あき
人形になったイポンカ

−第1話−

黒尽くめの女

 

 今やモスクワでは“日本”がちょっとしたブームなのだ。TVをつければCMで和服姿の女性が舞い、若者の肌には漢字らしきタトゥーが彫られ、スーパーでは“芸者チョコ”なるものが売られている。そして至る所に見られるのは“スシ・バー”の看板。何でも「日本製」と言えば、皆がとびつく。

アルバイトのチラシがあった場所


   モスクワ南西部、
P大学の入口からすべてが始まった。守衛の男たちは相変わらず仕事もせずに奥のほうで酒を飲んでいる。そんな見慣れた光景の中、私はいつものように郵便受けをあさっていた。その横には、いったい誰が見るんだ!?という風情の、何語ともよくわからないチラシたちが無造作に積まれてあった。普段なら見向きもしないが、この時ばかりは目を見張った。正体不明のチラシに中に、それは懐かしく、美しい日本語で書かれていたのだ。





日本食レストラン “平家(仮)”

接客担当の日本人女性スタッフ募集!!

詳細は面談にて

              tel: ×××―××―××

   このチラシをP大学の友人たちに見せると、早速二人の女の子が面接に行き、雇われることとなった。仕事内容は聞いてビックリ、@和服を着て入口に立ち、日本語で「いらっしゃいませ」と言う、A緑茶をすすめる、B帰る客に、これまた日本語で「ありがとうございました」と言う・・・そう、要するに“日本人の人形”が欲しかったのだ。仕事内容はいたって簡単、その上、美味しい天ぷらを食べさせてもらったらしく、ロシア生活に疲れた彼女たちはご満悦の様子だった。

   ところが、なんとこの二人、一日働いただけでバックレてしまったのだ。理由は、仕事が終わるのが遅く、メトロ(地下鉄)で帰るのは危険だから、ということらしい。「まぁ、ここはロシアだからなんとかなるよ」という、“ここはロシアだから”という、ロシアで暮らした人なら、なんとなくわかるであろう理屈で友人も私も納得していた。

   数日後、P大学の入口付近にうろつく怪しげな女がいた。この全身黒尽くめの超金髪美人は、私を見るなり満面の笑顔で近づいて来ると、こう訊いた。

「アーユーフロムジャパン??」

 「ダー(はい)

何故英語なんだー!?とあまりにもご無沙汰していた英語にビビったが、ロシア語でそう答えると、彼女はホッとした表情になってものすごい早口で事の次第を話し始めた。

   このタチヤーナと名乗る女性は日本食レストランでマネージャーをしており、日本人の女の子二人を雇ったが、突如来なくなったので、このP大学まで探しに来たと言う。

 「お願い!!あの子たちの代わりにあなたが働いて!!」

この仕事に興味がないわけではなかった。しかし、私には既に二つものバイトがあり、もちろん学生なので、山のような授業の宿題もあった。果たして時間が許すだろうか・・・。なかなかイエスと言わない私に、タチヤーナはいろいろ条件を出してきた。

 「・・・今、あなたが働いているところよりも多く払ってもいいわよ。」

給料がどうという問題ではないんだ!それよりも今あたしは急いでいるし、早いとこ話終わらさないと。そう思って私は、

 「い、今は考えさせてくださいっっ!!ではっっ!!!」

その場はなんとか振り切ったものの、その後、タチヤーナは毎日のように私を口説きにかかった。

 「お店は夜11時まで営業だけど、10時で帰ってもいいから。そして帰りはタクシーもつけましょう。これでどうかしら?」

 「・・・わかりました。ではとりあえず面接に伺います。いつ行けばいいですか?」

タチヤーナのここまでの譲歩と、おそらく上司に何としてでも探して来い、とでも言われてるのだろう、切羽詰まった様子にさすがに私もOKしてしまった。

   こうして私はモスクワの日本食レストランに潜入した。

第2話へつづく   


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