晴れのち曇り。 7:50の外気温4.1℃、室内20.9℃、湿度52%
ヴァレリがパソコンを借りにやってきました。
「いや〜明日レクチャーあるんだけど俺のパソコン調子悪くてさ。明日だけだからすまんが頼む。」
パソコン(ノート)を入れるためにバッグからいろいろ出してたんですが
なにやら立派な装丁のゴッツイ本が出てきました。
英語です。
“頭部と脊柱のMRIとCT”
「へー、英語本なんだ〜」
「この本はシアトルから来たんだよ」
「は?」
「ウラジオの船員さんが航海中に病気になって、船がアメリカのタコマ港(シアトル近く)に入った時
シアトルの病院で手術することになったんだ。
彼は入院中に病院の図書館でこの本を見てなぜか気に入ったらしい。
もちろん内容はぜんぜんわかんないんだけどね〜(笑)
それでこの本をロシアに持って帰った。
ある時彼がウチの病院に来たんだ、パソコンやシャウカステンに映っている画像を見て
『先生、オレ、こういう写真がいっぱい載ってる本を持ってるから今度持ってきてやるよ』
と言って数日後本当に持ってきた。そして、
『オレより先生に役に立ちそうだからこの本やるよ』と言って置いて行ったんだ。
いや〜ホント、役に立ったね、すごくいい本で実にありがたい。彼に感謝してるよ。」
そうなんやー。
よかったなー。
つまり、
シアトルの病院からドロボーしてきたって事?
ドロボーしてきたって事?
ドロボー。ん?
<本日の夕ご飯>
お好み焼き(イカ玉、牛イカ玉)とごはん
※そんなヴァレリはこんな人
(9月27日・懲罰大隊)
晴れ。 12:28の外気温4.9℃、室内19.3℃、湿度41%
隣の部屋でテレビを見ていたオッサンがゲラゲラ笑っています。
「なん?何があったん?」
「ハンガリーでソ連の戦車が走り出シタ!」
「ようわかる話やの〜、そんで?」
「今日ハンガリーは50年前の暴動の記念日でお祝いの日でしたケド、←お祝いじゃないし
政府に反対するデモの人達が、記念に飾ってあった昔のソ連の戦車に乗り込んで
警察隊に向けて走り出したんデスヨ〜!
スゴイネ〜、だってアレ、T-34っていう大昔の戦車でしかも50年も経ってるのに
ヂィーゼル入れてエンジンかけたら走り出しチャッタ〜 ←すごくうれしそう
うーん、ハンガリーの暴動は1956年ですカラ、T-34はその頃もう使ってなかったかも知れませんネエ、
それくらい古い戦車だも。
警察も戦車が向かってきてびっくりしたでしょうネエー」
そ、それは・・・
アホな映画みたいな展開の話やけど図柄としてはおもしろい!
「50年も前の中古戦車かて動くんやなー。それ、ソ連がすごいって事?」
「っていうか、作りが簡単なんデスヨ、それで有名。カラシニコフもそうデショ。」
オッサン、走り出した老戦車がツボにはまったらしくずっと笑っていましたが
当のハンガリーは首相の嘘発言や政争でそう暢気な事態ではない様子。
しかしソ連ってホンマにご迷惑な国だったんですね・・・・
走り出した戦車をみて、燃やしてやりたい人がたくさん居たと思いますが。
「ドイツの戦車はガソリンだからすぐ爆発するケド、ソ連の戦車はヂィーゼルだから爆発しないも?」
・・・・・・・・・・。
ダメダ・・・・。
やっぱり今でも、ものすごーーーーくご迷惑な模様。
※で、その走り出した戦車。
※ハンガリー動乱(革命)って何?というアナタは
ウィキで概要を。
<本日の夕ゴハン>
タラ鍋、たたきごぼうのゴマ酢、炊き込みごはん
<本日のグルソン>
Basement Jaxx : Take Me Back To Your House
じゃ、戦車でソ連に帰ってもらいましょうか、のベースメント・ジャックス。
超絶コサック・ブレイクダンスがふんだんに楽しめるフル視聴を
オフィシャルサイトから〜「Video」をぽちっと。(ラストがミソよ)
晴れ。 10:45の外気温3.4℃、室内22.7℃、湿度44%
朝っぱらから電話が鳴り、オッサン不機嫌に起きました。
電話を切るなりまたどっかに電話している様子・・・・ ←まだベッドでごろごろの私
今度は顔色変えて、別のどっかに電話しています。
「あのーもしもし、○○の××デスケド、あ、はい、はい、はあ・・」
なんか叫んだりしながらかなり長い間話していました。
「はあ〜〜久しぶりのヒト〜!!10年ぶりカナ?」
「誰やったん?」
「シーシュキン。」
「まつぼっくり?」 ←シーシュカは松ぼっくり
「そう、まつぼっくりん。」
「で、そのまつぼっくりんが何か?」
話はこうです。
朝、職場の同僚から電話がかかってきました。
今(休暇中)オッサンがバイト行ってる先の事務員さんから電話があって
すぐこっちに電話して欲しいと言ってるから電話してやってくれと慌てた様子。
それで電話してみたら、
さっき警察から電話があって、彼の出した書類について聞きたいことがあるというので
今日は休みですと言ったら急ぐから彼に連絡してすぐ担当の刑事まで電話してくれと言われたそう。
ひええええええーーーーーーー
ウチのチンピラ、とうとうなんかやらかした?
それで彼女から教えられた刑事の携帯に電話したところ、
「君はおとといビクトル・シーシュキンの報告書を出しただろう?
その報告書の内容のせいで彼は出国の許可が下りなかった。
海外でとてもいい仕事が決まっていたそうだが、それについてどう思うかね?」
「はあ、私はただチュクチのように書いただけです、それが仕事ですし」 ←意味は下記参照
「で、どういう判断なんだ?」
「たいしたことないよ、心配するな」
「じゃ、次の船かな」
「そうだなシーシュキン。バガヤロ!!10年ぶりの挨拶がこれか!!」
にせ刑事はオッサンの北の村時代の仲間と判明。 ←また出た!北の仲間。
オッサンはおととい書類に書かれている名前と年齢を見て、思い当たる人がいたそう。
でもロシア人は同じ名前の人がたくさんいるし・・と、あまり気にせず報告書を仕上げて
自分のサインをし、出して帰ったのです。
次の日その書類を取りにきた「思い当たる人」は、サインしてある名前を見て思い当たる人がいたそう。
こっちは滅多にない名前どころか彼以外聞いたこともない名前だったので
絶対彼に違いないと思いさっそく電話したというわけ。
「ビックリシタナ〜もう〜!ワタシも書類見た時そうじゃないカナーとは思ったんですケド、
まさか本人だとは思わなかったデス、ビックリシタ〜。彼はネ、4歳年上なんですケドよく一緒に遊びマシター。」
「また出たな〜北の仲良しクン。」
「えーと、4つ上の人たちと2つ上とひとつ上とわれわれの学年は面白くてばかばかしくて、仲がいい、と有名だったんデスヨ。
特に4つ上の人たちは特別おかしな連中だったデスネエ、今もおかしいみたいですケド。
われわれより下はもう駄目ネ、そのあとはソ連が破産しちゃって村もさびれてもうぜんぜん駄目だし。」
「タバーリシ?」
「タバーリシ。リョーシャの奥さん(サハリン出身)がいつも言うには、サハリンのシュコーラも
同級生の仲がすごくよかったけどアンタ達には驚く、まるで親戚みたい、って。」
「そうなあ〜、ワロヂャも1ヶ月くらいウチおったし」
「ソーデスネエ。人に聞くと、街では学校の友達と近所の友達っていうのがまた別にあるみたい。
でも村はアパート同じだし学校同じだしまちは狭いし朝から夜までずーーと一緒だも。
嫌な友達いてもずーーと一緒だから逃げれないし、全部バレバレ。でもみんななんかうまくやってた。
もうナイネー、今はそういうの、もうないデショ、できないデショ。」
ロシアと周辺国に散らばった同級生たちはお互いの消息を知ってはいるものの、
進学、就職、結婚、子供が生まれて、アパート買って・・・と忙しい時期は
なかなか連絡したり会ったりできませんでしたが、少し余裕ができる時期に入ったのか
最近また連絡を取り合ったり一緒にどこかへ行ったりしはじめました。
もう少しすると離婚して、アパート売って、再婚して、子供が生まれて、アパート買って、と
忙しくなるので今のうちにせいぜい親睦を深めておかんとな。
というわけで、
まつぼっくりんとは、彼が船から下りたら飲みに行くことになったようです。
<本日の夕ゴハン>
辣白菜、牛肉と野菜のタイ風サラダ、牛肉と赤ピーマンの炒め物
<本日のグルソン>
なぜかこんな歌を思い出した・・
Mattafix−Big City Life : マタフィックス−
ビッグ・シティ・ライフ※チュクチとはアブラモービチで有名なチュコト半島の原住民族で、彼らは『見たものをそのまま歌う』という事がロシアで広く知られているため、いろんな比喩やアネクドートに使われているのであります。
※北の村のお話:2005年12月7日
(ソビエト・ノスタルジー)※しかしこんなことも・・2004年7月16日
(思い出は美しすぎて)