2002.8.29HK

ウクライナの光と影
その2宿命

黛富建さん投稿記事

 国の立地条件はその国が辿る運命を左右する要素の一つです。ウクライナも決して例外ではありません。ですから、まずはこの国の地理的位置について見てゆきます。
 
 ウクライナという国名はそもそも”国境地帯”とか”境目の地”というようなニュアンスを含んでいます。実際にヨーロッパの南東の果て、アジアとの境目にこの国は位置しております。

 カルパート山脈を例外とするならばウクライナには天然の境界線は存在しません。国土の95%が平野であり、驚いたことに今世紀の初頭まで、国民の9/10が”山”がなんなのか知らなかったほどだそうです。日本では考えられません。
 そして、ドニエプル、ドニエストル、ブークの三つの川が世界有数の肥沃な大地
Чернозем(黒土地帯)を潤しています。この種をまけば育つ黒土のお陰で少数人数の農業が可能で、ウクライナでは個人農業が主流になり対照的に自然条件が劣悪な北方ロシアでは大人数で行う集団農業が発展しました。この違いは同じようで同じじゃないウクライナとロシアの民族性、文化、社会秩序の違いの原因と考えられています。

 また、ヨーロッパとアジアの中間位置にあるため異文化の影響を常に受けることになりました。中でも荒れ狂う東方騎馬民族の襲来を幾度となく経て、人的、物質的損害をこうむりながらも独自の文化を成長させてきました。そこで重要なのが国家の番人、ウクライナの侍、”コサック”の存在です。

 なでらかでどこまでも続く平原、豊な大地、この類まれなる自然環境は計り知れない恩恵を与えると同時に他民族のシットを招き、侵略者となりウクライナに侵入してくることになるのです。このときに平野という地形が仇になったことは言うまでもありません。

 ウクライナ史、それは民族の、祖国を狙う外的との闘争の歴史であると言っても過言ではないのです。


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