はぐれミーシャ純情派

タシケント激闘編最終日後編
8月1日
 5時半、ラリサ叔母さん、アントン、アレーシア、みんな一緒に空港に向かう。タクシーで10分ほどのみちのり。窓からの眺めはいつものタシケント。
 空港に着くと、入口の近くにはたくさんの人だかり。見送りの人たちだ。空港の中に入れるのは、搭乗券をもっている人だけ。見送りの人でごった返している。
 みんなとお別れ。言葉がない。テレビ番組でよくあるような涙の別れになると思っていたが、何も出てこなかった。何かしたい。アレーシアを抱きしめたい。アントンも、ラリサ叔母さんも。ラリサ叔母さんには抱きしめられた。しかし、俺には抱き返す力がない。そのために必要な「感情」が枯れたかのような・・・。強烈な疲労感だけ。肉体的にも精神的にも、立っているのがやっとなのだ。アントンとは握手。「また会おう」・・・。アレーシアはにっこり笑った。二人してぎこちない笑顔を交わす。 アントンはいずれモスクワに行くだろうから、また会えると思う。でも、アレーシアとは会えないかもしれない。会えるとすれば、それはアレーシアがプロのテニスプレーヤーになったときだ。海外でプレーするほどの選手になれるかどうか。ラリサ叔母さんとは、きっと会えないだろう。「いつか必ず日本に行くわ」としょっちゅう言っていた。ラリサ叔母さんの夢である。
 俺がまたタシケントにくれば、また会える。旅行代理店の誘いに乗れば、またタシケントに住むことになるのだ。でも、彼らは直感的に感じている。おれがタシケントに戻ってこないだろうということを・・・。
 空港のロビーに入る。ラリサ叔母さん達は、俺が税関審査を終えるまで、外から見ていてくれる。
 まず税関申告書を書く。おれは入国時の申告書を持っていない。もう一度書けば許してもらえるとは聞いていたが、一応係員に聞いてみる。「もう一度書けばいいよ」
 その申告書をもって税関の所までいく。X線を通して、申告書を渡した。係りのやつはすぐ気づいた。入国時の申告書のほうにはんこが押してなかったからだ。押してあるわけがない。たった今書いたんだから。その係員は「これはダメだ」の一点張り。それしか言わない。じゃあどうすりゃいいんだよ。そして、50ドルまでしか持ち出ししちゃあいけない、などとわけのわからないことを言い出した。おれも切れた。逆切れである。「50ドルまでって難だよ。そんな法律があるのか!あるんなら見せてみろ!」返事は「ダメなもんはダメだ」の一言のみ。「お前、名を名乗れ!おれは日本の大使を知ってんだ。これから電話してやる。日本大使館でもう一回言ってみろ!」「そんなのは知らん。おれには関係ない」うーん、なかなか相手もやるなあ。「お前のロシア語ははやすぎるんだよ。もっとゆっくり話せ!」ここまで来ると単なる言いがかりである。「おれはもともとこんなしゃべり方だ。ゆっくり話せねえんだ」向こうも怒っている。こんなやりとりが続いた。しかし、こちらの否は明らかである。この口論は税関に軍配が上がった。ラリサ叔母さん達は心配そうに見ていた。
 他の税関職員のところに行ったら、あっさりOK。「次は気をつけろよ」で終わりである。あのけんかは何だったんだろう・・・。
 ここでラリサ叔母さん達とは完全にお別れ。大きく手を振る。霞んで見えないのは、空港の窓ガラスが汚れているからだ。
 次は搭乗手続き。明らかに重量オーバーの荷物を量りの上にのせる。係員が「すごい!」と言っているのだが、何のこと?よくよく聞いてみると、スーツケースを誉めているらしい。ライトグリーンという色も珍しいし、作りも頑丈である。他の乗客のを見ると、こんな立派なスーツケースはない。
 そして、飛行機のチケットとパスポートを係員に渡す。このおっさん、いい味出してる。大村昆ばりの黒ぶちのメガネに金歯。すると、「お前、日本人か?おれは日本語、知っているぞ!」何を言うのかと思ったら「やらしい!!」うれしそうな顔で連発している。どうゆう意味だか知っているのか聞いてみると「それはハラショー(いい)という意味だ」いったい誰がそんな日本語教えたんだ?一応、意味を説明して、使わないように勧めた。こんな暗い気持ちのときは、こんな笑い声が助けになる。
 出国審査を終えて、搭乗のアナウンスを待つ。普通、空港のロビーだったら、椅子ぐらいありそうなものだが、ここにはそんなものはない。トイレにいきたくてもどこにあるのか。国際空港なのに。
 ここまで来ると、感慨も何もない。がんばて「浸ろう」としたが、強烈な疲労感だけが、心を支配していた。
 1時間近く立ちっぱなしで、アナウンスを待つ。飛行機の時間は8次16分。
 飛行機に乗る.何も考えることはない、ただ、新しい未来に向かっていることを感じる。でも、不思議とこんなときに限って、余計なことを考えたりするものだ。思い出すのはどうでもいいことばかり。
 飛行機が動き出す。もう引き返せない、もう終わる、などと感慨に浸るのだろう、と思っていたのだが、離陸の瞬間、おれは居眠りしていた。おれって意外と神経図太いのかも。というか、それほど疲れていたということだ。
 空から見下ろすウズベキスタンは砂漠である。渇いている。
 何もない。俺には何もない。今、俺が欲しいのは何も見えない眼、何も聞こえない耳、何も感じない心、だ。これはおれが好きな詩のフレーズなのだが、そのまま今の心にぴったりと当てはまる。いきるために何も感じない。これしかいきる道がないのだ。


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