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ウマ・トゥルマンがどれほど人気かロシアにいると空気でわかります。 テレビやラジオから彼らの曲が聴こえない日はないし、その名前を目にしない日はありません。 ウマ・トゥルマン・・・ 日本人には風変わりに聞こえるこの名前は何かに似ている・・・? ウマ・・馬・・ジュワッチ?(それはウルトラマン)ウマ、ウマ・・ ユマ?ユマ・サーマン?? そう、ウマ・トゥルマンとは「ユマ・サーマン」のロシア語読みなのです! 彼らは自分達の大好きな女優の名前をグループ名にして女優と同じくらいロシアで売れています! (ユマ・サーマンは「パルプフィクション」が熱狂的にロシアで受け、以降大人気となりました) ウマ・トゥルマンは2004年度の最優秀新人に贈られる「今年の発見賞」とMTVミュージックアワードの「最優秀新人賞」、そして「最重量級ヒット賞」を受賞しました! |
ウマ・トゥルマンは多様な音楽スタイルを持っていますが どれも最初の1フレーズを聴いただけでそれとわかる個性的な音です。 特にボーカルのヴォーヴァの声がいいですね。 靴下を引きずったようなダラダラした、力の抜けたヴォーヴァの歌を聴いていると 「ま、なんとかなるんじゃない?」という気がしてきます。 実際には四苦八苦で大汗かくわけですが、 とりあえず絶望するには早すぎるという無責任な希望を与えるあたりがロシア的で惹かれます。 ヴォーヴァのボーカルがどんな感じといったら・・ う〜ん、奥田民夫、倉持陽一、桑田圭祐、所ジョージをビーツと一緒にボルシチにして、最近給料がちょっとよくなった地方都市の庶民的な4人家族の皿に盛り分けた感じ。 ちょっとわかりにくいですか・・・ (←イエ、すごくわかりにくいです) ノンビブラートの歌い方やメロディに字余り気味な歌詞や突き放した感じがツボに落ちてカコンとやられました。 シンプルなギターサウンドも心地いいです。 彼らの音楽はとにかく今の気分にぴったり沿う感じ。 チッサイ声で言いますけどホンマはヴォーヴァがめっちゃ好みやからなんです |
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モスクワから440km、夜行列車で一晩、ゴーリキーの出身地であるニジニ・ノヴゴロド市が ウマ・トゥルマンの故郷です。 彼らは今や大スターですが控えめな態度で知られています。 それを絡めたあるインタビューで 「モスクワで一旗揚げようとやってきた田舎者の感じがまだ自分達にある?」という質問にこんな事を言っています >僕らはニジニ出身のことを幸せに思っていて今までの生き方について満足しているよ。 その人生を引け目に感じることはまったくない。 2003年7月、クリストフスキー兄弟の弟ウラジーミル(ヴォーヴァ)は 自分達の作った曲がたくさんあることに未来を信じて 兄のセルゲイ(セリョーガ)に2人で新しいグループを結成することを持ちかけました。 その時点で2人にはすでにそれぞれ別の音楽キャリアがありました。 2人は最初ニジニの音楽シーンで歌い始めましたが、観客の反応には並々ならぬものがありました。 そこでヴォーヴァが作曲してセリョーガがアレンジした15曲をデモアルバムとしてニジニで録音し、モスクワのいろんなレコード会社に送ってみることにしたのです。 このデモアルバムは瞬く間にモスクワの音楽関係者の評判となり、そこからウマ・トゥルマンの歴史がはじまったのです。 |
伝統ある美しいニジニの街 |
>子供の頃から歌うのが好きだった。 小さい頃はすごくきれいな声だったけど変声期の時ひどい状態になってしばらく歌えないほどだったよ。 でもどうしても歌いたかったので発声練習を始めたんだ。 その頃はまだ曲は書いてなかった。 セリョーガは既に作曲を始めていて僕も曲を書くように努力したけど最初は曲だけで歌詞はセリョーガが書いていた。 その頃はパンクっぽい曲を書いていたんだ。 「ヴィッツ・スヴェルフ」というバンドを作って1998年に初めてのデモテープをモスクワのガラレコードという会社に持ち込んだんだけどその場でダメ出しされてしまった。 でももうひとつ、3曲入りのカセットも作っていたのでそっちのほうは「ジヴォイ・ズヴーク」という新聞社のコンテストに出してみたら優勝して写真入りの記事がでかでかと載るくらいにはなったんだよ。 優勝者はアルバム制作できる約束だったんだけどその時ロシアの大恐慌がおきて全ては反故になってしまい音楽どころではなくなってしまった。 当分の間音楽で食っていくことなんか考えられない生活になってしまったんだ。 それから12種類くらいいろんな仕事をしたよ、大蔵省の運転手、白タク、伝書屋、デザイン会社の次長、チョコレートとレモネードの営業、身元不明の霊安室の夜間管理人、etc・・ そう、美容師の勉強もしたよ、けど途中で嫌気がさしてやめちゃった(笑) |
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>僕達の父親は原子力工学の専門家で若い頃はアイスホッケーや水泳やバレーボールの選手だった。 母親はエンジニア。 とてもいい両親だったよ、家庭内ではいつもみんな平等だった。 僕もとてもスポーツが好きで6歳からアイスホッケーを始めてサッカーや水泳もやったよ。 19歳の時に鎖骨を骨折してしばらく家で療養していた時にギターをはじめたんだ。 シュコーラを卒業してから旋盤工とか郵便配達、シャンペン工場の運搬係りとか幼稚園の保父さんとかいろいろやって それからDJとして仕事をし始めたんだ。同時に自分でもプレイした。 外国のヒット曲にロシア語の歌詞をつけてニジニのクラブやレストランでよく歌ったよ。 そのうち自分の曲も書くようになって「ブロードウエイ」というグループを作って活動をはじめた。 「ブロードウエイ」はアルバムも録音したしツアーもやったけど結局解散してしまった。 その頃ニジニでロックフェスティバルがあって優勝者はドイツでやるフェスティバルに招待するというものだった。 あるカントリーミュージックのグループに、僕の作った曲を演奏して出場してみようと持ちかけられた。 それで2週間で仕上げて出場したら優勝したんだよ。そしてドイツに行ったんだ。 ドイツで10日間、5つのコンサートをやって大成功だった。 そのままそのグループのベーシストとして残って、カントリーミュージックと僕の作った曲で活動した。 そのあと自分のグループを作ろうと決めたんだ。 1995年に「シャーウッド」というグループを作ってニジニでかなり有名になったよ。 レストランでオリジナル曲を演奏していたけどそれはとてもめずらしいことだった、 どんなグループも有名曲のコピーを演奏していたからね(笑) レストランで歌いながらロシア中をツアーしたり、音楽だけで食っていたよ、自分達のディスコやバーも持ってたし。 ヴォーヴァが自分の曲を持ってきて2人で新しいグループをやらないかと言ったので彼と相談しながら15の曲を録音した。 それはニジニで評判になったけど地元で歌うヒマはなかった、すぐにモスクワから声がかかったからね。 アルバムの15曲のうち12曲はモスクワで一晩でレコーディングされてヒットした。 そういうハードな仕事はコンサートやなんかで経験済みだったから厳しくはなかったけど、 一番の問題はレコーディング時、いくつもコンサートをやった後だったからヴォーヴァの声が出にくかったことかな。 でも彼は意思が強くて頑張ったし結果としていいレコーディングができたと思う。 |
ウマ・トゥルマンのモスクワでの最初のライヴは「16トン」というクラブでした。 2003年の12月19日、その日はヴォーヴァの誕生日。 彼らの友人が誕生日のプレゼントとして、ゼムフィラのコンサートで彼らに「プラスコヴィア」という曲を歌えるようにしてくれたのです。ゼムフィラは以前にその友人からプラスコヴィアを聴かされてすごく気に入り、自分の友人達に何回も聴かせてこれは必ずヒットすると言っていました。ゼムフィラはウマ・トゥルマンと会ったこともリハーサルしたこともないのに彼らが自分のコンサートに参加することを快諾してくれたのです。さすがロシアロック界の姐さん、太っ腹ですね。
今振り返ってみると怖気づいて断らなくてよかったと思う。 彼女が僕らの音楽に興味を示してくれたことはすごくうれしかった、一緒にやれてよかったよ。 彼女は天分のあるシンガーだと思う。 また彼はゼムフィラについてこんなことも言っています。 >ゼムフィラはテレビや記者会見で見る限りクールできつい女性に見えたけど実際会ったら楽しくて普通の女性だったよ、彼女と会うことはいつもパワーをもらう出来事だ。 このライヴの半年後にはモスクワ映画祭でタランティーノ監督に「ウマ・トゥルマン」という曲を披露し、ルージュニキーのスタジアムでデビューコンサートをやり、9月に発売されたファーストアルバム「В Городе N」(Nという街で)は一週間でゼムフィラのアルバム、「четырнадцать недель тишины・静寂の14週間」と同じだけ売れる結果となりました。 ゼムフィラは彼らにとってユマ・サーマンと同じくらい幸運の女神かもしれませんね。 |
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そしてこれがファーストアルバム「В ГОРОДЕ N」(Nという街で) |
このアルバムは当初2004年10月5日が発売予定でした しかしウマ・トゥルマンはすでに人気が高かったので春頃から海賊盤が多量に出回り、急遽9月23日に発売となった経緯があります。 アルバムを発売することになった時、6つのレーベルが名乗りを挙げて交渉は一ヶ月くらいかかり最終的に大手のモノリット社、CDランド社、ミステリア・ズヴーカ社の三つが残りました。 その三社は熾烈な争奪戦をしていたのに意外な事に最終的に三社は話し合って共同でやることになりました。ロシア的ですか? タイトルの「В ГОРОДЕ N」(ヴ・ゴーラヂェ・N)のNというのはニジニ・ノヴゴロド( の事です このアルバム中、ナチノイ・ダゾール以外はニジニ時代に作った曲で、最初のレコーディングもニジニでやったからと彼らは言っていますが故郷に対する愛情と感謝も表われているような気がします 仕上げのレコーディングはモスクワのCDランドスタジオでやって最後のミックスもモスクワで行いました 「このレコーディングで難しかったのは・・」と彼らが言うことは、 >ニジニでは音質は悪かったけど気分が乗っていいプレイができた、 モスクワのスタジオは音質が数段よくなったけど大事なものを失った。 だから何回もやりなおした。 結果として満足いくものができてよかったと思っている。 このアルバムの曲からウマの音楽スタイルを確定するのは難しいかもしれません。 この15曲はデビューまでの長いキャリアの中で作った曲なのでスタイルがかなりばらばらだと彼ら自身も言っていますが、それでもどれもがウマならではの曲ばかりです。 |
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アルバムの最初を飾る1曲目、プラスコヴィアはウマの記念すべき曲です。 ゼムフィラが気に入り彼女のコンサートで歌い、最初のビデオクリップにもなってヒットしたプラスコヴィア。 「プラスコヴィア」というのは古臭く田舎っぽい女性名の典型です、日本で言ったら・・うーん、「よね」とか「スエ」なんていう感じでしょうか?(ご本人さんに平謝り) “ジェーヴシュカプラスコーヴィア、イズパドマスコーヴィア”という印象的なリフは“モスクワ近くの田舎から出てきたプラスコネエチャン”、それを聞いただけでウチのオトーサン(ウラジオ出身50代)でも「モスクワの田舎のプラスコヴィアか〜そりゃー大変だ」というくらい都会に目眩しそうな田舎者らしいです。 という訳で可愛そうに・・都会の男に遊ばれて寂しくて退屈でひとりっきり、カーテンの後ろ、窓の側で泣いている、真面目な恋を夢見ているという歌ですが軽いメロディで突き放した感じのクールなボーカルががいい。 おうよ、田舎モンはそんな目に遭うもんよ、ウワベだけかっこいい都会の男を追うはいい加減やめたら?田舎モンでもいい男はいるんだぜーと自分達の事を言いたいかどうかは不明(でも多分そう) この曲は「PVダウンロード」することでビデオクリップをご覧頂くことが出来ます(PVはCDには入っていません)が、ウマが町で会う女性、会う女性全部が泣いているというおもしろいものです。2004年3月23・24日の二日間、黒海沿岸のヤルタとグルズフという町で撮影されました。女性たちは全員18歳のモデルを選んだそうです。そのあたりもプラスコヴィアのストーリーと絡んでいそうですね。 コノ曲を聴いたらあなたも絶対”なななななななな〜♪”という鼻歌を歌います。 |
2曲目、ナチノイ・ダゾール・夜警団はウマを知らない方でもタイトルを聞いた事があるかもしれませんね。 この曲はロシア国産初の本格的ブロックバスター映画として大ヒットした『ナチノイ・ダゾール』のエンディングテーマ曲です。 この映画は世界の善と悪の力の均衡を保つことを使命とする超能力者集団ナチノイ・ダゾールが現代のモスクワを舞台に活躍するというヴァンヘルシングの現代ロシア版のような映画。 チムール・ベクマンベトフ監督は映画のエンディングテーマ曲は他のサウンドトラック曲とはちょっと違う、ショッキングでエキセントリックな曲にしたいと考えていました。 監督はウマ・トゥルマンの音作りに興味を持ち彼らに依頼することにしましたが、映画ができあがるまでその事を公表しないようにと、双方注意しながら進められました。 この曲はウマの家でラフにレコーディングされたデモトラックのものです。 その後スタジオでプロのエンジニアによってレコーディングされた仕上がりのいいトラックもあったのですが監督が選んだのはデモトラックのほうでした。 ベクマンベトフ監督によればそちらの方に自分が欲しかったものが良く表されていたからだそう。 監督がエキセントリックな曲にしたかったというだけあってアルバムの中では異色の不気味曲です。 もしあなたがロシア語のP(エル)の巻き舌ができなくて悩んでいるなら“ナチノイ・ダゾォォォォーるるるる”のフレーズを一緒に歌って練習する事をお勧め。 ところでこの映画についてヴォーヴァはこんなことを言っています >映画のデキとしてはとても気に入っているよ、でも映画のテーマについてはあまり好きじゃない。 僕は非現実的な世界があると信じている、魂とかUFOとか他次元世界とか。 でも作られたファンタジーはあまり好きじゃないんだ。 “世界は二つにひび割れて煙が立っている、血が流れている、善と悪が戦っている、 光がぼんやりと暗くなって世界の隅で蜘蛛が巣を編んでいる、 夜の通りをナチノイ・ダゾールが走って行く” |
映画「ナチノイ・ダゾール」 |
3曲目、ラーニェンヌィ・ヴ・ヴィソーク・こめかみに傷 “愚か者の考えでこめかみに傷をつけた 今街は静寂に溺れて我々を見つけることは出来ない、 春の雪解けのように誰かが来ても我々はもういない” とても静かでセンチメンタルな美しい曲です。白タマの多いボーカルですがノンビブラートがさりげなくていい感じ。 4曲目、ウマ・トゥルマンのタランティーノバージョンです。 とにかくユマ・サーマンが好き、彼女に捧げる歌として作った事が評判になりました。 ロードムービーを思わせるドライブ感のある曲でバヤンの旋律、妄想スキットに入る前のスライドギターがカッコイイ なぜタランティーノ・バージョン? タランティーノ監督はユマ・サーマンが大のお気に入りで彼の映画とユマは切り離せないことは皆さんご存知の通り。 実はモスクワ映画祭でタランティーノ監督にこの曲を披露する事が決まった時、 オリジナルの歌詞にタランティーノ監督に対するとても失礼な言葉があったためプロデューサーから変更を申し渡され若干ぬるい言葉に手直ししたバージョンなのです。 ところでウマ・トゥルマンというグループ名は2人でやり始めた時に付けた名前ではなく、 最初は「не нашего мира」(俺達の世界じゃない・くらいの意味か)という名前でスタートしました。 ゼムフィラのコンサートの時もこの名前で紹介されたのです。 でもこれは複雑すぎてよく間違えられたり覚えにくかったりしたので彼らは新しい名前を考えることにしました。 それがウマ・トゥルマン。 この名前をつけた第一の理由はユマ・サーマンが大好きだったから。 第二は大好きなユマ・サーマンに捧げたこの曲を作ったから、と2人は言っています。 ウマ・トゥルマンとユマ・サーマンとタランティーノについておもしろいエピソードがあります ユマ・サーマンがモスクワに来た時インタビューした記者が、ロシアにもあなたと同じ名前のグループがありますよ、と言って彼女にウマの話をしました ユマ・サーマンは自分と同じ名前という事の権利問題がどうのこうのというような話はせず、 音楽を聴いてみたい、会ってみたいと言って彼らに興味を持ちました。 残念ながら会うことは叶わなかったのですがウマはモスクワ映画祭のオープニングに参加したたったひとつのグループとしてタランティーノ監督に「ウマ・トゥルマン」を歌いきかせることができました。 モスクワ映画祭の初日、ロシアのニキータ・ミハルコフ監督は自分の友人であるタランティーノ監督に彼らを紹介し、その歌を聴く事を取り持ったのです。 その時バックではユマ・サーマンの映画とロシアのクラシック映画をコラージュしたおもしろい映像が流れていたそうです。 タランティーノ監督は同時通訳をききながらすごく笑ってとても満足げだったとか。 ウマは監督にユマ・サーマンあてのプレゼントを渡しました。 それは自分達の曲と歌詞の翻訳、「ウマ・トゥルマン」と「プラスコヴィア」の2つのビデオクリップでした。 監督はそのプレゼントをユマにかならず渡すと約束したそうです。 ヴォーヴァは言います、 >夢みたことはいつか叶うと思っている。だからいつかユマ・サーマンと友達になる自信があります 彼らは映画祭で評判になり開催中いろんなイベントに参加したおかげで映画界にたくさんの知り合いができたようです。 この曲はプラスコヴィア、プラスティッツァに続く3番目のビデオクリップとして現在もバンバン放送されていますがとても面白い作りです。 ++++++ ユマ・サーマンに手紙を書いたら4月20日(具体的なところが笑える)にロシアに会いに来るという返事がきて さあ大変、カレンダーに丸を付けて・・おっと服、服を買わんといかん、ブティック、ブティック、で2人で自転車に乗ってブティックへ行くとタキシードなんか勧められますがカジュアルでコジャレたコーディネイトを自分で選んで着替え、 お次は花。花、花・・花屋へ行くとゴーカ花束を勧められますが小さなつぼみの白ばらの束を選んでお次は車。 ショールームでリムジンやらゴーカサルーンやら勧められますがサイドカー付きのヴィンテージバイクを選んでさあ空港へ。そこでヴォーヴァが友達に自分とユマサーマンの展開を話して聞かせるスキットに切り替わり言いたい放題。 さ、空港へ急がなきゃ、ゴキゲンで田舎道を走っているとお約束のエンスト。ひえ〜頭の上を飛行機が飛んでいく〜!そこへ黒塗りのリムジンが向かってきて彼らとすれ違ってすぐ停まり、ヴォーヴァは急いで花束を持って近づいていくが運転手がドアを開けると・・・・ +++++++ |
彼らの女神ユマ・サーマン 2番目の夫イーサン・ホークとも別れ現在は超リッチな恋人有りとの噂。まさかヴォーヴァ・・なわきゃないやろ 映画、キル・ビルのユマ |
飛んでます飛んでます ロシアでもメジャー洗剤のタイド コチラはマーガリンのプィシュカ ロシアで一番ハンチングが似合う兄貴。 二番目はルシコフ市長? ユマをGETするまで頑張れヴォーヴァ!今ならもれなくイーサンの子供2人もついてくるぞ! |
5曲目、ストレラー・矢 シンプルな音作りでヴォーヴァの静かなボーカルがじっくり味わえる一曲。 “心を振り返ってみても 知ってる、彼女はもう帰らない。 窓の後ろの向こう、一瞬見えては消えてしまう。 悲しい天使は僕の肩から飛んでいってしまう、手を振りながら。 矢が刺さるような鈍い音がして話を切断した” こういう歌は歌いあげないで欲しいと言うのがストンと心に落ちる、センチメンタルな失恋の歌です。 6曲目、ティ・ウシュラー・君は行ってしまった “覚えてる?僕達が初めて会った頃・・”と始まるストレラーを受けて続くような失恋ソング。 “15年一緒に住んでいた 君は行ってしまった オレンジのコートを着て行ってしまった 行ってしまった、帰ると言わず 僕は一人でどうしたらいい?” バルドやジプシーっぽい味付けのアップテンポなナンバーですが、投げやりな感じの歌が一人っきりになってしまった空ろさを煽って悲しいからこそ踊ってしまうような曲。 自分がギターを弾けたならこんな風にかき鳴らしてみたい・・・ 7曲目、ズドラーストヴィ、ダラガヤ・やあ、ベイビー “やあ、ああ、うーん、ベイビー、ひどい目あってやっとわかった、 これから君を瞬きもしないでずーーっと一生見つめるよ”というくらいですから今度はヴォーヴァが彼女を寂しくさせていたご様子。でも帰ってきてよかったね、プラスコヴィアちゃん。(?) 後打ちのリズムで足をトントンできない人はこの曲で練習してから彼女の元へお帰りください。 8曲目、アブヤスニー・ムニェ・説明してくれ これは雪が来る前の景色、不条理、虚無感、刹那感を感じさせるとても抽象的な内容の、ウマのスローナンバーの良さがじっくり沁みる曲。 冬のはじめの寒い朝を思い浮かべます。 9曲目、アートゥ・地獄 そのタイトルとはうらはらな軽くちょっと泥臭いレゲエナンバー ヴォーヴァの声はレゲエに合うな〜まあ、バッチくて臭そな風貌も合うけど。(イエ、そういうのめっちゃ好きです) “あのビルの角、裏へ行こう、毒が売ってる、飲んで死んで地獄に行こう また飲んでまた死んでそしてまた・・・” 10曲目、ダイ・チャンスをくれ 彼女に愛想をつかされさよならを言われたけどあきらめきれない、 “もう一回チャンスをくれ!もしかしたら許してくれるかも?僕にもう一回チャンスをくれ、 くれ、くれ、くれえええぇぇぇぇぇーー!!”というおねだりソング。あ、曲はスカです、スカ。 祭囃子のような「ハッ!」という掛け声とブラスがいい感じ。 11曲目、タイド タイドとはなんでしょう? タイドとはアメリカの某大手メーカーの洗剤、「Tide」のことです。 日本でも有名ですね、ロシアでも有名なんです。そんでテレビCMをばんばんやってるわけです。 彼女に振られちゃったけど気が済まない、ソファに座ってテレビを見ている・・・ “こんにちは!タイドの威力をモスクワのイワノワさんに試してもらいましょう〜” ←タイドのCM “家計も厳しくなってきたし食料品も高くなってきたし・・まあ!安心して、お嬢さん、 うちのジュースは安くて農薬も使ってないロシア産のリンゴよ!” ←ジュースのCM 水に漬けてタイドで洗濯、僕のベイビー、どこにいるの? 小鳥のように飛んできて、僕はもう毎日眠れない ドアの側でずっと待ってる、君は僕の春、でもそれは何所? 寂しい・・・僕は寂しくて死んでしまいそうなんだ” なにかウマの恋歌は別れ歌ばっかりですね。 バカバカしい実際のCMをラップでコラージュした曲ですがどっこいメランコリックなスローナンバー。 “君を待ってる、ソファに座ってテレビをみてる・・・ おいしいパイにはプィシュカのマーガリンを使って ワキが臭うならメロンデオドラントスティック、 お口の臭いが気になるならロンド、 ニキビだらけならクレアラシル・・・(もうええっちゅうねん) 僕のいとしい君はどこ?僕はもう寂しくて・・・” 12曲目、ニコーラ・ニダチュキ・無一文 ウマの曲はどれも何かに晒されて後に残ったような虚無感があるのですがこの曲はまさにその典型。 “とにかく何にもない、家も金も部屋にはなんにもない、食べる物もないし、女房もいないし、子供もない。 アタマ悪いし、背も低い、平凡な一人の男。もし誰かが僕の夢をみたらきっと狂う。” む。 たしかに。 13曲目、プラスティッツァ・永遠の別れ これはウマの2番目のビデオクリップにもなり周辺国でも大ヒットしたセンチメンタルナンバーです。 一曲目のプラスコヴィアと同じく、「PVダウンロード」することでビデオクリップがご覧になれます(PVはCDには入っていません)。 このクリップは2004年7月31日、セリョーガの誕生日の日にモスクワで撮影されました。 サユース35完全版CD2枚組にも入っている曲なのでもうご存知の方も多いかもしれないですね。 別れ歌が得意(?)なウマの魅力が遺憾なく発揮された美しい名曲です。 2人の関係は終焉に向かって今まさに別れを言う時。 美しいギターの音と、押さえ気味で引っ張らないヴォーヴァのボーカルに切なさが溢れています。 “別れを告げる強い心がない 僕は瞳を閉じる 霧の中、首都の通りをゆっくり走り去る 永遠の別れ 次々に失ったもの 月日は矢のように流れ 雨の後は吹雪 そして渡り鳥がゆく” 14曲目、プラスコヴィア・ラジオミックス ミックスという但し書きがつくと大体の曲はこんな感じになりますという、ズンドコ風味でスペイシーな味付け。 ウマには申し訳ありませんがオリジナルのほうが断然いいと思います。 でも踊るならコッチ。 さあ、ラストはウマ・トゥルマンのオリジナル・バージョンです。 タランティーノ監督に失礼すぎるから変えろとプロデューサーに申し渡されたいわく曲ですが、 タランティーノ・バージョンとは一言しか違いがありません。 「здоровенная детина」が「пьяная с котина」となっています。 アレンジも同じなので歌詞に注意しなければ気づかないくらいです。 ところで愛するユマ・サーマンに捧げたこの曲、いったいウマは何を言ってるんでしょう?
街は雨。 バシッ!とショートして路面電車が止まった ドタマが割れて脳ミソまで大ケガ まさにオレの恋人だ! ※ヨシッ、金貯めて君のとこに行くぞ、 船で、飛行機で、車で オレがそばにいることを君は楽しみに待ってるハズだ オレはシンプルなロシヤ人、「やあ、ベイビー」って君に言うよ、 君は笑ってオレに言う、 「私、あなたをすごく待ってたのよ、ヴォーヴァ!」 ユマ・サーマン 「ヴォーヴァ、すごくあなたを待ってた」 ユマ・サーマン 「あなたをずっと待ってた」 ユマ・サーマン 「待ってたの、ヴォーヴァ」 ユマ・サーマン 「私はあなたをすごく待ってたのよ、ヴォーヴァ!」 ソファでテレビに映った君を見てる 街は冬。 もうすぐ入り口も出口も雪で閉ざされる ドタマが割れて脳ミソまで大ケガ まさにオレの恋人だ! <ヴォーヴァのスキット> そ・れ・で・だ、 何かきっかけを掴んで静かに彼女に話しかけるんだ、「やあ、ユマ」 彼女も言うよ、「こんにちは、ヴォーヴァ」 で、会話を続けないといけないから、「元気?最近どう?」ってきくと 「それがね〜サイテーなの、ヴォーヴァ!」って彼女がグチグチ文句言い始めるんだ。 「きのうベロベロに酔っ払ったタランティーノが来て私とやろうとしたのよ、あの酔っ払い××(ピーッ)! だから彼に厳しく言ったの、クウェンティン!あなたはかけがえのない人だけど私はロシアからヴォーヴァを待ってるの、あなたに来て欲しいって頼んでないわよ!って。そういうことなのよ〜 ちょっと、笑える話じゃないわよ!あなたがいなくて辛かったんだから、ヴォーヴァ。 ほんと来てくれてよかったわ!」 ※ユマに会うまで繰り返し
捧げる歌というより・・・強烈な妄想ソングでした。 あるインタビューで「君たちのクリップにユマ・サーマンが出るのはいつかな?」という質問にヴォーヴァは 「僕らはそれをすごく楽しみにしてる」と言っていましたが、意外な形で実現してしまいました。 ユマ・サーマンの新作「Bee cool」(日本公開は9月予定)のパロディとして作られた映画の中で「ウマ・トゥルマン」が使われる事になったのです。 現在一番新しいクリップとして目にする「ウマ・トゥルマン/Bee cool バージョン」はこの映画のためのバージョンで、Bee coolの映像コラージュがふんだんにあり、ユマ・サーマンを目にすることができます。 またこのバージョンではウマは英語でも歌っています(が、ヘタクソ) さてCDに入っているジャケットの最後を見てみましょう、 小さく「ユマ・サーマンに捧ぐ」と書いてあります。 ウマがユマと本当に競演できるのはいつのことでしょうね。 |
一日に4回のライブをこなし、前座にはグリュコーザが登場という売れっ子のウマ・トゥルマン。 彼らのニジニ・ノヴゴロド凱旋ライヴはピカソというナイトクラブでした。 そこのチケットは普通150〜300ルーブルですがウマは1000ルーブル。 普通のガードマンの代わりにOMOH(アモーン・テロ事件なんかでTVに映ってる特殊警察)が出動しました。 こんなに急に旬の有名人になってアタマおかしくなってない? >それは楽しいよ、金まわりのこともだんだんよくなったし。 でも僕達は何も変わらない、自由な時間は少なくなってきたけど酒を飲む時間は増えたね。 一日で4つのコンサートをすればあんまり酒を飲めない僕でもだんだん強くなる(笑) おっと気をつけて、アル中になっちゃうよ〜 >そんなに飲まないよ、すごく飲みたいときだけしか飲まないよ! あなた達がスター病になるのは時間の問題なんじゃない? 急激に有名人になったら普通の人でも頭おかしくなるよ、もししっかりした良心的な人間なら苦悩したり友達を失うくらいで済むけど心が弱い人なら人間のクズになっちゃうよ? 「豚の生活したら豚のまま」(ヴィソツキーの歌) >はたからはそう見えるかもしれないけど今のところ大丈夫、 兄弟は仲がいいし仕事もしっかりしてるし ヴォーヴァ、あなたは絶対嘘をつかないとよく言うけどそれは宗教的なもの? >僕は嘘をつくのは大嫌い、実際つかない、うそ、お世辞大嫌い。 嘘をついて優しくきれいにみせようとしても中身はクソ。 ある日僕はイエスが教えてくれた通りに進もうと思った、それまでの罪を懺悔して新しい生活を始めた。今僕の嘘のつかなさといったらもう聖人と同じくらい。 それにしてもそれ前はかなりムチャをしていたなー、女性とも遊んだし、もうめちゃくちゃ。 でも神を信じる出来事が起こって信じるようになった、その理由について詳しくは言いたくないけど。 |
セリョーガ、あなたも神を信じる生活? >僕は宗教について懐疑的。僕は自分を信じている。 それならセリョーガ、兄弟で摩擦はないの?ヴォーヴァの正直すぎる生活は仕事の邪魔になるでしょう? ビデオクリップ作りのためにアメリカに行く事ができなかったじゃない?なぜならあなた達はアメリカ大使館で嘘をつくことができなかった。 >僕はヴォーヴァのやっていることを理解してそのまま受け入れている。 ヴォーヴァは? >たとえビザのためだとしても少しでもそのことについて妥協したくない。 自分自身を尊敬できなくなるから。
ヴォーヴァはトロンボーンを専攻、セリョーガはコントラバスとオーボエを選びました。 彼らの第一の目的は楽譜を読めるようにすること、そして自分のグループのメンバーを見つけ出すためでした。 >僕らのプロデューサーは僕らの学歴についてあまり人に話すなというけど、僕らはそんなこと秘密にしない。 本を読むのも勉強するのも好きじゃないと正直にいうよ。 僕は学歴がなくて幸せ。 学歴も社会的地位も高い上流階級というような人々をたくさん見たけどその人達のようになりたくない。 どうして? >彼らは本物じゃない。
タランティーノ監督にモスクワ映画祭で会った時に歌ったウマ・トゥルマンの歌詞はプロデューサーに言われて変えたんでしょ? >それはたいしたことじゃない、仕事の一部。 バカバカしい歌詞の2つの言葉を変えることくらいはあの曲の意味が変わるようなことじゃない。 僕らは大人、この世界へ遊びにきたわけじゃない、成功しにきたんだ。 成功したい?目標は? >グラミーをとりたいね! グラミー!それはまたどうして? >ただ、おもしろそうだから。 なんかとてつもない目標をもって生活するのは楽しいじゃないか? ニジニにいたとき、いまに有名人になってやるぞ!と言っていたけどそれは今のグラミーくらいとてつもない事だった。 コイツは狂ってるに違いないと、ニジニでフォレストガンプといわれていたんだよ。 あなたたちは欧米のメジャーなグループになりたいですか? >欧米じゃなくて世界中 OK。タトゥーみたい? >ははは。U2みたいにだよ! ・・・・これはまたデッカクでましたね。 いいでしょう、わかりました。 一生見届けます。
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