ピョートル大帝のロシアの思い出
〜第5回〜
テルミ姐さん −モスクワ-
こういう記事が、僕のよく買うエンターテインメント情報雑誌”ダスーク(ДОСУГ)”に載っていた。テルミン(日本語ではテルメンボクスはテルミンと呼ばれている)という楽器の存在は以前から知っていた。 5年ほど前だっただろうか、何気なく見ていた深夜放送の30分ドラマで、和製Xファイルみたいな怪奇現象解明モノをやっていて、椎名桔平が、探偵か調査員という役で主役だった。その探偵の趣味なのだろうか、椎名桔平が、小さな部屋で箱に向かって、指揮者みたいに手を振り回していると、その手に合わせて”ヒョロヒョロー”という、お化け屋敷の人魂出現時の、“ドロドロドロドロドロ・・・”抜きの音(これでわかっていただけるだろうか)が奏で(?)られていた。番組の終わりのテロップに、”テルミン演奏指導 だれそれ”とあったので、”あのヒョロヒョロー箱はテルミンというのか”と、至極論理的に推定した僕があった。 そしておととし、僕はすでにロシアにいたのだが、ロシぴろでおなじみのカメさんがテルミン愛好家からメールがあってうんぬん、という話をしているのを聞いて、また”ヒョロヒョロ椎名桔平”を思い出してしまった。そして今回のコンサート情報。僕は何の迷いもなしに、コンサートに行くことに決めた。 ホテル・ザラトエ・カリツォーには、コンサート開始の1時間以上前に着いた。それには、”日本にもけっこうな数の愛好家がいるこの楽器、生まれ故郷のロシアではなお人気が高いはず。早目に行って、チケットを買って、もし自由席ならいい場所をとらなくっちゃ”という老婆心が働いていたのである。 しかし、チケット売り場どころか、コンサート会場もできあがっていないありさま。大コンサートじゃないか、と思っていたのに、会場はホテルのレストランの一角(昼休みなのか、営業はしていなかった。)。しかもその名は”エセーニン”。”おいしい”予感がした(僕の第1回目の文章がエセーニンについてであったので)。
会場はささやかなものだった。聴衆も同じくらいにささやかだった。ざっと見渡したところ、約20人。開始時間になると、青いツナギを着てオレンジ色のメガネをかけたおねえさんが、サングラスをかけた、ずんぐりしたおにいさんを従えて颯爽と現れ、”彼は、チャイコフスキー音楽院の学生で、今日はシンセサイザーを弾いてもらいます。そして、今日のテーマというべきものは、<ジャズ・アヴァンギャルド>です”と手短に語って、コンサートは始まった。 すごい。アヴァンギャルドだ。サン・サーンスやら、バッハやら、彼らはどの曲を演奏しているのか!?ちらほらと聞いたことのあるメロディーは耳に入ってくるのだが、確認しようと思う間に、シンセサイザーの音がすぐにかぶってきてジャマをする。記事のとおり、テルミンは電子楽器である。シンセサイザーも電子楽器であるので、音はともにスピーカーからでてくる。シンセサイザー、うるさすぎ。ヒョロヒョロとたよりない音のテルミンの音は、クッキリ、ハッキリのシンセサイザーの音に負けてしまいがちであった。 ”主役、くわれてるやん・・・” でも僕らの目はテルミンに釘付けであった。このケッタイな楽器と、その奏者のおねえさんの放つ異様な存在感が会場を包んでいた。 休憩無しの1時間少しで、コンサートはおわった。そのあと、テルミンについての質問コーナーみたいなものがあり、客の一人が”演奏させてくれ”といって飛び出してきたり、どんな楽器との演奏の組み合わせが可能か、という質問が出たり(理論的にはあらゆる楽器と、オーケストラとでも可能、とか)、テルミン単独で何か弾いてよ、というリクエストに応えて1曲演奏してみたり、アット・ホームな感じでコンサートは終わった。 すごいコンサートだった。こんなコンサートは見たことがない。まず会場。12月にレストランを間借りしたのだから仕方ないとはいえ、うしろのクリスマス・ツリーの存在感、そしてその前で演奏する二人の格好、ミスマッチ具合が絶妙で、非常にすばらしい。そして何より、神妙な顔をして手を振りまわす割りには、ヒョロヒョロ音しか出ないこのテルミン、深いものを感じた。 人間の営み。とでもいうのだろうか、愛だ、正義だ、真実だ、と大上段に構えてみたところで、そこから出てくるのはテルミンのヒョロヒョロ音でしかないのではないだろうか。このヒョロヒョロ音に僕は、人間のちっぽけさを感じる。とともに、ちっぽけながらも、人々の何がしかの思いが込められたこの音に、いとおしさも感じる。 そしてまた、人間は進化しているのだろうか、というよくある問いも浮かんでくる。我々の営みがヒョロヒョロ音ならば、我々の親の、その親のそのまた親の・・・の営みもやはりヒョロヒョロ音であっただろう。親子は、姿かたちだけでなく、性格も似るものである。その親の親の親もそうであろう。だから、自分の親の親の親の・・・もたぶん自分みたいな姿かたちで、こんな性格で、自分と同じようなすべった転んだをしていたのではないかと思ってしまう。そして僕らの子の子の子も・・・。そう考えると、何か途方もない大きな力みたいなものを感じてしまう。それを人は神と呼んだり、運命とか、遺伝とか、オデン大好き☆チビ太とか呼んだりするのだろう・・・。
テルミ姐さんーーー僕は彼女を勝手にこう名づけた。そしてこのネーミングがあま りにハマっていることに気をよくしていた。”まるで頭の中に用意されていたかのよ うだ”そう僕は思った。 先日、日本に一時帰国した時、親戚の集まりに出て、思い出した。テルミは僕の叔 母の名前で、母がいつもその叔母をテルミ姉さん、と呼んでいたのであった・・・。 |
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