ロシアレポート 

 ロシア金融危機 1  −銀行崩壊−



 
お金をおろそうと思って銀行に行ったら、窓口のおねえさんに

「お金はありません」

と言われました。
 

8月17日(月曜日)、ロシア政府は1$=6.3ルーブル前後で取り引きされていた通貨ルーブルの下限を9.5ルーブルに大幅に変更し、ルーブル下落を容認しました。

すでに先週金曜日(14日)の段階で、銀行が危ない、つぶれるかもしれない、と、危険を察知した僕は、急いでインコムバンク(注:ロシアの大銀行。ここに僕のドル口座があり、給料が振り込まれている)に行き、できるだけ生活費をドルで引き出しておこうとしました。それで、窓口に行き「お金(ドル)を引き出したいのですが」といったところ、「ない」と言われた訳です。

びっくりあせった僕は、「どうして自分のお金がおろせないのですか?」と聞いたところ、おねえさんは肩をすくめて、「ないものは仕方がない。しかしアフタマート(現金自動支払い機)にはまだある」と答えました。

どうして同じ銀行内の窓口ではおろせないのに、自動支払い機ではおろせるのか?と疑問を感じつつも、別のコーナーにある自動支払機のところに行ってみました。

見ると携帯電話を持ったスーツのおにいさんが自動支払機に張り付いてお金を降ろしています。ところがなかなか終わりません。見てると一人で何回も何回もカードを突っ込んではドルを降ろしています。その後ろに行列ができています。そのまま列の後ろで待ちましたが、彼は一向にその場を離れる気配はありません。どんどんどんどん降ろしています。30分がたちましたが
、まだねばっています。

列にならんでいる太ったおばさんが「いつまでやってるの! 早くしなさい」と怒鳴っても彼は一向に反応せず一心不乱に引き出し作業を続行しています。さらに30分がたちました。彼はまだ離れません。カードをつっこんでは引き出したドル札をポケットにどんどんつめこんでいきます。ポケットがふくらんでいくのが見えます。その後分かったのですが、自動引き出し機は一回あたりの操作の引き出し限度額が1000ドル(約14万円)までと決まっています。彼は100回以上引き出しています。つまり既に10万ドル(1400万円)ぐらいを自動支払機から引き出していることになります。

僕は「ああ、この人がいわゆる『新ロシア人(ニュー・ルシアン)』なのだ」とひとり納得しました。
 

彼の後ろの行列はどんどん長くなっていきます。彼の自分勝手な(?)行為に怒りを感じ、また、「危ない! このままではドルがなくなる」とあせり始めた僕は、勇気を出して抗議することにしました。

おもいきって「あとどのくらいかかるのですか?」と尋ねました。
彼はまったく無視して作業を続けています。
むっときた僕はもっと大きい声で
「答えて下さい! 後ろでたくさん待っている人がいるのですよ!」
と言いました。後ろのおばさんおじさんたちが「そうだ!そうだ!答えなさい!」と応援してくれます。

新ロシア人は面倒くさそうに「シチャース(今すぐ!)」と答えて、しかしそのままずっと引き出し作業を続けています。「こりゃだめだ」と悟った僕は、おばさんたちの方を振り返ると、みんなが肩をすくめて「こりゃだめだ」と手を広げて首をふりふりしました。その中のひとりのおばさんが「あれはインコムバンクの社員じゃないか?」というと皆笑っていました。

その後10分ほどして、新ロシア人の携帯電話が鳴り、「ああ、昼飯か。もう終わりだ。いつものレストランに行く」と彼は受話器に答えて、やっと去っていきました。きっと全てのお金を引き出し終わったのでしょう。

その後いよいよ僕の番がやってきて、現金自動支払い機を操作すると、操作を間違えて、大量のルーブル札が出てきてしまいました。
支払い機の画面が故障しているのか、端が切れていて金額が良く見えず勘でボタンを押しているうちに、ドルで引き出さなければならないのに、今や紙くず同然になりつつあるルーブルで引き出してしまったのです。それで、後ろにならんでいるロシアのおばさん方に笑われてしまいました。この事態においてルーブルを大量に引き出す東洋人はよほどのお人好しに見えたのでしょう。

おばさんのひとりに操作を教えてもらって再度操作すると、いくぶんはドル札を引き出すことができたのですが、途中で自動支払機のお金がなくなったのでしょう。「技術的理由により停止しています」というメッセージが出て受け付けなくなってしまいました。

私以下、後ろに並んでいた人は肩を落として去っていきました。


8月17日、「ルーブル切り下げ」というニュースを知り、大量のルーブルの札束をかかえた僕は途方にくれていましたが、本日(8月20日)になって、さらに衝撃的なニュースが社内をかけめぐりました。なんとというかやっぱりというか僕のインコムバンクがつぶれたというのです。あそこには引き出し損ねた僕のお金がまだかなり残っていました。

「ガーン」とマトリョーシカ(ロシアのお人形)で頭をなぐられたような気がしました(続く)
 

(’98年8月20日 モスクワ)
 


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