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20091209
NICHYAのファーストアルバム「FOREVER」

 タトゥの元プロデューサー、レーナ・キーペルのユニット「ニチヤー」のレビューをお届けします!

 「NICHYA」。その音は悲しく研ぎ澄まされ、引き裂かれそうな切なさが、ただ心に残ります・・・。「ヤ・サシュラー・ス・ウマー(わたし、気が狂ってしまった)」の作詞をしたキーペルのユニットだから作り出せた曲が、ここにあります。

Можно любить (愛していい)
Снег (雪)
Ничья (ニチヤー)
Один : Один (1対1)
Никому. Никогда (誰にも。一度も。)
Ты где-то рядом (キミは、どこかそばにいる)
Начинай меня (私からはじめて)
Всё время (いつも)
Нет (NO!)
Навсегда (FOREVER)
Никому. Никогда (globass club mix)
Ничья (globass chillout mix)

特集!NICHYAのページ
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「タトゥーの母」レーナ・キーペル、渾身のマキシングル登場!

ニチヤー/NICHIYA(nobody's)
НИЧЬЯ/НИЧЬЯ
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心に迫る切実感、うねるシンセ。

そこにあるのは、叫び。

胸を裂くようなメッセージ、耳に残るレフレイン、漂う哀感、痛みと夢の残骸…。

それは、まさにタトゥの衝撃。

元祖タトゥサウンドの復活・・・。


ニチヤーは、「タトゥの母」と呼ばれているレーナ・キーペル(エレーナ・キーペル)のユニットです。

レーナ・キーペルは、タトゥー(t.A.T.u)の傑作曲「ヤ・サシュラー・ス・ウマー(わたし、気が狂ってしまった/「オール・ザ・シングス・シー・セッド」の原曲)」と「ナス・ニ・ダゴーニャト(わたしたちには追いつかない/「ノット・ゴナ・ゲット・アス」の原曲)」の作詞をした人です。

いや、ふたつの大ヒット曲の作詞家というだけではありません。

実は、あのハイスクール風の衣装やビデオクリップをふくめ、タトゥの初期コンセプトやイメージのほとんどを考え出してきたのがこの人だと言われています。

また、プロジェクトのコアとして、タトゥーを実質的に舵取りしてきたのが彼女でした。


しかし、レーナ・キーペルは常に陰の人でした。

タトゥのふたりとプロデューサーのイワン・シャポヴァーロフが、表舞台で脚光を浴びる一方、実質的に彼女の名前は抹消されていたも同然でした。

彼女や他のクリエーターたちの仕事の多くがシャポヴァーロフのものとされ、報酬もほとんど支払われませんでした。
なんと、世界的大ヒット曲「ヤ・サシュラー・ス・ウマー」で彼女が受け取った報酬は250ドル(約3万円)ぽっち。「ナス・ニ・ダゴーニャト」にいたっては、報酬ゼロだったといいます。

外国で発売されたいくつかのCDのクレジットからも彼女の名前は外されてしまいました。
(現在、キーペルはシャポバーロフと交わした著作契約の解消を主張して、裁判中です)。


"NICHYA"は、本来、タトゥのためにつくられた曲でした。

キーペルの言葉によると、"NICHYA"は、彼女がタトゥ・プロジェクト在籍中に、シャポヴァーロフの誕生日プレゼントのために書いた曲だそうです。

当時、シャポヴァーロフとは恋愛関係にあったと彼女は認めています。

キーペルはこの曲をタトゥと「愛する人」(キーペル/インタビューより)に捧げました。
しかし、結局、タトゥのアルバムに収録されることはありませんでした。

キーペルは“タトゥ”を過激なレズとして売り出すことに反対していました。

スウェーデン映画「ショー・ミー・ラブ」(原題「Fucking Amal」)に登場するふたり。
恋愛感情にとまどい、傷つき、互いの距離を模索する淡い少女たちの青春像が、キーペルが描きたかったタトゥのイメージでした。

シャポヴァーロフは「もっと際どい危ない関係の二人」というコンセプトで突き進みました。

過激化するタトゥ。

彼女が一番耐えられなかったことは、
自分が生み、育ててきたタトゥが、音楽性よりもスキャンダル性を前面に押し出すグループへどんどん変わっていってしまうことでした。

タトゥが世界中で注目されはじめた2002年初め、キーペルはプロジェクト「タトゥー」から離脱します。


すべての夢が崩壊し、失意のどん底にあったキーペル。
一度は、車で壁に激突しようと、自殺も考えたこともあったそうです。

もう二度とタトゥにもシャポヴァーロフにもショービジネスにも関わるまい。

そう決意した彼女でしたが、やはり自分のなかでタトゥのことに
決着をつけたかったのでしょうか。


レーナ・キーペルがタトゥのもとから去って1年半、「NICHYA」という名のマキシ・シングルCDが世に出ます。

「NICHYA」は、キーペルが音楽家の親友(オレク・ボルシェフスキー)とふたりでつくったユニットです。

キーペル自身が歌っています。

「NICHYA」とは、ロシア語で「誰のものでもない」(nobody's)、あるいは「引き分け」という意味です。
自らの新しいユニットに、そんな名をつけたキーペルの心境はどんなものがあったのでしょうか?

「NICHYA」のCDのライナーには、
これは親友と、「ただ自分のために」歌った作品だと
書いてあります。

    *  *  *

「NICHYA」を聴いたときの、背中がゾクッとする衝撃と、心を突き刺すような哀切感は、まさに最初にタトゥの名曲「ヤ・サシュラー・ス・ウマー」を聴いたときに感じたものでした。

この曲を聴くと、タトゥをつくったのは、レーナ・キーペルだったのだと実感できます。

タトゥを自ら考え出し、曲をつくり、プロジェクトを一手に背負って立ち、
走り続け、壁にぶち当たり、すべてを失ったキーペル。

挫折からはい上がってきたキーペル執念の作品です。

「NICHYA」は絶対おすすめの一枚です。

泣けてきます。

タトゥーサウンドの根元的な魅力がすべてつまった曲です。 

(gonza)




音楽CD(マキシングル)
NICHYAのマキシングル「NICHYA」
2003年 BGM Russia



CD付属のメニュー画面。ニチヤーの解説が載っています(ロシア語)。
NICHYA(ニチヤー) “NICHYA”
НИЧЬЯ “НИЧЬЯ”v

ロシぴろおすすめ!

CDの内容
01/ナチナイ・ミニャー (私を動かして)
「新たに始めなさい、ゼロから始めなさい」というリフレインが、心に突き刺さってきます。完成度の高い、魅力的なサウンド! 序奏として強いインパクトを巻き起こし、次の曲「ニチヤー」へと続いていきます。

02/ニチヤー (誰のものでもない/引き分け)
標準アレンジ。文句なしの名曲です。一度聴いてください。

03/ニチヤー (NICHYA vs. Torba-na-Kruche)
ペテルブルクの先進的なロックグループ「Torba-na-Kruche」とのコラボレーション。
ボーカルは、レーナ・キーペルとTorba-na-KrucheのMakc IvAnov。
ハードロック風にアレンジされたNICHYA。すごくイイです!
リフかっこいい! リリカルなギターが泣かせます。パワフルな展開に「バロックメタル」風の味付け。このリミックスは02の標準アレンジと負けず劣らず素晴らしい! もしかすると、こちらのバージョンのほうがいいかも? おすすめです。この曲の内部にこめられたエネルギーをベストな形で表出するかのようです。
下記インタビュー参照

04/ニチヤー (konchati! GloBass rmx)
テクノ風のリミックスバージョン・ニチヤー。初期のタトゥ(ロシア語版)を思い起こさせる広がりのあるアレンジ。これもイイですね〜。

05/ニチヤー (Dj Primat mix)
こちらはさらにテクノ風。ちょっとチープだけどインパクトあるアレンジです。

06/pain to choose (選択の痛み)
ニチヤーの英語版。英語の歌詞がうまくのっていて良い出来だと思います。

07/ ビデオクリップ 「ニチヤー」

ボーカル: 01,02,04,05,06:Lena Kiper, Oleg Borshevckii, 03:Lena Kiper, Makc IvAnov
作詞: 01:Oleg Borshevckii,  02,03,04,05,06:Lena Kiper
作曲: 01:Oleg Borchevskii, HarDrum/IvaNova Records,  02:Lena Kiper, Dgenya Kurpitsin



NICHYAサイト。 NICHYAを聴いてみよう!
NICHYA公式サイト
http://nichya.ru/

「戦略対象物」でロケされたビデオクリップ
プロモ・ビデオの監督もレーナ・キーペル自身がつとめているそうです。
彼女が撮影場所に選んだのは、ボルガ川のまっただ中に浮かぶ建築中の橋の上。
それは、「始めも終わりもない」両端行き止まりの橋でした。

しかし、そう簡単に事は進まない…。

この橋はロシア軍の「戦略対象物」に指定されており、国家安全局の許可が必要でした。
申請して、待てど暮らせど、国家安全局からは返事がない…。
3ヶ月後、返ってきたのは否定的な回答だけ。
こういうことはロシアではよくあるのです・・・(涙)。

しかし、レーナ・キーペルとスタッフは、あきらめませんでした。

ついに、ロケを敢行。

撮影も困難を極めたそうです(後述)。
完成したプロモの斬新な映像に、音楽界がどよめきました。
死ぬ思いで撮影
撮影はヘリコプター上から行われました。

無線機は動きませんでした。

次にどこを飛んで、どのように撮るか?
橋の上にいる監督(レーナ・キーペル)から、ヘリに乗っている撮影グループへの指示は、すべてジェスチャーで行われました。

岸から遠く離れた橋の上で孤立状態のNICHYAのふたりは、もうアドレナリン全開状態!

足下は大きな決壊箇所がいくつもある金属の路面。
広大な黒い海のまっただなかで、手すりもなく、ガードレールもない、海抜50メートルの「行き止まりの橋」。
その上を 全力で走るオレク。

モスクワに帰ってからも、まだ緊張の解けないレーナは、できたばかりのラッシュを見てハッとしました。
「この映像は、わたしが想像のなかで見た光景そのものでした。わたしたちはほんとうにこの絵を撮ったんでしょうか? この橋はまだあそこにそびえ立っているのか? それともわたしの想像が体現した幻なのか? 分からなくなったんです。」

ニチヤーのふたりが「死ぬ思い」で撮ったビデオクリップ。見る価値ありです!
CD付属ビデオクリップより



歌詞(日本語訳)
Ничья - Ничья ニチヤー(誰のものでもない) ニチヤーを歌おう!(カタカナ読み)
это медленный яд
если можешь кричи
это слово НИЧЬЯ
это снова ничьи
それは、ゆっくり効いてくる毒
できるなら、叫んでよ!
それは、NICHYAって言葉
再び誰のものでもないってこと
エタ・ミェードリェンヌィ・ヤート
イエスリ・モージェシュ・クリチー
エタ・スローヴァ 「ニチヤー」
エタ・スノーヴァ・ニチィー
я теперь ничей
 ты теперь ничей
ты теперь ничья...
 я теперь ничья...

いま僕は誰のものでもない
 いまあなたは誰のものでもない
いま君は誰のものでもない...

 いまあたしは誰のものでもない...
ヤ・チピーリ・ニチェイ
 ティ・チピーリ・ニチェイ
ティ・チピーリ・ニチヤー
 ヤ・チピーリ・ニチヤー
ни о чем не жалеть
не любить - не болеть
не бояться не успеть

後悔しないこと
愛さないこと、苦しまないこと
失敗を恐れないこと

ニ・アチョム・ニ・ジャリェーチ
ニ・リュビーチ、 ニ・バレェーチ
ニ・バヤッツァ・ニ・ウスペェーチ
и не спеть и промолчать
не оставить и не взять
разделив, не разделять

歌わないこと、沈黙すること
残しておかないこと、持たないこと
分かちあった後に、分かちあわないこと
イ・ニ・スペェーチ・イ・プラマウチャーチ
ニ・アスターヴィチ・イ・ニ・ヴジャーチ
ラズジリーフ、ニ・ラズジリャーチ
пополам, пополам
здесь - собой, а с ними - там
как назло своим мечтам

半々に、半々に
自分のはここ、あの人たちにはあそこって
夢へのあてつけみたいに
パパラム、パパラム
ズヂェシ、サボイ、ア・スニミ、タム
カク・ナズロ・スヴァイム・ミチターム
лучше трогать и не брать
или врать себе и врать
чтоб кончать и кончать...


手を触れるだけで、持っていかないほうがいい
自分に嘘を、嘘をついたほうがいい
終わらせるため、終わらせるために
ルーチシェ・トローガチ・イ・ニ・ブラーチ
イリ・ヴラーチ・シベ・イ・ヴラーチ
シトプ・カンチャーチ・イ・カンチャーチ
это медленный яд
если можешь кричи
это слово НИЧЬЯ
это снова ничьи
それは、ゆっくり効いてくる毒
できるなら、叫んでよ!
それは、NICHYAって言葉
再び誰のものでもないってこと
エタ・ミェードリェンヌィ・ヤート
イエスリ・モージェシュ・クリチー
エタ・スローヴァ 「ニチヤー」
エタ・スノーヴァ・ニチィー
я теперь ничей
 ты теперь ничей
ты теперь ничья...
 я теперь ничья...

いま僕は誰のものでもない
 いまあなたは誰のものでもない
いま君は誰のものでもない...

 いまあたしは誰のものでもない...
ヤ・チピーリ・ニチェイ
 ティ・チピーリ・ニチェイ
ティ・チピーリ・ニチヤー
 ヤ・チピーリ・ニチヤー
и не стерто, и не скрыть
и слезами не отмыть
говорить - не отменить

消されはしない、隠すこともない
涙なんかで洗い流さない
話すこと。すなわち、取り消さないこと

イ・ニ・スチョールタ、イ・ニ・スクルィーチ
イ・スリザーミ・ニ・アトムィーチ
ガバリーチ、  ニ・アトミニーチ
по словам на пол-лица
пробегает полоса
не дослушав до конца

言葉づたいに、顔の両面を
光陰が飛び交う
最後まで話を聞かないうちに
パ・スラヴァーム・ナ・ポーゥリツァー
プラビガーエト・パラサー
ニ・ダスルーシャフ・ダ・カンツァー
перерезать, пережить
не просить, не дорожить
быть собой, а значит БЫТЬ

断ち切ること、生き抜くこと
請わないこと、惜しまないこと
自分であること。すなわち、ここにいること
ピリリザーチ、ピリジーチ
ニ・プラシーチ、ニ・ダラジィーチ
ブイチ・サボーイ、ア・ズナーチト・「ブィチ」
не давать себя догнать
не давать себя до дна
никому и никогда...
自分を追い込まないこと
自分をすべて捧げてしまわないこと
誰にも、絶対に…
ニ・ダヴァーチ・シビャ・ダグナーチ
ニ・ダヴァーチ・シビャ・ダドゥナー
ニカムゥ・イ・ニカグダー...

*ロシア語の発音をできるだけそれっぽくカタカナにしましたが、どうしても表現できないところもあります。


ニチヤーは「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」(私は気が狂ったわ)の続編?
「ニチヤー」と「ヤー・サシュラー・ス・ウマー(私は気が狂ったわ)」の共通点 
「ニチヤー」の歌詞と、タトゥーの大ヒット曲「ヤー・サシュラー・ス・ウマー(私は気が狂ったわ/「オール・ザ・シングス・シー・セッド」の原曲)の歌詞(両方ともキーペルが作詞)には、共通の言葉が使われています。

「それはゆっくり効いてくる毒」(エータ・ミェードリェンヌィ・ヤート)というところがそうで、「ヤー・サシュラー・ス・ウマー(私は気が狂ったわ)」では「それはゆっくり効いてくる毒。あたしを狂気に導いていく・・・」と歌われています。

また、「ニチヤー」の歌詞では「自分のはここ、あの人たち(彼ら)にはあそこ」と、唐突に「あの人たち(彼ら)」という代名詞(三人称複数)が出てきますが、「ヤー・サシュラー・ス・ウマー(私は気が狂ったわ)」でも、「あの人たち(彼ら)は、悪いのは自分だと言ってる」と、突然「彼ら」が出てきます。また、同じくキーペル作詞の「ナス・ニェ・ダゴーニャット(あたしたちには追いつかない/「ノット・ゴナ・ゲット・アス」の原曲)」でも「あの人たち(彼ら)のところから遠くへ」と、いきなり「彼ら」が出てきます。

「ニチヤー」そっくりの「ティ・サショール・ス・スマー(きみは狂ってしまった)」という曲があった!
「ティ・サショール・ス・ウマー(きみは狂ってしまった)」あるいは、「ニ・グラターチ(黙るな)」、「ヤ・ニ・グラターユ(あたしは黙っちゃいない)」という名の曲が存在します。これは過去に出回ったいくつかのタトゥの海賊版CDに収録されています。
これがまさにニチヤーと同じ曲なんです。

ロシアのファンサイトの情報によると、また自分で聞いてみても分かるのですが、「ティ・サショール・ス・ウマー(きみは狂ってしまった)」は、タトゥではなく、どうやらレーナ・キーペル自身(と男性。オレク?)が歌っていたようです。

「ティ・サショール・ス・ウマー(きみは狂ってしまった)」は、タトゥの2枚目のアルバム用に準備していた曲だそうです(結局アルバムには未収録)。おそらくデモバージョンと思われます。
アレンジは違いますが、メロディは「ニチヤー」と同じです。歌詞もほとんどは現在の「ニチヤー」と同じです。この時点ですでに曲はほぼ完成していたことが分かります。

これは驚くべきことです。
タトゥ(およびイワン・シャポヴァーロフ)と決別したキーペルが、現在の心境と決意を語っているようにみえる「ニチヤー(誰のものでもない)」の詩は、ずっと以前に、キーペルがタトゥ・プロジェクト在籍中に書かれたものだった・・・。
あたかも自らの将来を暗示するかのように・・・。

もっとも、歌詞はまったく同じというわけではなく、サビの部分が異なっています。

ニチヤー
それは、ゆっくり効いてくる毒
できるなら、叫んでよ!
それは、NICHIYAって言葉
再び誰のものでもないってこと

いま僕は誰のものでもない
いま君は誰のものでもない
←→ ティ・サショール・ス・ウマー(きみは狂ってしまった)
それは照りつける太陽の毒 金色の光線
そう、あの人たちは言ってるわ
「急いで治さないと」って

きみは狂ってしまった
きみは狂ってしまった
というふうに、「ティ・サシュール・ス・ウマー(きみは狂ってしまった)」のほうには、「ヤー・サシュラー・ス・ウマー(私は気が狂ったわ)」の歌詞の一部がそのまま使われています(黄色の部分)
駐:これは「メローディア・リュビー」収録曲の場合。海賊版CDによっていくつかの歌詞のバリエーションがあるようです。
「ニ・グラターチ」が入っているタトゥの海賊版CD.
注:ロシぴろでは海賊版は一切扱っていません。

歌詞の内容的にも、「ヤー・サシュラー・ス・ウマー(私は気が狂ったわ)」では、互いの恋愛感情にとまどう少女たちを、「ナス・ニェ・ダゴーニャット(あたしたちには追いつかない)」では、どこまでも逃避行するふたりを、そして「ニチヤー」では、「自分である」ために彼らを「断ち切って」生きていくことが歌われています。

やはり、「ニチヤー」は、タトゥの「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」や「ナス・ニェ・ダゴーニャット」の続編として書かれたのではないでしょうか。

それを、将来、自分の歌として「自分のために」歌うことになることを、そのときキーペルは知っていたでしょうか?
Torba-na-Kruche版ニチヤー
マキシシングル「ニチヤー」の3曲目には、サンクトペテルブルクの新進気鋭のロックグループTorba-na-Krucheによる気合いの入ったカバーバージョンが納められています(ボーカルはレーナ・キーペルとTorba-na-KrucheのMaksim IvAnov)。Torba-na-Krucheとのコラボレーションもキーペルの希望で実現したそうです。他のレコーディングや撮影を遅らせるほど、NichyaとTorba-na-Krucheは、共同作業に夢中になりました。

「いままでと全く違った形でのニチヤーをレコーディングするのは、リスクが高いと思ったわ。オリジナルのエレクトロポップ版ニチヤーに慣れているファンには受けないかもしれないって。でも私たちはステレオタイプにこだわらないし、創造においては自由なの。ポップかロックかっていうのは、理性にとらわれてるのだわ。ショービジネスではない、本物の創造には、境界はないのよ。ずっとTorbaと仕事がしたいと願ってきたわ。ショービジネスの範疇外にある彼ら。Maksim IvAnovの声と演奏には、なんてすごいライブ感あふれる、ストレートでエモーショナルな響きがこめられているのでしょう!」(
レーナ・キーペル/CD付属のインタビューより)

「僕たちは、『よそ者』の、ましてやポップスのレコーディングに参加するつもりはなかったんだ。だって僕らはロックミュージシャンだから。最初は単に共同ライブセッションのみということだったんで、引き受けたんだ。でも『ニチヤー』を聞いて、歌詞も音楽も気に入ってしまった。これを歌いたくなったんだよ。広い見地からは、創造的な音楽には、ロックもポップスもないんだよ。「聞きたい」「歌いたい」歌があるだけなんだ。」(
Maksim IvAnov/同)


情報ソース
以上の記事は、下記のレーナ・キーペルへのインタビュー記事を元に、個人的な見解も交えて書きました。
モスコフスキー・コムソモーレツ紙:「レズビアンの幻想」(レーナ・キーペル、インタビュー) (2003年9月10日)
コムソモールスキー・プラウダ紙:レーナ・キーペル インタビュー (2003年4月22日)
http://briefing.kp.ru/article.php?id=206


(2003.11.22 gonza)


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