僕の給料が振り込まれているインコムバンクがつぶれたとの報を耳にした僕があせっていると、ある日本人社員が「政府から銀行へ緊急融資が入った。今日なら1500ドルまで降ろせる」
と教えてくれました。
それで僕とその人とで早速「預金救出作戦」を開始しました。
最初、会社の近くのインコムバンクに車で駆けつけました。
幸い、まだつぶれていませんでした。受付で聞いたところ、500ドルまで降ろせるということ。が、案の定窓口には行列ができており、それがまったく動く気配がありません。「先頭はなにをやっているんだ」と思いつつ、あきらめて、別のインコムバンクへ、街の中心部の国営百貨店の近くにあるより大きな店に行きました。
その店は、前回新ロシア人の「引き出し攻撃」のために、ドルが引き出しできなかったところです。アフタマート(自動支払機)のところにいくと、案の定「技術的理由により作動していません」の表示が出て誰もいません。
ドルの降ろせる窓口は店の奥にあると分かり、進もうとしますが、行く手にはガードマンが立ちはだかっています。「ドルで下ろしたいのですが」というと「予約はあるか」と彼が答えます。「ない」というと断固通してはくれません。今や有名なアーティストのコンサートや人気のサッカーの試合と同じく、自分の預金をドルで下ろすためには「予約」が必要な時代なのです。
仕方ないから別の窓口に行き、予約について聞いたところ、今予約すれば2週間後にお金が手に入るとのこと。
「こりゃあかん。それまでにつぶれとる」
と思い、「500ドルだけでも」と再び元の会社の近くのインコムバンクへ戻りました。
ところが、いつの間にか、降ろせる額が「100ドルまで」に変更されており、列に並んでいるうちに、ドルが切れ、「ドルはありません」と言われてしまいました。店内に電光掲示板があり、為替レートが表示されているのですが、ルーブルの数字がみるみる上がっていき、価値が減っていきます。まさに(なんか良く分からないけど)時間との闘いです。
ここで我々はドルをあきらめました。
幸いなことにそこはまだルーブルでは引き出し可能でしたので、全額ルーブルで降ろしました。銀行がつぶれてまったく損をするよりはましという判断でした。
でも、その後、多くのロシア人がたぶんそうしているように、両替屋でドルに換えました。いくつかの両替屋を回ったのですが、多くはすでにドルがなくなっていました。
やっと見つけたある両替所は、長々と並んだ結果、僕の前の人のところで、ドルがなくなり、僕は悔しい思いをしました。前の人が10ドルとか5ドルとかのやけに細かい紙幣ばかりでもらうなぁと不思議に思っていましたが、両替所は全てのドルを放出し終えたということなのでしょう。街中のドルがある両替屋がみるみるうちにドルがなくなり、業務停止していくようでした。
列に並んでいるときになんども、「ここにはドルはあるか?」と聞かれました。みんなドルを求めて走り回っているようでした。
結局、僕はルーブルではありますが預金を降ろすことができました。為替でかなり損をしましたが。また、一部金額は引き出し不能のまま残っています(たぶんもうダメでしょう)。しかしロシア人社員の中には銀行によっては、いまだに「ドルもルーブルでも降ろせない」という状態にある人もおり心配です。
以上の話は今から1週間前のことですが、その時の為替レートは1$=8ルーブルでした、その時はずいぶん(ドルが)高くなったなあと思いました(切り下げ発表前は1$=6ルーブルだった)。しかし今日両替屋の看板を見ると1$=12ルーブルになっています。まさにロシアの通貨ルーブルが崩壊していくという感じです。
物価上昇も始まっています。
僕がたまに昼飯を食べに行っているペリメニ(ロシア式餃子)屋では、ペリメニ一皿12ルーブルでした。しかしキリエンコ元首相がルーブル切り下げを発表した翌日にはいきなり14ルーブルに上がりました。内閣が総辞職した次の日には15ルーブルになりました。特に輸入品が激しいようです。カップラーメンは2倍近くの値段になったものもあります。ところがクワス( ロシアの炭酸飲料)の値段は変わっていません。ペリメニもロシア製なのになぜ値上げを? もしかすると中の肉は外国製かもしれません。それとも便乗値上げか?このような状況にも関わらず、街はいたって平静で、今のところ市民が銀行などに殺到するなどの事態は起きていません。
皆が「大きな影響はない」と平然としているような印象を受けます。
これは、(1)多くの企業、特に外資系や合弁企業、銀行などはドル建てで給料が支払われていること、(2)給料をもらうたびにドルに換えてタンス預金しているロシア人が多いこと(タンス預金の総額が800億ドルとも言われます)、(3)国民が「危機慣れ」してしまっている などの理由が言われています。しかし僕は、ロシア人の性格もあると思います。僕は銀行で、自分のお金が下ろせない人がたくさんいるにも関わらず、怒鳴ったり、拳骨でカウンターをたたいている人を見たことがありません。錯乱している人もいません。みんな静かに並んでいます。耐えています。そして無理と知ったらあきらめます。
もし日本で同じようなことが起きたら、きっとみんな大混乱で取り乱す人もいることでしょう。ここに僕は日本人とロシア人の違いを見るような気がします。彼らは信じられないことが目の前で起こっていてもそれを静かに受け止めることのできる冷静さを備えているように見えます。
我々と一緒に「預金救出」に行った、会社の女子社員は自分の口座から1500ドルもの(特にロシアの人にとっては)大金をドルでもルーブルでも引き出せない事態になっているのに、銀行の前で僕に家族や友人の写真を見せてくれ、笑いながら説明してくれました。並んでいるおじさんおばさんは「しょうがないなぁ」というジェスチャーを良くします。そして冗談を良く言います。
彼らは自分の力ではどうしようも運命を静かに受け止める力を持っているように感じます。250年もモンゴルに侵略支配されたり、ドイツ軍に国土を踏みにじられたり、共産党独裁や粛正の嵐や共産主義崩壊後の混乱を耐えてきた苦渋の歴史が彼らの忍従する力を鍛え上げてきたのかもしれません。
(’98年8月28日 モスクワ)
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