。
夕方携帯から電話がかかってきて
「今着いたヨ〜ラルゴはすごくなったら見にきて!」というので降りて行きました。

なんやコレーーーーーーエエエエェェェェェェェェェーーーー!!!
(背景ムンクの“叫び”でお願いします)

ラルゴがツートンからスリートーンになっとる!!
しかも日産からトヨタになっとるっ!!

意味わかりませんね。
赤×黒ツートンだったのが赤×グレー×黒の3トーンになってました。
しかもボディ3箇所に「LEXUS」って書いてあります。
レクサスって・・レクサスってトヨタとちゃいますか?
ソウヨ、トヨタの海外販売ブランドですよ?
「なんでレクサスなん・・・なんでラルゴがレクサスなん??」
と執拗に突っ込む私に
「ロシアでレクサスといえば高級な輸入車の代名詞なの!」
「そやけどラルゴ、トヨタちゃうやんーおかしって、おかしいー」
「いーのっ!誰もわかんないんだから。セルゲイがやりたかったんだからしょうがないじゃん!」
「いやや〜〜恥ずかしいも〜〜!」

よく見るとNISSANというメーカーロゴもあちこち貼ってあるし、
DUNLOPのロゴとか、ボンネットにはなんか筆記体でいろいろ書いてあるし
なんな・・コレ。

ラルゴ君はすっかり「ロシア人の車」になってしまいました。
先生はちょっと恥ずかしいのでできれば「NISSANレクサス」には
乗りたくないです。


<本日の買い物>
バナナ・160円、りんご5個・100円
シュカ・600円
牛肉背ロース・808円
トマト・80円、たまねぎ1`・60円、大根1本・100円
パセリ一束・40円、グリーンカール一株・40円
卵10個・104円
菓子パン・48円、バレニエッツ1本・240円

<本日の夕ご飯>
牛肉とセロリの炒め物、白菜の香味和え、ポーククリームシチュー、バナナのソテー

2004年4月4日(日) ロシア料理はこんなもん

ゆうべオッサンは「鬼のことわざ」を勉強していました。
毎日寝る前に少しだけ日本語の勉強を続けています。

「はい、今日覚えたやつ言ってください」
「えーと、鬼の霍乱、鬼に金棒、それから、それから・・鬼の仏壇」
「鬼のブツダーン?そりゃ鬼、死んどるやろ」
「あ?鬼に念仏だった〜まちがえちゃった。なんか仏って字があったなーと思って」
鬼の仏壇じゃ念仏もいらんか。

△  △  △  △  △

今日は日曜やったけど両親は墓掃除に行ったので「山行き」はありませんでした。
来週はパスハ(イースター)、その次の日曜はお墓参りの日です。
日本のお盆みたいな日でしょうか。
このあいだ墓地の横を通ったら大きな工事をしていました。
火葬場を作っているそうです。
浦でも最近墓地不足になってきて火葬を推奨しているんだそうです。

ロシアのお墓、ご覧になったことありますか?
ロシア正教独特の十字架はポピュラーですが、墓石に故人の顔写真を焼き付ける事が多いです。
墓地に行くと「カオ」がいっぱいあってちょっとコワイです。
マフィアさんのお墓はすぐわかります。
顔でわかるん?
いや、めっちゃ豪華なので(汗)

△  △  △  △  △

きのう市場で買ったシュカという魚の「ひき肉詰め姿焼き」を作りました。
大掛かりな料理なのでいつもは両親といっしょに作るんですが
今日は二人でやってみました。
シュカというのは辞書によると「川カマス・パイク」となっていますが、日本にはいません。
口が長く伸びた大型の川魚で白身です。
川魚独特の臭いがあります、雑草を刈った時の匂いのような青臭い、土臭い匂いです。
サザン(鯉)やチョウザメをさばいたときもこういう匂いがします。
日本人はあまり好きでないと思いますがロシア人は好きな人が多いようですね。

さてシュカは皮がとても丈夫なので靴下剥きにして、
身は挽いて野菜やなんかとハンバーグたねのようにし
また皮に詰めて頭も付けてオーブンで丸焼きにします。
大体70センチ〜1メートルくらいのやつをよく売っているんですが、うちのオーブンで
丸焼きにするのに50センチが限界なので魚売りのおっちゃんにコンテナの底
ひっくり返して小さいのを探してもらいました。

シュカはうろこが大きく固いのでうろこ挽きと皮むきはオッサンの仕事です。
うちでは魚の下処理はオトーサンかオッサンの仕事でオカーサンはやりません。
前、私がしていたらオカーサンはびっくりしていました。
「魚をさばくのは男の仕事よ」
そうですか。
ウチは男手がない家庭やったもんで。

下ごしらえだけしてオッサンはまたガレージにこもりました。
ちょうどシュカが焼けた頃帰ってきました。
すごーく香ばしい、皮が焦げる匂いが漂ってます。
ぱっと見たら大魚そのままの丸焼きに見えてすごくダイナミックな豪華な料理です。
「早く食べようーーー!」
「はい、はい」
「いただきまーす!」
「どう?」
「・・・・うーん。こんなもん」
「うーん・・たしかに」

これは見かけは大変豪華でダイナミックですがとってもシンプルな味で
ロシアっぽい料理なんです(汗)
ロシアでもお祝いなんかによく作ります。
が。
繊細で複雑な味に慣れた日本人にはきっと「大味」でしょう。

「失敗かな?」
「いや、ロシア料理はこんなもん」 だそうです。

<本日の夕ご飯>
シュカのひき肉詰め(фаршированная щука)、しいたけと卵のスープ、ターメリックライス、野菜サラダ

※シュカを見たい人はコレ↓
http://www.jjphoto.dk/fish_archive/esox_reichertii.htm

2004年4月5日(月) ネタに困ったら

今日はめっちゃぬくい一日で、昼から夜8時まで12℃くらいの気温でした。

車を見てくれという知人に頼まれて出かけていたオッサンが
アイスクリームを買って帰ってきました。
1リットルの箱アイスにスプーンをつっこんでどんどん食ってます。
ロシア人はアイスクリームが大好き!
突然オッサンがカチャーンとスプーンをテーブルに放り投げて、
「あ〜〜このアイスを私の見えないところに隠してェー!
止まらない〜おいしくておいしくてがまんできなんだも!」
「・・はいはい」

こういうことはいろんな食べ物であります。
ハルヴァとかケーキとか練乳とかチョコとか。
オッサンの好物はクーベルチュールというチョコ菓子の原料チョコで2キロの大板ですが
「あー出てる、出てる、エンドルフィンがぁ〜止まらなーい!」とかいいながら食ってます。
この日記を読んでくださっている方は、オッサンは食っているか寝ているか
車をいじっているかだとお思いでしょうか?
・・・・大体あってます。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

テレビで「浦・きのうの事故」をやっていました。
4月4日 事故件数18件、死亡1名です。
でかけて事故を見ない日はないといってもいいくらい事故が多いです。
まあ・・道と車と人を考えたら事故らない方が不思議なくらいですからそんなもんでしょうか。
燃えている車の横を通り過ぎたこともありますが窓を閉めているのにすごく熱くて怖かったです。
火事も事故も怖いです。
ロシアではこの1月2月だけで火事による死者は4000人です。
40や400じゃありません、四千人です。
ちなみに日本では一年間に2200人くらいです(平成14年)
いくらロシアが広いといってもちょっとひどすぎじゃありませんか?

交通事故や火事で死なないようにしたいと思います。
そんなんで死んで自分自身が最高のネタになりたくありません。

<本日の夕ご飯>
牛肉のソテー辛味たれかけ、ゆでシャコ、チンゲン菜と春雨のスープ、野菜野サラダ

2004年4月6日(火) ごちそうさま病院

長かったオッサンの「強制休暇」もとうとう今日でおわりです。
結局ほとんど毎日仕事に行っていたのでなんかよくわからんうちに終わってしまいました。
ウチの中にじっとしておれないオッサンなので家でゴロゴロということもなくて
うっとおしい事もなかったしな・・
でも一ヶ月も休みでいったい何をしたのかと思い出してみれば
ほとんど「車の修理」ばかりでした。
さ。あすからキリキリ働きましょう。

今朝は7時に起きて病院へ行きました。
次のビザ申請に使うエイズの診断書を作るため血液検査をしに行ったんです。
前回日本で作ったら8000円もかかって(こんなもんですか?)ひぇ〜!だったので
今回はロシアで作ることにしたのです。

久しぶりに行ったら工事中の新病棟に「緑の屋根」ができていました。
オッサンによれば
「お金ができたら工事してなくなったら休んでもう7年くらい工事している」
そうですが、のろのろとでもなんとか進んでいるようです。

ちょうど朝の清掃時間だったからか、廊下に猫はいませんでした。
午後の遅い時間なんかに行くとよく猫が歩いていてなごみの空間を演出しています。
最初はすごくびっくりして看護婦さんに「猫、猫っ!」と言ったら
「そうねぇ〜かわいいわね」と言われたので更にびっくりしましたが、
猫が歩いている病院はココだけでないという事がわかった今はどっちゅうことありません。

採血室で薬指の指先をバチッとやられておばさん看護婦さんがぎゅうぎゅう押して
採血したんですがもう、痛くて痛くて!
日本では腕の静脈から注射器で採血したんやけどなぁ・・?

オッサンがどっか行ってしまったので座って待ってたら年配のドクターが来て、
「あー。君はなんという名前かね?私はアレクサンドル・ペトロヴィチだ。シャンペン飲むかね?」
朝からシャンペンですか?
ちゅうか病院やし。
ちゅうか一応患者?やし。
「いえ、結構です」
そしたらパソコンでテトリスやっていたおばちゃんドクターが、
「ケーキあるわよ、ケーキ。ワインもあるけど。きのうオーリャの誕生日だったのよ」
・・・オーリャって誰でしょう。
「オーリャー!魚ある?あー、魚もあるって」
メインディッシュですか!朝9時です。
と思ったらオーブンの天板にそのまま乗った焼き鮭が運ばれてきました。
「あ!これはひき肉詰め姿焼きですね?鮭ですか?」
「そうよーおいしいわよー」
「このあいだウチでシュカで作ったんですけど、鮭でもやるんですねえ、頭完全に切っちゃうんですか?」
「そう、お腹も切ってあとで糸で縫うのよ、ドクターだからねえ、ホホホ!
まあ、そんなこと言ってないで食べてみなさいよ」
「あ、はあ、いただきます」
「ワイン飲む?あ、あんた何しにきたの?」
「はぁ、血液検査で」
「じゃ、お茶かしら」
「もう済んだんですけど」
「じゃ、飲みなさいよ」

・・・とやっているところにオッサンがきて、
「エイズ検査は別の採血室なんだって。でも今日はもう時間が終わっちゃったから
木曜日に又来てください、っていうから帰ろうか」
「は?じゃ今日採った血液はどうなるん?」
「一般検査だって。まあ、ついでにやっとけばいいじゃん」
「えええー!めっちゃ痛かったのにぃ!指先すごく痛かったのにっ!
またやるの?いやっ!大体やな〜なんでそーゆーことを最初に確認せんとやるん?
どうしてあんたはそうなの!」
「あ、これ鮭のひき肉詰めじゃん」
「そうよ、アンタも食べる?」
「実はこのあいだウチでシュカで作って・・」
「きいたわよ、鮭の方がおいしいわよ、アンタワインのむ?」
「いや、車なのでお茶ください」←ヲイヲイ!

そのあとケーキもよばれて帰ってきました。
鮭のファルシ詰めの作り方を詳しく聞けたのは収穫でした。

・・・・何しに行ったんでしたっけ?

<本日の夕ご飯>
ポトフ、ホタテバター焼き、グリーンサラダ、スペアリブ照り焼き

2004年4月7日(水) 休暇明け

きのうでオッサンの休暇も終わり、今日から仕事復帰です。
もう朝ウダウダ寝ていられなくなりました。
一ヶ月も朝寝坊が続くとさすがに早起きがキツイです。
行ってらっしゃーい!

朝気温は3℃、昼は10℃、風が強いけどいい天気で暖かい一日でした。
南側の斜面には緑が見えます。
なんかすごくうれしい。

浦は今年、水不足で暖房を早めに切るというニュースがあったけど
コレくらい暖かければ大丈夫という気もするし、でも寒がりの私には
心配な気もするし。
暖かいと脳炎ダニが早めに出るからそれもちょっといややな〜
あー、去年浦でダニ脳炎で亡くなった人は十数人あったそうで、
全員が予防ワクチンを打っていなかった人だそうです。

ウイルスダニにかまれた場合予防ワクチンとの関係はこうです

・予防ワクチンを打っている+病院(血清)も行く→まず無症状
・予防ワクチンを打っている+病院に行かない→熱が出たりするけど数日で回復
・予防ワクチンを打っていない+病院(血清)へ行く→まず無症状
・予防ワクチンを打っていない+病院も行かない又は行くのが遅すぎる→約1〜3割死亡

つまり予防ワクチンを打っていればかまれた事に気づかずいても死ぬことはないってことです。
あ、そういえばもうすぐ2回目のワクチン注射せなあかんな・・・

◎  ◎  ◎  ◎  ◎

オッサンがオトーサンといっしょに帰ってきました。
又オトーサンの仕事の書類を作るようです。
「あー、しまった、ホタテご飯炊いちゃった」←オトーサンはホタテアレルギー有り
「大丈夫、大丈夫、食べる食べる」
「アレルギー大丈夫なん?」
「たぶん」
たぶん?
よくわからんけど本人ががんがんよそって食べていたのでま、いっか。
「あ、これきのうの血液検査の結果、もらってきたヨ」
「どうやった?」
「ぜんぜん異常無し、健康」
ヨカッター☆☆

明日はエイズ検査です。

<本日の夕ご飯>
ホタテ炊き込み御飯、セロリと牛肉のくるみ炒め、ソーセージと卵の炒物、野菜サラダ

2004年4月8日(木) オバハンは何でも知っている

さて今日は先日より更に早く起きてエイズ検査のために病院へ行きました。
入院患者優先なので大分待ち時間があったから、廊下のイスに座って人々を観察していました。

お茶のカップを持ったジイサマが「お?飲むかー」とか言って通り過ぎます。
女性の職員はほとんど全員ハイヒールを履いてカツカツ歩いています。
男性ドクター同士は廊下で会うと握手してあいさつしています。
それにしてもドクターが多すぎちゃうん?
白衣の人ばっかしや・・・
白衣の巨塔や・・・
材前センセーはどこや・・
あとで聞いたらドクターも看護士さんも技師さんもみんな白衣を着てるんやって。
そのうえ医大の学生もいてごちゃごちゃなんやそうです。

やっぱり今回は前の採血室とはちがう部屋で、腕から採血しました。
やっぱな〜この間はへんやと思った・・・
でも採血の看護士さんが一人いるだけのガラーンとした部屋で、
魚もケーキもワインもなんもなかったので淋しかったです。
しかもコワーイおねえちゃん看護士さんやったし。
もぉ〜ロシア語わからんちゅうねん・・・

オッサンは都合が悪かったのでオカーサンが迎えにきてアパートまで送ってくれました。
外国人が病院行くのはタダゴトじゃないのですごく心配してどうしたどうしたというので
「ビザのための書類がいるから血液検査に行っただけ」 と言ったら
「何ヨ!そんならバスで帰ってもらわなきゃね」
オ、オカーサン。
すいません・・・
「オカーサン、アパート寄ってお茶でも飲んでく?」
「忙しいからいいわヨ。病気じゃない人はアパートの下でおろすわヨ、
じゃ、私仕事戻るから」

オカーサン、心配かけてごめんね〜おおきに、ありがとう〜。
これで病院の用事は終了です、今後もお世話にならないことを願います。
運悪くロシアで病院のお世話になる人にロシアのことわざをひとつお教えしましょう。
「医者が満腹なら患者は健康」

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

帰ってきたら電話がなっていて、あわててとったらマガダンに住むオカーサンの友達イリーナでした。
「あ、イリーナよ!アンタ元気?誕生日おめでとう!ほんとは明日だけど私明日は
シベリヤのほうに行くから今日電話したの」
「ええー!イラさんありがとうー!!一番乗りぃ〜。今マガダン?」
「そうよ、遠いわよ〜日本のママもロシアのママも元気?」
「うん、元気、ありがとう。イラさんも!また浦にきてね」
「行くわよー待ってなさいよ。じゃーね」

びっくりした〜イラさんありがとう!
イリーナ(イラ)さんは家族が北の方に住んでいたときからの知り合いで今は浦から飛行機で
3時間くらいのマガダンという町に住んでいる元気なオバハンです。
雑貨屋をしていて年に一回くらい浦へ仕入れにくるときにうちに滞在して
いっしょに海や森へ行く「森仲間」なんです。
私がぐったりするほどくどくロシア語を教えてくれるありがたい世話焼きオバハンなんですが
うちの家族からは「シベリヤ訛りを教えるな!」と叱られています。

ロシアで誰かの誕生日の時、会えないような遠方の相手の場合は
電話や電報でのお祝いをするのが習慣なんですが
家族以外でお祝い電話をしてくれた人はイラオバハンがはじめてです。
ありがとう、イラさん。
でもイラオバハンは最近カリーニングラードにアパートを買って、ここ一、二年のうちに
マガダンから引っ越してしまうらしいのでちょっとサビシイです。
あ、誕生日といえば今日は「花祭り」ですねえ、
お釈迦様の誕生日じゃありませんか。

仕事から帰ってきたオッサンに
「今日マガダンのイラさんから誕生日おめでとう、って電話あったんやで!
すごいな〜よく私の誕生日なんか知ってたな〜」
と言ったら
「イラは何でも知っている。・・・・オバサンというのは何でも知っているんだヨ」

あー、いづこも同じなんやねっ!

<本日の夕ご飯>
八宝菜、カリフラワーと豚肉の蠣油醤炒め、赤だし

2004年4月9日(金) おめでとう、わたし

ゆうべは通訳を頼まれた日本の会社の人が浦に来たのでオッサンは
遅くまで帰ってきませんでした。
おみやげに高級コニャックと高級煎茶を持ってきたからヨシとしよう。

「今日は何の日でしょう」
「うーん、ごめんね。今日も通訳頼まれたから行くから、日曜にレストラン行こう」
「はいはい」

オッサンは仕事から4時頃帰ってきたのでおろ?(ちょっと期待)と思ったら
「今日暖かいからラルゴの修理しようと思って。カーテンもとれてるところあるから
縫ってくれない?」
ハァ・・・と思ったけど裁縫箱持ってガレージについて行きました。
レクサスになったラルゴはまだ後ろのライト類に不都合があって完全でありません。
オッサンは配線のテストを、私は車内のカーテンのほつれを縫っていたところ、
オカーサンから携帯に電話がかかってきました。
「ケーキ焼いて持ってきたけどあんたたちどこにいるの?」
「ガレージ、ガレージ。ラルゴの修理してる」
「はぁ?今日誕生日でショ?車の修理なんかしてないで早く帰ってきなさい」
一応きりのいいとこでガレージから帰ると、
両親はもう、“私が作った”パエリヤを“ほとんど全部”食べて、ケーキも食べはじめていました。
「誕生日おめでとう!ケーキ焼いたわよ、お腹すいたからそこの鍋にあった
ご飯を食べちゃったわ」
本望です・・・
「オカーサン、ありがとう!」
オカーサンは、
「はい、これプレゼント」と言ってハンドバッグをくれました!
オカーサンは前から私が出かけるときにバッグを持っていかないのを
すごく気にしていたんです。
私としては防犯の意味でやっていたことですがとても“貧乏そう”に見えるのが
耐えられなかったみたい。(←オカーサンが)
わははははははーーーー!
またもや“ビンボー臭い”のが幸いして今度はバッグをGETしてしまいました!
ウラァ〜〜(ばんざーい)〜わたしー!

オトーサンは、
「いつもおいしいものを作ってくれるからこれは私が作った魚」といって
サハリンズバッカの干魚をくれました。
「イクラ(卵)がいっぱい入っていておいしいよ」
オッサンは料理がサッパリやけどオトーサンは魚料理が結構得意です。
よくオトーサンに聞きながらロシアの魚料理をします。
ありがとう、オトーサン。

オカーサンがオッサンに、
「ところでアンタは何あげたの?」
「何にも。日本ではあんまりお祝いしないんだヨ」
「そんなわけないでショッ!!どーゆーことなのッ!私の息子はなんてひどい男なのッ!」
と言ってオッサンをたたいています。
「アンタ(私)はそれでいいのっ?」
「よくないけど・・・(プラダの靴買ってともいえんし)」
「あー、もうワタシは通訳に行く時間だから〜」といって出て行こうとしたオッサンを
オカーサンが追いかけて更に叩いていました。
「オカーサン、オカーサン、もういいって。大丈夫、大丈夫」

両親はそのあとお茶を飲んで、
「仕事から直接来たからむこうのアパートに帰るわね」と言って帰っていきました。
ありがとう、オトーサン、オカーサン。

ロシア人だと自分の誕生日に自分がたくさん振舞わなきゃいけないし、
まあ、こんなことでよかったんじゃないかと思います。
「日曜にはレストランに行く」そうやし。

用事があったので日本の実家に電話したんですけど、実家ハハからも
「おめでとう」とかありませんでしたのでこっちも言わずにおきました。
チューネン娘がいくつになろうがどうでもええちゅうことです。
そんなもんや。
イラおばはんが沁みます。

そろそろ午前1時ですがオッサンはまだ帰ってきてません。
仕事とか言ってスシバーで盛り上がっているかもしれません。
誕生日おめでとう、わたし。

<本日の夕ご飯>
魚介パエリヤ、オカーサンの蜂蜜ケーキ、サハリンズバッカの干物、野菜サラダ


2004年4月10日(土) パスハ前夜

土曜でしたがオッサンは通訳仕事で朝から出かけていたので大掃除をはじめました。
めっちゃぬくい日で、窓を開けたら子供が半そでで遊んでいました。
おいおい、ちょっと早すぎちゃうかー?

昼近くにオカーサンがきてパスハ(イースター)のケーキと卵(イースターエッグ)を
置いていきました。
「ケーキ、あしたまで食べちゃだめよ」
「うん、知ってる」
「アンタじゃなくてもうひとりよっ!」
「あ、はい。了解」
「こっちは姉さんとこの卵ね、玉ねぎの皮で染めたから全部茶色だけど」
・・・たしかに。日本ならただの赤玉です。
でもいーの。ありがとうーオカーサン。

パスハのお菓子はいろいろありますが、ウチではこのマツタケみたいな形のケーキです。
お飾り用なのでかっちり焼いてあり、あまりおいしいとはいえませんが
かわいいことはかわいいです。

夕方近くになってオッサンから電話がありました。
「今夜奥さんも呼んでいっしょにご飯たべようって言ってるから今から迎えに行くから」
え?そんな急に?まだ掃除機かけ途中やん〜と思ったけど、今回来た人は
ワインが好きなオジチャンなので美味いワインを飲ませてもらえるかもー?と思い
行く事にしました。
ほとんどタカリやな・・・

レストランは港が一望できる高台にあり、イタリア語の名前やったので、
イタリア料理の店かと思ったら「なんでも料理」の店でした。
邪悪な予想どおり、フランスのごっつ高級ワインを注文してくださったので
わーい!です。
でも日本で飲んだらこの値段の2倍以上だって言うてはりました。
オッサン曰く、
「ワタシが運転手じゃないときにして欲しかった・・」
誕生日のプレゼントをあげなかった人には当然の報いでしょう。
Uさん、おいしかったです、ごちそうさまでした。
また浦に来てください。
いつでも来てください。
しょっちゅう来てください。

店を出たあと、みんなしばらく港の夜景を堪能しました。
教会に灯かりがついてステンドグラスがきれいです。
「あそこはカソリックの教会。今年はカソリックも正教もパスハが同じ日に
当たったから今夜はあちこちでお祝いしているよ」

帰りに正教会の近くまできたら警官がたくさんいて車がいっぱい止まっていました。
今夜から明日の朝にかけてパスハのミサをぶっ通しでやっているんです。
正教会にはイスがありませんから立ちっ放しなのでそうとうキツイと思います。
「あっ!オカーサンの車やなかった?」
「ありえる・・・あの人はこういうの好きだから」

明日はパスハです。
ワレワレにとっては単に卵割りをしてラッキーを占い、ケーキを食べる日ですけど。

※パスハとパスハのお菓子はココ↓
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8437/paskha.htm

<本日のありがたいオゴリ夕ご飯>
エビのサラダ、ホタテのサラダ、サーモンステーキ、子羊のバル風、きのこのスープ、
デザート数種、ポイヤック・シャトー・ラ○○○○

2004年4月11日(日) 誰かが言った


今日はパスハ(イースター)
朝一番でパスハの卵(пасхальное яйцо・イースターエッグ)の
おしりをぶつけ合い(割れた方が負け)私の勝ち。
ラッキーを勝ち取ったゾ!
えへへへ〜〜

やっとでクリーチ(куличи・パスハのケーキ)にナイフを入れて
内側をほじくって食べました。
お飾りしてあるので外側はパサパサになっていておいしくないんですわ〜
ごめんなさい、ですけど外側はバアチャンちのヤギ行きです。

おいしい外ゴハンを食べさせてくれたUさんが日本に帰るので
オッサンは空港まで送って行きました。
すごく眠かったので送り出したあと二度寝していたら電話がなって誰かが留守電に
何か言っているのが聞こえたけどどうにも動けなくてそのまま寝ていました。
やっとやっと起きて聞いてみたらオカーサンが
「森行くわヨ!いないの?もう出るから!」
というメッセージだったのでどっちにしろ行けへんから寝よ、と思って三度寝に入りました。

「帰り、すごく道が混んでたんだヨー」
オッサンは予定より1時間半も遅れて帰ってきました。

ウラジオストク空港はとなりのアルチョム市というところにあり、
ほとんど一本道で渋滞するとお手上げです。
浦に飛行機で来たことのある方は早ければ40分くらい、渋滞に当たると90分くらい
かかったのではないでしょうか?
今、渋滞の元凶になっている陸橋部分の拡張工事中で、だんだん出来てきてはいます。
幸い病院の新病棟みたいなことはないようです。

それから空港から市内中心までの直行バスや電車がないので
乗り換えせなあかんくてめっちゃ不便です。
実は以前は直行バスがあったんですけど渋滞がひどくてダイヤ通り運行できないので
中止になってしまったんです。
そういうわけで日本から帰ってきたときなんか、トランスファー予約もしてなくて、
タクシーのオジチャンと交渉もできずにオロオロして空港に取り残されている
日本人の方を時々乗せてあげることがあります。
余計なお世話ですが、これではその後が思いやられます。
ロシア旅行についてもうちょっと考えてから来るか、
何かあってもカネで解決しよう(ロシアでは大概のことにカネが効きます)くらいの
覚悟を決めてからの方が安全かと思います。
三度寝しているようなロクデナシに言われたくないですね。
そうでした。

市場が終わる時間が迫っていたので急いで市場に行きました。
パスハのケーキをまだたくさん売っています。
片付けはじめている店が多かったのですがすいていて楽に買い物ができました。

買ってきたものをかたしていたら電話が鳴り、
「オカーサンが今日パスハだからこっちにゴハン食べにきて、って」
サラダを作り始めていたのでそれを持って向こうのアパートに行きました。
パスハだからといって特別な料理はありませんでしたが、敬虔な正教徒家庭では
何か特別なことをしているのかもしれませんね。
乾杯の時、オトーサンが何か聞いたことの無い文句を言い、
みんながそれに答えていました。
後できいたらパスハのあいさつだそうです。

そういえば・・・
「オカーサン、ゆうべ教会に行ってなかった?」
「ん?行ってないわヨ」
ありゃま。あの車はオカーサンのじゃなかったようです。

そういえば・・・
「日曜日はレストラン」って誰か言わなかったでしたっけ?


<本日の買い物>
バナナ1`・140円、りんご1`・100円
ねぎ2束・80円、グリーンカール一株・40円、パセリ一束・40円
プチトマト500g・80円
トマト5個玉ねぎ3個にんじん2本で324円
コーヒー豆・340円、ココア90g・80円、粉練乳・120円、水10L・120円
ケチャップ・72円、紙ナフキン3束・120円
イースト・52円、米3`・180円

<本日の夕ご飯>
コーン入りジムニー、スベクラサラダ、野菜サラダ、野菜スープ、焼カルバサ
パスハのケーキ、ブテルブロー、グルジア赤ワインで乾杯

2004年4月12日(月) 宇宙の日

今日ロシアは「宇宙の日」です。

1961年(昭和36年)に世界初の有人宇宙衛星船、ヴォストーク1号の打ち上げに
成功し、乗っていたガガーリン少佐の「地球は青かった」という言葉が有名になりました。
ちなみに日本の「宇宙の日」は9月12日です。
1992年に毛利さんがスペースシャトルで宇宙に飛び立った日なのです。
日本人にはふぅ〜ん、という感じの日ですが、世界初とか世界最大とかそういうのが
大好きなロシアにとってはとっても大事な日みたいです。
そういえば今モスクワに世界一の超高層ビルを建てる予定です。
お名前は「ロシアタワー」
640メートル、116階建て。
どんなもんだい!え?

オトーサンが仕事帰りにこっちのアパートに来ました。
また書類を作って欲しいようです。
「オトーサン、夕ご飯食べてく?」
「あー。いいかな?」
「もちろん、でもオカーサンに言っとかんと」
「そうやな。ワタシはこっちで食べるから君は自分で作って食べなさい、って。ははは!」
・・・?最初意味がわからなかったのでポカンとしていた私に自分の言ったオチを
自分で説明してくれたオトーサン。ごめんね。
オッサンも帰ってきたので3人でご飯食べました。
オトーサンはチキンブロスが気に入ったみたいで帰るときも
「おいしいスープをありがとう」と言っていました。
こんなもんならいつでもつくりまっせ、喜んでもらえてうれしいです、オトーサン。

「血液検査の結果出たよ。でもエイズはまだ。一週間かかるんだって」
「なにッ?またエイズ検査じゃなかったん!」
「ついでだからいろいろやってもらったんだヨ」
「はい、これ」
ワラバンシみたいのにレシートみたいなのが貼ってあるだけです。
レシートには何かわからない血液成分の略が並んでいます。
正常値はいくつ、なんて日本みたいに親切なことは書いてありません。
しかも日本ではmgの単位がロシアではmmol(ミリモル)なので、いちいち
mmol×18=mg、ってやってみないとわけわかりません。
「なー、見てよーこれ、なんかわからんもー」
「大丈夫、大丈夫、異常なし」 ←ホントカヨ?
でも気になります。
日本のサイトで正常値を確かめてやはり異常なし。
よかった♪

ところでイラクで人質になった3人の日本人はどうなっているんでしょう。
きのうの夜、24時間以内に開放する、って宣言したのは何だったんでしょうか?
テレビで日本、イラク、という言葉が聞こえるたびにどきっとします。
早期解決を祈ります。
ロシアではシベリヤの炭坑で爆発事故が起こり、現在46名死亡です。

<本日の夕ご飯>
オムライス、チキンブロス、コロコロサラダ、牛肉とパクチョイの炒め物

※オチがわからない人は↓
ご飯は普通オカーサンが作っているのにオトーサンがいつも作っているかのように
「自分(オカーサン)で作って食べなさい」と言ったから

2004年4月13日(火) ナマ物か漬物か

朝、温度計をパチッとやったら1℃。
ありゃ?冬に逆戻りか〜
「オッサン、1℃やで、セーター着てった方がいいんちゃう?」
「うーん、ま、いいわ」
と言ってポロシャツにコートで仕事行きました。

どうにも私にはロシア人の皮膚感覚が理解できません。
一番謎なんは「靴下」です。
冬でも綿の普通の靴下なのは、裏毛のブーツや室内がぬくいせいと思うのでわかるんですが
夏でもウールの防寒靴下をはくのはわかりません。
夏、洗濯干してるとき日本からお土産のカシミヤ混とか毛ダマくっついた
どかどかウールのヤツが出てくるのは理解不能でした。
オッサンだけでなくオトーサンもそうなんです。
靴下について前に質問したことがあるんですが
「こんなウールの靴下暑くない?」
「うーん、わからん。考えたことない」
このあいだも
「こんな綿の靴下寒くない?」
「わからん」

ロシア人、足に神経ないんでしょうか?
それに「穴」も気にならないみたいです。
私がきたとき穴あき靴下ばっかりやったのでひどいやつをゴミ箱に捨てたら
いつのまにか洗濯干しの時でてきたので誰か拾って洗濯機に突っ込んだようです。
今は穴があいたらすぐ繕うようにしているので穴あきはなくなったんですが、
オッサンによれば
「靴下で重要なことは新鮮か漬物かということ」だそうです。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ラルゴ君が日産レクサスになったことを知った方から
「いっそのことLEXUSのプレートを買ってLARGOと交換したらどうか」
という提案をいただきました。
そ、それは名案!目からうろこでした。
・・・否、それ、まちがってます。
うっかり検索するとこでした。
アブナイ、アブナイ。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

日本人の人質はどうなったのか心配していたら今度はロシア人も人質になってしまいました。
戦争になる前からロシアがイラクで作っている発電所関係の会社員8人です。
夜になってごめんなさいといって開放されたニュースが報道されましたが、
政府はイラクに滞在するロシア人に避難勧告をする予定のようです。
しかしまちがえたとかそんなつもりじゃなかとかそんなことで済ませられる問題でしょうか。
そして、日本人の人質はいったいどうなったんだ!
なんか不可解な事件です。

モスクワではまた爆弾事件がありました。
後ろから走ってきたバイクの犯人が信号待ちで停まっていた車の屋根に爆弾を乗せて
逃げようとしたところ間に合わず車、バイクともに吹っ飛んで5人死亡。
なんでも車は防弾装甲仕様のヴォルガだったのに屋根は30mも吹っ飛ばされていたそうです。
ムシャラフ大統領のベンツのようにいい宣伝にはなりませんね・・・

<本日の夕ご飯>
鶏とねぎの照り焼き、辣白菜、コーンのメキシカンサラダ、大根の味噌汁

2004年4月14日(水) ユーロカップ

すごく暖かい日でした。
昼は15℃くらいあったんとちゃう?
仕事から早く帰ってきたオッサンは窓開けているってのにさっそくパンツ一丁になりました。
ちょっと早すぎるんちゃう?

何で帰ってきたんかというと「ラルゴのマフラーが落ちちゃったから」だそうです。
重ね重ね難儀なラルゴ君です。
ちゅうか、意味わかりません。
ついでに言うと後ろのライト類は一箇所を残してやっと正常になりました。
マフラーは前はバンパーの中にはまりこんでいたんですがノーマル状態に戻したら
剥き出しになってしまったので巨大なバンカが重みに耐えられなかったようです。
「朝さーガンガラガンガラいうから仕事ついてから見たらバンカが落ちちゃって
道路に擦ってたみたい」
はあ、なるほど。
「だから、マフラーが壊れたので帰っていいですか?って言って帰ってきた」
そんなことで帰らしてくれるんですかあっ!そんなことやからロシアの経済発展わぁ〜
じゃなくて、そんなユルユルでホンマ、いいんですか?

□  □  □  □  □

ユーロカップのCMをよく見かけるようになりました。
開催地ポルトガルのが素敵です。
ユーロカップはロシアやヨーロッパではワールドカップくらい人気があります。
しかもロシアは予選を勝ち残り出場!しかも開催国ポルトガルと同じグループA!
熱いですね〜
第一試合は開催初日6月12日で対スペインです。
もちろん力いっぱいスペインを応援します。
あったりメーです、ラウルがいます、黒くてカチッとして濃ゆくて可愛くて、
身長はオッサンと同じなのに体重は30キロも少ないそういうラウルが大好きです。
それに「ラウル・gonzaレス・ブランコ」ですよ、gonzaレス。
しかもブランコ。←?
どうです!この濃ゆさ!
もうあなたも応援したくなったでしょう!
・・・なりませんか。

浦のサッカーチーム、「ルーチ・エネルギヤ」もがんばってます。
去年2部リーグの地区優勝を果たして一部に昇格したんです。
このまえスタジアムの横を通ったら客席が青×黄色に塗り分けされているように見えたので
「あ、ディナモ、客席塗り替えたやん」といったら
「塗り替えたんじゃなくてイスが入ったの」
「へ?」
「前はイスがなかったの。だけど一部リーグになったらスタジオの客席にはイスがないと
ダメという決まりなの!」
へ〜そうなんや。
一回見に行ってみたいと前から思っているんですけども。
誰かいっしょに行きますか?
いないのに、ラウルー!とか隣で叫んでも恥ずかしくない人、お願いします。

□  □  □  □  □

暖かくなってきたので「冷たいものなんかない?」とオッサンがきくようになったから
モルスを作りました。
オトーサンが買ってきたクリュクワ(つるコケモモ)は煮ずに作るやり方をきくまで
オカーサンが冷凍しとくと言ったのでそのへんにあるもので作ってみました。
冷凍室にあった「何かわからない黒い塊」は解凍してみたらジーマロスティ(ハスカップ:クロミノウグイスカグラ)でした。
リモンニクのバレニエ(ロシア風ゆるいジャム)と、食べかけでほかってあるさくらんぼの
ジャムをゆるめてぜんぶをミキサーにかけ、味見してみたらなかなか美味。
漉してから水で薄めてオッサンに味見させました。
「モルス作ったで、どう?」
「おーいしーいーーー!!!!」
そうか。そのようにうれしいか。よかったの。
アンタがそうやっておいしい、おいしいというのでなんでもついようさん作ってしまうねん。
それは作戦なのか?そうなのか?
最近はご飯の後に「私の豚チャンは良い豚チャーン♪」と
「私の人形は良い人形」を歌ってやります。
ようけ食べる→すぐ肥える→早く出荷→良い豚。

本人は「やせなくっちゃ」とか「やせてるところ」←ロシア語直訳で、ぷぷぷ(笑)
と常に言っていますが、その気は「ぜんぜん無い」みたいです。
実のところ私も、さー食え!もっと食え!私の作ったご飯をようさん食ってよい豚になれ!
くらいのつもりなのでオッサンが痩せるのは北方領土くらい難しい課題です。

□  □  □  □  □

テレビに諏訪大社の御柱祭が映っています。
ああ〜7年に一度ですね、あ、これは山出しのところですねえー
すごいですねーあんなところによく乗ってますね、こわいです〜
ロシア、こういう祭りとかのニュース好きですね〜よく見ます。
エキゾチックでミステリアスな日本ですか。
今日のスープにしなびた大根をこっそり入れてしまったのに
気づいてもエキゾチックということで許しておくれな。


<本日の夕ご飯>
鶏肉とブラックオリーブのスパゲッティ、キュウリウオフライ、スベコルニク、山盛りプチトマト

※ジーマロスティ(Жимолость ・ハスカップ:黒実鶯神楽)↓
http://www.komok.ru/article.php?article=69768&c=2
※クリュクワ(Клюква・つるこけもも)はどんな風に生えているか↓
http://dimych.fizteh.ru/My+Photoalbum/raznoe/klukva.esp?start=0&img=192869
※クリュクワの実↓
http://korobeyniki.narod.ru/narva/gribb.htm
※リモンニク(лимонник・ロシアではべリーというより薬草に近い扱い)↓
http://www.arloz.hotbox.ru/photo/1/dscf0758.jpg
※御柱祭を見たい人はココ↓
http://www.nagano-np.co.jp/onbashira2004/
※ユーロカップ開催日程表↓
http://www.sun-rise.co.jp/euro2004.html
※ラウル・ゴンザレス・ブランコ♪↓
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2001/worldcup/rightmenu/hero/hero-05.html

2004年4月15日(木) ダニ予防注射これにて完了

両親のアパートに寝室の家具が届いたので後片付けを手伝うついでに
向こうのアパートで夕ご飯を食べました。

ピカピカの家具はとてもヨーロッパで、デコデコでした。
アールヌーボー風の造作がしてある白いダブルベッドなどは、私には
「ペアホテル」しか思い浮かびませんがロシア人の熟年夫婦が使うには素敵でしょう。
でもこっちのアパートにいたときからオトーサンはオカーサンのいびきがうるさくて
寝れないといって居間のソファで寝てたんですけど。
向こうのアパートにも、オカーサンは自分の部屋にシングルベッドを持っていって
オトーサンは居間でエアベッドで寝ていたんですけど。
帰りオッサンに、
「オトーサンとオカーサン別々に寝てたんやからあんなおっきいベッド買わんでもよかったんちゃう?」
と、えらい余計な質問したら、
「ロシアで夫婦はひとつのベッドで寝るという前提がある。別々の部屋にそれぞれの
シングルベッドしかなかったらちょっとどうしたかと思うじゃん。それに時々はいっしょに寝てるんじゃないの」
はは。ほんまめっちゃ余計な質問でした(大汗)

@  @  @  @  @

イラクで人質になっていた3人の日本人が開放されたというニュースを見ました。
無事でよかったですね。
三人ともすごくきれい(?)だったのでびっくりしました。
もっとこう汚くてあちこち傷なんかあってやつれた感じかと勝手に想像していたんですが
ひどい扱いを受けたんじゃなくてよかったです。
それにしても不可解な事件でした。
こっちでの僅かなニュースとインターネットで時折見る日本のニュースくらいしか
わからないんですが見ても見てもなんだかよくわからない事件でした。
オバハンがひとつだけ言いたいのはボランティアでも偶然でも計画的でも
今のイラクに未成年はだめだと思います。
ボンクラな大人より100倍デキルすばらしい彼や彼女であっても
未成年はあかんと思いますよ。
なにはともあれみんな無事でよかったです。

あっ、そういえばきのう森元首相がロシアでプーチンと会談したんですね、
ちらっとテレビに映っていました。
森さんてリュベ(любэ)のオジチャンに似てるなーと思うの私だけですか?
リュベのオジチャンを初めて見た時、誰かに似てるな〜と思ったんですけど。

それから今日はロシアの国民的歌手、アーラ・プガチョワの誕生日です。
彼女は4回結婚していて、新聞に彼女の結婚とその周辺の関係図が載って
いたので笑ってしまいました。
彼女の好きな「黄色い花」は実はただの噂だそうです。
エリツィンさんもピンクのガーベラの巨大な花束を贈ってました。

@  @  @  @  @

こっちのアパートに帰ってからダニ脳炎の2回目の予防ワクチンを打ちました。
もう一ヶ月たったんですね〜早い〜
アルコールが見つからずにずっと探していてもうめんどくさくなったので
「明日にしよか、薬局でアルコール買って」
「うーん、じゃ今、ウオッカでやろうか」
なんか、焼酎をクチに含んでブワッとやって麻酔なしで弾を取り出す
ような場面を想像してしまいました。
「・・・もちょっと探してみるわ、アルコール」
引き続きがさがさやって水ボトルに入れてあったやつに気づき、無事予防注射終了。
これで今年はOKです。
ダニ〜いつでも来いっ!!! いややけど。

<本日の夕ご飯>
蒸鶏のごまだれかけ、キュウリウオフライ、ウグイと鶏のつくね、セロリとチーズのサラダ、鶏のボルシチ、グルジアワインで乾杯

※愛国心溢れる歌を歌うリュベのオジチャン↓
http://www.matvey.ru/lubeh/
※森元首相ってどんなカオだったけ?という方は↓
http://www.jimin.jp/jimin/giindata/mori-yo.html
※ロシアの美空ひばり?↓
http://iyi.yi.org/junoi/music/stories/russia/Alla-j.html

2004年4月16日(金) 笑いは行動時間と比例する

仕事から帰ってきたオッサンが
「用事ででかけるからごはん後で食べる」
と言って出かけて行きました。

結局9時過ぎまで帰ってこなかったんですが夕ご飯はカレーです。
「カレー味はきらい」なオッサンですがたまのカレーライスはおしいんだそうです。
自分でよそってカツカツ食ってました。
ちなみにオトーサンはカレーが大好きです(辛いものが好き)
カレーは小麦粉を炒めたりなんかしませんよ〜カレールーをおみやげでもらうことが
多いのでいつも常備されています。
ルーは甘口と辛口を半分ずつ混ぜて使うとなぜか中辛より美味いです。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

浦の帆船「パラダ」が日露戦争の海戦の記念行事かなんかで中国に出港していきました。
帆を張って港を出て行く様子がテレビに映っていました。
あー帆を張ったパラダの実物が見たかった〜〜!!
いつになったらパラダかナジェジュダの帆を張った姿が見られるんでしょう・・・

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

オッサンが「タケシの映画やってるよ」というので見たら「菊次郎の夏」でした。
こっちにきて以外だったのはよく日本映画をテレビ放映することです。
タケシの映画は日本で見てなかったやつもロシアで見ました。
菊次郎は2回目です。
北野武はロシアでも評価が高く有名だと思います。
先日もタケシの映画のニュースをやってました。
“ЗАТОИЧИ”って映っていて、なんよ、これ?って「座頭市」じゃあアーリマセンカ。
タップもやるんですか?菊次郎でもやってましたね。
CMの時にほかのチャンネルに変えたら、
今度は左ストレートできれーに入りました、「新・仁義の墓場」。
岸谷五郎、パンチと眉毛剃りメチャ怖いっ!!ヤバすぎ。
「大笑い三十年の馬鹿騒ぎ」で怪演でした。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

オッサンが「疲れたからもう寝る」と言って早く寝てしまいました。
帰りが遅く寝るのが早いということはオッサンの家での行動時間が短いということです。
行動時間が短いということは奇行、珍発言の出現度が低いということなので
オモロイ日記のためにもオッサンには元気でいてもらわねばなりません。
このロシアのオッサンにこっそりエールを送っている日本のオッサンのためにもです。
がんばれ。オッサン。

<本日の夕ご飯>
ビーフカレー、手羽と大根の煮物、野菜サラダ

※菊次郎の夏↓
http://www.office-kitano.co.jp/contents/kikujiro/
※座頭市↓
http://www.bandaivisual.co.jp/kitano/zatouichi/
※新・仁義の墓場こわーい五郎チャンを見たい人はココ↓間違って買わないようにの。
http://store.nttx.co.jp/_II_D110547023

2004年4月17日(土) 浦裏カニ

「ちょっとラルゴのマフラー溶接に出してくるから」
「はい、はい」
今日の休みも相変わらずオッサンは車仕事です。

帰ってきてから市場へ買い物に行きました。
暖かくてすごい人出!!
でも出店には冬にはなかったような緑の野菜がいっぱい出ていて活気があって
うきうきします。
あ〜〜市場好き!ロシアのどこより市場が大好き!

まず魚のところへ行くとコンテナになにやら動いているモノが・・・ 
「タラバガニあるよ、買う?」 とオッサン。
「えー?高いやろ?」
最近ロシアでもカニは高級品です。
「2匹いるよ。両方で1000円くらいだから買おうか?」
「ゲッ!安っ!なんでそんな安いん?偽物ちゃうやろな〜」
「偽物じゃないけど本物じゃない」

タラバガニ漁は許可制で捕獲がきびしく制限されているんだけど
この時期、カレイの漁場と重なるのでカレイの網にかかってしまうのでアール。
それでせっかくかかったカニを海に放るのももったいないのでこうして市場に出回るわけですが
許可なしカニなのでとっても安いのです。
今くらいから6月までこういうカニが出回ります。
カレイといっしょに揚がっている近海のカニなのでほとんど活カニ。
甲羅の直径は15センチくらいかな・・
それで一匹500えん!
買うよりほかないでしょう。
「二匹ともください」で即お買い上げ。
ビニール袋の中でガサガサ動いているやつを車に乗せて帰ってきました。

キッチンのシンクに二匹ならべて入れておいたら、オッサンが
「暑かったネー、はい、水、水」と言ってカニに水をかけていました。
が。
水道水ではどうなんでしょう?
活タラバガニがあんまり元気で困る場合は真水に入れておとなしくさせてから・・・と
書いてあるのをみたことがありますが・・。
ま、じきに食っちまうのでいいですか。
一人一匹ですよ、一匹!北海道カニツアーじゃありませんよ、
ワハハハハハー!!
写真撮ろっと。
こんなカニは私の日本のビンボー暮らしじゃ当たる機会がありません。
ロシアのビンボー暮らしはたまにこういうこともあります。
たまにはいいこともないとな、ロシア。

足、ここんとこ刺身にして〜あとはゆでてぇ〜ミソはどうしよっかな、
残りは味噌汁でぇ〜とかあれこれ考えていたら
むこうのアパートに行っていたオッサンがオトーサンといっしょに帰ってきました。
ありゃ。一人一匹というわけにはいかんくなった・・・
と、いやしい思いが過ぎるのをカニ頭を振って払い、
「オトーサン、カニ買ったよ〜見て〜食べていくやろ?」
「おおっ!これはすごい。うちはいつのまにかブルジョワになったの〜」

つめを一個はずしてみたら一匹は脱皮前でありゃシマッタ!と思いましたが
身は詰まっていて味も悪くありませんでした。
オッサンもオトーサンも慣れたもんで鋏を上手に入れてどんどん食べています。
一人一匹なんていういやしいことを考えていたのに3人でとても二匹も食べきれませんでした。
カニミソもたっぷりあって私とオッサンはバカスカ食っていましたが
オトーサンはさすがに気味悪そうです。
ロシア人は普通カニミソを食べません。
オトーサンにスプーンですくって食べてみて、と言ったら恐る恐る口に運んでいましたが
「うまい!」と言ってあとは自分で食べてました。

あー殻を焼いてカニ酒も・・・とカニ様を堪能してしまった夕餉でした。
タラバガニーありがとうー
オカーサンにもお土産に、といって足を2本持っていってもらいました。

さてカニを食べ過ぎると後で困ったことが起こります。

「あっ、くっさー!オッサン、プクったなっ」
「うーわーごめーん、死んじゃう、死んじゃう」
「ひぇ〜カニプクや〜カニプクが来たー!あっ私もプクりそう〜」
「あっち行ってぇートイレでプクってぇー」
「二人ともトイレでプクったらプク濃度が上がって自然発火するかもしらんやん!
あんたトイレいき!」

カニをたくさん食べるとクッサーーイおならがでます。
それは「カニのたんぱく質が分解されてできるアミノ酸にはS(硫黄)がたくさん
含まれているから」だそうですが能書きはどうでもええねん、オッサン、
あっち行ってプクれェーーー!
「なあ、オカーサンにカニもっとたくさん持っていけば?ってオトーサンに言ったのに
2本でいい、って言ったのはオカーサンがプクったら困るからなんとちがう?」
「そうかもネー、今ごろオトーサンだけプクってオカーサンに叩かれてるヨ」

私たちがアパートのS濃度を楽しく上げている頃、
浦からウスリースクに向かうバスでは大変なことが起こっていました。
拳銃を持った男が乗客12人を人質にバスジャックをしていたのです。
犯人の男はアメリカに政治亡命をしたいのでアメリカ大使館に行け、と
運転手に命令しましたが、かけつけた警察の説得で一時間後投降しました。
今ごろアメリカに亡命?してどうする気だったんでしょう??
オッサンによれば「安いウオッカの飲みすぎか麻薬でイっていたかの大馬鹿野郎」
だそうですが。
日本人の二人の人質も解放されたそうですね、よかったです。
ロシアではイラク在住のロシア人の退避が始まっていますが
結構大勢の人が残る意思らしいです。
とってもお給料がいいんだって。

<本日の夕ご飯>
カニ刺身、ゆでカニ、グリーンサラダ

2004年4月18日(日) 墓参りの日

今日の日曜は「墓参りの日」です。

正確にはあさって、パスハのあと2回目の火曜日を「親の日」といって
お墓まいりをする日本のお盆みたいな日なんですが、
平日ということでその前の日曜に行く人が多いのです。
もちろんちゃんと親の日に行く人もいますし、両方行く人もいます。

さてうちのお墓はオトーサン側もオカーサン側も隣町の墓地にあります。
オトーサンとオカーサンの実家は近所で二人は幼なじみだったんです。

お墓で待ち合わせをしてそれぞれ出かけました。
途中ウラジオ市の墓地の横を通ったんですがものすごい人で、
出店の花屋や手作り品を売る人、警察もたくさんいてワレワレのラルゴも
交通警察に止められました。
パスポートを持っていなかったのでドキッとしましたが、
多分日産なのにレスサスだから怪しまれたんでしょう。←ナイナイ。
余談ですが私は浦で(悪名高い?)パスポートチェックを受けたことが1度もありません。
極東には東洋人がたくさんいるのでいちいち大変だし、ほとんどオッサンと一緒に
いるし、
観光客が行くようなところには行かないからだと思うんですが、
一番の原因は移民ほどキタナクない、観光客ほどキレイでない、
「適度にキタナイ現地の人」みたいだからでしょう。

お墓に着いたらやっぱりすごい人、人、人、犬、ヤギ。
警察の詰め所や救急車も待機しています。スゲェ〜救急車??
あーロシア人、健康に問題がある人が多いからな〜 ←?
ふた山が敷地になっている広大な墓地なのでオッサンも「一人で行くと迷う」というくらいです。
ゴミ捨て場でヤギ親子がなんか食ってます。
酔ッパのオジチャンが墓石と墓石の間にはまり込んでクダまいて警官とけんかしています。
なんかエキゾチックな音楽が聴こえてきました♪
ジプシーの一団が数個のお墓を大きく囲った中で墓前宴会をしています。

お墓の敷地内には作りつけのテーブルやベンチがあるところが多く、
お墓参りの時は食べ物飲み物を持ちこんでここで親族が故人を偲びながら食事をしたり
偲ばずに飲んだくれたりするんです。

お墓は、墓石状のものや、金属のタワー状のものなどいろいろですが、
ソ連時代のものは赤い星がついています。
ごくたまに赤星と正教十字がついているものもありますがソ連時代、十字をつけるのは
信仰の深い人=古臭い人、神という架空の主に頼る弱い人 というイメージがあり
「ちょっと恥ずかしいことだった」とオッサンは言います。

お墓には、少し前のものはハンバーグくらいの大きさの陶板に遺影を焼き付けたものを
墓石にはめこんであったり、最近のものは墓石にそのまま焼き付けてあったりで
「カオ」だらけです。
歩きながら「お、ゴッツイ婆ぁ」とか「えー男!」とか品定めです。
また、子供のお墓には名前は愛称で刻んであることが多いです。

お墓に着いたら両親とオカーサンのお姉さん二人がもうきていて、
花を飾ったり、テーブルに食べ物を用意したりしていました。
墓参りはまず、「オカーサン側」からです。
というのも両親には子供の時亡くなった次男がいるのです。
そのオッサンの弟のお墓がオカーサン側のお墓の横にあるのでまずここに来るんです。
弟は12歳の時、オカーサンと西の方へ休暇に行っている時に水の事故で亡くなりました。
墓石には「神に愛される者は地上に長くとどまれない」と刻まれています。
弟が亡くなったその年の秋にオカーサンのお母さんも亡くなりました。
この年はオカーサンにとって二人も大切な人を亡くした年でしたからその悲しみは計り知れません。

私は正教徒でありませんが儀礼として正教十字をきってごあいさつしてから
合掌してお参りします。
変かもしれませんがいいんです。
無神論者のオッサンは十字もきりませんが弟は兄さんがきてくれただけでうれしいことでしょう。

お参りしたらあとはもう、「宴会」です。
お腹いっぱいになったところで今度はオトーサン側のお墓へ移動しました。
こっちには去年亡くなったバアチャンのお墓もあります。
じいちゃんの写真はオトーサンにそっくりなので、
「オトーサン、こんなとこで土に埋まっとる場合じゃないでしょう」と言うと
「こんなしわくちゃのバアサンが私の奥さんでは困る」と言っていました。
さて、オトーサンの方のお墓はテーブルセットがないのでお参りだけして、家に帰ることにしました。

一番上のオカーサンのお姉さんを送っていって、ヤギの乳をもらってきました。
畑にはチューリップの芽がでていたヨ。

お墓に行途中、道端でバナナを売っていたので、
「帰りもまだあったら買おうか」といっていたところ、帰りはバナナ売りのおっちゃんが
大きく手を振って通り過ぎる車にアピールまでしていました。
「いくら?」
「一キロ25ルーブル。でももう最後だから残り全部買ってくれたら一キロ20ルーブルにするよ」
「うーん、じゃ、全部いくわ」
「よしきた!そんじゃ・・8キロ、160ルーブルね」
というので8キロ!(約50本)の」バナナを買ってしまいました。
すぐ食べてみたら
「うん、悪くない」
「オトーサン、どう?」
「うん、おいしい」
「安かったねえ、市場では一キロ40ルーブルやん」
「盗んだバナナは早く売らなきゃ」
!!!!

@  @  @  @  @

オトーサンにバナナを半分渡してアパートに送り、そのままスクーターを取りに行きました。
売約済みのうちのマツダ君の買い手がスクーターも2台車にぶちこんで送ってくれというので
とりあえず一台買ったんです、「HONDA・DIO」

「出かけるの大変だからスクータ買ってあげようか?」
「いや」
「なんでぇー?」
「車でもすぐ事故りそうなのにスクーターなんかですぐ死にたないもん。
買うなら装甲車にして」
「はい。」

私の国際免許はとうぶん出る幕なさそうです。


<本日の買い物>
バナナ8キロ・640円、グリーンピース缶・80円、とうもろこし缶・66円
ソーセージ・160円、インスタントカーシャ(ロシア風かゆ)一箱・104円
ジュース・104円、パン3個・120円

<本日の夕ご飯>
カレイ煮付け、カニときゅうりの三杯酢、
血ソーセージとグレーチカのバター炒め(гречка с кровяной колбасой)

※ご注意※国際運転免許は「旅行者」が運転できる免許ですのでホンマは「滞在者」は運転できません

2004年4月19日(月) 寮は誰が住むところ

ゆうべ、食べ過ぎたかな〜?という感じでしんどくなり、
ちょっと横に、とベッドに転がったらだんだん膨満感と嫌な痛みが。
とりあえず胃薬を飲んだんですが。
「お腹いたい〜」
「どれどれ、ここは?ここは?」とオッサンが腹を押すけど痛みというより気持ち悪くて
「うぇ〜吐きそう〜いたた〜」
「む。胆のうあたり。これ飲んで」
と言って錠剤を一個飲まされました。
ところがいっこうに良くならず、どういう姿勢をとっても楽、ということがないので
朝の6時くらいまで寝られずベッドをごろごろゴロゴロのたうちまわっていました。
うちの迷医ではダメなようです。
やっと寝付けた頃に目覚ましがなったので、
「ごめんやけど今日起きられへん」
「イイヨイイヨ、でもいったいどうしたのかなあ?マア、寝ていて」
と言って一人でカーシャ(ロシア風かゆ)を作って食べて出かけて行きました。

12時くらいに目が覚めたときはすっかりよくなっていました。
何やったんやろう?
下痢もしてへんし。
オッサンはなんともないし。
もしかして墓場で何か連れ帰った???
こ、こわ〜〜
白かゆを少しだけ食べ、用心しました。
胃のあたりに若干違和感が残っていたので夕ご飯もオッサンの分だけ作り、
私は白かゆと梅干。

「エイズの診断書できたヨ〜、マイナスだった」
「あったりまえやん!」
日本だと高いという理由でロシアで作った診断書だったわけなので、
「いくらやった?」
「シャンペン一本やっといた」
そうなので上々です。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

モスクワの大学寮で爆弾事件があり、ベトナム人学生ら40人以上が重軽傷を負いました。
ロシアの大学寮には大学生だけ住んでるわけじゃありません。
大学が1フロアを一般に貸していたりすることもあります。
今回の事件も学生というよりそういう学生外の人々のトラブルの可能性が高いと
ききましたが一部ではテロのうわさもあります。
寮は学生が又貸ししていることもあります。
オッサンも自分名義の部屋を友達夫婦に又貸ししていました。
オッサンの寮には近所の市場のオバハンとか軍人さんまで住んでいました。
オッサンによれば
「寮は誰でも住んでいいんだヨ」

いや、よくないと思いますけど(汗)

<本日の夕ご飯>」
私:白かゆ、梅干
オッサン:コンソメスープ、グレーチカとひき肉のカレー炒めレタス包み、白菜と豚肉の蠣油醤炒め

2004年4月20日(火) ネオナチは何処にいる

今日はヒトラーの誕生日なのでネオナチストが怖いから
外出はせず家で包子を作ることにしました。

ヒトラーの誕生日でなくても滅多に外には出ないんですが。
外に出てもガソリンスタンドが一軒と道が一本あるだけなんですが。
一本道を追いかけられてガソリンかけられて火つけられても怖いし。

教えてもらった北京料理の焼包子を作るんです。
お〜生きとる、生きとる、いい具合に発酵して生地がふくらんできました。
だいたい2倍になったらOKな、はいはい。
と、そこへオッサンが帰ってきました。
えらい早いんちゃう?
「今日さ、航空券のキャンセル待ち確認の日なんだけど電話じゃだめだから行こう」
「いや。今日ヒトラーの誕生日やもん、ネオナチ怖い」
「ウラジオにネオナチなんかいないって」
「おるて!絶対どっかにおる」」
「でも航空会社にはいないと思うよ」
「革命戦士広場に行ったら絶対おる」
「おーらーん、ちゅーねん!!」
とオッサンに関西弁でかまされました。

「えー今、発酵中なんやけどーもうちょっと待てへん?」
「今渋滞してるからすぐ出ないと間に合わない」
というので生地をすずしいところに置き直してでかけました。
行ってみたらオフィスは工事中で移転先はもっと中心の方だったので
今からじゃ時間が間に合わないし、もう明日にしようかというので
近くの市場で少し買い物して帰りました。
人々を観察していたのですがネオナチ風の人を見つけることはできませんでした。

かえってきたら包子さんが3.5倍に!!
ひぇ〜〜
気にせずでっかい餃子のような包子を作りました。
オッサンに包ませたら△のロシアのマンティにしてしまいました。
「だってこれしかできんも」
なんでもいいんです。
美味しかったのでよかったです。

満腹のオッサンが、用事で両親のアパートへ行くと言ったので
「そんならこの包子持ってって」
と包んでいたら、顔色変えてキッチンの方にきました。
「行かないことになった。オカーサンが明日入院することになった」
「え!!何!?オカーサン、どうしたん?」
「よくわからないから入院して検査。朝、迎えに行ってくる」

心配です。


<本日の買い物>
チーズ・380円、インスタントグレーチカ一箱・100円
トマト、きゅうり、サラダ菜で268円
セロリ1株・180円

<本日の夕ご飯>
焼包子、白菜とハムのスープ

2004年4月21日(水) オカーサンだいじょうぶ?


「オカーサンどうやった?」
「うん、きのうよりずっと元気、血液検査も特に異常ないし」
「よかったな〜いつ出てこれるん?」
「たぶん・・あさって」
「オトーサンに言った?」
「言った言った」
「オトーサン今日こっちにご飯食べにくるかな?言っといてくれた?」
「言った言った」
とそこへオトーサンから電話。
「あー。私の息子はいるかな?」
「うん、今変わるけど。オトーサン、ご飯は?こっちこないの?」
「ん?何?きいてない。ところでママの具合どうだった?」
「オーッサンッ!オトーサンから電話!夕飯のこともオカーサンの事も言うてへんやんっ!」
オカーサンの事が一番気がかりなんはオトーサンやのに・・・
呑気ちゅうかなんちゅうか(怒)
まぁ、深刻な状態ならこんなんで済まへんからたいしたことないって事なんやろうけど。
「明日は帰りにこっち寄ってご飯食べてってな、って言うといて!」
「言った言った」
ホンマかなァ・・・

「あ、今日帰りに航空券買ってきた。やっぱりキャンセルは出なかったんだって」
「あ、そうなん。ほな予定よりちょっと早いな、準備はよせんと」
「早く帰りたいでしょう〜〜」
「さー。どうかな、メンドクサイしな」
「生の魚を食べたいでしょう〜〜」
「それは食べたい。腹いっぱい食うでぇ〜」
「帰ってくる?」
「さー。どうかな、メンドクサイしな」
「え!!!ワタシのご飯はどうなる」
「さー。どうかな、私がいなかった時はオカーサンのご飯食べてたんやから元に戻るだけちゃう?」
「え〜〜?かわいチョーねぇ、ワタシ」
「かわいチョーなのは私じゃ!」

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

帰りの予定が決まったら早速オッサンはインターネットでラルゴの部品を探し始めました。
まだ何か要るんか?
も〜〜浦で買うてくれんか〜。
「だってないもん」
うら若きオジョウサンの一人旅やのにいっつも相当怪しいねんで、荷物。
も〜、これなんですか?って聞かれるのイヤやし。

あ。雨が降ってきました。
オカーサンも落ち着いているみたいだし、とりあえずほっとしました。
浦生活もあと10日ほどか・・・。


<本日の買い物>
バスソルト3個・536円

<本日の夕ご飯>
和風ハンバーグ、ベネグレット、ジムニー、スベコルニク

2004年4月22日(木) オカーサンだいじょうぶ。

朝ご飯の準備をしていたら電話が鳴りました。
誰ェ?こんな早く。

「あのネー、オカーサンが病院のおかゆじゃお腹すくから何か朝ご飯もってきてって」
オカーサン・・・そんなに元気でしたか?
何食べてもいいんですか?
わかりました、ご用意させていただきましょう。
しますとも、大部屋のみんながのぞくようなやつをいきますとも。
そんな電話してくるくらいなので昼ご飯も物足りないやろうと思い、
おやつや果物も入れてランチボックスみたいにしてオッサンに渡しました。
「え〜?これ全部ぅ?」
「そう」
「大きくて持ってくの恥ずかしい」
「ごちゃごちゃ言うな。持ってケ」
「はい。」

∞  ∞  ∞  ∞  ∞

さて今日はピロシキでも焼くか〜
うちのピロシキは油で揚げずオーブンで焼くタイプ。
実はひとりで作るのは初めてなのでちょっと心配やけど。
ま、やってみっか。
ロシアの代表みたいな食い物やしオーブン料理の練習にもなるしの。
今日の具はキノコと玉ねぎとジャガイモを炒めたやつとカレーコロッケの種の2種類。

ちょうどピロシキが焼けた頃オトーサンが帰ってきました。
お、オッサンちゃんとオトーサンに言っといたみたいやの。
すぐにオッサンも帰ってきて、
「あーピロシキある〜どしたの?」
「どしたの、って私が焼いたん。今日レーニンの誕生日じゃん。
それにソユーズもめでたくドッキングしたしな。」
「えーレーニンの誕生日にはピロシキ焼くの?知らなかった〜」
「私も知らんけど」
「すごーい、あち、あちちち、アイアイ!」
「今焼けたばっかやで気をつけてな!どこ行くん?」
「トイレ。う○こしに」
「コラッ!トイレに食べ物持って入るなっ」
「だってう○こもしたいしピロシキも食べたいんだも」
と言ってトイレに向かったところをオトーサンにドヤされて冷蔵庫の上に歯型のついた
ピロシキを置いて行きました。

「やっぱりオカーサンのピロシキにはかなわんね、今度はもっとおいしくできるようにがんばるわ」
ちょっと焼きすぎの感があったですけど16個作ってオカーサンに2個残し、
あとは全部食べちゃったので私としては上々です。

ご飯を食べ終わった頃、オカーサンから電話がかかってきました。
「ちょっとオカーサンを迎えに病院まで行ってくる」
「は?どしたの、オカーサン」
「お風呂入りたいんだって。それに4人部屋で、いびきがひどいオバチャンがいるし、
一人のおばあちゃんは寒がりで窓を閉めておいて、というので暑くて寝れないから
ウチに帰る、って。ご飯もまずいしって」

なんな。オカーサン、十分元気やん。


<本日の夕ご飯>
ピロシキ2種、野菜サラダ、きのうのスベコルニク

2004年4月23日(金) クリーニングと電気代の話

今朝は寒いなーと思って温度計をパチッとやったら3.8℃。
やっぱり寒かった。

10時頃突然雪が降ってきました。
すごい勢いで降ってます!
うあーもう4月も終わりやのに〜すごい雪。
なごり雪にはチト強烈すぎやがな〜
これなら時計を気にせんでも「汽車」は運休になるので
彼女は田舎へ帰れません。
(↑意味のわかる人はそろそろ塩分の取りすぎなんかに注意して下さい)
暖房止まってなくてよかった〜♪
今年は水不足だからいつもより早く暖房を止めるって噂だったので
心配だったけどとりあえず今のところ止まってません。

暖房といえば今月の暖房費の請求がきました。
一ヶ月960ルーブルです。
3800円くらいですか・・・
安いですか?高いですか?ってルーブルではわけわかりませんねぇ・・・
今モスクワで普通に生活できる収入は500ドルといわれていますから
そうすると割合で計算してみると・・・
うーん、たとえば日本で30万円の収入の家庭は19860円の暖房費になります。
どうですか?そんなもんですか?
これは暖房費だけの請求でアパートの広さによって決まっていますが、
電気代はまた別です(浦はガスがありません)
ちなみに浦の電気代は政府調査の「収入に比べて電気代が高い地区」に入っています。
発電所勤務のオトーサンによれば、浦は火力発電所しかないので
発電コストが高いから電気代が高い、んだそうです。
水力発電所があるところは電気代が安いそう。
原子力発電所があるところは・・・??

▽  ▽  ▽  ▽  ▽

帰国準備をそろそろはじめなあかんと思って食品の在庫チェックと冬物の洗濯をしました。
どーせオッサンは向こうのアパートでご飯食べるやろうし、
冷蔵庫のものを使い切れるような献立と、同時に日本から持ってこなあかん食品類のチェックですが書き出したら28種類。
あいかわらずやけどまーしゃあないな〜〜

洗濯は最初とても困りました。
今、日本の服ってなんでもかんでも「ドライマーク」で、服の値段は安いのに
ケアの値段がすごく高くなってしまったりするわけです。
それでも水を通せそうなものはドライ洗剤で手洗いしたりして節約する方も
多いと思いますけど私のその一人。
でもやっぱり中には、これはちょっと水はやばいかも・・と思うような服もあって
そういうのがある程度まとまったとき、
「クリーニングに出したい」とオカーサンに言ったら信じられない!という反応で、
こっちがおろおろでした。
「こういうもの(ニットやスカートやパンツ、ブラウスなんか)はクリーニングに出すようなものじゃない」
んだそうです。
クリーニングに出すものはコートや上等のスーツ、皮クリーニングの毛皮くらい
なんだって。
手洗いではダメか、洗ってあげようか、としつこく言われたので、
それなら自分で洗うからいいよーと言ってこっそり日本に持って帰ってクリーニングに出しました。

クリーニング屋がないわけじゃないし、モスクワのいとこ夫婦なんかは
それこそジーンズでもTシャツでもなんでもクリーニングに出していたけど
生活スタイルや価値観はそれぞれなので今は洗えるものしかロシアに持って
きていません。
ついでにドライ洗剤は日本から持ってくる物の筆頭です。
それに出したことないのでわからないけど、クリーニングも浦あたりじゃ
なんか日本ほどデリケートに扱ってくれないような気もしてちょっと心配だし。
(そんなことなかったらごめんなさい!)

でもな〜そう思ってみれば、化繊のテロテロっとした服とか
冬でも一重の化繊のパンツとかスカートとか着てる人すごく多いねん〜
一年中化繊。
多分に好みもあるけど、洗えるもんね、洗濯機で(笑)
きっとそういう事情もあると思う。
クリーニングってぜいたくやもん。
日本だってちょっと前まではウールの服はブラシかけて手入れして
シーズンの終わりにクリーニング、って感じだった気がするけど
今はなんでもぽいぽいクリーニングやしな〜
洗えへん素材を使うのも問題やけどモードと相反する問題もあるしな〜
ま、とりあえず今のところシルクなんかはこっちに一着も置いてへんです。
着る機会もないし(汗)
着るかな〜と思って持ってきたやつ、持って帰りました。
正解でした(涙)

▽  ▽  ▽  ▽  ▽

オカーサンは今日も昼だけ病院に検査に行って家に帰ってきました。
適当です。
こんな適当でいいんでしょうか。
でも「誰でもこんな風にできるわけじゃない」そうなので、
オカーサンの迫力勝ちでしょう。
病院で滅入って余計病人みたいになるよりええんちゃうかと思います。

オカーサンの車を駐車場に入れに行ったオッサンが、
「ネー、このオカーサンの車にシートカバー買おうと思って探してるんだけど、
今悩んでる。ヒョウ柄とベルバリ(バーバリー)風とどっちがいいかな?」

どっちもイヤです。

<本日の夕ご飯>
カレイのあら汁、炒白菜の香味ソース、鶏の中華風蒸し物、野菜サラダ

2004年4月24日(土) これ2枚ください

この土日は私にとっておみやげ買出しの週末ですが
オッサンにとっては相変わらず車修理の週末です。
朝からオトーサンと半島の反対側の工場まで出かけて行きました。

さて車を預けている間に買出しです。
おみやげは浦ー日本を行ったり来たりしているうちに定番ができてきて
前ほど悩まずに済むようになりましたがそれでもやっぱりアタマをひねります。
一回はマトリョーシュカなど買っていって「どしたん?熱でもあるん?」などと
期待を裏切りたいと思ってはいるんですけど。

おみやげを買いに行ったのについうっかり「タルカン」など買ってしまいました。
しかも2枚。
ディスプレイしてあったタルカンに吸い寄せられたんです。
何を思ったのか、
「これ、2枚ありますか?」と言ってしまいました。
なぜ2枚と言ってしまったんでしょう?
自分でもわかりません。
スケスケシャツの胸元をはだけた無精ひげのトルコ男を二人ほしい!と
ボンノー、もといホンノーが訴えたんでしょうか。
これはオッサンが冷蔵庫の前にくるとついドアを開けてしまうというのと同じでしょうか?
若干ちがいますか。

「これは一枚しかないけどちがうアルバムならあるよ」
と、お店のアニキに言われてワレに返りました。
「あ、それもください」
あとで確認したらほとんど同じ曲のCDでしたけど、
ジャケットが別のスケスケだったからいーの。

本題のおみやげの調味料などを選んでいたら電話が。
「オカーサンが病院に迎えにきてって」
「え?オカーサン今日病院行ったの?」
「点滴しに行ったヨ」
「でも今日土曜日で病院休みちゃうん?」
「オカーサンは入院してるんだってば!してないけど。」
あ、そうやった〜〜ハハハ。

ちょうど車の修理も済んだと電話が入ったのでとりに行きました。
早速車でタルカンを聴きました〜
なんて言ってるかわかんないんですけど相変わらず一緒に歌ってるんです。
オッサンも一緒です。
なんか前にロシアでヒットした曲がたくさん入っているらしくて
アラブぽいコブシが好きなオッサンも大興奮♪
そういえばこの人はエジプトでもなんやようわからん歌を気にいって歌ってたな〜
しかも音痴なのでますますわからん。

「あ、ラマダンって言ったよな?」
「言った言った」
「ベルとかビリとかバリとかそゆの多いな」
「ヨーラシカって何?」
「ブゲシェーって人の名前?」
「ちゃうやろ〜」

途中、山の中に入ったら斜面一面に待雪草が!
めっちゃ可愛い〜可愛い〜
やっぱ春の森が好き〜
そのあとオカーサンを迎えに行って向こうのアパートでみんなで夕ご飯しました。
オカーサンはやっぱり元気がない感じ・・・
一応入院しているはずの人なのでいいのか・・・
いや、よくないか。
今のところオカーサンの不調の原因はわかりません。
オッサンによれば
「オカーサンはワタシが子供の時からあそこが痛い、ここが悪いとガタガタしている」
のだそうです。
やはり女王様は強気でないといけません。
早く元気になって欲しいです。

<本日の夕ご飯>
ペリメニのスープ、焼パルトゥス、生野菜

2004年4月25日(日) ついフラフラと靴屋

さて今日も買出しです。

中心の方へ行ったのでオッサンはついフラフラと電気屋や道具屋に入ってしまい、
「人が多いからはぐれないようにネ!」 ってアンタがフラフラ行くんやんか。
・・・って私もフラフラ行きました、靴屋(汗)

靴がとっても安いんです。
日本では輸入皮靴の関税が高いのでヨーロッパ製の皮靴はめちゃ高ですやん。
モードなやつはイタリア製が多いですが日本で買うよりずっと安い!!
デザインをコピーしたロシア製、香港製はさらにお安くなっております。
歩きやすさや足の健康などは無視したひたすらモードでエッジーなやつが多いです。
が。
本皮です。
安い靴は合皮という日本のイメージは払拭。
流行のサイクルが短い昨今でもこのお値段なら次々いけます。

完全なるブランド店はウインドウを眺めるだけにして(400ドル以上など)
5店くらい入ってみましたがイタリア製のよさげなやつで5000ルーブル(2万くらい)前後、
それのコピペぽいロシア製、香港製では1500〜3000ルーブル(6千〜1万2千円)
くらいでゴマンとあります。
プレーンなデザインのやつは800ルーブル(3200円)くらいでもたくさんありました。
もちろん本皮でカカトの化粧(ヒール先のプラスチック部分)のスペアもついている
あたりはさすが靴文化圏です。
ヨーロッパ製のものは西から入ってくるので浦よりモスクワの方がもっと安いかも
しれません。

この時期の浦オジョウサンの定番、ミニスカ+ハーフブーツという、ハーフブーツは
持ち越しなのでセール中、だいたい半額。
日本でも主流になっているヒステリックなトンガリ靴率99.8%、
しかも高いピンヒール率89%
ちっさいけどハイヒールが痛い私にはうらやましいことこのうえなし。
男性もトンガっている人多し。
去年の秋モスクワに行った時、男性の靴がすごくトンガっていたので(オジチャンも)
さすが都会!と思ったものですがこの春は浦男もトンガってます。
ちなみにオッサンはトンガってません、アメ横1980円です。
しかしいつもピカピカにしているところはさすが靴文化圏育ちです。

さてサイズはロシア製も香港製もヨーロッパ(イタリア・フランス)表示です。
35、36・・ってやつですね。
ほとんどの靴は36からで42、43くらいまでが多く、
35から有りが3割程度、34、34ハーフは見たことありません。
今日本の婦人靴で一番サイズが多い23.5cmは約36で、
23cmくらいから上の人はまずロシアで靴を買うのに問題はないでしょう。
私は22cmの小足なのでロシアで靴を買うのはかなり無理があります。
サンダルやパンプスなどの素足やストッキングを履くような靴はまず最初からダメ。
でも西洋人の足は幅がせまく細いので靴も見かけより小さいものがあり、
靴下を履いてOKなようなデザインなら35でもなんとか履けるやつがあります。
35という表示を見つけたらひたすら足入れしてみるのです。

履いても履いても大きいのでため息ついていたら天の声が。
「オマエは何を買いにきたのか〜」
・・・反省して靴屋をあとにしました。

頼まれものの伝統的な麻刺繍の布や手彫りの木工品などを物色するのに
付き合っていたオッサンが、
「こういうもののどこがいいのかわからん」
「お金持ちの国の人はな、こういうもんが欲しいねん。ロシアもお金持ちになったら
こういうもん欲しなるで」
民芸運動ですか・・?
ロシアの民芸が廃れないように僅かですが貢献してしまいました、宗悦先生。
ロシアのお金持ちはパリでブティック買占めとらんと、自国の工芸に
趣味のいい(ここが最難関)上等の注文を出してたくさん買っていただきたいものです。
買う人がいないと技術や素材はどんどん廃れてしまいますから・・・


<本日の夕ご飯>
八宝菜、野菜サラダ

※日本とヨーロッパの靴サイズ対応表↓
http://www.a-ru.com/size/size.htm

※和田アキ子の靴サイズを知りたい人は↓
http://www.jasmic.co.jp/celebsize/celebsize.html

2004年4月26日(月) オチなしでも許す

今日は「チェルノブイリ原発事故の日」です。

1986年の今日、当時ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所の
4号炉で爆発事故が起こりました。
その時の、放射能によってところどころ白抜きになったドキュメンタリーフィルムの
映像は忘れられません。
被害は現在も続いています。
日本からも個人・団体のいろいろな形で現在も援助が続けられていますが
時間と共に風化の傾向があるのは否めません。

去年、NHKのプロジェクトXで菅谷医師の活動が紹介されて
この事故のことを知らない若い人たちにもこの事故がどういうものであったのかを
知る機会になったかもしれません。

チェルノブイリはウクライナですがベラルーシとの国境近くにあり、
事故当時の風向きによってベラルーシ側に多大な被害が出ました。
日本にもこの放射能は届き、5月3日に放射能を含んだ雨を観測しました。
現在、事故炉を覆っているコンクリートの「石棺」とよばれる覆いが内部からの
放射能と熱、外からの風化でもろくなってきていて新たな放射能汚染が心配されています。

ちょうど今日本でコンサートツアーをしているウクライナのバンドゥーラという
楽器の奏者・歌手のナターシャ・グジーさんはこのチェルノブイリ原発の街、
ウクライナのプリピャチ出身で6歳のときこの事故に遭いました。
機会があったらナターシャさん(美人)の音楽に触れてみてください。

この事故があったときオトーサンはチェルノブイリから700kくらいの
ウクライナのドネツクという町にいました。
その当時家族は暖かく暮らしやすい黒海周辺に移住しようかと考えていて
オトーサンはウクライナのいろんな町へ下見に行っていたのです。
事故の時、とつぜん外出禁止令が出て、何事かと思ったそうです。
結局家族は移住しませんでしたが、汚染地から移住できない人や
移住地になじめず汚染がわかっていてもまた戻ってきてしまった人の
悲しみを思うと胸が痛みます。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

浦に若手の人気グループ、「ЗВЕРИ」が来ました。
今日明日とコンサートです♪
ボーカルのロマは「怖可愛い」カオでロシアのジョシコーセー(?)の
ハートをわしづかみです。
「ロマ、かわいいなーなあ、ズヴェリのコンサート行きたい〜」
「だめ」
「なんで?」
「あれは若い人が行くグループだから」

あ〜〜〜れ〜〜ェェェェ〜〜〜〜
そ、そんなバッサリ切らんでも・・・。

夕方からは浦のサッカーチーム、ルーチとリペツクのチームとの試合が
あって、引き分けでした。
「なーサッカーならいいやん〜一緒に行こうよ〜」
「いや」
「なんで?」
「ヘタだからおもしろくないもん」
そりゃ私かてラウルがゴールして指輪にキスするの見たいけどな。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

夜インターネットしていたオッサンが叫びました。
「ちょー?しとすたぼい?」←なぜかロシア語
「ワタシの口座から300ドル引き出しになっているっっ!!!」
「は?」

きいてみたらこういう話でした。
土曜にアルファバンクというロシアの銀行のATMでドルの引き出しをしたら
途中で止まってしまって動かないのでキャンセルボタンを押してやりなおし、
そのあと2回引き出ししたけど、口座を見たら3回引き出ししたことになっていて
300ドル余分に引かれているんだそうです。
そ、それはえらいこっちゃ!
300ルーブルでのうて300ドルやしな〜
浦あたりじゃ一ヶ月の給料に当たるような金額やん!!!
しかもロシアの銀行のATM。
返してもらえるか不安が過ぎる・・・
「あのキャンセルした一回分のお金が出したことになってる。ひどいなーだまされた」
「だまされたっちゅうか、そんなんほっとけんやん、なんとかせな」
「うん、でももう夜中だし。土曜日のことだし・・」
「アンタ、モスクワは昼やん、昼!アルファのイリーナに電話せいっ」
アルファバンクにはいとこやそのヨメなどが勤めているのです。
イリーナに電話してアルファのカスタマーサービスにも電話してみて
結局の答えはATMを置いているアルファバンクでなくて口座を持っている
シティバンクに言ってくれ、ということになりました。

よし、次はシティバンクじゃ、
24時間やしの。
なに?国際電話はフリーダイヤルでないのか?ダボっ!
オッサンでは上手に説明できないかもと思って私が説明したんですが
自分で言いながら、ちょっと私日本語変?と思うような話ぶりで汗でした。
まともな日本人と話す機会がないもんですから日本語が変になってしまうのです(ホンマか?)
オペレータのおねえさんに、
「ご本人さまですか?」といわれて
「あ、はいはい、替わります」とオッサンに替わり、オンフックにして聞いていたら
オッサンのほうがよっぽどマトモな日本語で更に大汗でした。
「操作時間は何時でしたか?」
「こっちで11時です、日本では9時です」
「では明日のそちらの現地時間で12:00〜1:00の間にご自宅にお電話しますので
ご本人様に出ていただけますか?」
「はい、わかりました」
がちゃ。

「よかったね〜」
「あしたの昼、仕事出てこれる?」
「なんとかする」
「ところでさ、現地時間ってモスクワじゃないよね?」
「・・・・ありえる。ウラジオです、って言わなかったもん」
「日本でロシアって言ったらモスクワやん、国内で11時間も時差あるなんてパッと
思い浮かばへんで〜」
「だいじょうぶ、11時に操作して日本で9時って言ったもん」
「夜の9時かと思ったかもしらんやん」
「え。どうしよう・・・もう一回電話してウラジオですって言おうか」
「まー、モスクワで昼ならこっちで夜やからどっちにしても家に帰ってるしもうええんちゃう?」
「そうネー、とにかく明日の昼は帰ってくるからご飯ネ」
「はいはい」
「なんかコーフンして寝れなくなっちゃった」
「コニャックでもあおれば?ホレ」
といってコニャックをついで渡すとぐっと飲んで、
「うあ!余計コーフンしそう〜牛乳の方がいいかも」
と言って冷蔵庫から牛乳出して飲んでましたが変な時間に大事件?だったので
二人とも眠気がとんでなぜかお茶漬けなんか食べました。

どうか300ドル返ってきますように。
この際オチはいりませんから。


<本日の夕ご飯>
牛バラとセロリの炒め煮、ベネグレット、セロリとチーズのサラダ、にんじんとジャガイモのクリームスープ

※ナターシャ・グジー↓
http://www.office-zirka.com/
※菅谷昭「チェルノブイリ命の記録」書評↓
http://www.mm-labo.com/culture/literature/review/ta/Chernobylinochinokiroku.html
※ЗВЕРИ↓
http://zvery.ru/

2004年4月27日(火) 貧乏臭くて大結構

正午少し前に電話が鳴りました。
あ、銀行からかも?と出たらオッサンが
「ワタシー!ちょっと仕事のきりがつかないから1時くらいになると思う、
もし銀行から電話かかってきたら言っといて」
「うん、わかった」

ところが1時になっても銀行から電話がかかってきません。
オッサンも帰ってきません。
1時半くらいになってやっとオッサンが帰ってきました。
「電話あった?」
「それがないんやて。やっぱモスクワ時間やったんかなー」
「ええー?今日すごく忙しかったけど帰ってきたのにー」
「なあ、2時までかかってこんかったら多分夜やな、しょうがないな、
仕事戻る?」
「せっかく帰ったからもう戻らないヨ。ごはんは?」
「はいはい」
と言ってごはんを食べ始めたら電話が鳴りました。
オッサンの様子から銀行みたいです。

「はい、はい、アリガトウゴザイマシター」
「どうやった?」
「うん、今日口座に返金するからあとで確認してくださいって、キムラ君が」←すごくうれしそう
「え〜、そんなすんなりいったん?信じれーん!」
「ワタシも〜。やっぱりロシアの銀行でなくてヨカッター」
「時間、ちゃんとウラジオ時間やったな」
「うん、キムラ君がどこですか?って言うのでウラジオストクです、って言ったら
ウラジオストクですかー日本と近いですねえ、気候も似ているんでしょう?って言ったので
気候は似てますけどぜんぜん日本と違います、って言っといた」
銀行員相手にボケんでよろしい。

「キムラ君、いい人みたい」
「そうか、よかったな」
キムラ君、このようなロシアのおっちゃんの相手をしてくれてありがとうございました。

「さて。ほな買い物の続き行こか」
ということで相変わらず帰国用買出しにでかけました。
が。
靴買ってしまいました(大汗)
冷蔵庫を空にするために食べ物は買わないことにしていたのに
知らんまにオッサンは豆腐と肉買ってました、ついでにアイスクリーム1gも。
「今日、マーボー豆腐ネ!」
キ、キサマ…。
いつになったらおみやげが揃うんでしょう…

帰って来て暖房のパイプに乗せていた洗濯物をしまおうとしたら
乾いてなかったのであれ?と思ったら暖房が止まっていました。
あ〜とうとう暖房の季節もおわりか〜
水不足で早めに切るといっていたけど結局例年と同じくらいになりました。
一冬ありがとう〜暖房に感謝、合掌。

夕ご飯はしょうがないのでオッサンに肉を挽かせてマーボー豆腐つくりました。
ご飯のあと、オッサンがアイスクリームに抹茶を混ぜてコネコネしています。
「ね、ね、ワタシ特製抹茶アイス食べたいでしょう?」
「食べたいでしょう、やのうてアンタが食べたいんやろ」
「おーーいしーーーい!!ワタシだっておいしいもの作れるんだヨ」
「そうな、よかったな」
一生懸命抹茶アイスを作りながら食べながらしているとオカーサンから電話がかかってきました。

「オカーサンがねネ、春の上着を買ってあげたいって」
??…冬のコート事件があるので素直に喜べません。
「上着?今着てるやん」
「…なんか、それちょっとサビシイ感じ、って」
キターーーーー!キタか、またキタか!
今回は貧乏チャンからサビシイ感じになったあたりがちょっと進化したかも?
どっちにしろ冬に貧乏チャンのコートと言われたアレのことです。
おつきあいの長い方はご存知かもしれませんが、
去年の冬、オカーサンは私が日本から着てきたコートを貧乏臭くてかわいそう、
といってムートンのハーフコートを買ってくれました。
思いがけない高い買い物やったのでオカーサン、ありがとう!って何回も言ったら
「いーのヨ、彼(オッサン)のお金だから」
と言われアゴ落ちました。
貧乏臭いのが幸いしてコート、ハンドバッグ、そして今回ブルゾンもGETなるか!(オカーサンの財布にしてね)

そのあとオカーサンと話していたオッサンがだんだんイライラした感じになってきて
声のトーンが上がってきたと思ったら早口の大きい声でなんか言って
コワイ顔で電話を切ってしまいました。
「ど・・どしたん?」
「もう、ほんとに!オカーサンは今日膵炎でお腹が痛くなったので
自分で注射して治まったと言ってるけどそうやって自分で勝手なことをすると
医者はもう、あなた勝手にして下さい、ってなって軽視される。
病院は患者のカルテを作って治療の経過を記録しながら治療方法や症状を判断するのに、
自分で勝手なことをしたらもう、メチャクチャになるじゃん!
そんな患者では医者も困ってしまうし、ちゃんと治療できないよ、って
言ってオカーサンに怒った」

実はこの問題はオカーサンだけのことではないんです。
ロシアでは「処方箋がないと買えない薬」は建前だけで、
「麻薬以外はなんでも薬局で買える」と言われているほど自由に薬を買うことができます。
それで自分で本を読んだり、情報を得たりして薬局で薬を買い、
自己治療する人が結構いるのですが自己判断が正確とはいえず具合が悪くなり
病院に来た頃にはかなり悪化していることも多く医療界の問題になっているのです。

「そ、そんな、オカーサン病気やねんからあんま怒らんといて…」

そんなんでオカーサンの機嫌が悪なったら私のブルゾンが…とは言わずにおきましたけど(汗)


<本日の夕ご飯>
マーボー豆腐、野菜サラダ、抹茶アイス

2004年4月28日(水) 帰るつもりでも

暖かくなって暖房が終わったら今度は水が出なくなりました。
朝から11時くらいまでは普通に出るんですがそのあとだんだん弱くなって
夕方からはまったく出ないので夜、お風呂に困ります。
お湯はずっと出ているんですが温度がすごく高いのでそのままではシャワーもできんし。
夕方オトーサンがきたので向こうのアパートはどうかきいたら
向こうは相変わらずお湯がずっと出てないそうです。
もぉ〜〜〜フツーには暮らせんのか、ロシアってとこわあ。

○ ○ ○ ○ ○

日本に帰るまであと3日となったのでいろいろソレ用の準備をしました。
オッサンはひとりでここで暮らすのは初めてなので余計な心配も
してしまいます。

ビンを移し変えて使っている調味料にロシア語でラベルを貼りつけたり、
(みりんを飲んだり甘エビの刺身にソースかけたりして吹き出して壁を汚されても困るし)
私以外に使いそうもないショウガの残りをすりおろして冷凍したり、
(イモと間違えてゆでてもやわらかくならんので暴れても困るし)
モルスをたくさん作って冷凍したり、
(コーラばっかり飲んでアメリカ人になっても困るし)
保存野菜を透明のビニール袋に入れ替えたり、
(オッサンにとって見えない物はないのと同じなのでそのまま干からびるのも嫌やし)
ジブンでも、こんなことどうでもええんとちゃうか?と思いながら
やってしまいました。

ひととおり全部終わって、あとは荷造りやな。
でもなんか、なんか忘れてる気がする・・・

あ。ウチ(実家)に帰るって言ってませんでした。


<本日の夕ご飯>
ボルシチ、ジムニー、大根と手羽の中華煮込、野菜の中華サラダ、抹茶アイス

2004年4月29日(木) 帰ってもごはん

ゆうべ実家に電話して、
「帰るわー」って言ったら
「オカアサン仕事やからアンタ勝手に入ってご飯作っといてな」

やっぱりここでもご飯ですか・・・
誰か私にご飯作ってくれるという人はいないんでしょうか・・・

さて冷蔵庫もきれいになってきたけど、こういう時オカーサンと同居していると
残ったもの適当に使い切っといて〜と言って気軽に行けるからいいねんけどな〜
こういう時はな、こういう時は。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「オッサン、洗濯なぁ、向こうのアパートでご飯食べるとき持って行って
一緒に洗ってもらい」
「洗濯?自分でできるヨ〜だって洗濯機が洗うんだもん」
「ほな、ちょっときてみ」
「ほれ、やってみ」
「えーと、えーと」

あかんわ、こりゃ・・・。

きのうのアイスホッケー世界選手権。
ロシア×日本、6:1で日本三連敗で最下位。

あかんわ、こりゃ・・・。


<本日の夕ご飯>
鶏の味噌照り焼き、キャベツとソーセージのスープ、セロリのスープ煮、
ポテトサラダ、スベクラサラダ


2004年4月30日(金) パーチの理由

今日は午後から市場へ最終の買い物に行きました。
オッサンはひとりご飯用に自分で甘エビ買ってました。

「明日日本に帰っちゃうから今日きっと両親がくるヨ」
とオッサンが言っていたけど何も連絡がないので普通に二人でご飯食べました。
「へんねエー、ちょっと両親に電話してみる」
荷造りしたり片付けたりしたかったので忘れてるならそんでもいいねんけどなぁ〜と
思いながらバタバタしていると、
「ありゃ〜オトーサンとオカーサンは帰る日を間違えてたみたい。
オトーサンは11日だと思ってたし、オカーサンは6日だと思ってたんだって。
急だけど簡単なパーチ(パーティ?)するから向こうのアパートにきて、って」

え〜〜?もう9時過ぎやん・・・
夕ご飯も食べたし・・・
気持ちはうれしいけど正直言ってしんどかったし、遠慮したかったけど
よいヨメは出掛けました。


ところが。
ラルゴの防犯装置が解除できません。
スペアのリモコンでやってみてもダメです。
「あ。バッテリがあがってる・・」
「えー?どうするん?」 ←行かなくてもいいかも?とちょっと嬉しい
「マツダもあるけどバッテリを繋ぐケーブルがない」
「マツダで行けばいいんちゃうん?」
「バイクが2台乗ってるから下さないと運転席しかのれないもん」
「今日はいいとしても明日空港どやって行くの・・」
「しょうがないネーオカーサンにきてもらってオカーサンの車からバッテリ繋いでもらおう」
それいいやん!向こう行かんで済むしこっちでお茶でも飲んで団欒しようや〜♪
ということで私は部屋に戻って荷造りしていたらオッサンから電話が。

「今、両親がきてバッテリ充電できてエンジンかかったから降りてきて〜
みんなで向こうのアパート行くから」
へ?やっぱり行くんですか?
もう10時過ぎてるんですけど・・・
今からパーチですか?
明日早いんですが。
荷造りできてないんですが。
はいはい、もういいです、徹夜でも。

向こうのアパートに行ったら簡単な食事とワインが準備してありました。
そしてリビングには新しいソファセットが。
「見て見て、新しいソファよ、どう?」
「うわ〜すごーい、きれ〜ぇ、とっても素敵!!」
なるほど。
このソファを見ずして日本には帰れなかったんですね。

「15日から中国へ買い物に行くの。テレビを買うのよ、ホームシアターにするんだから!」
オカーサン、めっちゃうれしそう。
「アンタのブルゾンも買ってくるわよ」
あ。ご機嫌が治ったようです。
ご機嫌は治ったけど病気は治ったんでしょうか、オカーサン?
中国なんか行ってていいんですか、オカーサン?

オカーサンはずっと前から膵臓が悪いんです(ロシア人膵炎多し)
今回の入院も結局は膵炎の急性症状だったらしいです。
今は食事制限と薬で落ちついているようです。
一応、「退院」してから中国行って下さいね、オカーサン。

「オカーサン、あしたからオッサンのご飯お願い」と言ったらオトーサンが、
「ダメ。私がお前の年の時はだれもご飯を作ってくれなかった。
私の息子は運がいいなあ〜たまには辛いめにあえ!
それよりヨメよ、お前が日本に帰ったら私のスベコルニク(ビーツのスープ)は誰が作る?
1ヶ月スベコルニクが食べれないじゃないか」

「私が息子のご飯も作るしアンタのスベコルニクも作るわよ」

あ。オカーサン・・・(汗)

結局うちに帰ったのは1時過ぎでした。
でもオトーサンもオカーサンもありがとう。

あ〜〜〜眠たいけど準備の続きせな〜
眠い・・・しんどい・・・
間に合うのか・・・


<本日の買い物>
甘エビ1キロ・720円
グリーンカール1株・40円
バナナ1キロ・140円
蜂蜜・360円

<本日の夕ご飯>
メンチカツ、白菜と豚肉の中華炒め、ミネストローネ、野菜サラダ

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