ゼムフィーラというグループについて
ロシアで留学している人なら一度は絶対耳にすると思います”ゼムフィーラ”というグループ。留学生の中でも好きな人はたくさんいるのではないでしょうか。 今回、その”ゼムフィーラ”について少々、調べてみました。 ヴォーカルは右写真のような女性で、一見かなりクールに見えます。(写真では男っぽいですが女性です。) 歌声は椎名林檎を思わせるような(椎名林檎よりはちょっとハスキーかな)歌声でファンを魅了します。 |
ヴォーカルゼムフィーラの個人データ
名前 ラマザーノバ・ゼムフィーラ・タルガートブナ
(ロシア語で”Z”の音の表記はは数字の”3”に近いため自分の名前を書くときには”Z”の文字を使うそうです。)生年月日 1976年8月26日 出生地 ウファ 両親の職業 歴史教師 学歴 高校を全部成績5で卒業、音楽学校でフォルトピアノを学びこれも成績5で卒業。それから芸術学校にはいり、軽演劇歌手、ソルフェージョの先生、合唱の先生、作曲家の資格を持つ。 星座 乙女座 好きな色 青 好きな作家 ナボコフ 趣味 コンピュータ、スキー、読書、チェス 略歴 5歳の時にゼムフィーラは音楽学校のフォルトピアノ教室に通います。
彼女が最初に作った歌も丁度その5歳のときでした。
7歳の時にゼムフィーラの母親の仕事場の祝日のコンサートで彼女は初めて自分で作った民族友好についての歌を披露しました。
子供の頃、重傷の肝炎にかかり半年ほど学校に行けない時期がありました。そして左耳の聴力が衰え始めました。何回か手術もしたのですがついには回復することはありませんでした。左耳の聴力は右耳の聴力に比べて30%ほどしか聞こえなく、ゼムフィーラは”ときどきもっとひどくなることもあるけど、最近では慣れた”と語っております。
7年生のころから7つものクラブ活動に参加してその10年間はロシア女子バスケットボールチームのキャプテンを務めていたこともありました。ちなみに彼女の好きな教科は文学、歴史、科学でした。
芸術学校に入ったのは本当に偶然で、建物のそばを通ったときに丁度、彼女はその学校の入学テスト案内のお知らせを見かけます。本当は行くつもりはなかったのですが、そのお知らせに興味をひかれて、建物の中に入り、歌を歌いました。すると、すぐに2年生に入れられることになりました。
17歳から4年間、学校が終わってからウファの町にあるレストランで同じ学校出身のサックス演奏者であるブラード(のちの”ゼムフィーラ”のギターリストとなります。)と一緒にジャズを歌いました。
ある日の夜、いつものようにレストランで歌っていると泥棒社会で歌われている歌をリクエストされましたが、断ると、いきなり撃たれたこともありました。(幸運なことに弾はかすっただけでした。)
1996年からゼムフィーラは地方のラジオ局で地方のグループのために作曲する仕事をしておりました。毎日深夜から朝まで。それが彼女の人生において一番いいときだったとのちに彼女は語っております。
難しい耳の手術のためにゼムフィーラは病院によく入院しましたが、それでも仕事は続けました。夜7時からレストランに出かけ、深夜12時からはラジオ局で仕事、そして帰りはタクシーで病院に戻って注射と点滴をうつ毎日でした。
歌が売れるきっかけとなったのはあるモスクワへの旅行で、ゼムフィーラは自分の歌を録音したCDを友達にあげました。その友達は彼女の曲をカセットテープに録音してまた友達に渡しました。こうして、最終的には”ムーミン・トローリ”のプロデューサレオニード・ブルラーコフの耳にとまり、アルバムを収録するためにモスクワに招待します。
自分のメンバーは文字通り、ゼムフィーラは”道”で集めました。メンバーのうちの2人は音楽をやったことがなく、ゼムフィーラが”ドレミ”から教えることとなりました。そのためか、彼らの上達はとても早かったのです。もちろん昼も夜も練習をして、そしてレコーディングから1週間後には最初のコンサートも開きました。(その後は、もちろん多くの人からメンバーをかえたほうがいいのではという話を受けたのですがメンバーをかえることはありませんでした。)
こうして、今人気のグループ”ゼムフィーラ”ができあがったのです。
その他、グッズについて
Tシャツ
ロシアではロシアの歌手のプリントが施されたTシャツが販売されておりまして、ビクトル・ツォイ、アルスーなどいろいろなアーティストの中にもちろん”ゼムフィーラ”も含まれておりまして右写真のようなTシャツも売られております。
ある情報すじからの情報によりますと鞄も売られているとか・・・。
CD
もちろんCDも販売されております。こちらの方は普通のCDショップに行きましたら入手可能だと思います。
噂によるともうすぐゼムフィーラの新しいアルバムが発売されるとか。ゼムフィーラファンはチェックです。