めるのロシア日記 調子悪くてあたりまえ
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2004年1月1日(木) あけましておめでとうございます
新年明けましておめでとうございます
穏かに晴れた元旦の朝を迎えたウラジオです。
今日、2004年1月1日からこっそり始まった私の日記ですが
「?」や「!」が多いロシア暮らしのあれこれを綴ってまいります
昨夜の大晦日は日本からの友人とその家族、日本人ロシア人入り乱れて
カフェでカウントダウンパーティ、ホテルに帰って一休みしたあと
日本人客を連れてオッサンの友人の家にアポ無しなだれ込み、
その友人の実家、彼のヨメの実家まではしごして
最後は彼の家のチャウチャウの上で寝てました。
元旦の太陽がまぶしかったぁ〜
だるだるの私は放置されたまま、塩シャケ焼いてごはんと焼卵で朝ご飯して
オッサンは元気におでかけ。
今年の抱負「飲みすぎても放置されないようにしよう」
もとい、 「飲みすぎても朝ご飯を作って私に食べさせろ」
じゃなくて「飲みすぎても朝ご飯は二人で食べよう」
にしとくか。
ところで。簡単に自己紹介いたさねば。
「私」はロシア極東の港街、ウラジオストク(浦)に住んでいます
「私」はロシア人ハイグーシャ(オッサン)とその両親(オトーサン・オカーサン)と
猫(キティ)と3DKのアパート暮らしです
「私」はロシア語はアルファベットがとりあえず読める、程度です
「私」は家でオッサンと日本語で話しています
「私」は家で両親と「ロシア語のような言語」少しと身手振りで意志疎通しています
「私」は本当は日本で暮らしたいです(トホホ)
また、この日記は「へぼいインターネットがつながった時」更新です。
それでは皆様、本年よりよろしくお願い申し上げます!
2004年1月2日(金) アポ無しはやめましょう
うわああああああ〜
こっそり始まったはずの日記がもうリンクされとる。
ひとつきくらいコソコソと「プロレタの密かな楽しみ」にしようと
思っていたけどキリキリやります、はい。
ところで今、荷造りしてます。
明日日本に帰省するんです。
31日にオッサンの独断で突然決まりました、ゆ・え・に、
ド喧嘩しました。
実は船でもっと後に帰る予定だったんです
ところが一緒に行くはずの友人の娘(ロシア人・未成年)が出国するための
親の委任状を作るのが間に合わなかったのです。
ええーと、ロシアでは原則的には未成年は親権者同伴か、委任状を持った代理人の
大人と一緒でないと出国できません。(実際はOKの事もあります)
あ?日本でもそうですか?
未成年の時に海外に行ったことがないもんで知らないんですけど。
特に今回は船やったので、親が浦中のナタリウスを駆けずり回った
けど年末でもうどこもやってなくて委任状が作れなかったのです。
もともと親が日本に行くのに子供が便乗しようとしたけど飛行機が満席で
だめだったので子供だけ船で、という話やったので
それなら親も船か、子供が運よく飛行機のキャンセルがあれば飛行機で、という
ことにするしかないとあたふたしているうちにキャンセルが出て
めでたく親と一緒に飛行機で日本に行くことになりました。
しかしめでたくない人がふたり。
港はうちらにとってとても不便な場所にあるために
彼女のお父さんが彼女を港まで迎えにくるのに便乗できるから
気兼ねしなくていいと安心していたけど、うちらだけの為に
迎えにきて〜とは言い難い・・・
そこへテレビのコマーシャル。
ウラジオー成田の正月チャーター便、片道100ドル!
なに!!船の半額以下やん!(船日本人210ドルロシア人150ドル)
そりゃもう成田がうちらにとってめっちゃ不便でもそれでいくしかない!
ってことで「彼女と同じ日」に別便で日本に行くことになりました。
そんなわけでバッタバタで準備している今日、
マガダンという町から突然アポ無し客が我が家にやってきました。
いきなりやってきて
「あけましておめでとう!5日まで泊めてくれ」という。
なんやそれえええぇぇぇぇぇぇーーーーー・・・
ところであなただれデスカ?
オカーサンの友達だそうだけど両親は今中国旅行に行って、おりません。
仕事中のオッサンに電話してきいたら
「うーん、名前はきいたことがある、何か食わしとけ」
というが明日から留守にするので全部食べきりにしてしまったから
ろくなもんがない。
あああぁぁぁぁ〜大晦日にアポ無しなだれ込みをした罰があたったんか〜
うううぅぅぅ〜荷造りもまだやのに・・
今夜は徹夜か・・
業務連絡:アポ無し訪問はやめましょう
2004年1月3日(土) 帰国致しました
いよいよ帰国です
ゆうべはきばって荷造りしたけど3時でダウン。
オッサンは日本からのお客を空港に送っていくので朝6時起きやったから
いっしょに起きて荷造り再開。
自分のセーターをじっと眺めているオッサンに
「なにしとん?」
「どれを持っていこうかと思って」
「悩まんでも3枚しかないんやから全部持っていき!」
「そうやなっ」
とっても簡単、婦唱夫随です。
「パンツは穴があいてないやつ入れといてえー」と言ってバタバタ出掛けていきました。
パンツの穴といえば・・
去年の秋、紅海でダイビングポイントまでボートでいく途中、
オッサンが水着持ってきてないことに気づいたんですけどふつうの下着パンツでそのまま泳ぎました。
「どっか破れて穴が開いていたら恥ずかしいけど穴がなかったから」だそうです。
そういう問題とはちがうと思いましたけど「そやな」と言っておきました。
これを夫唱婦随といいます。
オッサンにとってパンツの善し悪しは穴があるかないからしい。
さて空港から帰って来たオッサンが飛行機が30分早くなっていたから急いで準備して!
というので更にバタバタして「アポ無し客タマラさん」に洗い物頼んで飛び出しました。
飛行機はツポレフ154でほぼ満員、ロシア語英語に続いて日本語のアナウンスも有り。
こんなんはじめて〜!
ビミョウに北日本イントネーションのおねいちゃんの日本語がなごみました。
フライトは1時間40分、ほんまにロシアと日本はすぐ隣なんやと改めて実感。
浦を出た時は−5度やったけど東京は+16度、ぬくいな〜!
空港でまんまロシアジンのドゥブリョンカを脱いでスーツケースにブチ込み、宅急便へ。
あまりのぬくさにブーツも脱いで突っ込もうかと思ったほどでした
ついでに暑苦しいオッサンも・・
二人とも成田は初めてやったから不安やったけど、成田空港の人はみんな親切やから
安心しなさいというアドバイスを受けていたので早速バスのインフォメーションへ。
親切なおねいさんで「日本」を実感。次に○○バスの切符売り場でアドバイスとちがう
メチャ感じ悪いおねいちゃんに当たり「ロシア」に逆戻り。
ロシアではどっちゅうことないのに日本でそういう目に合うとほんまへこみますわ・・
そのあいだオッサンは「アイスはどこ?アイスは?」と空港内をウロウロ
・・もうアイス買ったらこのまま乗ってきた飛行機で浦へ帰っていただきたい。
せっかく成田に降りることになったからというので、2,3日東京滞在を予定して
いたからオッサンの知り合いの「日本のオッサン」の家に滞在させてもらうことになって
いたのですが、一人暮しでお金持ちの気楽な人、のはずの家には私よりうちの
オッサンと古い付き合いの「オッサンの娘」がきておりまして、
私は「アンタだれよ?」状態のお出迎えを受けめっちゃ居心地悪い日本のスタートとなりましたとさ。
しかしアポ無しタマラさんをアンタだれ?状態で迎えた私には当然の報いでありましょう。
める家・家訓:アポ無し客でも笑顔でお出迎えしよう
おやすみなさい。
2004年1月4日(日) 最初に言ってください
朝、日本のオッサンの娘に作ってもらった雑煮を頂く。
日本に帰って初めての正月らしい出来事だった。
悔しいがおいしいです、はい。
今日はそれぞれ別の人と会う予定があったけど待ち合わせが同じ上野なので
オッサンと一緒におでかけ。
東京はどこに行ってもガイジンさんが目に付いてうちの田舎と大ちがいやな〜
ところできのうプリペイド携帯を買おうと目に付くケータイ屋に次々飛び込んだけど
どこも「うちでは扱っていません」
えー?前回帰国したときはすぐ買えたのにどゆこと?
電話がないとめっちゃ不便やな〜
趣味の域からすでにはずれてしまった、ロシア料理を探求?している方と
初めてお会いしました。
とってもまじめな方なのでオッサン大緊張。
あとでこっそり、「私の知り合いの日本人はみんなバカばっかりだから
まじめな人に会うとどうしていいかわからない」と言いました。
しかしアナタはそのまじめな彼に案内してもらって、
アメ横で怪しい時計やら、3個999円の目薬やらを買うてたやんか。
西郷さんの前で、「西郷さんって何した人?」のオッサンの質問に
一瞬黙る日本人2名。
ロシアの前に日本の勉強をしよう。
その後オッサンは待ち人と落ち合い別ルートへ。
私は一日上野をゆるゆると案内していただきましたが、寒ボタン園で
「そういえばロシアの春の森には野生のシャクヤクが時々咲いていますよ」とか
庭園の木賊を見て「これは極東のそのへんの森にバカスカ生えてます」とか
あくまでもロシア話になるのでありました。
帰りにまた駅周辺でケータイ屋に何軒か飛び込んだけどやっぱり
「プリペイドはやってません」
最後の店で、
「プリペイドは犯罪に使われることが多くなったので最近は携帯電話会社の
プロパーの店でしか扱ってないんです」と教えてくれました。
7軒めであった。
そういうことは・・・
最初に言わんかいっっっっーーーーー!!!!
(ちゅうか、どこで買えますかって聞け、自分)
オッサンはどこに行ったのかしらんけどうちに帰ってきませんでした。
2004年1月5日(月) シンデレラ城は風雲たけし城
おーい、起きたかー」
ご主人の声で目がさめた。
「なんだ?アイツは帰ってきてないのか?」 はい、そのようで。
「ま、男にはいろいろあるからさ」 ご主人もいろいろあったんですね。
「俺は今日から仕事なので行くから」 はい、いってらっしゃい。
10時
「ただいま〜おはよう〜」
オッサンお帰りだ。
ん?その後ろの金髪のおねいちゃんは???
「マーシャだよ、一緒にディズニーランド行こうと思って」
お持ち帰りかーーーーーーーーっっ!!!!
家訓・アポ無しでも笑顔でお出迎えしよう→ぎりぎり。
バタバタと準備してディズニーリゾートへ。
実は私はイマドキディズニーに一度も行ったことがないという希な人であり
マーシャも日本にきたばかり。
「はじめてならランドの方がいいやろ」というロシア人のオッサンに先導されて行きましたとも。
月曜とはいえまだ冬休みでお正月イベントの真っ最中、どこもいっぱい。
オッサンがビッグサンダーマウンテンに乗りたいというので待ち時間80分という
のに並んだ。
本当はそのへんで公衆電話を探してあちこち電話したり、
ベンチに座って休んでいたかった私である。
長い・・待ち時間がどんどん長くなる・・
ミッキーの耳が生えた女の子が「攻略本によると次はあれに乗って・・」と話している。
攻略本?戦闘態勢でいかねばならんのか、この娯楽は。
シンデレラ城は「風雲!たけし城」かああぁぁぁーーーー!!!
(あ、こっちで正月にたけし城のロシア語吹き替え版やってました)
とつぜんアナウンスが入り、
「トラブルが発生して自動停止しました、しばらくお待ち下さい」
ウエスタンランドの山全体が「ええええええーーーーーっ!!!」の叫び声で
揺れましたとも、ええ、これがビッグなサンダーなのね。
結局その後まだ1時間半待たされて再開、乗れたときにはうっすら夕暮れ、
「きゃあぁぁぁ〜」とかいう元気もありませんでした。
パレードまであと40分という時間に3人とも疲れきって
「もう、帰ろう」
オッサンは「ディズニーは快適に乗り物に乗れるだけの人数で入場制限をしないと
いけない」と鼻息フンッ。
一日パスで3個しか乗れず高いディズニーだった。
やはり攻略本がいるのであろうか。
しかし今回の一番の敗因は“ロシア人と一緒”だったことにあると思う。
きっと見えないところで冷戦はつづいているのだ。
教訓:ディズニーリゾートにはアメリカ人とこよう
2004年1月6日(火) 東京でやり残した事
一人で実家に帰った。
本当はふたりで帰るはずだったけどいろいろあって帰れなかった。
オッサンは午前中に家電のディスカウント店でPC関係のものを買ったけど
試してみたら自分のやつに合わなかったので交換に行かなきゃ、で頭がいっぱい、
私が玄関を出るときもお見送りなし、だった。
夜、家についたらマイナス5度、室内2度、家の中の寒さにはマイッタ。
実家に置いてある老体PCは電源は入るが立ち上がらない。
いろいろ連絡したい人もいるのに全部PCがないとわからないことばかりでイライラする。
ああ、そういえばせっかく東京に行ったんやから「夜のはとバス・ニューハーフショー」に行きたかったなあ。
着いたよと東京に電話したらオッサンは家に帰っていなかった。
明日実家に“金髪お持ち帰り”しないように願います。
2004年1月7日(水) 覚悟しなさい
ゆうべオッサンはまたもや家に帰ってこなかったようだ。
「男にはいろいろあるから」らしい。
私はこの寒さなのに部屋のヒーターが壊れて修理に出さなきゃいけなくなって
途方に暮れた。
オッサン、きても暖房ないよ、どうするよ?
日ぺのババヤガ姐さんとこの旦那さんに頼まれていたビデオを送った。
本当は成田空港から送るはずだったけどうっかり住所も電話番号も紙にしていなかったので
東京でも機会がなく送れずにここまで持ってきてしまった。首を長くして待っていることやろう、申し訳ない。
夜、オッサンが着いたので迎えに行った。金髪はいなかったのでほっとした。
あまりの寒さにびっくりして、家に入ったらもひとつびっくり。
日本の家は冬寒いよ、って言ったやん。
今日から覚悟しなさい。
2004年1月8日(木) 静かな人
知り合いのロシア人家庭から食事に招かれた。
そのあとロシア人ばかりでバッタ屋めぐりをしようという話になりオッサンは喜んでついて行
った。
ああまたろくでもないものを買い込んでくるやろうけど怒らないようにしようと思った。
上機嫌で帰ってきたオッサンが買い物品をひとつひとつ出して、
「シャワー蛇口、ドライバーセット、タオルセット、あかすり、車の香水、温泉の素」
最初は笑っていた。
「つまようじ、はさみ、みかん、目元ぷるんパック、ラム酒、不老林」
不老林?無口になった。
あああっ、ごめん〜〜。
夕方、食べ物を買いたいというのでスーパーにつれて行ったらソッコー魚売り場へ
赤魚の粕漬けがお気に入りだ(安いからありがたい)
ブリの切り身、牡蠣、夕方半額の刺身盛り合わせ、半額寿司とどんどん入れる。
「これは何?」
「穴子、寿司に乗ってるやつあるやろ」
「こんな長い魚なのかあ、食べる。」
はい、はい、じゃ今日は白焼きにでもするか。
うーん、ちゃんと全部食えよ〜と思ったけど余計な心配でした。
実はオッサン、うちに泊まるのは初めてである。
実家の母は、
「大きいけど静かな人やねえ」
「そうやな、食ってるか寝てるかやから」
そう、オッサンはとっても静かな人である。
2004年1月9日(金) 勇気だしていきましょう
叔母夫婦が偵察にやってきた。
みんなロシアジンを見たくて見たくて(笑)
残念ながらオッサンは私の身内に歓迎されていない。
ちゅうか私が歓迎されていないのか?
叔母夫婦は親戚代表でやってきた。(らしい)
まずは“日本語が通じる”のでちょっと安心したようだ。
話してみたらただの“日本のおっさん”だったのでもひとつほっとしたようだ。
オッサンはデカイがどこにもシャープなところがないし、
オバサンが買ってきてくれたケーキを一生懸命食べていて大変静かだったので
「ロシア人ってなんか恐い」というイメージは払拭できたかもしれない。
オバサンは何度も
「すごく静かな人でうちのおとうさんに似ている」と言っていた。
自分の夫と似ているというのはポイント高し。
「兄さんと姉さんにも私から電話しとくから」と言って帰って行った。
「兄さん」と「姉さん」も勇気を出してロシアジンを見に来て下されや。
でもケーキがないと「恐いロシア人」かもしらんで〜
2004年1月10日(土) 雷鳥の捕りかた
今日は吹雪の中を「浦裏繋がり」のペアがわざわざ会いに来て下さった。
さっそくオミヤゲの“調子こいて書いたオッサンの落書き ”をプレゼントする。
ウナギイヌ、ヒラメ、麦を刈るエジプト人、ギリシア戦士、戦車など。
いつも静かなオッサンなのに、このペアはボケと突っ込みがうまいので
どんどんしゃべっていた。
「カモメは案外美味い」話とか「ハリネズミの捕獲と飼育」とか
「シャンペンで雷鳥を捕る」とか。
シャンペンで雷鳥を捕る?
私も始めて聞くなあ?
雷鳥というとホレ、日本では天然記念物のアレでっしゃろ?
「雷鳥はおいしいよ」とオッサン。
<雷鳥の捕りかた>
・ シャンペンのビンにお湯を入れる
・ 雪原にビンを立てて雪が解けるのを待つ
・ シャンペンビンの大きさの穴があく
・ 穴の底にコケモモの実を置く
・ 雷鳥がコケモモを見つける
・ 頭から穴にはまって抜けなくなる
・ 回収
一同、ぎゃはははははははーーーーー!!!
「えー、冗談じゃないヨ、私もやったよ。でも捕れなかった」
「やっぱ捕れないじゃん」
「穴にサラミ入れたからかも・・」
「サラミぃぃぃ〜〜?」
「だってサラミしかなかったんだもん」
一同、ぎゃははははははーーーーー!!!!
上品なカフェに響き渡る。
メイワクな我々。
次回は「ハリネズミの捕りかた」をご紹介しましょう。
もっと話していたかったけど、雪がひどくなってきたので
峠を超えてきていただいたぺアには無事に帰ってもらわなあかんという
ことで名残惜しい中をお見送り。
我々は立派なおみやげをいただきましたよ、ありがとーう!
カスピ海ヨーグルトの種菌もいただいたのでさっそくスメタナに
なるか実験してみよう。
でも今日一番の収穫は「ピンクレディのボトルキャップ」かな?
2004年1月11日(日) 2ルーブル祈願
ハハから「しめ縄をどんど焼に持っていけ」と言われて朝から行った。
オッサンは寒いからイヤ、って。
甘酒とぜんざいの振る舞いがあんで、と言ったけどイヤっていうので
一人であるいて行った。
神さんに「ロシアで死にませんように」とお願いしたんですけど
2ルーブル玉しか入れなかったので「帰れェ、ゴラァ!」と
ご神言が下ったかもしれません。
神主の目はごまかせても神さんはごまかせませんわ。
後ろめたかったので甘酒もぜんざいももわらずにコソコソ帰ったです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
午後からオッサンと灯油を買いに行った。
日本の家の夜の寒さにオッサンののどがやられてしまったんです。
オッサンは冷たい空気を長い時間吸い込むとのどが腫れる。
ひどくなってきたので一晩中暖房をつけることにしたら灯油があっというまに無くなって
ハハから「自分で買え」というお達しが出たのでセルフサービスで安いところに
車ででかけた。
初めて行く店で、まちがった場所に車をつけてしまったみたいやったので
オッサンが窓を開けて「すいませーん、ここでいいですかー」と聞いたら
とつぜんオニイチャンが走ってきて
「ハロー!!なんとかかんとかーどうのこうのーサンキュー!!」と
英語で言ったのでカタマった。
そんで英語で誘導してくれて、「どうやって灯油入れたらいいんですか」
というオッサンに、英語で給油機の使い方を教えてくれた。
オッサンは「はい、はい」って、そんでどっからきたんですか?って
英語できかれたので「ロシアからです」と言ったら
あそこの人はカリフォルニアからきたんですよ、あっちの人はニュージーランド、
と横のガイジンを親指で差しました。
見渡してみたらなんと3組もガイジンさんがきていて、
こんな田舎なのにこんなところで3組もとびっくりしたんやけど
確かにガイジンさんは安いところに敏感やもんねえ、日本、生活費高いもんねえ・・
オニイチャンは最後まで英語。
オッサンはずっと日本語。
よくあることです。
2004年1月12日(月) 困るのは誰
今日は成人の日。
新成人の皆さん、おめでとう。
ジブンが成人式の頃はロシアにはかすりもしませんでした。
オッサンはかぜをひいたようで鼻がグズグズいってセキもしているし
私も鼻詰まりがひどくなってきた。
部屋の中でも夜中は2度くらいまで室温が下がる。
こんな家でハハは暖房も電気毛布もなしで寝てるんやからすごい。
オッサンが「のり天」が無くなったので買いに行こうというので出かけた。
今回の日本でのオッサンのお気に入りは
「のり天」(のりを揚げた菓子)「食べる煮干し」「燃焼系アミノ式」「バナナ」
だ。
あ、そうそう「長芋の短冊」も。飽きずにずーっとコレ。
買い物して帰ってきたら、寒いので温泉であったまりたいというので
近くのホテルの外湯に連れて行った。
私は家の仕事で忙しかったから大人一人お願いします、とフロントのオネエサンに
お金を払って(1000円)預けてきた。
家まで歩いて帰ってきたオッサンが
「お風呂に誰もいなかったヨ」と言ったのでこんな休みの日にへんやな、と思ったけど
「お風呂に鍵があった」というのでどうやらまちがえて家族風呂の方に行ったらしい。
「一人でよかったやん気兼ねせんでいいし。ガイジンやとじろじろ見られるやろ」
と言うと
「一応ネ、いつもタオルで前かくして入るヨ、みんなが困るから」
・・・困る? 何が困るねん。
2004年1月13日(火) 爆笑ラルゴ
風邪の具合がひどくなってきて外に出るのがおっくう。
オッサンは、うちのパソコンが逝ったので人様の家でオークションに張り付いてます。
今日はフロントバンパーを落札。
実は去年の7月、ロシアで輸入中古車の税金がめちゃめちゃ上がったんで、
その前にオークションであわてて買ってしまった
「爆走ラルゴ」もとい「爆笑ラルゴ」が浦のガレージにご鎮座しております。
赤黒ツートンで出っ歯でございます。
後ろにはバンパーがなくパテですてきな造形がしてあります(気絶)
船から港におろす時も擦りまくって大変でした。
普通の道でももちろん当たりまくりです。
「こんなに車高が低いとは思わなかった」そうです。←私は言った、ちゅうねん
なんでこんな車を駆け込み買いしたかというとオカーサンが大勢で海や山に
行けるバス(ロシアでワゴン車はマイクロバスと呼ばれます)が欲しいと言ったからです。
でも海や山に行くまでに1年くらいかかりそうです。
オカーサンはツートンがとてもハラショーといいました。
こつこつ直して車高はノーマルになりましたけどバンパーが手に入りません。
それで今回せっかく日本に行くんだからということでラルゴ様の為のいろいろを
入手するということでオッサンはオークションや中古車屋のサイトに張り付いて
います。
私は本当は部品が手に入らなくてラルゴ様を手放すことになればいいのに
とコッソリ思っていましたが残念ながら日本にぎょうさんあるようです。
ところでバンパーを買ったのはいいけどどうやって船まで持っていくんや?
2004年1月14日(水) ロシアの歯医者はやめましょう
オッサンのお守りに疲れたので今日はヤツを健康ランドにブチ込んで
私は歯医者に行った。
帰国したら必ず歯医者に行ってチェックとクリーニングをしてもらう。
だってロシアの歯医者絶対いややもーーーんもーーんもーん。
ついこの間、あのキーンって削るやつの先っちょがとれて思わず飲み込んだ患者が
病院に運ばれる話をきいたばかり。
尖った先端が内臓を傷つけたら大変なので一定時間毎にレントゲンを撮って
今はここ、あ、今はここ、って追跡したそうだけど結局次の日、
ウ○コと一緒に出ました、と本人から報告があったそうだ。
その「でたやつ」を歯医者に返したかどうかは不明。
やっぱり絶対行きたくない。
歯医者の帰りに古巣の職場に寄ったら古参のオバハンにつかまった。
ロシアの話をききたい、という事で隣の喫茶店に拉致されたけど
2時間きっちり「孫とヨメ」の話を聞かされた。
ホットケーキとコーヒー2杯くらいでは合いまへん、
すし屋のカウンターで“時価”腹一杯くらいはイッテ欲しかったです。
今度会ったら私のロシア暮らしの話を腹一杯くらわせます、くらえええぇぇぇー。
2004年1月15日(木) お蝶夫人は既婚者か
「エースを狙え!」の実写版、今日から。
立つのよ、ひろみー!懐かしすぎ。
知っとお?若い人はしらんやろなー
コーコーセーやのに金髪で縦巻きロールのお蝶夫人っていうネエサンが
いたんですよ、昔。
しかも夫人ってんやから結婚しておられたらしいです。
山本鈴美香先生、「七つの黄金郷」完結して欲しかったです、
ロレンツォに惚れたのに。
○ ○ ○ ○ ○
夜、家を新築した親戚のお宅に家族でお邪魔しました。
この大雪なのに融雪装置があって駐車場のコンクリートが乾いてるぅ!
おうちもピカピカ、ダウンライトがいっぱい、それに床暖だー
「やっとあったかいところにこれた」とオッサン。
トイレのドアを開けたら電気が点いて便器の蓋が開く。
びくぅ! なんか、なんか出る?貞子とか?
ああ〜もう家を建てるようなトシなのね〜
そういえば年賀状にも家建てました、なんてやつがちらほらきてたなー
みんなまっとうな人生なのね、
「貧乏で無職でロシア」とかじゃないんやね、トホホ。
夕ご飯は近くの韓国料理店に行ってしこたま飲ませて食わせてもらいました。
うまかった〜
おみやげもいっぱいもらって、は〜極楽、極楽。
家に帰り、「あったかい家はよかったねー早くロシアに帰りたい」
などと世迷言を言ってしまい、反省しました。
2004年1月27日(火) かくもしぶとい船酔い
午前7時。
頭が波のリズムでゆ〜らゆら。
火曜日はオッサンの職場がカンファレンスの日なのでいつもよりちょびっと早起き。
温度計をパチッと外気温に切り替えると−12℃、さむぅーい、でもいーの、雪かきせんでもええもん!わははははーロシアばんざーい!!
「オッサン、パッチはいてく?」
「まだいーわ」
この日本人からのみやげの温度計は我が家の必需品である。
冬の朝コイツをパチッとやって外気温が−15℃以下だと男性陣はいそいそとパッチ(モモシキ)を出してきてむりむりっとはくのである。
7時40分。
職場へのみやげをいっぱい抱えて、「誰にもドア開けないでね」と言ってオッサンご出勤。毎朝必ずこう言うんである。はいはい、アナタが帰ってきても開けんので安心して放浪して下さい。
頭がフラフラ〜気持ち悪い、ソッコーベッドに戻って寝る。
昼、誰かがベルを何回も押すが誰にも開けない約束なのでほっておいて寝ていたら「ママー、ママー」と叫んでいる。オカーサンだった。
アパートのドアは3重で鍵は4個ある。
オカーサンは鍵を持っているけど内側からしか開かない鍵が一個あるのだ〜
ひぇ〜ママー、飛び起きて開けると
「寝てたの?あー寝なさい、寝なさい」
ごめんなさいママ、お言葉に甘えて引き続き寝ます。
「仕事に帰るわね〜」の声でまた飛び起きてお見送り、もう1時過ぎていた。
ヨロヨロと起きて洗濯機を回す。
水が弱い・・
洗濯機を覗き込むとそのままズーンと頭突っ込みそうになる。
かくもしぶとい船酔いか。
テレビをつける。
キルコーロフが歌っている・・・濃ゆい。
日本ではおよそ見られない濃ゆさだ。
船酔いに追い討ちをかけられた気がしてテレビを消す。
ごはんと味付け海苔のひるごはんをして2回目洗濯。
ゆるゆると荷物の片づけをしたりパソコンを元に戻したりごはん作ったりがやっとの半病人のような一日だった。職業人だったらえらい支障をきたすやろなと思う。
無職でよかった(よくない)
パソコンはエラーばかり出て調子が悪い、インターネットカードは繋がらない・・
(パソコンが使えなかった間、ノートに手書きした日記をまたぼちぼちとアップしていきたいと思っています・さかのぼり日記か)
オッサン?オッサンは元気ブリブリでごはんもバリバリ食って爆発電球も交換して時計の電池も入れ替えてテーブルの脚も直してたんすの引き出しも直してテレビのヴァレリアと一緒に歌って今はジャムなめてます。
<本日の夕ご飯>
白菜のスープ、ジムニー(サラダ)、ベネグレット、辣白菜、カレイの煮付け
2004年1月28日(水) 目には目を、家賃にはパナソニックを
あいかわらずアタマがどんぶらこ〜どんぶらこ〜
今日は立っているより座っている方がひどい、
なんか後ろに後ろにひっぱられるような感じがする・・・
そういえば時差というものもあったんや。
今、浦と日本とは時差1時間。
1時間とあなどることなかれ、結構キマス。
朝、いつものようにオッサンご出勤。
「誰にもドアを開けないでね」
はいはい、
「オカーサンあてに電話があっても彼女はいません、ロシア語がわかりませんと
いって切るように」
は?なんやソレ?
実はうちはアパートを一軒貸しているんですが。
借り手は若い夫婦だったけど最近離婚したかどうかで奥さんはしばらく前から
住んでいなかったらしい。
残った旦那の方も家賃を滞納したままトンズラこいてしまってオカーサンが部屋の
片づけに行ったところキッチンにマルチミキサー(ナショナル製)が残してあったので
家賃の代わりにもってきたそうだ。
その後奥さんから自分の荷物を引き取りにいきたいと連絡があってどうぞどうぞと
鍵を渡したがあとでキッチンのミキサーがなくなっているという連絡が入った。
オカーサンはその話題はひとまずおいといて、まず奥さんにも家賃を請求したところ
払う気がない事がわかったので家賃にはパナソニックを、でオカーサンもとぼけきる
決心をしたらしい。
それで奥さんの親戚などが数回電話をしてきたらしいが無視、
事情を知らない私がうっかりオカーサンの職場の電話番号などを教えてしまわないように
という事だそうで。
しかし・・これは・・どんなもんなんか。
泥棒とはちがうんやろうか・・
いや、考えるのはよそう、ヨメにとって姑のいいつけはハンムラビ法典。
いつもよりドアをしっかり閉めてオッサンを送り出すヨメであった。
<本日の夕ご飯>
ジャガイモのポタージュ、にんじんサラダ、炒め白菜の薬味ソース、玉ねぎ串揚げ、タバカチキンのグルジア風ピラフ添え
2004年1月29日(木) キムさんの米
朝−18℃、パッチの日。
ムリムリッとパッチをはき靴下のポアントもはいたら舞台準備完了、
我が家のモッコリ・プリンシパル誕生です。
シャセ、ブリゼ。
あーいいマラーホフなー、はい、ズボンはいてはよ仕事行け。
10時、パソコンをぱちぱちやっていたら停電。
洗濯も煮物も同時に落ちる。
浦にはガスがない
すべての熱源は電気なので停電したらお手上げじゃ〜
いろんなことが 中断されてしばらくたっても復活しないので
とりあえず寝た。
2時間くらいして起きたら電気が復活していたのでやれやれ。
ロシアで停電はジョーシキなのでもう慣れたけど計画的な工事等前もって広報がある
もののほかに個人的な修理で停電させられることもしょっちゅう。
アパートは日本と比べたら安いので多くの人は借りるより買って住んでいますが
改装、内装は自分でやる人も多いんです、お金が貯まり次第壁紙、次は天井とかいって
1年以上かけて根気に自分でやったりします。
しかも大抵のアパートは古く巨大でおまけに夜11時までは大きな音を出してもいいという暗黙の了解のようなものがあり、常に誰かがどこかで修理しているという
状態です。
もちろん「ごあいさつ」なんかありゃしません、勝手に止めるんです。
さすがに夜8時に1時間以上停電したときはオトーサンが隣の家にどなりこんでましたけど。
夕方、オカーサンが大きな米の袋を持って帰ってきました。
貸していたアパートの修理を頼んだ北朝鮮人のキムさんが、
修理も済んで出稼ぎの仕事も期限がきたので国に帰るから残った米をお宅の
日本人にどうぞ、といってくれたんだそうだ。
「北朝鮮から日本に援助してもらうなんて日本では考えられんやろ」と
オッサンは笑っていたけど単純に笑えなかった。
極東には北朝鮮から出稼ぎの人がたくさん来る。
空港にも北朝鮮の飛行機がとまっていて家電の箱や大きなバッグを持った
出稼ぎ帰りの人がたくさんいるのを見かけることも多い。
主に建設工事の仕事にくるんだけれど、夜アルバイトで個人の家の修理を
している人も多い。
うちがお願いしたキムさんも交渉上手なオカーサンが現場に行って
スカウトしてきたのです。
そういう人に対するロシア住民の評判は、仕事をちゃんとしてくれて工賃が安い、です。
(ロシア人ちゃんと仕事しようや)
北朝鮮人も韓国人も日本人も普通にいるロシアなんやから、南北生き別れとか
日朝離散家族とかロシアでこっそり会うたらええんとちゃうかな〜と
単純に考えてしまうのでした。
まぁ・・将軍様バッヂをつけて道路工事している北からの出稼ぎの方は・・
そういう不埒な事は考えもせん人しかロシアに出してもらえへんのかもしらんけど・・
キムさんお元気で、米ありがたくいただきます。
<本日の夕ご飯>
ぺリメニのスープ、野菜サラダ、カレイのから揚げ、ジャガイモときのこのグラタン
2004年1月30日(金) 家族の象徴
まだアタマがふらふらする〜
きのうは夕ご飯のしたくをしたけど頭痛がひどくなって吐き気までしてきたので
自分は食べずに薬を飲んで早々に寝てしまった。
船酔いとは関係ないと思うけど・・やなかんじ。
今日ガレージを買うかどうかをみんなで話し合った。
去年オカーサンは新築のアパートを買って、今ぼちぼちと内装中なんだけど
アタマが痛いのは駐車場の問題。
車は盗難にあいやすいので管理人付きの24時間駐車場に入れるのが一番いいん
だけど普通車は一泊45p、ワゴンなどは60pだ。
2年前は普通車一泊18pだったのを考えるとめちゃ高騰〜
ガレージは今2500ドル前後で買え、それを考えると4年ちょいで元がとれる
計算になる・・どうするか・・
最近の浦の不動産高騰はすごい、オカーサンのアパートも買った(前払い)時から
すでに1万ドル以上値上がりしている。
(内装も済んだら2倍以上の値段で売れそうだというのでそれ売ってもっと
中心に引っ越そうぜーと内心思うわたしであった・だって僻地やもん)
あ、両親のアパートでなくてオカーサンのアパートというのは、
オカーサン名義で登録するからですが資金はもちろんオトーサンと二人の
稼ぎにオッサンがヘルプして買いました。
うちで(というかロシアで)は親子の財布は日本とくらべてかなり曖昧。
結局オッサンは買え、オカーサンは検討する、という結果になった。
(どっちみちオッサンが金出すねん)
オトーサン?オトーサンはソファでテレビ見て寝てましたよ。
うちでオトーサンは「家族の象徴としてのマスター」なのです。
え?お宅もですか。
<本日の夕ご飯>
ボルシチ、スベクラのサラダ、ヴァレニキのブルーベリーソース、カリフラワーとブロッコリのロシア風、鰊の漬物、カレイの煮付け
2004年1月31日(土) オババごめん
ゆうべ、右上顎からアタマの右側の奥にかけてがずっと痛くてなんか変な感じ、
抜歯したあとのような痛さに悩まされた。
オッサンが神経痛かもしれんといって薬をくれたのでそれを飲んで寝たけど
今朝になっても治っていなかった。
日本で風邪をひいて今もずっと鼻水タレ状態やったので
「うーん、副鼻腔炎かもしらんな〜」
「それほかっといて治るん?」
「穴あけてウミをださなあかんことも・・」
「・・やめてや」
「歯いたみたいな痛さもあるんやけど外からはどこも虫歯ないし、
二次カリエスかもしらんって思うんやけど」
「ロシアの歯医者行ってみる?」
「・・・もうやめて。」
これ飲んどけ、っていうんで抗生剤と鎮痛剤を飲んでゆるゆる家事をした。
昼から市場に買い物に行った。
もう冷蔵庫なんもないもーん、浦に帰ってから初めての買い出しである。
魚好きなうちはまず、魚。
キュウリウオ(ワカサギの仲間)とパルトゥス(おひょう)を買った
最後に肉屋(といってもトラックの荷台でおっちゃんが斧で豚をさばいて
いるようなところ)で牛のモモ塊を買ったオッサンが
「早く、早く、逃げるぞ!」と言って早足になった。
「なになに、なんで?」
「肉・屋・の・オ・バ・バ・は・お・釣・を・間・違・え・た」
ちっさい声でいわんでも誰も日本語わかりまっせん。
という訳で1200円の肉を400円で買いましたとさ。
でもその罰があたったのか帰ってから痛みがひどくなって
寝込んでしまった。
起きたら夜8時だったのでやっつけごはんを作って食べ、
薬飲んで休んでいたらだんだん良くなってきた。
あ〜よかった、明日は治ってるといいけど。
<今日の買い物・円換算>
おひょう切り身 1.6kg・896円
キュウリウオ1kg ・180円
牛モモ塊 ・400円(えへ)
みかん1kgアルゼンチン産・100円
玉ねぎ1kg・72円
にんじん1kg・90円
きゅうり4本・60円
カバチョク2本・22円
卵(黄身が黄色のやつ)10個・100円
若鶏一羽・400円
サラダほうれん草一袋・120円
サニーレタス一株・50円
大根1本・42円
<本日の夕ご飯>
トマトスープ、発酵キャベツ、野菜サラダ、牛肉のチーズつつみ揚げ