1月15日(金曜日)
●去年の夏あなたが・・・●
- コダック・キノシアターで、「去年の夏あなたがしたことを、私はみんな知っている」(英語題不明。なんですかこの映画は? なにかシリーズもののような気がしたが。資料がいっさいないのでさっぱり分かりません。誰か知っている人がいたら教えてください。)というホラー映画を見た。
- 主人公の女性が仲間たちと南の島(ハバナだっけ?)の別荘にいって、殺人鬼(ゾンビ?)に追い回されるというストーリー(なんのこっちゃ)。
13日の金曜日に毛のはえたような映画で、ぜんぜん面白くなかった。
ストーリーも単純で、盛り上がり、映像効果もいまいち。
なんといっても主人公の女性が僕の好みではなかった(結局そこにつきるかも)。
回りはアベックだらけでいっぱいみんないちゃついていた。
映画に身が入らなかったのは、ひとりものの僕が、愛の園と化した映画館で、大胆不敵なロシア青年男女に囲まれ、いらついていたせいかもしれない。
だんだん腹がたってきた・・・(なにも怒る理由も必要性もないが)。
ほんとに大胆なんすよー、あのひとたち。(映画よりそっち見てるほうが面白かったりして・・・)。
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1月18日(月曜日)
●お風呂のなかで日本を想う●
- 最近お風呂の中でロシア語の語学テープを聞いている。怠け者の私はなかなか机にむかって勉強しない。しかしなかなか上達しないロシア語をなんとかしなければならない。せめてお風呂の中で寝そべってテープでも聞くことにした(安直)。バスタブのなかには入浴剤を入れる。ロシアの住宅のバスタブは大きくて寝そべると気持ちがいい。今日は「ツムラ日本の名湯−登別カルピスの湯」にする。昨年末、日本から来た友達がわざわざ持ってきてくれたのでありがたく使っている。(Tくんありがとう!)
- 「日本の名湯」につかって、のんびりとロシア語のゆっくりとしたリズムを聞くと、うとうとしてしまう。ぼーとして自分がどこにいるか分からなくなる。厳しい現実を前に、深刻に考えていた自分の将来など、どうでもいいような気がしてくる。ロシア語の響きは耳に心地よく感じられる。子守り歌としてはもってこいだと思う。僕はタルコフスキーの映画が大好きで何回も見たが、いつも途中で気持ち良く寝てしまう。不眠で悩んでおられる方がいたらすすめたい。
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1月19日(火曜日)
●ロシアの商習慣●
- 昼食に会社から歩いて10分ほどのところにある「ルースカエ・ビストロ」でピロシキを食べる。
- 「ルースカエ・ビストロ」はピロシキを主体としたファーストフード店で、マクドナルドに対抗してモスクワ市長の肩入れで店舗展開している。
モスクワにはいくつかの店がある。しかし規模および店舗数においてマクドナルドから見ると競争相手ではない。
客もそんなに多くなく、こじんまりとやっている。
ピロシキはまあまあだが、私はここのクワス(黒パンからつくった炭酸飲料)やペリメニ(ロシア風餃子)を結構気に入っていてたまに利用する。
- なにを選ぼうかと迷っていると、店員のおばさんが、陳列台の上のピロシキをひとつひとつ解説してくれた。できたてのピロシキは表面がつやつやして、ぴかぴか輝いている。珍しく好意的な店員でほっとする。
- 最近愛想のいい(といっても日本の水準からみれば愛想悪いが・・・)店員が増えてきたように思うのは気のせいか。
にこりともせず、サービス精神などひとかけらも感じさせない(というかもとものそんなものない)ロシアの店員にすっかり慣れてしまった私は、
ごくたまにこのおばさんのような、優しそうな、こころもち口元に笑みさえも(ほんとうにかすかだが)浮かべているように見える、気持ちの良い(?)店員に遭遇すると、心から感謝したい気持ちになる。
つい「ありがとう」と言ってしまう。
先月、1年8ヶ月ぶりに日本に帰ったときに、成田のコンビニの店員の対応に感激して、思わず「ありがとう」といって何度も頭をさげてしまったことを思い出した。
- ロシアに来てすぐのころは、何でものを買って「ありがとう」と言わなければいかんのかと疑問に思っていた。
何しろこちらの店員は高額の買い物をした場合でも決して「ありがとう」は言わないのである。
でも運良く対応のいい店員にあたったら商品を渡す時に「どうぞ」と言ってくれる。
それでしぜんこちらが「ありがとう」と
答えることになるのだ。
- マクドナルドの若い店員たちも、こちらではにこりともしない。「ありがとう」とも言わない。
その代わりトレイを渡す時に「おいしく召し上がれ」と言う。
こちらでは誰かが食事をしている(あるいはしようとしている)人がいると、その人にむかって「おいしく召し上がれ」と声をかける習慣がある。
言われた側は必ず「ありがとう」というのが礼儀である。
それでマクドナルドでも当然、客は「ありがとう」と言って、ハンバーガーを有り難く(?)受け取ることになるのだ。
- ハンバーガーの価格表には以前
「微笑み=0ルーブル」
と書いてあった。
しかし最近はあまり目にしない。
それともよく探せばまだどこかに書いているのだろうか。
この大マクドナルドの根本精神は、ロシアの商習慣からあまりにも逸脱しているため、店長がそっとはずしてしまったのかもしれない。
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1月20日(水曜日)
●夜中の警報●
- 突然の警報に睡眠を邪魔される。夜中の3時ぐらいか。「ヒューン、ヒューン、ヒューン」いう物凄い音が高らかに鳴り響きはじめた。なんだなんだと飛び起きるが頭がはっきりしない。すわ、UFO来襲か?と思う。実際、昔のSFテレビ映画の効果音そっくりである。それがいま、窓の外で鳴っている。
- 原因はアパートの前に止めてある車である。またかと思う。ロシアの車には盗難防止のために警報装置がついているものが多い。泥棒だろうが一般の人だろうが、誰かが車のすぐそばを通るとセンサーがいやでも警報をがなりたてる。そして持ち主がリセットをかけない限りは、いつまでも鳴り続けることになる。モスクワを旅した人は、一日に一回は街のどこかで奇妙な電子音が鳴っているのを聞いたことがあるだろう。
- それが、夜中にアパートのすぐ前で鳴り出したのだからたまらない。音量は最大限にセットしてあるらしく、ひっそりとした深夜の郊外住宅地に、ファンファーレとなって自由に高らかに鳴り響く。
- 「ヒューン、ヒューン、ヒューン、ピーポー、ピーポー、ピーポー、キュルルルル、キュルルルル、キュルルルル、ブォー、ブォー、ブォー」。ばかにしたような電子音の集合体である。
- 一小節終わって、止まったかと思ったら、「ヒューン、ヒューン、ヒューン」と第二小節が始まった。そしていっこうにとどまる気配はない。当の車の持ち主はいびきをかいて寝ているのか。冬なので窓は閉まり目張りまでしているがこの強力な音量パワーの前には効果はない。うるさい。実はこれははじめてではなく、最近は3日に1回はこのようなことがあるのである。第34か35小節あたりで、怒りが頂点に達する。「持ち主は何を考えとんだ!!」。きっと何も考えず安らかに眠っているに違いない。
- ここの住民みんな怒っているんだろうなぁ。それともロシア人はこんな事件など些細なことと気にもしないで寝ているんだろうか。考えてみればロシア社会では99%の銀行が倒産同然の状態となって、ずっとお金が降ろせないとか、お金の価値が2ヶ月で3分の1になったりとか、給料が3年分の大量のトイレットペーパーで支払われたり(!)とか、もっとショッキングなそして実際に困ってしまう事件が頻発しているもんなぁ。夜中の警報ぐらいで怒っていたら体がもたないかも。
- でももうこの音だけは我慢できない。「もう誰か散弾銃かなんかぶっぱなして、車ごと木っ端微塵にしてくれ!」と怒りが物騒な願いに変わったころ、突然音は止む。小休止かと思い耳を澄ますが再開はない。街に静けさが戻り何事もなかったようである。電池が切れたのだろう。いつも思うのだが、この警報装置はなんらかの盗難防止の効用があるんだろうか? 単なる騒音発生装置であるなら即刻はずしてもらいたいものである。
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1月21日(木曜日)
●ロシアの警官と立ち売り●
- 会社帰り、いつも利用している地下鉄の乗り換え駅「クズネツキー・モースト」のエスカレーター付近で、「がーがーがー」とスピーカーフォンの割れるような耳障りな音を耳にした。
- 壁際で、一人のおじいさんの回りをふたりの大きな警官が取り囲んでいる。おじいさんは足が悪いのか、よっぱらっているのか、地面にへたり込んでしまっている。警官はでっかいスピーカーフォンの口をおじいさんの耳にぴったりつけ、音量を最大にしてピーピー鳴した上に、「目を覚ませ!」「起きろ!」とかどなっている。
- 警官も仕事かもしれないが、あれははた見にはいじめているようにしか見えない。見ると今日の地下鉄の連絡通路には地面に座って物乞いをしている人々の姿がみえない。いつもはおじいさんやおばあさん、身体の不自由な人、赤ちゃんをつれた女の人などが結構たくさん座っているのに。
- 警察による一斉撤去がはじまったのか。もっとも「立ち売り」の商人たちは、ずらーっと並んで手に雑誌やポスター、カレンダー、地下鉄の定期、免許証、卒業証書などを売っている。地下鉄構内での物乞いはいけないが、立って商売するのは問題ないのだろうか?
- ちなみにロシアでは、車や各種職業の免許証、一流大学の卒業証書は、地下鉄構内で簡単に買える。本物かどうかは知らないが。
- その他、前にカメを売っているのを見たことがある。これも立ち売りで、若いねえさんが両手の手のひらに生きたカメを、何匹も(甲羅の上に甲羅を)重ねてのっけて売っているのである。カメが今にも転げそうなのに手で微妙にバランスをとっているのが職人芸のように思えた。何故だか分からないが、ネコの毛ならしのためのブラシなんかもよく手のひらにのせて売っている。最初見た時は生け花用の剣山かと思った。
- 概してロシアの警官は不親切で威張っているように見える。よく私は道を歩いていて彼らに止められる。彼らはひとこと「ドキュメント!」言って、私のパスポートとビザを取り上げると何か不備がないか時間をかけて検証する。何かいちゃもんをつけて賄賂をもらおうという魂胆がありありだ。前に書類には全く問題ないのに、パトカーに乗せられ連行されそうになったことがある。車に乗せられる一歩手前で「自分は会社員だ。何も悪いことはしてない」とがんばったら、警官はあきらめたのか、僕を道路に置いたまま、いらいらした表情で車を出した。
- 会社の日本人のひとりは関わりになると時間がもったいないので、すぐ賄賂を支払うと言っていた。賄賂用のドル札を持ち歩いているとのこと。会社のロシア人女性は賄賂を払えないので留置場に拘留されたことがあると言っていた。ロシアの警官は数が多いのか街を歩いていてもやたら目につくのだが、大声で仲間同士でふざけあっていたり、売店の行列には平気で割り込んだりで、まったく良い印象がない。警官に対して嫌悪感と不信感を抱いているのは僕だけではなく、その点については、会社のロシア人、日本人、留学生みんなの意見が一致している。
- ロシアで僕が嫌いなもの、暗くて白タクの溜まり場である国際空港、税関職員の対応の悪さ、威張っている警官、偉そうな態度の店員、人をひき殺しても構わないと思っている車、経済危機でますます繁盛するマフィアの資金源・両替屋。権力抗争ばっかりしている政治家たち・・・あれ?じゃあ僕は、ロシアの何が好きなんだろ???
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1月22日(金曜日)
●ゴジラの由来●
- 家で「Plemiere」紙(ロシア版)をなにげなくめくっていると、ゴジラの文字に目が留まる。コラムとして小さく、ゴジラのデータ集が紹介されている。
- 「ゴジラの名前の由来は、日本語で『クジラ』と『ゴリラ』を組み合わせたもの」と書いてある。へぇ〜。はじめて知った。常識なのだろうか。ロシアの雑誌から教わるとはちょっと変な気分。
- その他、「映画予算」という項目で、「1954年版ゴジラ:100万ドル、1984年版ゴジラ:400万ドル(どちらも日本製作)、1998年版ゴジラ:1億7500万ドル(ハリウッド製作)」とも書いてある。そんなにも大きな差があったのか。
- ゴジラは、ハリウッド版が公開されてからはテレビや雑誌などでも良く特集されているが、もともとロシアではよく知られているらしく、知り合いのロシア人たちはみんな子供のころからよく知っているという。
●「ヴァンパイア」見る●
- ジョン・カーペンター監督の新作「ヴァンパイア」を見る。雑誌などで評価が高かったので、前からちょっと見たかった。ロシア語では「ばんぴーる」と言う。ロシア語でいうとあまり恐くない。
- 逃げるように職場を去り、「ウダールニック」(‘突撃隊員(?)’の意)という映画館に向かう。「ウダールニック」は結構きれいな映画館で、割と新しい映画をやっている。「スターシップ・トルーパーズ」もここで見た。
- 前にそこで、大使館主催の日本映画祭をやっていて、友人である会社の元ガードマンとその奥さんと3人で、なぜか「ガメラ 大怪獣空中決戦」(金子修介監督)を見た事がある。ゴジラと違い、ガメラはロシアではほとんど知られておらず、その友人にも事前に説明を試みたのだが、ガメラの姿態についてぜんぜん分かってもらえず、映画を見た後で彼は「ほんとうにでっかいカメだった」と言っていた(だから最初からそう言ってるのに・・・)。
- 街の中心にあるのだが、地下鉄の駅からは歩いて15分とちょっと離れていて不便。もう上映開始に間に合わないと思って不覚にも駅から白タクを使ってしまった。10ルーブル(約50円)を渡す。運転手のにーちゃんがいい人で良かった。
- それでも遅刻してしまうが、なんとか中には入れてくれた(注:ロシアの映画館は基本的に上映中の入場は不可となっている)。映画はもう始まっていた。影の深いざらついた感じの画面を見て、70年代の昔の映画をやっているのかと思った。16mmの自主映画のような雰囲気でなかなかいい感じ。もともとそういう効果をねらった映画なのだろうか、それともロシアの映画館の画質の問題か?
- 専門家(?)のヴァンパイアハンターである主人公が雇われ男たちと一緒に、怪しげな屋敷に突入し、「魚つり」の手法でヴァンパイアを退治する。自分たちが「生き餌」となって、ヴァンパイアを釣り上げるのだ。ヴァンパイアに紐付きのモリを打ち込み、車のウインチで引っ張って外に引きずり出すと、太陽の下にさらされたヴァンパイアは「ぼっ」と燃えてしまう。なんちゅー映画だ。「ひでーなぁ」と思った。が、きっとこれがカーペンター流の描写なのだ。
- 狂った現実と死ぬか生きるかの状況下では、道徳的にどうかとか、人間の尊厳とか、理性の価値とか、人間として許せないとかいっている余裕はない。人間の野蛮な本性がむき出しになる。・・・ヒトの形はしてるが、こいつはヒトじゃねぇ。魚みたいに釣り上げちまえ・・・カーペンターが究極の状況の人間や集団心理をクールに描けば描くほど、人間の本質的なコミカルさがどんどん浮かび上がってくる。
- ・・・なーんていっちょまえに評論家みたいに。えらそうに。
- 戦闘は、ほんとうにあっという間に勝負がついてしまう。ヴァンパイアが手を出した瞬間には人が倒れている。スローモーションやじらしテクニックを多用した今のハリウッド映画を見慣れている目には新鮮に見え、リアルで恐い。
- カーペンターの映画は何本か見ただけだが、どうも私本来の志向とあわないところがあり、それほど好きというわけでもない。かといって嫌いでもなく、ときどきいいなぁと思う。「ヴァンパイア」を見て、この人はほんとうに映画が好きなのだなぁとあらためて思った。カットのひとこまひとこまから映画スタイルへの愛情がにじみ出ているように感じられた。
- ロシア語の吹き替えはたいへんよくできているが、スラングが多いのか、いやヒアリング力がないから、分かりにくい。アクション映画だからまあ見てて筋は分かる。長いせりふや面白いせりふが分からない。回りのロシア人が笑っているのに自分だけ分からないのはくやしい。いつかきっと笑ってやるぞと暗闇でひそかに誓う。
- 恐怖感が増し、ヴァンパイアの親玉が画面に「バーン」って感じで出てきたときに、「ブチ」といって突然画面が真っ黒になりドキッとする。映像効果かと思った、がトラブルが起きたらしい。ロシアでは特に珍しいことではない。「パチパチパチ」と拍手が起きる。あまりのタイミングのよさに皆が感心したのだろう。その後再開されたが、音の調子がよくなく、ずっとバックで「ブー」という音が鳴っていて耳障りだった。
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1月23日(土曜日)1
●どーでもいい夢の話●
- 朝5時ごろ、目が覚める。夢をみていたよう。明かりをつけっぱなしにしたまま寝てしまったようだ。胸がどきどきしている。ぼんやりと夢の内容を思い出す。
- お正月、休暇から帰ってくる。何が届いていないか楽しみにしている自分。年賀状や封筒がいっぱい届いていてあっちこっちから出てくる。やけに年賀状の太い束が出てきたと思ったら大部分が同じ人からのはがきだった。はがきの裏にはその人の名前しか書かれていない。一枚一枚の葉書に書かれている名前の漢字の部首が一画一画増えていって最後の一枚で名前が完成するしくみになっている。つまり漢字の画数分の葉書がある。「そういうしかけだったのよねぇ」と女のひとがしゃべっているのが聞こえる。私はなにかくやしい気持ちになる。
- 私は「返事をかかなきゃ」と思っている。私は街頭にいて、布かばんをおおきく開くと中に、ロシアの風景画が描かれた小さなカードがいくつか入っている。おしゃれだが、サイズが小さすぎて、「これはそのままじゃ、出せないな。封筒に入れないと・・・」と思って、かばんの中を見ると、かわいいポシェット風の布袋がいくつか入っているのが見える。カードを入れるのにサイズぴったりだが、「これじゃあ封筒にはならないな。家に帰って探さなきゃ」と思う。「今書かないとまたさぼってしまう。今回はすぐ書こう」と決意すると、そばを近所の奥さんたちが通り過ぎる。なかのひとりが「やっぱりクラシックは長いものじゃないとねえ。短いベストの寄せ集めを聞いても結局身につかないから」などとしゃべっている。
- 道端に学校にあるような机が置かれていて、松田聖子がすわって愛想よく私に微笑みかける。机の上に封筒が置かれていて、表に「聖子か、○○(私の名前)へ」と黒マジックで太く書かれている。私の父親の筆跡だ。近くに赤い郵便ポストがある。裏にまわると郵便受けがあって中を覗くと自分宛ての年賀状や封筒がたくさん入っている。親戚からきたものもある。
- 変な夢だ。怠け者である自分をなんとかしたいという気持ちと、自分はなまける(年賀状を書かない)けど人からは構ってほしい(たくさん年賀状もらいたい)という気持ちが如実に顕われた夢だともいえる(ほんとか?)が、私は別に松田聖子のファンではない。
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1月23日(土曜日) 2
●Xファイルと税金払おう●
- 夜テレビで「Xファイル」を見る。英語のうえにロシア語をむりやりかぶしてある例のお手軽な吹き替えである。つまり英語が残っているうえに、少数の男女が感情込めずに早口で話す。実はロシアのテレビでやっている映画や外国製ドラマのほとんどがこのようなお手軽吹き替えである。ロシア公共テレビ(ORT)がもっとも力を入れている土曜ゴールデンタイムの「Xファイル」にしてからこうである。何で音声トラックを消してちゃんと吹き替えしないのか、いつも思う。
- 「Xファイル」は専門用語(SF用語?)が多い上にモルガン(の吹き替えの人)がロシア語をもぐもぐしゃべっていて実に聞き取りづらい。もぐもぐしゃべるなモルガン! 難解なストーリー(なのか?)がますます難解で頭いたくなる。
- 「Xファイル」の後に、政府広報の「税金を払おう」のキャンペーンCMをやっていた。孤児院らしき施設が映し出される。ベットが並んでいて子どもが寝ているが、部屋の中だというのに、子どもは毛糸の帽子と防寒着を着た上に、布団を何枚も重ねて震えている。保母さんらしき人が冷たくなった暖房機に手をあてて、ため息をつく。「子供の家では設備代がもう一年も支払われていません。どうか税金を払ってください」のナレーション・・・。
- 以前は、税金を払っていない男が、いつ捕まるかとの不安で気が狂いそうになる、といったような、税金払わないとひどいことになるぞ、と脅すような調子の宣伝が多かった。最近は情にうったえる感じのものが多い。
- しかし、なにか順番が逆だろうという気がする。この国では、こんな良いことに税金が使われてます、と広報するかわりに、政府が孤児院にお金払ってないのは税金払わない国民のせいだ、と訴えているわけである。ロシア人にいわせると「政府のせいでこんなひどい状態になった。給料さえ払ってくれないから、当然税金を払う必要もない」ということになるのだろう。実際経済危機で給料の価値が激減した上に、半年も一年も給料が受け取っていない人々・・・医者や公務員、先生、軍人、炭坑労働者等々・・・がたくさんいる。彼らがどうして税金を払う気になるだろうか?
- 一方、短期国債の大量発行で膨大な金(多くは海外からの投資)がマネーゲームに消えた。そしてその政策のつけが、今回の経済危機を招いたと言われている。また、政治と大企業が密着しており、賄賂で私腹をこやしているのが政治家だと誰もが思っている。政府と国民、銀行と預金者、企業と従業員、売り手と買い手、会社と会社、金持ちと貧乏人、つまるところは人と人・・・国全体を覆う不信感こそこの国の一番の問題だと思う。いったん崩れた信頼はなかなか元には戻らない。政府を全く信じていない国民、給料もらっていない人々やその家族がなんで同情心で税金はらうだろうか? ロシアには敬虔なキリスト信者や、心やさしい人が多いから、そっと個人的に孤児院に寄付はするかもしれない。
- 実際、ロシアでは、路上や地下鉄構内で物乞いをしている人に、結構多くの人がお金をあげているのを目にする。その頻度は日本よりも圧倒的に多いと思う。みんな苦しいだろうに、えらいと思う。
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1月24日(日曜日)
●無気力人間とAC●
- 一日中寝て過ごす。また落ち込んでしまった。うつ病再発。きのうはやけに気分良かったのだが、あれは躁状態だったのか。ふっきれたと思っていたが、一気に後戻りがやってきた。明日会社にいく時間が刻々と迫っていることを思うと緊張して寝ても休めない。身体のすみずみまで無気力が支配して、先の人生の長さと重さに目がくらみそうな気がした。めずらしくビールを飲み、一日20時間ぐらい寝た感じ。
- 精神科のカウンセリングを受けにいこうかと思ったが、ロシアのセラピストだと、ロシア語通じなくて余計ストレスたまりそうなので、思いどどまる。
- インターネットでAC(アダルトチルドレン)についての記述を読んだ。家庭状況や、成長してからの性格などが、まさに僕のケースに当てはまっている。友達と一緒にいてもどうも落ち着けなかったり、なかなか心から楽しめなかったり、ひとの期待に応えようと無理したり、必要以上に人前で明るくしたり、自己評価が低すぎたり(そうすることで自分を安心させようとする)、完全主義だったり、どうでもいいところにこだわったり、それゆえ物事を最後までやり遂げられないのは、このせいか(分析しすぎ)。
- 確かに、幼い頃からずっと家にいるときはいつも緊張していた。特に正月はいつも父親が荒れるので一番緊張した。高校の時に年賀状配達のアルバイトしたときは、お正月の朝、家にいなくても良かったのではじめてほのぼのと幸せな新年を迎えたのを覚えている。浪人時代に、新聞奨学生(新聞配達店に住み込んで働きながら勉強する制度)になったのも、親に迷惑かけたくなかった(いや、できるだけ貸しをつくりたくなかった)のもあるが、とにかく早く家を出たかったのである。これ以上書けないこともたくさんあった。思えば、自分の回りには「心」と「死」の問題が常につきまとっていたような気がする。両親と自分との間であったことが、頭では終わったこととして片づけようとしていても、心の奥深くしまわれていて、なにかというときに自分の考えたや行動となって現れているのかもしれない。無意識のうちに。
- だからといって、それを認識したところで、いまさら自分のこんな性格や考え方、行動規範が変わるのだろうか?
自分が自分を好きになってやらないと誰が好きになるんだ、と自分を励ますが、それでも自分が嫌でしょうがないときが多い。
しょっちゅう「死にたい」とつぶやいている自分。世の中にはもっともっと苦しんでいる人がいるのに。無気力でうつになりがち、そのくせ自己顕示欲が強くて偉そうなこというけど無責任。そんな自分は今に始まったことではない。それゆえ多くの大事な人々を傷つけ、迷惑をかけてきた。
- 思えばロシアに来たのもそんな自分の「ルーツ」から出来るだけ遠くに逃げたかったからかもしれない。もちろん一生に一度は外国で、特に心惹かれたロシア語の国で暮らしてみたかったからだけど。だが、どこまでいっても自分自身からは逃げ切れない。どんな無意識が僕のなかで僕を突き動かしているのかは分からない。そんなかんじで、自分の血や「ルーツ」のようなことを考えるとますます落ち込んでしまう。
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1月25日(月曜日)
●マクドナルドの微笑み調査●
- 昨日の無気力状態が後を引いていて、抜けない。よっぽど上司に電話して、「今日休みます」と言おうと思ったが、症状とかいろいろロシア語で説明するのが面倒くさい感じがして、会社になんとかたどりつく。(こんな理由もあって、僕はこの会社に入ってからまだ一回も病欠したことがないのだ)。昼飯の時間になったが、ご飯を食べるのもなんとなく面倒くさく抜かしてしまう。
- うだうだしていて会社から帰るのが遅くなってしまい、「こんな状態だったら、どうせ家にかえってもごはん作らないだろうな」と思ってマクドナルドに寄る。
- 前回、ロシアの商習慣のところで書いた「微笑み=0ルーブル」の表示について。
せっかくだから徹底的に探してみた。
正面上部の壁に掲示してあるハンバーガーとかパイとか飲み物とかの価格表をすみからすみまで探してみたが、やっぱり見当たらない。
以前はあったはずなのにな、と思ってスミの方を見ると、
あ、最後行になにか書いてある。
目を凝らして見たら(←私は目が悪い)・・・
袋=3ルーブル(約15円)と書いてあった。
さすがはロシア。果物や肉屋などロシアの一般のお店ではビニール袋は有料である。ゆえに主婦は袋持参で買い物に行く。
ロシアではマクドナルド(お持ち帰り)も袋持参で買いに行くのか。
- ちなみに「マクドナルド」にしろ、「ビストロ」にしろ、ロシアのファーストフード店の価格表示版は、価格のところが、昔の野球場のスコアボードのようにすべて差し替え式になっている。3ヶ月で通貨が3分の1になってしまう国だから当然の対策といえる。マクドナルドは経済危機の後も「チーズバーガー=9ルーブル(約45円)」とか、日本と同じようなキャンペーンをやって人寄せしている。
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1月26日(火曜日)
●運命の日●
- いやな予感はしていた。いやこうなるのはあらかじめ分かっていたのかもしれない。ここ数日の落ち込みは、このためか。
もしかしたら身体がシュックな出来事を察知して、心を低アイドリング状態に落としていたかもしれない。
だって幸福の絶頂的気分のときに不幸なできごとがあるとショック大きいでしょう。
1万メートルの高空を飛ぶ飛行機から落とされたらひとたまりもない。かといって、低空のヘリから落とされてもまず助からぬが。
- 今日、解雇を言い渡された。突然、最高責任者(暫定政権の長。社長ではない)から電話があって、すぐ会議をするという。コンピューターの事業計画や、東京の出張報告をききたいというので大急ぎで資料をコピーして持っていった。
- 会議では、最初に報告をして、それについて質疑応答をした。1時間ぐらいたったところで、これから人事の話にはいるという。「営業部長は席をはずしてもらったほうがいいか?」と聞くので、なんのことか分からなかったが、そのままで構いません、と答える。
現在のロシアの状況とか、このままの業績が続くとどうのこうのとか、体制の変更とか、なんのことかと思ったが、話をまとめると、3月末で辞めてくれという。
経済危機の影響で会社の業績が急降下。本来なら倒産しているはずの赤字会社だという。日本人社員は3分の1しか残らない。駐在員の多くは日本に帰ったり他国に転任するという。
3年契約の約束で来たのにひどい、と思った。確認してみたが、「あれは確か口頭だったと思うけど」とか言われる。
「○○さん(私の名前)は4月からの人員計画に入っていない」とはっきり言われた。
これだったら、最初から言ってくれればいいのに、と思った。会議っていうから、急いで資料を印刷して、コピーしたり、報告内容を頭の中でまとめたりしたのに。
- 今日は頭が混乱して、もう疲れてしまい。とにかくひとりになって休みたかった。
会社の状態は最悪だと知っていたので、 覚悟はしていたが、実際に自分の問題として現実を突きつけられると脆いものである。
終業時間が来たので今日は残業しないですぐ帰ろうと思ったが、6時ごろ再び最高責任者から電話がかかってくる。人事の人がヨーロッパから来ているので今からもう一度、話をしようという。
- 今後の計画について聞かれるが、今は気が動転していてどうも考えがまとまらない。
会社としてはすまないがもう責任を持てない。「独立して自分で日本企業の下請けとして仕事をしてはどうか?」とか言われる。
今の私にはこの経済状況下、とてもそこまでできる実力も気概もない。
「今帰るのは中途半端な気がする。留学してでも、もう少しここに残って経験を積みたい」
と、なんとか言った。
「ほんとうにロシアが好きなんですね」と、しみじみ感心さえる。
- 実際に今回の経済危機でロシア人社員もたくさん首になっていた。僕はそれを見てきた。僕の一番親しかった友人も首になった。昨年末、リストラが実行された夜、その台所の隣の小さな部屋でロシア人社員だけでひっそりと送別会をした。
5年働いたのに突然首になった社員が、台所で男泣きに泣いているのを見た。ごつい身体をした気丈そうな大男なのに、よっぽどつらいことがあったのだろう。ちなみに日本人社員はほとんどその会には出なかった。案内メールがロシア語だったからかもしれない(多くの日本人社員はロシア語が読めない)が、たとえ読めても来なかったのではないか。僕はどうしようかと迷ったが、こっそり行った。そしたらみんなが、「我々の仲間だ!」と感激してくれた。
泣いてしまったその大男をほかの社員たちが囲んで、酒をのみ、歌(ロシア民謡?)を歌って、肩をたたいたりして、みんなで一生懸命励ましていた。
この国には社員以外にも、納得できない現実を受け入れ、ずっと堪え忍んでいる人々がいる。悲惨な暮らしをしている人がたくさんいる。それに比べたら私の苦悩などたいしたことではないのだろう。
- 人事との面談の席で、最後に
「こんなことでは負けません」
と、強がりを言った。
そしたら、2年間ずっと押さえていた感情がどっと湧き溢れてきて、
涙が出てしまった。
ピンと張っていた糸が切れた感じ。恥ずかしかった。b
明日はよくなると信じてゼロからなんとかなんとか働いてきたが、やっぱりダメだったか。
でも、最高責任者や人事のひとの前で、泣きたくなかった。そんな自分が限りなく情けなかった。
そんななか、人事の人が机の下から即座にさっと、ハンカチを渡してくれたのはさすが(プロ?)であった。
あと2ヶ月でゆっくり考えてみてください、我々は何でも力になります、なんでも頼んでください、と言われる。
でも、それだったらと、「契約期間いっぱいは雇ってほしい」、と頼んだら即座に断られるのだろうな。
●ロシアで失業●
- やれやれ、これで自分もついに失業者か。しかもロシアまで来ての失業である。このHPの題「おちぶれ日記」は気分で適当につけたものだが、まさに題の通りの展開になっていく。どんどん落ちていくなという感じ。
- さて、これからどうしたものか。日本に帰るとしても、仕事みつかるだろうか。当然失業保険も下りないだろうし。両親の家には住めないので、アパートを見つけなければならないが、ロシア帰りの無職者に部屋を貸してくれる大家がいるだろうか? オウム真理教の元信者がアパートを借りるに苦労しているという話を思い出した。
- こちらで仕事が見つかればいいが、どん底不況のおり、まず無理だろう。ましてや独立して会社を起こすというのは・・・。いや第一そこまでの気力はない(きっぱり)。留学するとしても貯金と照らし合わせて、節約しなくては。アパートももっと安いところに引っ越さなければならないかも。
- でも一番心が重いのは、今の自分のこの無気力状態。こんな気力のなさで、これから厳しい世の中を、長い長い道のりを、ひとりで、何の後ろ盾もなく、歩いていけるだろうか、という不安。
- なんやかんやで家に帰ったら夜の10時、ご飯も食べないで寝てしまう。
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1月27日(水曜日)
●Man In The Rain
- 朝が来た。平気な顔で、会社にいこうと思って、起きようとするが、
起きれない。
身体中の力が抜けてしまったような感じ。
胸の底がずーんと重く、頭が痛い。どうやら熱があるようだ、と計ったら38度だった。加えて精神がどんどん落ち込んでいく。電話をし会社は休むことにした。
人事のひとから電話がかかってくる。退職時の条件等について説明を受けるが、頭がぼーとして入ってこない。
すみません、今日はうまく受け答えできません、
と謝って、電話をきるとものすごい疲れが襲ってくる。
- 昨晩は何も食べないで寝てしまった。そういえば昨日の昼も食べてないなぁ。こういう時だからこそ、なにか食べなきゃとなんとか起き上がり、ふらつきながら、台所にたどりつく。
栓をひねると、水が出ない。どうやら断水のようである(かようなことは僕のアパートではよくある)。
なにもこんな肉体状態、精神状態のときに水まで止まらなくてもいいのに・・・
- 絶望的な思いで、床につく。ああ、もう消えてしまいたいと思う。眠るとき、もう目が覚めませんように、と祈る。
- ずいぶん寝たが、やっぱり目が覚める。身体はすこしましになったが、気分が沈む。マイクオールドフィールドの新アルバム、「Tubular
BellsV」を聞く。
その中に、「Man In The Rain」という曲があるのだが、なにかいまの自分を励ましてくれているような気がして、聞いてると泣けてきた。
Man In The Rain(雨の中の人)
Mike Oldfield
You're the one who's nearly breaking my heart,
Had your chance, you just threw it all away.
Living in a world that you could never be a part of,
And there's time to walk away.
あなたはことを思うと胸が痛くなる。
チャンスはあったのに、あなたはそれをみんな捨ててしまった
いまあなたは溶け込めなかった世界に暮らしている
もうそろそろ、出て行くとき
You can't stay, no you can't stay.
You're no loser, there's still time to ride that train
and you must be on your way tonight.
Think a new right through, you're a Man In The Rain.
あなたはそこにどどまることはできない。どどまることはできない
あなたは敗者ではない。まだ列車に乗りこむ時間はある
今夜あなたは自分の道を進みはじめなければ
新しい気持ちで。あなたは雨の中の人。
What's the use in hanging round these walls?
Lamps are burning, but nobody's at home.
There's a new day dawning as a cold rain falls,
And now's the time to walk alone.
壁にしがみついているのは、何のため?
灯りはついているけれど、家には誰もいない
冷たい雨が降りながら、夜が明けていく
今こそ出発するとき
How's it feel when there's time to remember?
Branches bare, like the trees in November.
Had it all, threw it all away.
Now's the time to walk away.
昔のことを思い出すとき、どんな気持ち?
あなたは11月の木のように、裸になった枝。
持っているものすべてを捨てて
今こそ出発するとき
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1月28日(木曜日)
●会社いけない●
- 起きれない。身体も心も重い。寝床にからだが張り付く感じ。頭が熱くぼーとする。
無気力のきわみ。でも頭が勝手にあれこれあれこれ考えてる。将来のこと考えるといたたまれない気持ちになり、動悸が激しくうつ。
今日も休むことにする。「何もしない日」に勝手に決める。どうせいまさら会社いってどうするんだ。一日中何にも考えずに、テレビでもずっと見ていよう。
●賄賂と税金●
- テレビのニュースで、なかば公然化しつつあるガイー(交通警察)の汚職問題について。恐い顔した内務省大臣が出てきて、記者会見で「屈辱だ! 運転手の皆さん、どうか、警官にお金をあげないでください」と真顔で国民に訴えていた。動物園のおりの「えさをあげないでください」の注意書きを思い出した。警官が要求する(あるいは払わないといけないような状況に追い込まれる)から、みんな賄賂を払っているのだと思うが。
- 徴税推進キャンペーンCMの別バージョンを見た。病院に患者が運ばれてくる。看護婦が棚を開けると薬が一つも入っていない。ここでナレーション。「わが国の病院には薬がありません。税金を払ってください」。メスを持った医師(のおじさん)が鋭くカメラをにらむ。俺が手術できないのは国民が税金払わないからだ、と恨めしそうな目つきである。
●カレーつくる●
- 食欲が無く、またたとえあったとしても、料理をつくる気力もなく。ほぼ2日間、水しか飲んでいなかった。夜、テレビで「Bussiness
Affair」(だったかなぁ?)とかいう映画をやっていて、主演のかっこいい美女が、クリストファー・ウォーケンとそのお母さんに、「インド料理よ」とかいいながら、手製のカレーライスをよそっていた。それを見てカレーが食べたくなった。田舎から出てきた超保守的なお母さんは「なにこれ」という感じで食べない。もったいない。美女もカレーのなべを持って家出してしまう。クリストファーウォーケンを捨てて元の恋人のもとに赴くのだ。彼にカレーを食べてもらうために(変な映画・・・)。
寝床に張り付きながらも、カレーのことが頭に離れず、夜11時ごろからふらつく身体で台所に赴き、おもむろにカレー作りをはじめる。こんなに無気力状態なのに不思議だ。ろうそくが消える前の最後のともしびか。でもなんでカレーなんだろう。
たまたま材料がすべてタイミングよくそろっていた。別に意図したものではなかったが、そのときうちの台所にはまさにカレーのための舞台と役者がすべてそろっていた。豚肉と、鶏肉と、えびと、じゃがいもと、にんじんと、たまねぎを炒め、水とスープの基とワインを入れて煮込み、途中でケチャップを入れた。主婦の知恵で2種類のカレー粉を折半していれる。ちょうど2種類のカレー粉がたまたまあったのである。仕上げにきざみりんごとか、赤ピーマンとか、ヨーグルトとか、インスタントコーヒーとか、しょうゆとかソースとか、タバスコとか、七味とうがらしとか、トマトのつぶしたのとか、牛乳とか、みんななんでもかんでも入れた。夜中だというのにむちゃくちゃこりすぎ。僕はほんとに病気なのか。でも、もし第三者が見たなら、僕はうつろな目をして、まるでカレーに取り付かれているように見えただろう。やっぱり不健康である。
食べたら、かなり辛いがむちゃくちゃうまい。会心の一打である。一生に一度はなにかのタイミングで偶然すべての条件がととのい、それらが絶妙のハーモニーを生み出すときがある。それが今この瞬間のカレーなのだ。こんなうまいことカレーつくれるのはもう一生ないだろな、と思ってただただ無心で食べた。
が、香辛料とかなんでも入れすぎたのか、これほどパワーあふれるカレーは弱った身体には毒だったのだろう。胃を壊す。みぞおちがしくしく痛い。再び絶望的な気分におちいり、寝込んでしまう。
- 今日のカレーを「絶望カレー」と名づけたい(とくに意味はありません)。
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1月29日(金曜日)
●2日ぶりに会社いく●
- 直前まで会社にいこうか、休もうか悩む。結局1時間おくれで会社にたどりつく。昨夜のカレーの影響か、胃がイタイ。食欲もない。
- 最高責任者が心配していると聞いたので、挨拶にいく。なんとか笑顔をつくって「心配かけました」といったら、「おもったより顔色いいね」と言われた。そうかなぁ。苦しんだんだけどなぁ。
●New Year's Partyの夜●
- 夜は会社の年に一度のNew Year's Partyの日だったが、逃げてしまった。友達のロシア人社員たちには「さあいこう」と誘われたが、気分がすぐれないから、と断ってしまった。「身体の調子が悪い」といったら、いかにも髭面でマリオブラザーズそっくりのBと、お腹のチョットでた昔のフルシコフという元ソ連書記長そっくりのYが、「そういうときこそ。ヴォォー!」と親指をたてながら嬉しそうにポーズをとった。「ヴォォー」とは「ヴォートカ」、つまりウォッカのことだが、強調のあまり「ヴォォー」と聞こえる。ウオッカ飲めばなんでも解決、病気も治るという。ほんとにこのひとたち、ウォッカ好きなのね。
- 僕にとって、会社の人たちみんなで集まって、飲んだり騒いだり(踊ったり?)できる最後の機会であり、特にロシア人社員の友人たちとは、いろいろ話もしたいなぁと思ったけど、今日は楽しめないような気がした。気持ちの切り替えができない。そういう席で会いたくない人たちもいたし、その人たちの前で無理に笑顔をつくっている自分も嫌だった。それで、性格暗くてかったけど、ひとり早めに逃げるように会社を出た。
- 疲れたので、家に帰ってすぐ寝ようかと思ったけど、たぶん眠れないだろうし、あれこれあれこれ考えるだけだろうから、映画でも見て帰ろうかなという気になる。
●モスクワで小津映画を見る●
- みんながパーティで楽しくやっているのに、ひとりで映画とは自分ながら「暗いなぁ〜」と思ったけど、どこでもいいからひとりで逃げ込める場所がほしかった。かといって家に帰ってひとりであれこれ果てしなく考えたくなかった。
とくにあてもなくうろうろ歩き回り、会社から少し歩いたところにある映画館にたどり着く。たまたま隣接の「ムゼィ・キノー」(映画ミュージアム)というところで、小津安二郎の映画特集をやっていた。大使館の日本文化フェスティバルの一環で、2ヶ月にわたって毎日小津作品33作品が一挙に上映されるというかなり大規模なものである。
今日の昼間には東京大学学長の蓮見重彦が講演をおこなったようだ。今から「麦秋」がはじまるという。小津安二郎の映画はいままでテレビで1〜2本みただけだった。
「う〜ん、小津かあ。でも、いまの気持ちにはぴったりかも」と、なんかよく分からなかったが、観ることにした。
最初に主催者の人が出てきて説明。どうやら2つのホールで同時に「麦秋」を上映するとのこと。ひとつはロシア語ふきかえ、もうひとつは日本語版で英語字幕だ。主催者のおじさんは「ストーリーは非常にシンプルなので、日本語版で見ることをお勧めします」といっていた。「別の日にも上映しますから、ロシア語ふきかえ版と日本語版を、ぜひ両方見てください」とも言っていた。ロシアにも2度見ようという熱烈な「odzu」ファンがいるのだろうか。 僕は当然、日本語版を見た。日本語版のホールには日本人もいたが、ロシア人も多かった。
- 映画は1950年のある家庭が舞台。長女が嫁に行くまでの過程が淡々と描かれる。僕がまだ生まれる前の時代。ゆっくりと静かな映画。丹念に家族の心のつながりを描き出していく。ケーキを買ってきた長女は義姉に「こんな高いもの買ってきて」とたしなめられる。ケーキを食べることはすごくぜいたくなことなのだ。子供は食べさせてもらえない。電話は壁にかかっていて、マイクに向かって話す。インターネットや携帯電話やファミコンはもちろんのこと、家には電子レンジもステレオも、テレビもない。
でも、今の時代の人々がこの時代の人々にくらべて幸せになったのだろうか? 会社のロシア人の友達(僕と同じ年)は「楽しみが増えれば増えるほど、人間は不幸になる」と言っていた。共産社会と資本社会の両方を経験し、いま経済的困難にあえいでいるロシアの人がいうから重みがある。
- 笠智衆が若い。といってもおじさんである。(妹を嫁にやるのは)「僕は反対だ!」と短く畳み込むように話す。
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1月31日(日曜日)
●家賃値下げ交渉●
- 朝、大家さんが家賃を取りにくる。今後もロシアに残る場合、今の家賃を払いつつけるのがしんどくなる。
- 3月いっぱいで解雇になることを話し、思い切ってもう少し安くならないか聞いてみる。「別の家を探さなければならないかも」というと、「いくらなら払える?」と聞かれた。
- 聞けば大家さんの旦那さんも近く失業する予定だという。いまほとんど仕事がないらしい。旦那さんの月給は100ドルとのこと。娘さんはちかく学校を卒業するが、大学にいく学費がなくて悩んでいる様子。僕からの家賃収入に一家中が期待しているのがひしひしと伝わってくる。
- 結局、値下げしてくれることになった。いま住んでいるところは地下鉄駅の近く、2部屋で台所つきだが、500ドル払っていた。4月からは370ドルでいいという。いきなりの大幅値下げだ。思い切って交渉して良かった。それとも今までが高すぎたのか。そしてそれでもまだ高いのか。僕は世間知らず、お人よしの日本人だからなあ。
- 聞くところによると、昨年から、経済危機の影響からか、モスクワでの家賃の値段が大幅に下がっているという。ある留学生の友達からは、いまや「500ドルあればアルバート(街の中心の通り)に住めるわよ!」とたしなめられた。標準価格なんてあってないようなもんだし、ましてやこんな世の中だから、その時その時、高いか安いか判断するのが非常にむつかしい。
●留学生の話をきく●
- モスクワの大学に留学している二人の日本人女性に会い、話をきく。ひとりは学士入学してもう2年ほど学部で学んでいる。僕がロシア語を始めて間もないころ、東京の語学学校で知り合った。その後長くあっていなかったが、モスクワで再会した。いよいよ卒論(ロシア語で60枚だって。すごい!)を書かなければならないが、卒業後の進路が不安だという。
- もうひとりの女性は彼女の知り合いで、3年半ほど留学しており、現在大学院で学んでいる。日本で6年ほど勤めていたが、ある日、突然、ロシアに留学しようと決めたという。しかもその日のうちに6年間ロシアで学ぼうと決めたという。ロシア文学は好きだったがロシア語はその時点ではまったく知らなかった。すぐに仕事をやめ、ロシア語の通信教育でアルファベットから学んで、1年後にはロシアに飛び込んだという。すごい人だ。その人の生き方に興味をもち、いろいろ長時間話をお聞きしたが、親切にいろいろ教えてくださった。
- 回りに雑音に流されることなく、自分の内なる声に耳をかたむけて、自分の道を進んできた女性たち。
僕の回りにはこのような女性たちが多い。日本にいるときから感じていたが、こちらにきてからますます、男性より女性の方が思い切りよく、自由に素直に生きているなという感じる機会が多い。
- このような勇気ある女性たちを目の前にして、「やりたいことはなんですか?」と聞かれると、僕はあせってしまう。大学で文学とか歴史とかいったアカデミックな学問をするのは、どうも僕の目的と違うような気がする。
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